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形見人形編02 ホットスタート、失敗

「やあ、見事に泣いてますね」

 俺の眼前には、両目から流れた涙で汚れた人形があった。人形といっても、おどろおどろしい定番の和人形ではなく、翡翠色のドレスをまとった西洋人形だが。

「だから、そう言ったじゃないの。信じてなかったのぉ?」

「いえいえ、とんでもない」

 横合いから不機嫌な声をかけられたので、俺は情けないスマイルを浮かべる。

 ちょっとしたことで失言となるところが社会の厳しさだが、まごつく暇など与えられない。なにしろ俺は、一個の社会人として見られているのだ。「数ヶ月前まで高校生でした」なんて甘えた態度では、不興を買うだけだと自覚している。

「その子、少し前に買い取った子なんだけどねぇ、そんなことになるなんてねぇ……」

 ふうっとアンニュイな息を漏らす彼女――と言っておいた方がいいのだろうか。世辞的に。

 はち切らんばかりの筋肉を、フリルいっぱいの衣装で包んだ性別不詳の方。この彼女……は、アンティーク・ドールショップの店長。趣味であふれた小世界の主だ。俺の依頼者でもある。

「大変ですよね……。ところでこの人形、髪の毛が伸びた、といったことはありませんか?」

 レジ台の上。そこに載せられた例の人形は、こころなし髪がボサついている感じがした。

 しかし問われた店長は、頑強な筋肉を震わせて怯えの混じった顔つきになる。

「ちょっ、ちょっと、脅かさないでよ。でも言われてみれば、そんな気がしてきたじゃない……。いやよお、そんなの……」

「あ、すみません。まあ、気のせいってこともありますからね」

 俺は普段以上にのんきな声を出して、さっさと話しを終わらせた。

 顧客を驚かせるのはマズイ。オカルト関連の商売は、詐欺と紙一重だからだ。「オカルト=うさんくさい=だまそうとしてんじゃねーの?」、という世間的な見方があるため、下手を打てば官憲の御用となる。

 空気を紛らわせるために首を巡らしたとき、思わず感心の息がもれた。

「しっかし、すげーな……」

 まず壁一面に、純白の刺繍レースで縁取りされたタペストリーが目に付いた。他にも、額縁で飾り付けられたパッチワークやリースの装飾。空いたスペースにはファンシーな熊のぬいぐるみ。

 正直、少女趣味が過剰すぎて、女の子でも「か~わいっ」とか言う気が失せると思う。

 そんな店内で主役を張るのは、所狭しと並ぶ陳列ケースに入ったアンティーク・ドール。

 セルロイドや綿、磁器の身体を、伝統的な衣装で着飾った人形の少女たち。数多くの彼女たちは、素人目にしても長い時間を大切に保存されてきたのがわかる。

「この人形ちゃんだけを差別するつもりはないんだけどねぇ……。やっぱり泣くなんてねぇ、ブキミよねぇ?」

「そうですね、わかります」

 女装したマッシブ兄貴にオネエ言葉でコラボの方が恐ろしい、とは口が裂けてもいえない。またもや俺は微妙な笑顔だ。

 とりあえず、泣き人形を検分するため手に持つ。シルクだろうか。古めかしいドレス生地のなめらかな感触が返ってきた。

「古い人形ですね。いつ作られたものなんですか?」

「う~ん、おそらく大正の後期じゃないかしら……。ヴィクトリア朝時代の海外製品を模倣して、国内メーカーが作ったんだと思うわ。ほら、ところどころの生地を見ると、昔の日本の業者が使いそうなやつでしょう?」

 大村店長が人形の髪留めのリボンなどを指差すが、わかるはずもなし。

「へ~、そうなんですかあ。大正ですかあ、なるほどな~」

 薮蛇になりそうなので、以降の無駄口をやめて俺は作業に戻ることにする。

 ドールの各部をあちこち触り、軽く動かしてみた。そして涙の跡へ指を走らせた直後、口の中に苦味を感じた。

「にがっ……アタリか」

 顔をしかめた俺の面相が、よほど頼りなかったのだろうか。一部始終していた店長はタメ息をつく。

「……人ヅテで《せっしかい?》ってところにお願いしたけど、ほんとに大丈夫なんでしょうねぇ」

「ええ、大村さん。《雪士会》は“この道”のエキスパートですから。それに、異変の理由については見当がつきましたので」

 さすがに、このときばかりは自信たっぷりな笑みで胸を叩く。個人的な低評価によって、所属先まで悪影響があってはならないからだ。世話になっている人たちを思えばこそである。

 効果があったのか、大村店長は少しばかり肩の力が抜けたようだ。

「へえ、ホント? 案外とやるもんねえ。で、なにが原因だったの?」

「ええとですね、ここを見てください」

 俺は片手で人形を持ち、ドレスの裾をまくり上げた。

「ちょっとアンタ、何すんのよ!」

「はい?」

 店長の思わぬ激発に驚いて手が止まった。

 彼女は俺の手から少女人形をかっさらった。そして、性被害者を労わるように人形を撫でている。わけがわからない。

「あの、大村さん? ワタシ、何か粗相でもしましたか?」

 大村店長は、まるで社会の敵を見る目でこちらを睨んでいた。

「この変質者! この子の服をいきなり剥いて、はずかしめるだなんて、なんて男なのかしら……信じられないわ!」

「はずかしめるって……人形の服を脱がそうとしただけじゃないですか」

「人形だって女の子なのよ! もういいわ、文字通りアンタを叩き出してやるわ」

 俺へ敵意の視線を向けたマッシブが、肩を回してコキリと小気味のいい音を出した。

 世の中にはペットを家族と思う人がいる。それと同様に、人形へだって特別に扱う人がいる、ということを今知った。

 ささいな行き違いが原因だが、せめて人形へ手を出す前に、一言でも断りを入れるべきだった。いろんな人を相手にするサービス業って本当に大変だ……。

 再度の社会勉強に直面した俺だが、やはり戸惑ってなどいられない。怒り肩でせまる大村という、身の危険も迫っているからだ。

 こんなことで商機をフイにしたくないし、とにかく謝り倒すしかないか。

 そう判断して頭を下げようとしたとき、少し離れた窓辺から天の助けが入った。

「勘弁したってぇな。その男は痴れ者の類やあらへんえ」

 小鳥のようなさえずりが空間に広がる。出所は、窓より差し込む陽光を背負った十二・三歳ほどの少女だ。

「ロリコンやけどなあ」

 本当に助け……なのか?

 助け舟の真偽はともかく、効果はあった。大村店長は歩みを止めて、まだ幼さが残る和装の少女を見る。

「アンタ、この痴漢の助手なんでしょ。肩を持ってるだけじゃないの?」

 いい加減なことは許さない、という気迫が大村から放たれていた。

 小さな少女はそのオーラを正面から受けるも、動じた様子は無い。藍色の着物の袖で口元を隠し、コロコロと笑う。

「そんなんしても、一杯の茶代にもならへんわ。まあ、聞きい」

 彼女は色白の指を伸ばし、大村が持つ涙に濡れたアンティーク・ドールへ向けた。

「その人形……なんで泣いてると思うん?」

「はあ? アンタ、その事と痴漢男の何の関係が……」

「その人形なあ、さっきから『痛い痛い』言うてるんえ」

「えっ?」

 大村店長はギョッとして目を見張り、手元の人形を見る。「気味が悪い」と言いつつも泣き人形へ愛情を寄せた店長だが、オカルトへの恐怖は、普通の人と変わらないようだ。

「ウチには聞こえるえ、物言えんヒトガタの嘆き声が。ずっと……ううん、店に入ったときからなあ、ずっとずうっと『痛い痛い、痛い痛い』って言うてるんやわあ」

 つるり、と人形が大村の手から抜け落ちた。

「おっと!」

 それを予想していた俺は、床に落ちる寸前に両手で受ける。危うく間に合った。

 怪奇現象を体験した一般人への怪談。それは、生中を一気飲みさせた下戸へスピリタスも同然の行為だ。

 固まった大村を見て、俺は「やりすぎだ」という視線を投げかけるも、少女は気にもかけない。

 大村店長は身体を硬直させたまま、藍色の少女を凝視する。

「今の話……本当なの…………?」

 少女は軽く頭を傾けた。

「さあ? にわかには信じられへん話やろうしなあ」

 そして店内の年代物の人形達を見回し、うっすらと笑う。

「せやけど、今夜あたりおまえも――」

「ランっ!」

 俺の鋭い声にランと呼ばれた少女の動きが止まった。彼女はじとりとこちらを見て、おもしろくなさそうに顔を背けた。肩先まで伸びた黒髪が、ふわりと円弧を描く。

「やれやれ……」

 それを見て俺は頭を掻いた。ランのやつ、ふて腐れてないといいんだけど。

 とりあえず自分が大村から責められるという状況は、人形への注目という形へシフトした。方法はともかく、少女の確かな助力に内心感謝しつつ、俺は哀れな被害者の前に立った。

「あの……大丈夫ですから。ワタシが責任をもって解決しますから。今日でおかしなことは、おしまいです」

 暗闇に放り込まれた子供のような顔つきで、大村店長はこちらを見つめる。

「……本当に?」

「ええ」

 俺は力強くうなずく。両手のひらには慎重に抱いた人形がある。

「この人形は、怖がらせようと思って泣いてるわけじゃないんです。理由があるんです。その説明の件で、ドレスの中を拝見しなければならないんですが……いいですか?」

 あわせて「先ほどは不躾なマネをして、すみませんでした」と伝える。こちらの真意で誤解が解けたらしく、店長はおずおずと了承してくれた。

 許可の下りた今回は悠々と、しかし丁重に翡翠色のドレス裾を引き上げる。

 服と同色の下着が見えた。だが、これを脱がすことは出来ない。どうやら素体へ直接縫い付けるタイプらしい。

「ここです……人形の股関節部分」

 稼動域いっぱいまで広げた股関節の奥。上肢部と腰部の隙間へ、下着の布越しに指を這わせる。すると何かの硬い感触と、内部からはみ出た柔らかい綿が手に当たった。

「関節の奥に何かあるんですよ。それと中の綿が出ちゃってます」

 俺に習って問題部分を改めた大村店長が、眉をひそめる。

「……たしかにそうね。人形ちゃん達を引き取るときは、ひと通り調べるんだけど、全然気づかなかったわ」

「この硬いのは何なんでしょうかね」

「ズロースの裁縫を一度ほどかなきゃわからないけど、縫い針じゃないかしら。前の持ち主が修理中にヘマして、小さい針を埋め込んじゃったとか。下手なうちはやっちゃうんだけどね。でもサルベージしようとなると、素体をほどく大作業になるから、初心者には難しい。それで腕が上がったら……と思ったものの忘れちゃったりとか。ありがちよね……」

 宙へ視線を投げかける店主。とつとつと語る彼女にも似たようなことがあったのだろう。

 語り内容の通りだとしたら、よく動く関節の内に忘れられた異物のせいで、関節縫合部が破れて中身が出たということになる。人間で例えるならオペ中に置き忘れられたメス……か。どっかのマンガで見たような。

 確認の用はすんだので、大村は人形の服装を整え出した。

「もしこれが人間の体だったら、痛いじゃすまなかったでしょうねえ……。この子が泣いた理由、それが針のことなの?」

「素体が破けていることも含めて、そうだと思います」

「ふーん……でもそれって、すごく曖昧というか……抽象的で……」

「うさんくさい、ですか?」

 俺が少し意地悪く聞いてみると、店長は慌てて首を振った。だが本音のところは「YES」だろう。

「はははっ、いいですよ、気持ちは分かります。『人形が涙を流した。もしや、どこかが痛むのでは? 患部はどこだ』なんて考え、眉をしかめて当然ですよ」

 陽気に笑う俺に対して、大村は困ったように同意する。その顔つきはとても日本人らしかった。

「とはいえ、呪物――その人形のような常に無い現象をもたらす物体を、我々はそう呼ぶのですが、呪物の作用というのはひどく観念的なものです。あえて言うならば、いっそ子供じみて純朴なアナロジーですらあります」

 俺はそばにあった装飾リースの青葉を撫でる。

「こんな言葉があります。“草木もの言う。草木も眠る”……風鳴りで夜毎ささやく植物も、見た目は違えど人と同様に“笑い、泣く”存在である、と。そのように古代人は自然を神秘的に解釈しました。しかしその解釈は、人による一方向な片思いではなかった……」

「――――卵が先か、鶏が先か。そんなん関係あらへん。人がどう思おうが、神秘はたしかに、そこかしこにあるんえ。それがときに、変事となって表れるんや。そこな毛唐人形のようになあ」

 カラコロと、下駄を可愛らしく鳴らせて和人形みたいな少女が近づいてきた。

 先ほどランから散々脅された大村は、盛り上がった筋肉を縮めて、わずかに身を退ける。

「そ、それは充分にわかったわよ。この子は現に泣いているんですもの……。アンタ――いいえ、関屋さん。あなたはさっき、この子が泣くのは脅すためじゃないって言ったわよね?」

「ええ、その人形は『助けて欲しい』と訴えているだけです。物を言えないばかりに、奇異な形になってしまいましたが。害意はありません」

「じゃあ、どうすればいいの? 針を取り除いて、身体を直してあげればいいの?」

「ええ、そうしてあげてください。ですが――」

 ガラスの瞳からこぼれた涙。それのせいで汚れてしまった人形のほほへ、指を触れる。舌上にじわりと苦味が広がった。

「その前にやることがあります。せっかく修繕しても、このままでは近いうちに怪事が起こるでしょう。涙は穢れの象徴だからです。泣くことで霊的な力が流出し、代わって穢れが付着した危うい状態――、今の人形は不浄なモノが憑きやすい状態と言えます」

「……不浄なモノ?」

 店長の疑問へ俺が答える前に、ランが口を挟もうとする。ご丁寧に両手を肩まで上げて、手首を支えに手のひらをふり動しながら。

「いわゆる悪霊の類や。そいつらが人形に入り込んで祟りを起こすんえ。もう夏やしピッタリな話やなあ」

 たゆらに揺れる黒髪に白磁の肌。藍の紬をまとったランは和人形のようで、まさに怪談に登場しそうで笑えない。

 一方の俺はというと、この前にホラー映画で見たチャキチャキチャッキーな濃い顔のメリケン人形が、ナイフを右手に歩く光景を頭に描いた。ワビサビのかけらも無いイメージに、我ながら苦笑してしまう。

 しかし災厄の焦点にいる大村店長には、たまらない演出のようだった。

「…………いいかげん、私も泣くわよ」

 涙腺を限界まで緩ませたゴスロリ筋肉が、変なキレ方で訴えてくる。R指定が付きそうな絵図なので、人形だけでなく、こちらの求めにも応じざるを得ない。

「だ、だいじょーぶですってっ、そんなこと、起きないようにしますから。……こらっ、ラン。悪ふざけをするな」

 いまだに店長の前で、怪奇人形のマネをする少女を止める。後ろから両肩を抑えて、体ごと封じようとしたら肘鉄を脇腹にもらった。ひどい……。

「先、に、言った通り、ワタシが完璧に処理します。問題ないです。安心してください」

 腹へ手を押さえ、涙まじりで「安心しろ」と言ってもサマにならない。けれども身体を震わす大村は、遭難中に発見した山小屋を見る目で、ただ一言――。

「お願い……」

 俺は信頼に応えるべく、胸を張って大きくうなずく。

「はい、お任せください」

 そして、付け加えることがある。

「あの……、料金は事前に了承してもらった値段から、変わることはありませんので」

 霊感商法に引っかからないために必須のことだった。ただし、ランが何度も依頼者を脅かしてくれたので、法的にギリギリかもしれない。事がすんだ後、法廷に俺が訴えられなければいいが……。

 依頼を遂行するために、大村店長には店の外へ退出してもらった。

 俺の目の前には、穢れに満ちた泣き人形。隣には和人形と見紛う小さな少女。さらにドール・ショップの店内には、ひっそりと無言で俺達を見つめる壁の花たち。

 なんだか人形だらけだと思った。

「とはいえ、この依頼品の人形……」

 ついぶやいた俺の後を継ぐように、ランが口を開く。

「十中八九、九十九やんなあ。まあ、まだ“成りかけ”の段階やろうけどなあ」

 年経た器物に魂が宿る。それが妖怪、九十九。

「半端な魂でも、それがあらへんかったら、そもそも涙による穢れ――“気枯れ”はせんしなあ。人形の中に、流出する元の魂気があらへんと辻褄が合わへんし……。せやけど、まだ髪が伸びるほどには至らんかあ」

 ちらりと少女が、こちらを流し見る。目元の両端に浮かぶ天然のアイシャドウが、いやに印象的だった。

「おまえ、どうするん? このこと、あの女男に言わんでええん?」

「まあ、おいおいな。今の大村さんの精神状態で伝えると、彼女にとっても人形にとっても、いい結果になりそうもないからさ」

 俺は机の上に寝かされた人形を見る。

 大正時代というと百年近く前だ。それなのに、ほつれなどなく、汚れも少ない。経年による生地の変色はあっても、とても綺麗なものだ。

「この人形は大切にされていることがわかる。穢れちゃいるが、なかば妖怪なのに悪意を感じない。ほら、悪害の感情があったら、もっと苦味がピリリッって感じだし」

 俺の確信をもった発言に、ランがあきれたように首を振った。

「おまえの変態的な能力なんか知るかいなあ」

「変態とか、ひどっ。家系的にちょっと変わった体質なだけだ。まあともかく、人形から穢れを除いたら、人に大切にされてきたこいつは、守り神的な存在になると思う。そんなイイやつなんだから、ちゃんとした落とし所を選んであげたいじゃないか」

「ふん……、人間にとっての“イイ”なんて評価……」

 面白くなさそうに少女は黙り込んだ。しかしそれも少しの間。彼女の瞳は細められ、からかいの表情になる。

「怪異の原因、九十九いう線で話が進んでるみたいやけど、亡霊やったりしてなあ」

「それこそ、ありえない。霊が現世に残留するには強い念が必要だ。そして大概、その念は怨念だってこと、おまえもよく知っているだろう? 怨念以外の可能性は都市伝説レベルだから、考えるだけ無駄だしな」

 つまりは悪霊。それなら俺の舌が異常を感じ取る。

 大きくタメ息をついた少女は、空気を払うように手を振った。

「冗談や冗談。真面目に答えぇな、つまらんやっちゃなあ。これやから機転の利かへん男は……」

「へえへえ、つまんない男で、すみませんねえ」

 彼女の一言には、わりと傷つくことが多々である。とはいえ言い返そうものなら、倍返しという展開が俺を心待ちにしている。古今東西、口の数で男は女に勝てることなど無いのだ。

 結局、ルーズなドッグは尾っぽを丸めて作業へ取り掛かることにした。

「さーて、それじゃ始めますか……の前に、ランさ~ん」

「男が気色悪い声出すん、やめぇ。なんえ?」

「もう口の中が苦くって苦くってさあ。アメ欲しいかな~なんて」

「しょうがあらへんなあ……」

 少女がぶすぶすながら、袂からコブシ大のスチール製の箱を取り出した。ホタルが飛び交いそうな、郷愁ただようキャンディ缶だ。振られると、中身の飴たちの遊ぶ音がカラカラと小気味よく鳴った。

「何味が、ええん?」

「そうだなあ、本日は……『初恋は甘酸っぱく胸をさいなむもの――。初キッスは愛しくも切ないレモン味』で」

「…………頭、湧いてんちゃうん?」

 あきれた表情をしつつも、ランは希望通りのレモンキャンディを渡してくれた。俺はさっそく口へ放り込む。さわやかな甘みが、既住者だった苦味を追い出した。

 甘味の助勢でヤル気増し増し、どんぶり山盛りだ。

「さーて、今度こそ始めますか」

 ゆっくりと息を長く吐き、身体を転回する。人形ではなく傍に立つランの方へ。ついで膝をつく。

 少女へは手が届く位置なのに、ひどく遠くから彼女が俯瞰しているように感じた。

 俺は手のひらを打ち鳴らした。続けてもう一拍のために腕を広げるが、手を打ち合わす寸前で止める。そして、厳かに無音で手のひらを合わせる。

 束の間のしじま。

「それでは……」

 ランは何ごとも発さず、静かにこちらを見据えている。俺は彼女へ頭を伏せ――。

「――――綾に畏き御柩の御前に、恐み恐み申し上げる」


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