PHASEー1
終わりのない都市はまるで迷宮だった。
雨は止むことなく降り続け、ネオンの光は水たまりに歪んだ色を映し出す。
天辺が雲に隠れる高層ビルの隙間を縫うようにして、一人の人物が暗闇の中、静かに歩いていた。
その姿はコートに包まれ、顔はほとんど見えない。足取りは慎重で、まるで都市そのものが敵であるかのように警戒していた。ふと首に手を当てるが、すぐに戻した。
頭上を回転するカメラ。
静かに点滅する赤い光。
その光を避けるように、人物は壁に背を向けて進んだ。
前、そして後ろから聞こえてくる金属音。テンポと音の重みが足音のように聞こえてくる。
辺りをスキャンする赤い光線と重い金属音が、誰も通らせまいとしている。
突然前方の一定な金属音が止まり、雨の音の中から微かに金属の駆動音がした。足音のようなものが聞こえなくなった直後、人物は歩くのをやめ、駆動音を聞いた瞬間、物陰に隠れた。
赤い点が二つ、こちらを《《見ている》》。
物陰に隠れ、ジッと待つ人物。
鼓動が早まり、胸の動きが激しくなっていく。
二つの赤い目から広範囲の光線が放たれ、辺りを探るように照らす。右へ左へと動き回り、隅から隅まで赤い光が覆う。
灰色コートの中に身を蹲らせて隠れる人物のほうにも光が寄ってくる。コートからはみ出す靴。その数センチ手前で光が止まり、パッと消えた。その後、不気味な赤い目は二度目の駆動音とともになくなり、再び聞こえ出した足音のような金属音は少しづつ小さくなっていった。
コートの人物は立ち上がると、わずかに息を整え、雨に背中を叩かれながら進みだした。冷たい水滴がコートの肩を叩き、肌に冷たく染み込む。
周りの空気は重く、湿っている。
街灯もない狭い裏通り。監視の目の《《死角》》を利用し、闇に紛れて壁に沿って滑るように進む。
遠くから聞こえる、自分のではない小さな足音。それが全身を震わせる。
目の前に見えたのは、錆びついた階段。壁はカラフルな落書きに覆われ、階段とともに暗闇の中へと続いていく。
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階段の下には、かつて繁華街として賑わった頃の名残を留める古びたバーがあった。だが今やその場所は、追われる者たちの隠れ家、ただ一つの帰る場所となっていた。
至る所に密かに張られた監視カメラの死角を示す手描きの地図が貼られている。薄暗い電球がゆらめき、湿った空気の中で人影を照らす。
床にポタポタと水滴がコートと髪の毛から落ちる。歩くたびに水滴と靴の音がこだまする。
「遅いから死んだかと思ったわよ」
椅子に座る黒髪の女性が低い声で言った。
コートを脱いだ下には汗と雨水が伝う男の顔が現れた。
「ちょっとな」
男が返すと女性は彼に白いタオルを投げ渡した。
「床を海にする前に着替えてきな」
そう言って女性は紐に洗濯バサミで干されている彼の服を指差した。
男は右手でタオルを頭に被せ、髪の毛を乾かしながら左手で服を取る。
「悪い。ルラとナオシュは?」
彼は奥の部屋に入る前に椅子に座って肘をカウンターに立てている女性に聞いた。
「アイツらまたモールに行ったよ。最近雨だからね」
このバーの中までにも外の豪雨が聞こえてくる。雨の音が移動の際、自分たちの足音をかき消してくれる。赤い光が少し見づらくはなるが、霧じゃないだけマシだった。
「オッケー。ルラに渡したいからね」
男が言うと女性は嫌そうな顔をして彼に聞く。
「また見つけたのかい?貴重なんだからあんなゲームに使わせないで取っておいてくれた方がいいんだけど」
「いいじゃんか。それに取っといたって使わないんじゃあ無駄になってるのと同じじゃないか」
「一緒にやりたいだけだろう?」
「バレたか」
二人は笑った。
「じゃあ着替えてくる」
男はドアを開けると部屋の中に入っていった。
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数分後、少し乱れた髪と乾いた服で出てきた男は缶を二つ持ち出してきた。
「そんなもん隠してたのか?!それを持って帰ろうとして遅れたんだったら本当に怒るよ」
女性は彼の持つビール缶に対してとても驚いていた。
「二人が戻る前に飲んじゃおうか」
プシュッと音をならして缶を開け、二人はゴクゴクと飲みだした。
「一体何ヶ月ぶりだ?ちょっと強いなこれ」
女性が言いながら缶を高く上げる。
「偶然見つけたんだ」
男はまたつねる様に首の後ろに手を当てる。女性に話しかけられると彼は手を退けた。
「偶然見つけたって、探しに行った物はちゃんと持ってきたんだよね?」
「もちろん。RC-3770一枚」
そう言うと男は手品のようにヒュッと透明のケースを手に出した。ケースの中には緑色のコンピューターチップの様なものが入っている。
「まだこんなの残ってたんだ!」
「コーディングは任せるぞ?俺は何も分からん」
喜ぶ女性を見て男は言った。
彼は彼女にケースを手渡し、彼女はそれを眺めた。
男が缶から飲んでいたとき、外への階段に続くドアの向こうから声がした。男は飲んでいたものを吹き出しそうになりながらも急いで全て飲み、女性も同じ様にすると缶をゴミ箱の奥底に埋めた。
ドアが開き、紫髪の女性と体格の少し大きい茶髪の男性がバーに入ってきた。
「ルラが帰ったぞ〜」
そう言う女性、ルラは背中に背負っていたリュックを下ろした。
「生きてたかヴァク」
男性、ナオシュはカウンターに座る男、ヴァクを見ると言った。
「なんでみんなそうやって言うのさ」
ヴァクはナオシュに対してだけじゃなく、隣にチップの入ったケースを持っている女性に対しても言っていた。
「タナにも言われたのかよ」
ナオシュは言った。
「だって、ヴァクすぐ無茶するもんね〜」
ルラが会話に入ってきた。
「ちょっとくらい良いじゃんかよ」
ヴァクは言った。
「ねぇ、ちょっと酒臭くない〜?」
ルラはバーの椅子に座るとカウンターの二人に向かって言った。
「き、気のせいだと思うよ」
タナとヴァクが同時に言った。
「本当〜?ルラも欲しいな〜」
「飲んでないっ。次ヴァクが持ってきてくれるって!」
タナが言った。
「ヴァク死ぬ前にルラに一本ちょうだいね〜?」
ルラは呆れたように座るヴァクに向かって言った。
「まだまだ死ぬ予定はねぇ」
とヴァクは返した。
「じゃあいっぱい持って来れるね〜」
「俺にもくれよ」
ナオシュが言った。
「良いから二人とも着替えて来なよ」
タナが言うとルラは椅子から降り、自分の寝床へと行った。また、ナオシュも同じ様に部屋に入っていった。
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四人は話、笑い、時間が過ぎた。部屋に飾ってある時計は一から二十の数字のうち八を指している。一日四十時間のうち、起きていて価値があるのは暗く、バレずに外に出れる夜の三十四時から朝九時の間の十五時間のみ。つまり日中は二回に分けて睡眠に使う。
「朝だな」
ヴァクがそう言い、あくびをしながらそれぞれが自分の部屋に入っていく。
ヴァクも自分の部屋のマットレスの上に倒れ込んだ。
部屋は散らかっており、壁紙は剥がれている。元々は寝室ではない。ここを拠点としてから寝床に変えただけに過ぎない。
ひたいに腕を当て、天井を見上げる。
部屋は雨の降り続ける、そして金属の足音の聞こえる外と違ってとても静かである。静か過ぎて逆に落ち着かない。そのせいでたまに寝相の悪さで壁にぶつかるナオシュのゴンッという音にとても驚かされる。
夜行性の様になった四人、そして《《人間》》の居場所ではないと叫ぶような環境。ヴァクは頭を抱えながら、眠りについた。