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形見人形編11 真相

 浄化の際に閉じられた寝室の扉は、動く気配など一切ない。それでも俺はたじろぐことなく声を張り上げる。

「姿を見せないんですか? まあ、もしそのつもりでしたら、この絵に残った縁をたどって呪を送りこんで、白黒つけるだけですがね。鑑定書の贋作に対する仕返しじゃないですけど」

 わざと言葉の端に強調させた酷薄な響きが、部屋に漂う。

 そんな中、観念したかのように扉がぎぃっと開いた。

「やれやれ……、いつの時代もあなたがたは、残忍な性質をお持ちですね」

 ひどく落ち着いた物腰で彼女――タエさんが寝室に入ってきた。手には長い数珠と紫色のお守りを持っている。

「タエさん、どうしたんだい? もしや千佳になにかあったのかい?」

 素っ頓狂な声を上げる九里屋さんを、いち早く老婆は見据える。

 彼女は黙ったままだったが、底冷えのする眼差しだった。普段、にこやかで明るいタエさんの豹変ぶりに、旦那さんは二の句を継げられないようだ。

 そんな彼を興味なさげに視界から外し、タエさんが俺たち部外者ふたりへ顔を向ける。

 一瞬、老いても眼光鋭い顔つきがこわばった。

 当然だ。俺の隣には、白い鳥頭面で頭部の半分が隠れた少女がいるのだから。しかも風があるわけでもないのに、パイフゥの髪は、二つの束となって背中でゆらゆら浮いている。

 何をするわけでもなく、幽玄の空気をまとった彼女は、はっきりいって異様・異態だ。

 しかしタエさんは、俺たちの素性を知っているためか、しだいに納得したような表情になる。

「あの頼りないお嬢さんが変わりに変わるものねえ。それに関屋さんは、まだ二十歳にもなっていないのでしょう? そんなに若いのに、その身にまとう威圧感。さすがは《雪士会》といったところかしら? ……旧庁の残りカスじゃなかったようねえ」

「おほめにつき、どーも」

 老女の皮肉を軽く流すと、彼女はおもしろくなさそうに舌打ちした。

「まあいいわ……。それで? いつから気づいていたのかしら?」

 てっきり、なにかしらの抵抗があると思っていた俺は拍子抜けだった。

 まぁ穏便なのはいいことだ、と思い直し、苦手な思索の旅に出る。

「そうですねえ、今から思えば、初めて依頼内容を聞いている際から不審な点はありました。まあ、タエさんが何かしら関与しているという疑いを持ったのは、お守りを渡してもらったときですが」

「どういうことかしら?」

「ああ、言ってなかったんでしたっけ。俺はね、穢れに触れると苦味を感じ取るんですよ。――特に悪意のある品にはね」

 おどけるように俺がベロを見せると、老婆は不快そうに眉をひそめる。

清目きよめの非人――」

「そうです……、それが俺たちです」

 《雪士会》、その前身である《雪使庁》。その由来をたどれば九世紀までさかのぼる。

「組織のルーツは検非違使庁。俺たちは、はるか平安の世から、国家を清める汚れ役でした」

 一般的に検非違使といえば、都の治安維持を担当する警察というイメージが強い。しかし、それは一側面にすぎない。

 実態は、国体にかかわる全てのケガレをキヨメること。これを重要な職務としていた。つまり検非違使とは、「穢れと清め」を一手に引き受ける、特殊な国家機関だった。

 そして直接、穢れに触れていたのは検非違使庁の下部構成員。俺たち《雪士会》の先祖だ。

 老人は、しわの刻まれた顔をさらに歪めて嘲笑する。

「あなた達は血肉の髄までけがれきり、人のワクから外れていると聞きます。本当ですか?」

 ――――おまえたちは人ではない。

 悪意がトゲとなって胸に突き刺さった。

 心と体は急速に冷えて震えそうになるのに、心臓は熱いくらい拍動を強める。むき出しの蔑視に思わず目線をそらしたくなる。

 おびえを抱いてしまうのは、俺がまだ場慣れしていないせいだ。

 だが、タエさんに主導権を取られるわけにはいかない。今はおとなしくても、いつ彼女が態度を急変させるかわからない。

「……まあ、タエさんの言うとおりかもしれませんね」

 速打ちの鼓動に歯をくいしばり、なんとか老女と顔を付き合わせたままで耐えられた。

「何百年とわたって、死穢を被っては外界へ雪ぎ、夷狄の怨を被っては外海で身削ぐ……。俺の穢れを感じ取る特殊体質も、そうした長い汚濁の歴史の中で生まれたのでしょう」

 ひるみを表に出さず、言い切った俺に対して、タエさんは侮蔑の表情をひっこめる。どうやら一連の悪感情は、優位に立つためのポーズだったらしい。

 頃合だと思った。

 俺は振り払うように、ひとつ手を鳴らす。

「だが、そんなことはどうでもいいのです。俺にとっての問題は、あなたへ犯行の嫌疑をかけつつも、確信を得たのはつい先ほどだったという失態です」

 一ヶ月も前から奥さんは悪夢に悩まされていた。そして到着した当初の獏絵図は、悪夢喰らいという機能を果たしていた。

 つまり、うなされる大元の原因が獏でないことは明らかだ。

 加えて、タエさんのお守りに感じた穢れ。獏のエサになるほど志向性のある悪意。

 それに気づいた当初は、彼女が悪夢をもたらす方法も動機も不明だった。せいぜい人形に依り憑いて、悪さをしているのだとばかり思っていた。

「俺は人形の奇行に心をとらわれすぎた。結果、人形が無害であること――悪夢の原因ではないことに気づくのは、人形が獏絵図の瘴気を防ぐ場面になってからでした」

 思い出すほどにタメ息が出る。

 初めから悪夢の元凶と人形を分けて考えるべきだった。

「タエさん、あなたは《雪使庁》しか知らないと公言しつつも、九里屋さんへ《雪士会》の存在を教えた。また、なんらかの方法で悪夢を用いる際、邪魔になる獏絵図。これを傷つけたのは、他ならぬあなただ。それにあなたは、夜に『うなされない』と証言をした」

「あらあら、たしかあのときは旦那様も私と同じように、『眠れている』と仰いましてよ」

 いかにもおかしいとばかりに、老婆がほほへ手のひらを置き笑った。手に掛けられた黒数珠の、じゃらりとかすれる音。

 それを耳にしつつ、俺は肩をすくめる。

「はは、俺も馬鹿ではありません。後ほど、九里屋さんは人形による加護が判明しました。よって、消去法でタエさんのみが疑わしい人物となる。さらに言うなら……」

 俺は九里屋さんの人形を指差す。

 人形は、ホタルのように淡い燐光を放ったままだ。獏の瘴気はきれいに無くなったのに。

「あの人形、光っていますよね。あの輝きは、悪意ある穢れをはじく加護の光なんですが……。さて、人形にとって警戒すべき災いとは、一体何なんでしょうか」

 老女の手元に握られている、苦味を感じた小さな巾着袋を見やる。

「タエさんが常に持ち歩いているそのお守りは、儀式用の呪物ですか? とするならば九里屋夫妻を苦しめていた方法は、憑き物ではなく呪術のようですね」

 動物の死霊使い――例えば犬神の類なら、術式の媒体となる犬の頭骨を持っていなければならない。他の憑き物の場合も似たようなものなので、かさ張るからすぐにわかる。

 リビングで見た動物の骨は、すでに昼間に調べた。舌に異常は感じなかったので、呪具ではない。レプリカというか、単なる骨だ。

 おそらく、俺の前に来たらしい『それっぽい格好』をした、インチキ拝み屋の置いていった品だろう。

「しかも現在も継続して呪的効果を与えるとは、相当に良い腕なのか呪物が逸品なのか」

 俺は確信の笑みを見せた。

「まぁそんな術者だからこそ、ピンポイントで獏の腹を傷つけたのも、旧庁や《雪士会》の知識があるのも、なるほどうなずける話です」

「ふん……、《雪士会》に所属するより探偵にでもなられてはいかがです、関屋さん?」

 こちらを試したのはアンタだろ、と思ったが、俺は余裕を見せるために笑顔で応じる。

「それも魅力的かもしれませんね。まあ、それは置いといて……、タエさん、あなたの呪術で他人を害する行為。これは限時法である『呪的行為による侵害等の処罰に関する法律』に抵触します」

 『呪的行為による侵害等の処罰に関する法律』――通称、呪術防止法。

 昨今、明るみになった呪術への対策で、急きょ可決された暫定的な特別刑法だ。現在、細則を詰めた正式な法案が、国会で審議中である。

「今は状況証拠しかありませんが、奥さんや獏絵図に残った呪縁をたどれば、あなたの関与が判明するでしょう。俺は民間組織の人間ですから逮捕権はありませんが」

「ちょっと、待ってくれたまえ! 関屋くん、タエさんが警察に捕まるって本当かねっ?」

「ええ、おそらくそうなるでしょう。人を苦しめた者には相応の罰を。それが古くから続く国のあり方です。当然、水面下では呪術への厳格な取り締まりが行われてきました」

 呪術で人を呪い殺すなど平安時代どころか、神代を説いた古事記にさえ載っているくらいありふれたものだ。

 そして呪殺行為が発覚した場合、平安時代なら鴨川の河原で斬首。その上で、さらし首となった。これは当時において、一級の刑罰だ。

「とは言え、取り締まりの基準は近年、様変わりしました。十年前、呪的問題が世間に顔を出したことが原因でしょう。それで先に触れた暫定立法といった、呪術行為への法整備が、ようやくなされるに至ります。まあ、タエさんが裁かれることに変わりはありませんが」

「そ、そんな……」

 たとえ自分を害していただろうとはいえ、乳母として可愛がってくれた人間が檻の中へ入る。それを聞いた者の落胆はどれほどのものか。

 崩れ落ちるように座る九里屋さんを尻目に、俺は鼻頭を指先で叩いてしまう。

 目下の問題は、タエさんの今後の動向だ。暴発しなければいいのだが。

「さて、タエさん、なにか言いたいことはありますか?」

 タエさんは口元を片手で覆っていた。

「……言いたいこと、ですって……?」

 大きく見開かれた目だけでは、彼女の感情が図れない。後悔か、困惑か、怒りか。かすかに手が震えていた。

 できるかぎり平常の雰囲気をつくりたいので、俺は普段どおりの態度を装う。

「そうです。要求とか、抗弁とか、いろいろと。それらを俺が報告書に記載して、《雪士会》から国の所定機関へ送致されますので」

 俺が言い終える前から、彼女は両手で顔半分を押さえ、まぶたを閉じていた。

 彼女の手の震えは肩へと移り、おこりのように身体全体が揺れ出す。しかし、突然ピタリとやむ。

「言いたいこと、それならあります」

 とても静かな声だった。だが――。

「吐いて捨てるほどある……そうに決まっているでしょうがっ!」

 甲高い怒号が深夜の空気を震わせた。

 タエさんは眉を怒らせて、九里屋さんを睨みつける。

「思い巡らせたことがありますか? 大奥様のことを、あの方のご心境を! 嫉妬狂いの義娘に排陥され、嫁をかばい立てる息子は不孝にも顔どころか、便りひとつ出さなくなった。あまつさえ、引導代わりか人形を寄こして放っておく始末……それが十余年。ないがしろにされ続けた大奥様のお心を、少しでも考えたことがおありかっ?」

 激しい口舌に、重々しく九里屋さんはうなだれた。

「言葉もない……」

 そのさまは、弾劾された被告のようだ。

「母は私の一挙一動を見守ってくれていた。だが、いつしか母の深い愛情がわずらわしくなった。疎遠になったのは、仕事の忙しさや千佳への配慮もあったが、それだけじゃないのを自覚している。母には悪いことをした……」

「悪いことをした? 言うに事欠いてそれだけですかっ? なんとまあ、親不孝者な息子ですこと! 大奥様は坊ちゃまを心底愛していらっしゃいました。あなたもそれを感じていたはず。なのになんです、その淡白な物言いはっ?」

 息を切らせるほどの発憤で、老女は肩で息をしていた。

 数回の深い呼吸の後、彼女は思い馳せる顔つきで宙へ目をやる。思い出に触れるように胸元へ手のひらを添える。

「たとえ引導渡しの品とはいえ、大奥様は坊ちゃまの寄こした人形を、それはもう大層愛でていらっしゃいました。毎日髪をすき、語りかけ、まるで息子からの愛敬を確かめるように、来る日も来る日も……。そうして、あの方は身罷れてしまわれた……。けれども心淋しい大奥様は、亡くなられた後も、むごい仕打ち――」

 タエさんの手が、勢いよく振り下ろされた。

「癪種持ちの鬼嫁のせいで、あの方の遺品はたったの二品! そのわずかな遺愛の形さえ、千佳さんは目の端から遠ざけろと言うっ!」

「待ってくれ、タエさん! 千佳を責めないでやってくれ。人形を居間から書斎へ移したのは、遺品を見ると千佳の情緒が乱れるからなんだ。すべて私がやったことなんだ。あいつも母への振る舞いに思うところがあるんだと思う。だから……」

「そんな……そんなこと、信じられるもんですかっ!」

 なにかを振り払うように、再度の叫びが、寝室の壁床をしたたかに叩いた。

 肺の酸素を出し尽くしただろうタエさんは、幽鬼のように身体が揺れ動く。

「…………私は情けない。大奥様が胸の内の辛さを顔に出してくださらなかったのも、それを案じたまま何もできなかったこの身が」

 空虚な表情の老女は、目前の光景がどのように見えるのだろうか。それとも彼女の瞳に映っているものは、過去の光景か。

「…………私は悔しい。執拗なまでに大奥様を排除する千佳さんも、それにおもねる坊ちゃまも、誰ひとりとして大奥様を省みない心の底が」

 彼女はぎゅっと、手の中のお守りを握り締めた。

「だから――、だからせめて私だけでも、あの方へ送り火を差し上げたいと思います。坊ちゃまと千佳さん、一同の“悔悟”の苦悩をもって」

 すべてを語り終えたのだろうか。タエさんはもう何をするでもなく、ただ扉の前でたたずんでいた。

 情動とともに吐き出された彼女の思い。それは非常に重く、ともすれば共感しそうになる。

 だが、それは許されない。俺は《雪士会》の人間だからだ。

「……なるほどね。しかし、あなたの犯した行為は許されない。同情はしますがね」

「若僧が偉そうな口を叩くな! 少し黙っておりなさい!」

 彼女はお守りを両手に握り締め、指先だけで数珠回しを始めた。

「――――あいぃ まにぃ まねぇ ままねぇ しれぇ しゃりてぇ さめぇさみたぁ――」

 聞き覚えがある。

「陀羅尼神咒? この人、験者崩れだった…………ッ」

 口腔を苦味がほとばしる。隣にいるパイフゥにも動く気配があった。今まさに、俺たちは老婆の呪詛を受けているのだ。

 想定以上の強い苦味に、俺は思わず顔を歪める。口元を手で押さえた。

 その様子を見て、経を唱える彼女の目元がうすく伸ばされたが――。

「蝦蟇毒じゃのう」

 こともなげに小さく舌なめずりをする灰白の少女。

「ガマっすか。なら、お礼参りは蛇ですね」

 そして苦々しく顔をしかめるも、軽口を叩くもう一人。

 たしかに呪術が効いているはずなのに、ほとんど効果の見られないこちらを見て、老女は目を見開いていた。

 俺はおかしみをこめて、タエさんへ笑いかける。

「残念ですけど、パイフゥはもちろん、俺にも呪毒の類は効かないですよ。耐性がハンパないんで」

 余裕しゃくしゃくの物言いに、老婆は憎々しげに吐き捨てる。

「平然と…………この化け物どもが!」

「たまに言われます」

「我は低俗な魑魅などではないわ。人でもないが……しかし解せん。いつ、呪の媒となるものをかすめ盗られたのやら」

 たしかにパイフゥの言う通りだ。そもそも、呪術の媒体となったものは何だ。

 人が人を呪うには順序というものがある。

 大まかに二つの方法があり、ひとつは、相手をかたどった人形のような見立てを用意する。もうひとつは、相手に由来の品――例えば髪の毛――これを用意する。

 その上で、相手の縁をたどって呪の一念を通すのだ。

 あごへ手を添えて考える俺が目をやった先。そこには、呪詛の行使を放棄したのか、床へ数珠を置き捨てたタエさんの姿。そこでピンときた。

「あ~、あのときっすよ、御前」

「どのときじゃ? 申してみい」

「術者は家政婦。そして彼女が甲斐甲斐しく行っていたこと。それは来客のもてなし。すなわち呪詛の媒体となったものは、グラスについた俺たちの唾液ってことです」

「とどのつまりは、ランめの失態ではないか。うむむ……、どうしてくれよう」

 ランの身体はパイフゥと重なる。彼女は、自身の処遇ともいえる無理難題に葛藤していた。

 俺はあきれた視線を置き土産に、とりあえず放ってタエさんへと向き直る。

「《雪士会》の人間にまで呪詛をかけるなんて……。タエさん、これでもう言い逃れはできませんよ」

「そんなことするもんですか」

 顔を背ける彼女に取り付く島もない。

 どのように取り押さえようか、と考えを巡らしつつ、俺は場つなぎに口を動かす。

「しかし、先ほどの呪詛はなかなかのものでした。相手が俺じゃなかったら、倒れて動けなかったことでしょう」

「なにかと思えば、なんとも白々しい言葉ですこと」

「いやいや、俺とあなたは相性が悪かっただけです。ですが、年期の入った古い呪毒ということはわかります」

 俺はまたベロを大きく出し、指差して笑いかける。

「わかっちゃうんですよ、毒ソムリエってやつですか? それにしても一体どこで、あのような技術を?」

 こちらを見るタエさんは、投げやりな態度で大きくタメ息をついた。

「どこもなにも、父からですよ」

 心底、どうでもよさげに。

「もっとも、父はあなたたちに殺されましたけどね」

 隙を探していたのに、虚を突かれたのは俺の方だった。殺されたということも穏やかではないが、『あなたたち』とは《雪士会》のことなのか。

 頭が混乱して、精神的なゆとりをとっさに取り繕えない。経験不足が露呈してしまう。

「え、えーと、そのつまり……」

「あらあら、情けない態度。てっきり探偵さんなら、もうお気づきだと思っておりました」

 彼女がほほへ手をやり、いつもの笑みを見せる。しかしどこか、以前とは変じたように見受けられた。

 一転してタエさんは感情が薄くなり、たんたんと口を切る。

「私の部屋へお通しした際に、お話しましたよ。大旦那様を呪い殺そうとして、逆に命を落とした社員の話。もはや言うに及ばず、その社員は私の父です。大旦那様といさかいの原因となった古池は、先祖代々、呪詛用の毒蛙の養殖池だったものですから、父も必死だったのでしょう」

「……その復讐、じゃないですよね」

「もちろんです。父の動機は理解します。ですが呪詛をかける人間は、自分にも同等の災厄が降りかかることを覚悟しなければなりません。ですから父の死については、事実以上の感情は持ち合わせていません。それになんといっても……」

 言葉尻だけを追っていけば、なんと彼女は軽薄な人間だと思ってしまうところだ。しかしそうじゃない。

 彼女が、このような考えを持つに至った要因はやはり。

「社員の遺族――つまりタエさんを保護した、九里屋さんのお母さんへの恩情ですか?」

「ええ、ええ、そうですとも。あの戦後の貧しい時代。本来ならのたれ死んでいても不思議ではありませんのに、私がこうして生きていられるのは、すべて大奥様のおかげですっ!」

 また瞬時に顔つきが変わり、彼女は無表情から満面の笑顔に。

 躁鬱を患う人のように感情の起伏が激しい。

 そのことに俺は内心、焦りを感じ始めていた。暴発する人間によくあるパターンだ。

 しばらくもしない内に、お守りを両手で握り締めて有頂天だったタエさんは、がくりと肩を落としてうつむいた。

 そして、のどから出される声質は喜楽の対極。

「……ですから……ですから、私、大奥様に申し訳なくて……。あの方が悲しみの内に去られたままなのが、ひどくひどく申し訳なくて…………」

 床に点々と染みをつくる“悔悟”の涙。

 伏せられた彼女から、しわがれた声が搾り出されて、

「…………もう、こうするしか……っ!」

 跳ね返るように上げられた泣き顔――目張り口角引きつり牙を剥き――表情が硬直したその面相は、まるで山姥の能面をほうふつさせた。

 思いつめた彼女の右手には細長い光物。いつの間にか、お守りと一緒に柳葉包丁が握り込まれていた。

「おやおや……人情噺の沙汰限りで仕舞うかと思えば、こじれこじらせ刃傷沙汰とはの」

「しょーもない、シャレまがいを言ってる場合ですか!」

 場違いにのんきなコメント。それをのたまってくれるのは、ポップコーンがあれば、物見気分でほお張ってそうな我が主。

 他方、俺は急展開に焦る一方だ。取り押さえるのは変わらないが、オフェンンス側だったのに、一転してデフェンスを強いられた状況。

 ひと通りの訓練を受けたので、自分ひとりならなんとかなるだろう。しかし、自分のそばには小さな主人。そして少し離れた後方に、保護対象の依頼者。

 自分を含めて三人も守らなければならない難題に、胃液が逆ポンプしそうだ。

「御前はとにかく、俺の傍から離れないでください!」

「よかろう」

 鬼女のごとき女性は、俺から五歩以上離れている。まばたきひとつせず、こちらを凝視している。だがおそらく視線の先は、俺とパイフゥではなく、俺の後背にいる九里屋さんだろう。

 チラリと返り見たとき、当の旦那さんは両手で人形を抱え、口を開けっぱなしで変貌した老婆を見つめていた。警察沙汰も刃傷沙汰も、すべてが信じられないのだろう。

 タエさんは微動だにせず、小刀のように鋭く尖った包丁をこちらへ向けたままだ。

 俺はまばたきの回数を減らし、いつ飛び込まれても対処できるように、腰を落とした

 じりと変わらない状況の中で、知らず俺の息が荒くなる。失敗を思うと冷や汗が止まらない。それでも意識して情動をコントロールしようと、老婆の動向にのみ思考を集中させる。

 そして、彼女が動いた。

「ああ――大奥様――――」

 鈍色に尖った刃先は、ゆらりと。

「不甲斐ない私めをお許しください……」

 ねじ込むように――老いた首へ。

「タエさんっっ!」

 そう叫んだのは俺の口か、旦那さんか。

 俺の脳内は空白で染まっていたが、足は床板を踏み蹴っていた。

 しかし、カウンター狙いの体勢だった自分では、とても間に合いそうにない。手が届くときは、鉄刃が深く突き立った後か――。

 強烈な光の照射だった。

 それが陰った室内を白く塗りつぶしたのだ。

 網膜を通して思考も焼かれたのか、タエさんの動きが一瞬止まる。

「…………なぜです大奥様、あなたは私めを……」

 その隙を逃すほど俺はノロマではない。

 運よく逆光の位置取りとなった俺は、彼女へ、正確には包丁を持つ右手へ飛びかかった。

「っあう!」

 とにかく刃物を引き離すことだけが頭を占めていたため、俺はタエさんに身体ごとぶつかった。その末、彼女とともに盛大に床へ転がってしまった。

「あいててて…………、そうだ包丁だ包丁、包丁どこだ」

 パイフゥから、あきれ気味の声が投げかけられる。

「……そちの手元を見てみい」

 自分の右手を見ると、痛いくらい握り締めている包丁があることに気づいた。相当テンパっていたらしい。

 そして、床に仰向けになったまま動かないタエさんも目に入った。

「やっべ、大丈夫ですか?」

 慌てて彼女を確かめるも、外傷らしきものはなし。規則正しい呼吸から、気絶したのだろうと判断する。とりあえず、寝室が血濡れになるような事態は避けられてホッとした。

 とりあえず確保した包丁を、九里屋さんのすすめで鍵付きの引き出しにしまう。そのあと、彼と二人してタエさんをベッドに運んだ。

 一息ついた俺は、さっきの光景を思い返す。

「つーか、さっきの光は何だったんだ?」

「あれは人形が放ったものじゃ」

 声の先ではパイフゥが鳥頭の面をつるりと撫でていた。

 彼女の言に、俺は思い当たる節があった。たしか獏絵図のときも、人形は発光して九里屋さんを守った。

「じゃあもしかして、タエさんを助けるためにやったってことですか?」

「さあのう。我はランめのように感傷家ではないからのう」

 フンっと鼻を鳴らすパイフウ。

「そも人形に宿りしは、死者の残留せし妄念の類ぞ。それがああも力を使ってみい、もはや人形に芥の余力も残っておらぬだろう」

 残留思念。人形に焼きついた九里屋さんのお母さんの思い。

 モノにこめられた強い想念は、生者の死後も現世に残る。それはいわば魂の簡易的な記録。一部の情動に対応する行動を担う、自動プログラムにすぎない。

 だからあの人形は、本物の魂が入った生き人形と違って、「髪が伸びる」「涙を流す」といった生物的な成長や代謝の兆候はなかったのだ。

 霊魂が人形に宿っているという、ランの説明では納得できなかった疑問が解けた。

「ということは、力を使い果たしたあの人形は……」

「うむ、明晩には変哲無き人形へと戻る。霊魂ならば天へと昇るが、死者の存念は空に散るのみ。残るものは何も無く、ただ夢幻のごとく朝露にとける」

 そう聞くと寂しい限りだ。しかし少なくとも形見人形は、生者の心残りを為し遂げたのだと思いたい。

 胸奥のわだかまりを振り切るように、俺は頭を切り替える。

「では、残すところはっと」

 タエさんの手からこぼれたお守りを手に取った。

 舌先に感じる痺れるような苦さ。しかし、それに構わず巾着の口紐を解く。中から数枚の紙片が出てきた。

「これが呪詛の要……彼女の呪物か」

 一片十センチ程度の紙面に、数々の文字が並べてある。奇妙にも、文字で人の形が模されていた。

 頂点には大きく『悶』の文字が。そして、頭部とおぼしき『眼眼鼻耳耳口』と文字のまとめられた部位に、茶褐色の染みがあった。

 なんとなく俺は指を這わす。

「にがっ! つーか、なんかわりとカモしてるっ! でも、たしかこれって……」

 うんこ座りで独り言をつぶやいていると、急に俺の手元が陰った。

 肩越しに届けられる少女の鈴鳴り声。

「先の蝦蟇毒じゃな。蓄毒醸成して七十年といったところか」

「御前、わかるんすか?」

「我をあなどるでない。守り布の遮り無き今、我ともなれば目にするだけで確知できる」

 さも当然のように言い切る彼女は、ふと口元を柔らかく崩した。

「とはいえ遮断の覆いがあれども、触れるだけで陰気を察する、そちのようなことはできぬがの。さすがは我の氏子といったところか。愛いやつめ」

 例によってパイフゥによる猫かわいがりが始まったので、俺は流れへゆだねるままにする。

 彼女に抱き寄せられた後頭部に、ささやかなふくらみを感じた。なにやらランに申し訳なくなった。

 複雑な心境とともに揺らされる視界の中、『魘』と記された二枚の紙片が目に付く。

「なるほど」

 おそらく、というか確実に、これが九里屋夫婦をさいなむ悪夢の元凶だろう。

 そうとわかれば、さっさと最後のお仕事に入りますか。

「ほんじゃ御前、呪物潰しをしたいんで、そろそろ手ぇ放してください」

「もう少し、楽しませよ」

 即急な依頼の解決は、ちょっとばかり遠のいた。

 たっぷり五分――。

 ぼさぼさになった髪型のまま、俺は呪物の前に両膝をつく。

 目の前には、雑誌の上に重ねて置いた数枚の紙片。お守りの中にあった呪物ぜんぶだ。

「九里屋さん、今から悪夢の原因を壊します。これが済めば、今度こそ夜にうなされることは無くなるでしょう。少し気の早い話しですが、長い間の心労もこれで終わりとなります」

 ベッドに寝かされたタエさんのそばで、九里屋さんは、ゆっくりと静かにうなずいた。答えはないが、彼なりに終局を感じているのだろう。

 これから俺は、紙片を清めの刃で突き刺し引き裂いて、半自動的に呪を垂れ流す呪物を壊す。

 この処置は、いわゆる「呪詛返し」と異なる。

 呪詛の発生源を潰すので、呪力の類が術者へ送り返されることはない。つまり、タエさんの身柄の確保と安全は保障される。

「さぁて……」

 ベルトに掛かる腰カバンから、先ほど使ったクナイを取り出す。

 後ろ越しに、目にせずとも馴れた感触が返ってきた。けれども、こころなし軽く感じる。

 そして、デジャヴュのようなパイフゥの困惑した声掛け。

「これこれ孝坊や、そんな獲物では何もできまい?」

「だーから言ったでしょうが、これは東密の武僧も使う金剛杵で――」

 見ると、刀身の半分ほどが欠けていた。いや、特濃の瘴気によって、ぐずぐずに腐食したのだ。

 まるで溶解したかのように、刃の断面は黒ずんだ気泡を残して固まっていた。

 俺は獏絵図の浄化の後、なにも確認せずクナイを袋へ放り込んだことを思い出す。今この時が修羅場なら命取りになるところだった。背筋が寒くなる思いだ。

 すぐに手の中の獲物を、新しいものへと持ち替えるが。

「またダメになる、なんてことはさすがにないよな……」

 あれだけ頼もしかった特注の刃物が、なんだかとても頼りなく見えてしまって。

「………………ご、御前?」

 チラチラと俺が期待するような眼差しをパイフゥへ送ると、彼女は白い手のひらを泳がせた。

「まったくまったく、しょうのないやつめ。ほれ、手の獲物を持って参れ」

「面目ないっす」

 俺は恐縮して頭を掻くも、灰白の少女は気にした風もなく、楽しむような笑みを口元に浮かべる。

「民草のさえずる巷説のように、手のかかる子ほど可愛いとは真じゃな」

 カラカラと笑いこだますなか、俺は情けなさで、さらに身を縮こませるしかなかった。

 クナイを手渡された彼女は仮面の下でなにやら考え中だ。

「呪は蝦蟇毒じゃったな……克毒に適当なのは蛇毒か。ならば奮発して瀛州の翠蛟でもつかわそうかのっ」

「あのー、御前? あんまスゴイのとか勘弁してください。道具の方がもたないんで」

「なんじゃつまらん……、なら九嶷山の妖蛇あたりでよいか」

 つぶやきを残して、パイフゥは色素の薄い唇をそっと刀身に乗せた。

 ただそれだけ。

 それだけなのに、彼女が握る小刃には凶徳極まるモヤが漂っているようで。

「ほれっ、仕舞じゃ」

「ちょ、ちょっとパイフゥ、投げんといてください!」

 俺の手の中に戻ってきたクナイは、一級の呪毒をまとった器物と成り果てていた。それを面上に掲げ、両手で押しいただく。

「この身にはもったいなき重ね重ねのご寛恕に、心うち震えるばかりでございます」

「苦しゅうない」

 尊大な返答。しかし不思議と嫌みは無い。

 正真の貴人は、あるがままの威容をもって命を下すだけ。

「されど、もはや我の舌は苦渋で旱荒し耐え難い。甘雨のごとき饗饌を心待ちにしておるぞ。さあらば、そのようなつまらぬ呪い、とみに蹴散らせ」

 鳥頭面に覆われていないパイフゥの小さな口元には、氏子が完遂することを露も疑わない笑み。

 俺は全幅の信頼を背に受けて、克毒の儀をなすべく、

「――――御意」

 空裂きの一閃で、呪物の紙片を刺し貫いた。












我ながらセリフ回しが時代劇みたいだと思いました。


ようやく次で人形編のラストです。

でも、この期におよんで、次話の内容がまだアヤフヤな状態・・・

まずいです。

投稿は24日か25日になりそうです・・・

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