形見人形編12 エピローグ
市営植物園の近辺にある児童公園。
にぎやかな北山の表通りから少し外れただけで、その憩いの場は驚くほど静かだった。
日曜日とはいえ、時刻がお昼どきのせいかもしれない。みな、暑気と空腹に負けて屋内に逃げ込んでいるのだろう。
夏場の強い日差しは、木々の青葉を通して地に濃い影を落とす。しかして、ほおを撫でる薫風は、梅雨にはなかった爽気の涼けさを運んでくる。
「……ん、……」
大樹の恩恵を施された木陰のベンチには、ひとりの女の子が腰を下ろしていた。午睡するように目を閉じ、背もたれに身を預けた藍色の少女。
「お? 目ぇ覚めたか。おはようさん」
ゆっくりとまぶたを上げてゆくランに気づいた俺は声をかけた。けれども彼女は、ぼんやりとした眼差しのまま反応がなかった。
俺はランのそばで立ちながら、涼風を楽しんで待つとする。
しばらくすると、少女の桜色の唇が動いた。
「…………孝助?」
「そうですよ。孝助さんですよ」
「……そっかあ、終わったんやなあ……」
彼女は茫洋の面持ちで、京都という盆地を囲む東の山々を見つめていた。
パイフゥと違い、ランには身体をパイフゥにまかせている間の記憶はない。だから彼女が起きるときは、大抵の場合、案件の決着がついてからとなる。言い換えれば、ランは渦中にいたとしても要点に関与できない。
そのことで、俺は少し後ろめたい気持ちになる。いいように利用しているみたいで。
「ああ、すべてにカタがついた。よかったら今回の件の終着、話そうか?」
また答えがなくなったので、いぶかしんで少女を見ると、ランは口元を押さえていた。
「なんか、すごぉ甘ったるい……」
俺は無言で苦笑するほかなかった。つい先ほどまで、パイフゥがホイップクリームにまみれたケーキを怒涛の勢いで食べていたからだ。
「まあ、ええわあ」
立ち上がったランは、まだ夢見の状態が抜けきらないのか、半身を危うげにふらつかせる。
倒れる前に、と俺は彼女の肩を正面から支えてやった。
「おっと、まだ座っていた方がいいんじゃないのか?」
ところが、都合三度目の沈黙。
少女は俺の腕の下で、なぜか嫌な顔をしていた。
「………………あの女のニオイがする」
「はあっ?」
あの女って、どの女だ。ランがパイフゥと交代してから接した女性は、九里屋家の奥さんと老女だけだ。って、まさか。
「もしかしてパイフゥのことか? でもあいつは、おまえと身体を重ねていたんだし。言い換えれば、パイフゥとランも同じに――」
「全然ちゃうわっ、アホぅ」
俺が言い切る前に、少女が大きく黒髪を振りかぶった。
「ウチはあんなやつと同じやあらへん。次、そんなこと言うたら承知せんえ!」
「おまえら、どうしてそんなに仲が悪いんだ……」
脳裏には、ランのことを話題に上げるたびに機嫌を悪くするパイフゥの姿。
二人の間に立つ、こちらの身になってほしい。タメ息が出る。
「というか、『あの女』は無いだろ」
「あんなやつ、『あの女』で充分やっ。もしかして孝助は『あの女』と一緒がええ言うんやないやろうなあっ!」
「いや、いいも何も、おまえもパイフゥも同じ……痛っ」
承知しないという前言通り、少女が俺の太ももに爪を立ててきた。チクリとした微妙な痛さだ。
倒れそうになった彼女を支えたままの近い距離。それが仇となった。
とりあえずテキトーこいて、言い逃れようと思う。
「まあなんだ、俺にとっては二人とも……」
「――二人とも大事な存在、みたいな優等生な答えは却下やし」
先手を打たれた。どうしよう。
答えあぐねる俺を、つまらなさそうに眺める少女がいた。
「ほんで?」
「あ~、そのですね……」
「はっきりしおし!」
ガーっと声を張り上げるランは、パイフゥと同じように子供っぽい。下手すれば噛みついてきそうな勢いだ。
懐に不機嫌な猫を抱えている気分。正直、精神衛生によろしくない。
「……わかったわかった、ランと一緒がいいよ」
というわけで俺は早々に白旗を上げる。
するとランは、いやに可愛らしく小首を傾げてきた。
「ずっと一緒?」
なんだそのセリフ。ずっと一緒とな。
「え? う~ん……」
「なんか不満なことでもあるん?」
じりじりと爪が太ももの肉に喰い込んできた。
わりと痛いんですけど、それ。
「いえいえいえ、不満などなど。俺とランはずっと一緒さあ」
「……なんか投げやりやなあ」
少女から不満そうな視線をよこされたが、これ以上どうしろと。恥ずかしいんだよ。
ジト目な時間が続くも、しばらくしてランは軽く息をついた。
「まあ、ええわあ」
ようやく不当な尋問タイムが終わったようだ。
俺の足に添えられた指が離され、二・三歩後退してゆくランにホッとした。
「ほな落ち着いたところで、今回の仕事の顛末、話してもらおうかあ?」
「また急な切り返しだな」
「そう? 先におまえが話す言うてから、ウチ期待して待ってたんえ?」
じゃあ、さっさとそう言ってくれよ。さっきまでのマヌケな時間はなんだったんだ。
「なに頭抱えてるん? 偏頭痛でもするん?」
「いや、別にしないけどさ……」
ムダに疲れた俺は一度頭を振ってから、明け方の出来事へと記憶を巡らせる。
九里屋家の怨恨劇。その終結を。
「そうだなあ……結果から言うと、呪術者だったタエさんがすべての原因で、俺が悪夢の元凶となる呪物を潰したんだ。そして、それを終えたあのとき……」
――――あのとき――。
手暇になったパイフゥが、なにやら獏絵図に話しかける電波な行いをして、俺と九里屋さんをドン引きさせたとき――、は余談。
朝方にも関わらず「早くケーキ屋に連れて行け」と、駄々をこねまくった彼女のことも余談。ほんとにアンタは俺より年上なのかと、問い詰めたくなった。
さておいて、克毒の儀式を終えてすべてが終わったにも関わらず、寝室に満ちる空気は重かった。
そんなとき、扉の隙間をすり抜けるように、奥さんの千佳さんが入ってきた。
「千佳っ、寝ていなくて身体は大丈夫なのかい?」
旦那さんが驚きの声を上げたが、奥さんはかすかに笑みを返す。
「ええ、あなた。なんだか、今夜はずいぶんとマシみたい」
悪夢の原因を取り除いた効果が表れたのか、たしかに奥さんの顔色には生気が戻っているように見受けられた。そんな彼女に、俺はすべてを明かすことを求められた。
俺が話す間の奥さんは、真剣なまなざしだった。一言も聞き漏らさないかのような態度。
それだけで、初めて会ったときに感じた彼女への印象が、大きく変わったことを今でも覚えている。
それから、しばらく――。
気絶したタエさんが目覚めるも、今後の処遇が問題となる。
処遇について俺が青写真を立てているとき、奥さんが決然とした面持ちで老婆へ話しかけた。それは気力の張った、よく通る声だった。
「すべてを聞きました。タエさん、あなたが悪夢をもたらしていたのですね」
「申し開きなどございません。いかようにもなさってくださいな。覚悟はできております」
深夜での立て続けの出来事に、老体にはつらい状況だろう。
しかしタエさんは、板床の上で背筋を伸ばして正座をした。その様子はまるで介錯待ちの人間だ。
たまらず九里屋さんが拝むような顔をこちらへ向けてくる。
「……関屋くん、どうにかならないだろうか?」
「およしください、旦那様。私は裁かれて当然のことをいたしました。ですから、さあ」
タエさんが決別の姿勢で、こちらを見た。
相反する二人に挟まれた俺は、さぞ困った顔をしていたと思う。
「それなんですが……」
「させません、そんなこと」
迷いを残す俺の言葉は、奥さんにぴしゃりと遮られた。
「――――わたしはあなたを……タエさんを許します」
その一言に俺は驚いた。彼女は老女につらく当たっていたからだ。
しかし誰より耳を疑ったのは、タエさん本人だろう。
「正気ですか、奥様? 私はあなたも苦虐の末、殺めようとした鬼婆ですよ?」
「それだけ、わたしの業が深かったということです」
奥さんは悟り澄ましたようにたたずむ。だが、瞳の奥は陰りに満ちているようだった。
「夜毎うなされていたのは、すべて自分のせい……、わたしの悔恨の心です」
俺は思い出す。初めて獏絵図を見たとき、夢ながらに彼女がつぶやいていたこと。義理母への謝罪の念だ。
妻に背を押されたように、旦那さんが身を乗り出してきた。
「千佳の言うとおりだ。タエさんの行いは、私達夫婦の咎でもある。それに先ほど関屋くんから聞いたよ。タエさんの持っていた呪物……だったか、あの紙片には『魘』の文字しか記されていなかった、と。もし殺すつもりなら、あなたの父上がされたように『殺』と入れるはずだ、とね」
タエさんはあくまで罪への報いを願うのだろう。彼女は眼光鋭く、こちらを睨みつけてきた。
密告した体となった俺は、気まずい笑みでほほを掻くことしかできない。
そんなとき、ふいに立っていた九里屋さんは、床に座る老女へ深く腰を折った。
「私達に悔悛の機会を与えてくれて、ありがとう。そしてすまなかった。母にも、母を慕うタエさんにも気持ちをおもんばかってやれなかった。ないがしろにしたこの身を石打ってでもいい。だから――」
言葉は半ばで途切れた。だが、迷いをふっ切るように口を開く。
「だから、どうか許してくれないだろうか。母にはできなかったがあなただけは、どうか誠意を尽くして謝りたい。そして……欲を言うなら分かり合えたいんだ!」
九里屋さんは胸の内を吐露しつくす。
その言葉は、後半から濁って聞き取りにくかった。雫の落ちる音がした。
謝罪者側が許しを願うということ。
それは心理的には理解できるが、行為としては恥知らずもいいところだ。けれども、そんな体裁やプライドを切り捨てるほど、九里屋さんはタエさんとの和解を望んでいるのだ。
なりふり構わない男の行動は、タエさんにとって予想外だったのだろう。
「旦那様は被害者なのですよ? なのになぜ、許してくれなどと……、なぜ坊ちゃまが泣くのですっ!」
“悔悟”の涙を流す男性へ、タエさんはすがりつくように取り成した。
しかしそこにまたひとり、贖罪を願う人間が前へと出る。
「わたしも同罪です。お義母様へは若気の至りというには、取り返しのつかないことをしてしまった。そして体調が優れなかったとはいえ、あなたにも無体な仕打ちをしてしまって……」
まるで共犯者のように、夫の隣で奥さんが頭を垂れた。
「わたしには悔いて謝罪をするくらいしかできないけれど、タエさん、長い間ごめんなさい……。せめて夫だけでも許してやって……」
「千佳さん、あなたまで! なぜ謝る必要が……」
がくぜんと目を見開いた老女へ、夫婦が涙ながらに身を悔い、謝罪を重ねる。
タエさんは、過ちに嘆く音叉から逃れるように両手で耳を覆った。だが耐え切れなかったのか、口端からこぼれた彼女の心。
「そんな……そんなこと、私の方こそ申し訳なくて……」
一度ゆるんだタガの隙間からは、次々と感情があふれてくる。
「私は、本当は悔やみ苦しむあなた方に気づいていたのに、燃え広がった憎悪の火が鎮められなくて……。いつしか我が身は苦情を楽しむ鬼となっていたのです」
タエさんが逃げたかったものは、自身の身の内に潜むものだったという。
しかし彼女は本当の鬼ではない。それは以前から垣間見えていた。
寝室でうなされる奥さんを見たときのタエさんの表情。そこには人間が必ず持つ、苦悩があった。悪心に葛藤する人の心だ。
「卑しい性根の持ち主は私です! 本当におふたりとも、ごめんなさい……」
そしてとうとう彼女は、仇を苦しめることに執着するのをやめた。他者の言い分に耳を傾けるという、良心に従う道を選んだのだ。
三人が互いに謝り合う。許し合い、悔いに嘆き合う。
この場は赦しを哀願する情動のるつぼだった。
むせびに泣き、すすり泣く彼らは悲愴極まりない。けれども彼らは、どこか憑き物が取れた表情のように見えた。
だから俺は、なんとなく安心することがきた。
お三方が落ち着き始めた頃合を見はからい、ひとつ咳をつく。
「え~、ところで、タエさんの今後の身の振り方ですが」
「そっ、そうだ! そのことについて、私はどうしても頼まねばならんことがある」「わたしの方からもお願いします!」
九里屋夫妻が争うように口を挟んできたが、それは想定済みだ。
俺はなだめるように手を掲げてテンポをずらす。
「まあ、お二人がそう言うだろうと思っていました。そこで伝えなきゃいけないことがあります。タエさんの犯した呪術で人を害する行為。これに関連する『呪的行為による侵害等の処罰に関する法律』ですが……」
しんと静まる室内に、ごくりとツバを飲み込む音がした。
「もう適用されません」
あっけらかんと両手を広げる俺に対して、一堂は違った意味で静まり返った。
感情の針が大きく揺さぶられた直後の旦那さんは、気色張って俺につかみかかる。
「どどどど、どういうことだね、おいっ!」
「首、首、絞めないでっ! ひっ、被害者の訴えがないと、刑事訴訟できないんです! これは公訴前の捜査も同様ですっ」
目を丸くする九里屋さんのゆるんだ手から俺は逃れる。
そして乱れたワイシャツの襟を正して、
「ほら、暫定立法って言ったでしょ? 正式な法案が立法化するまでのつなぎなので、締め付けがゆるいんです」
俺がほほ笑みかけると、彼はコンニャクみたいに腰抜けに座り込んだ。
「…………助かったのか? ……あっ」
それまで静かに九里屋さんの手の中にあった人形が、唐突に淡く灯りだした。
一瞬、俺は横目でタエさんを見たが、彼女も狐につままれた顔つき。
不思議に思う俺達の前で、形見人形は何回かの、ゆるい明滅をくり返した。そして払暁の朝日に迎えられた存念の燐光は、すうっと透けるように消えていった。
そのさまは、どうしようもなく儚くて。けれど、どこか慈しむようにあたたかで。
「母さん……、今まで見守ってくれて、ありがとう」
「……お義母様、私達はやり直します。九里屋家のことは、どうかご安心ください」
「大奥様、私めは私めは……」
本当のこと――人形に宿るものは母親の魂ではない――このことを知るのは俺とパイフゥだけだ。これだけは、三人に伝えるべきではないと判断して話さなかった。
しかし、彼らが人形を通して見ているもの。母親、姑、恩人。慈愛と罪の形。そして人の和。すべてが、九里屋さんのお母さんと培った思い出だ。
彼らの信じる、単なる物からは決して得ることのできない、人と人とのつながり。
それらが真実であろうがなかろうが、そんなの、ささいなことかもしれない。そう俺は胸の淵で思った――。
「――――と、まあ、そんな感じかねえ」
俺の長い語りに「ご清聴感謝」といきたいところだが、ランは難しい表情でぽつりと。
「愛憎は表裏一体かあ……」
ちんまいナリして生意気な、と俺は思ったが、同時に納得もした。
九里屋家の人間は誰かを愛するあまり、誰かを憎むしかなくなったのだ。それが積もり積もって負の連鎖を起こし、ついには悲劇を生んだ。
しかし――。
「だけどさ、あの人たちはもう大丈夫だと思うんだ。彼らは最後にみんな泣いていた。感情を爆発させていた。鬱憤が晴れて、その上で許し合ったんだから、上手くやっていくんじゃないかな。『スエズエ』の親子みたいにさ」
言葉を続ける内に、なぜか晴れやかな気分になった俺は、少女へ笑いかけた。
「それに受けた傷が大きいほど、器が広くなるってもんだ」
だが彼女は、なおも思案のなかにいるようだ。
「まだ何か気がかりなことでもあるのか?」
「せやなあ、おまえのしたり顔も気になる言えば、そうやけど……」
そんなに俺はドヤ顔になっていたのだろうか。思わず、ほほをさすってしまう。
「なんでタエは《雪士会》のこと教えたんやろうなあ。わざわざウチらに捕まる危険を冒す意味、そんなんあんのかなあ思ぅてなあ」
「ああ、俺もそれについては不思議に思った。けど終わってから見返すと、タエさんも苦しかったんじゃないかな? 普通の人が他人を心底に嫌い、憎み続けることは想像以上に疲れるんだ。しかも一度踏み出したら後戻りできないんだから、なおの事だと思う」
「……良心のかしゃく、いうこと?」
少女の宙を迷う視線に、俺はうなずいた。だが本当は、もっと実際的なことだったのかもしれない。
例えば獏絵図。
自らの呪術を無効化する獏を、タエさんは絵を傷つけることで、獏の悪夢を吸い取る能力を封じた。ところが、結果は絵の内部の瘴気が漏れ出すことに。彼女にはこれが予想外の事態であり、その収拾のためにやむなく……という可能性はある。
さらに挙げるなら、人形の怪奇行動について。
タエさんは人形のことを口では九里屋さんの母親と言っていた。しかし術者としての経験上、人形によからぬモノが憑いていると判断したのではないか。俺と同じように。
形見人形を初めて拝見した時や、夜に徘徊する人形を話したときの彼女は、本心から怖がっているように思えた。それが演技だった可能性も同じくらいありうるが。
結局のところ、真実は彼女の胸の中、ということになる。
釈然としないもどかしさに俺が揉まれているなか、ランは依然、腑に落ちない様子だった。
「それとなあ」
「まだあんのかよ」
「これが最後え。孝助、獏の浄化後にタエが寝室の前にいたん、なんでわかったん?」
「あー、あれねー……」
痛いところを突かれた俺は、思わず苦り顔で鼻先を撫でてしまう。
「ぶっちゃけ……、ヤマカンなんだよね」
どうしよーもねえ、アホタレを見つめる白い視線が俺を貫通した。
気持ちはわからないでもない。なんせ問題解決へと至る道のりの第一歩が、犯人の自供という他力本願だったからだ。
「…………そんなあきれた顔しないでくれよ。一応、ヤマ張るからには仕掛けは済ましておいたんだからさ」
「ほな、とりあえず聞いとこうかぃなあ」
「なに、その偉そうな言い草……いえ、何でもないです。ええとですね……獏絵図の鑑定書を見たときに、ちょっと脅しをかけておいたんす。『縁をたどって呪詛を送れる』って。そんとき反応があったから、これはイケルんじゃないかって」
ひとまず彼女のお眼鏡に叶ったようで、ランは尊大に小さなあごをさすっていた。
「ふーん、ほんで、他の仕掛けは何なん?」
「……え? 他のって?」
「え……?」
気まずい雰囲気。
それを振り払うように、慌てて俺は空元気を出して手を打った。
「ほっ、ほら、自分のテリトリーでよそ者がウロついたら、やっぱり気になってちょっと覗きたくなるだろ? それが犯人の犯行現場だったら、なおのことさあ」
俺の振り絞った勇気は、少女の盛大なタメ息で押し流された。
「どうしようもないなあ、おまえはな」
言い切られてしまった。
「結局、すべては孝助のペテンやあいうことかいなあ。よーもまあ、そんな地面から足が浮いた状態で、堂々としてられんなあ……。ハッタリもそこまでいくと、いっそ大物かと思うわあ」
「ですよね~、ははは」
「誰もほめとらへんえ」
「ですよね……、はは……」
連日で墓穴を掘りに行きたくなった。
でも、終わりよければすべて良しと、思考をシフトする。
「もういいじゃん、過ぎたことなんだしさー。それより口が疲れた~。頭を使って脳も疲れた~。というわけでランさん、飴ください」
「うわあ、居直りよったあ……」
あきれの真髄を顔に浮かべるも、彼女は甲斐甲斐しく袂に入れたキャンディ缶を取った。しかし缶内で音立てる飴たちの響きは、まばらでしかない。
「あれえ? なんや、えろぉ少ななってんなあ」
「げっ、まさか……」
九里屋家の騒動が終わってすぐに、パイフゥは洋菓子店へ連れて行けとせがんだ。しかしその時分はまだ、朝日が昇り始めたばかり。無理な話だ。
ところが、聞き分けなどという上等な機能の無いパイフゥは、癪を起こしたように口やかましかった。だが、いつのまにやらイヤに静かになり、俺は首を傾げた覚えがある。
疑問は今解けた。
彼女は小袖の袂に入ったキャンディに気づき、人知れず口へ忍ばせていたのだ。
「……なんてこった」
うなだれる俺へ更なる追い討ちが。
「もう残ってるん、チョコとハッカしかあらへんえ」
「なんっ……」
がくぜんと言葉をつまらす俺へ、ランはいぶかしげな視線を寄こした。
「孝助、チョコとか嫌いやったん?」
「いいや大好きだ。チョコもミントもシナモンも、甘くこしらえてあるなら、みんな好きだ」
「ほんなら、ええやん」
「全然よくない! ……いいか? 大事なことだから教えてやる」
目を剥いて人差し指を突きつける。
「俺がこの世で最も我慢できないのは――――ハーブとチョコを混ぜた“フルーツ”ドロップスだっっ!」
ランは「まあ、わからんでもないけど、それほどのことかあ?」といった感じの微妙な表情になった。
そして、手のひらに落としたチョコキャンディを見下ろす。
「……なら、この飴はいらんいうことでええん?」
「もらうに決まってんだろ!」
少女に浮かんだものは、意思疎通をあきらめた顔つき。
「……ほんま理解できひんわあ。ウチらも信頼の不和で、刺し違えることになるんちゃうん?」
「ああ、そうかもな。よりにもよって仕事の相棒は、人のことをペテン扱いで、さんざんコケにしてくれるやつなんだからな」
不満タラタラ俺が腐るように吐き捨てると、少女は小馬鹿にした目つきで鼻を鳴らす。
「なに男が小さいこと、トロトロいつまでも引きずってんにゃあ。おまえに協力してやってるんえ? 『受けた傷が大きいほど、器が広くなる』言うたん誰やったかなあ~」
ここで、それを持ってくるか?
苦々しく変わった表情を露も隠さず、俺はランの手から一粒の飴をひったくる。そのまま口へ放り込んだ。
「かあ~~、甘ったり~。夏場のチョコキャンはいっそ災害だな」
少女は藍の着物袖で口元を隠し、こちらを見上げてくる。
「でもおまえは、甘いもんやったら何でも好きなんやろお?」
なにかを答えたら負けのような気がして、俺はそっぽ向く。すると彼女は、なにやら含み笑い。
「ウチがもっと甘ぁなるもん、あげよっかあ?」
「……なんだよ」
つい喰いついてしまう、自分の糖尿ぶりが嫌になった。
ランは気にせず彼女自身と俺へ、白い指先を行き来させる。
「ウチとぉ、孝助」
思わずドキリとする流し目で、イタズラっぽく笑いかけてきた。
「ずっと、ずうっと一緒なんえ? 今さらウソや言うたら針千本やしなあっ」
「おまっ」
「あはははっ、とっておきの甘味やったやろぉ?」
可愛らしいさえずりを残して、小さな女の子が髪を散らして駆けてゆく。
絹の紬をぴったりと首元で締めたランの格好は、夏場にふさわしくない。そんな厚着ではしゃぐ彼女の光景が、いやに非日常に見えて、俺を不可思議な感覚へと没入させる。
中天に昇った太陽の下、照らし出された小袖が踊る。鮮やかな藍色がゆらりと舞い、つややかな黒髪がふわりと追う。
輝きの世界で、淡く笑み咲く少女の姿は、まるで永遠の時間を切り取ったかのような。
「なにが、刺し違えるだよ……」
俺は思い出しながら苦笑してしまう。彼女と袂を分かつ場面など想像できない。
まさしく彼女が言ったように――あのとき俺が言ったように、どんなときでもランと一緒だろうと思える。
それこそ病めるときも、健やかなるときも――。
「って、マズイだろそれは……常識的に考えて…………」
相手はどこから見ても、太鼓判を押せるチビっ子でしかないのだ。チャペルの鐘が鳴るイメージとか、そんなのさすがに……。
ノー・タッチな境地に危うく踏み入りそうになった俺は、冷や汗まじりの額を押さえる。
そんな俺の顔を、いつのまにか当のランが、漆黒の瞳でまじまじと眺めていた。
「……なんか、スケベェなこと考えてんにゃろお? ほんま孝助は、しゃあないなあ」
「へえへえ、どうせ俺はムッツリの変態で、将来性の低いダメ男ですよ」
「そこまで卑下せんでも……せいぜい表六玉あたりにしときぃ」
ヒョーロクダマ。つまりはマヌケ野郎。
「微妙にひどくないか?」
「これでも譲歩したんえ?」
「そっか。…………何気にひどいこと言ってないか?」
「まあま、こまかいこと気にしぃな。出世せんえ」
上気してはずむ少女の声色に、まあいいかと俺は肩の力を抜く。
ランと始めるいつもの揶揄、いつもの掛け合い。でも、これはいつまで続くのだろうか。
――考えるまでもない。それこそ『ずっと、ずうっと』だ。
帰路につく中、ふと見上げると、セミの鳴く街路樹を通してきれいな青空が目に入った。
一面の蒼天に添えつけられた、ちょっとばかりの白雲。これからの季節、海辺で主役となる強い日差し。
「それにしても、今日もまたいい天気だ」
さんさんと降り注ぐ陽光を、ランもまぶしそうに顔で受け止める。
「もう夏やなあ」
「ああ、夏だな」
梅雨明けの空はどこまでも広く高く、初夏の山々はどこまでも遠く深く。
そして俺たち二人のこれからも――――
「ところで孝助」
「なんだよ」
「いつまで歩くつもりなん? バス乗って帰らへんの?」
「あー実は……さっき洋菓子店で“接待”してさ、お金スッカラカンなんだわ」
銀行口座の中身は、先日、美弥ちゃんに家賃として渡してゼロに等しい。
今回の仕事の報酬。これが振り込まれるのは、まだ少し先になるだろう。
計画性って大事ですよねー。
今日ばかりは、よく国道沿いにある、無人型の店舗が魅力的に見えて仕方ねえ。
でも、サラ金とかダメ、ゼッタイ。
「……孝助」
「な、なんすか?」
「北山から洛西まで何キロある思ぅてるん……」
「ざっと見て二十キロくらい? 今日中に帰れるかビミョーっすよね――ホントすまん!」
「…………こんなダメ男とずっと一緒とか……ウチ、針千本飲みたぁなってきた……」
◆形見人形編 了◆
◇次話予定 人造導神編◇
形見人形編、終わりです。
長らく読んでくださった方、ありがとうございました。
このSSは『小説を書くための基礎メソッド』という本を読み、初めてプロットを組んで書いた品です。
ので、「ひとつ何か書き上げよう」という課題が終わった今は、まあ満足です。
読み返せば、グダグダで改善点しか見出せないですが。
さて続編ですが、次話への伏線を残しており、ストーリーも頭にあるものの、別にやりたいことができたので後回しにします。
やっぱ小説を書くなら、一度はファンタジーをやりたいので。
構想内容は、中央アジア系の人たちが、キリスト教系の文化をヒャッハーするような、そんなんです。
昨今、ファンタジーといえば西洋的な世界観だらけなので、反抗心と言いますか・・・あまのじゃくなんで。
作風は変えてバトルメインで。
剣戟と血と涙が飛び散る中で、「死ぬことがあなたの善行です」「十字架ケツに突っ込んで、おまえこそ死ね」とか言いそうなものを。
宗教と民族対立を背景にした『剣と魔法モノ』を考えてます。
今、資料をあつめて読んでる最中なので、出来上がるのはいつになるのやら。
鬼が笑いますが、アップされた次作が目についたとき、「読んでやるか」って思っていただければ嬉しいです。
それでは、またの機会にでも。
ご縁がありますように。