1-3
と思っていたんだけど、ちょっとだけ惰性が続く。
「こりゃまた、狂気に飲まれた子だね〜」
「ん、え?」
「ヤッホ! 君、凛であってる?」
「......誰?」
「私は神様! 君たちのように、色々と不運が重なって早死にした子に、再度のチャンスを与える女神だよ!」
真っ暗だった視界からうって変わって、見慣れない光景が突然、この瞳に映し出される。脳のバグか? そう思って目を擦っても変わらない。
辺りは夜空の中みたいで、私は真っ白な椅子に座らされている。動きたくても、尻が椅子から離れない。地面を伝わる感覚は冷たく、何度か足踏みしてみる。
「ここは転生の狭間。君たちの世界で死んで、神様のお目が掛かった人材だけが来られる特別なところだよ〜」
「転生の狭間......」
「無価値で無意味。自分を嘆く悲劇のお嬢様気取り。『美しい私のまま死にたい』なんて、傲慢で素晴らしい役回りもできる。ちょうど良い演者になれそうだ!」
(馬鹿にしてる......いや、事実か。ははっ、神様は全てお見通しだ)
やれやれと呆れて、私は女神の様子を伺う。言い返そうにも全て本当だから、腹が立ってこめかみが引くついても黙るだけだ。
人間のことなんてお見通しの女神サマは、両手を伸ばしてニコッと微笑む。絵に描いたように美しく、私と同じように白い椅子に座っている。
目の前にいる「女神」とやらは、私が想像する神様のように薄っぺらい衣装を着て、なんかその場で少しだけ浮いている。......ギリシャ神話の衣装、白髪のショートヘアー、そしてロリっ子。見た目は愛くるしいのに、黒い瞳の虹彩を見ているとゾクッと背筋が凍る。
(なんだ、この.....)
「君は事故で死んだ。即死だったんだよね。死体はざっとこんなイメージです」
「スクリーン? 映画みたいで.....」
神が上から下に何かを降ろすように両手を動かす。少し遅れて虚無から何かが舞い降りる。映画のスクリーンのようなものが、神の背後に現れて、何か映像を映し出した。
天から見るような光景。これは......間違いない。少し前の私だ。
「うわっ。きっっしょ。何これ、ハンバーグ?」
事故に遭って悲惨な姿になった自分の体を見せられて、表情が引き攣っているのが自分でも分かる。ただ、私の反応は神にとって予想外らしく、神は目を丸くして口に手を当て、わざとらしく「え〜?」と驚いて見せる。
「自分の死体見てもその反応? やっぱり頭のネジ、外れちゃってるね。まあ、だからなんだけど」
「?」
「君に二つ、選択肢を迫るよ。これはどちらかしかない。その一、このまま『志流 凛』として死んで成仏するか——」
いきなり話がするする進む。背後のスクリーンの映像も変わり、慣れた様子で説明を始める。
「その二。......君の世界のファンタジーによくある『異世界転生』だ」
背後の映像が変わる。私が見たことのない世界の映像が映し出されて、驚いて開いた口が塞がらない。
数秒ほど、理解するのに時間を要して、スクリーンを指差す。
「えっ、本当にあるの? まじ?」
「大マジ、ピンピンだよ! 多分、こっちで経験した記憶を誰かが持ち込んで広めた概念なんだろうねー。まっ、おかげで話が通りやすいからオールオッケーさ!」
「......」
「なんせ数世代前の君たちは『曲者! このナントカ衛門が成敗する!』とか、変な格好して襲いかかってこようとするくらい生き物として警戒心が高かったんだよ。今じゃ骨抜きにされた君たちだけど、神様としては話しやすいし洗脳——こほん、丸め込みやすくていいなって!」
(今、『洗脳』って言ったか?この女......怪しい)
”神”に対する警戒が強まる。そもそもこの人、本当に神様か? 話し方こそ定番の異世界転生モノみたいでフランクだけど......。
「まっ、私のことはさておき、言っていることは本当だ。君は個としての自我を捨てて消え去るか、記憶と意識を持って生まれ変わるか。ああ、しばらくは記憶を封じさせてもらうけど、ある日突然、渡した能力と一緒に目覚めてもらうよ」
「目的はなんだ。私に何を望んでる?」
「う〜ん、聞いちゃう? まあ大義とかいるよね、君たち人間は。くだらないことで精神を病んだりするくらい繊細だし」
(コイツ......)
神のくせに言うことは腹が立つ。あの目に光がこもってないような瞳はなんだ? 私の目には、人の形をした別の何かに思えて仕方がない。
女神はそんな、私の警戒を緩ませるような、あざとい仕草をところどころに挟んでくる。自然な上目遣い、両手を合わせる仕草、顔に指を当ててぶりっこぶる感じ。全てがまるで用意されたような......。
(いや、私の小根が腐っているから、勝手に悪い方に思ってるんだ)
一旦、底なし沼のように結論が出ない考えを振り払う。女神は私の様子に構わず、話を続ける。
「ぶっちゃけると、我々は君たちに『世界の救済』を求めてる」
「......」
「この言葉の意味は色々とあるね。土地の浄化、悪の根絶、などなど手段は問いません! 結果はどうあれ、この目的に賛同するなら転生を許可するって感じ?」
(なんか無理やり同意を求められる感じ、企業面接に似てて嫌だな)
「苦虫を噛み潰したような顔してどうしたのかな。嫌なことあった?」
内心が顔に出ていたらしい。「思い出しただけだ」と言いつつ、私は余裕のない思考を巡らせる。
「......仮にここで頷いて、生まれ変わった時に約束を反故にしたらどうなる?」
「——知りたい?」
「っ......」
空気が数段、冷えた気がした。女神は満面の笑みだけれど、うっすらと開かれた瞳は......。私はゴクリと唾を飲み込み「なんでもない」と否定する。
(この選択は理不尽だ。この数秒で考えをまとめるには、大きすぎる問題だ。でも......)
神のことは信用できない。でも自分の中で、わずかに燻る炎のカケラも存在する。
頭なんてよくない。よかったら今頃、惨めに死ぬことなんて無かった。もう少し上手く生きられたはずだ。
私は結局、親不孝を成し遂げて死んでいった。こんな腐った私ができることなんて限られている。でも、そんなどうしようもないクズでも、もう一度だけチャンスを貰えるなら、愚かにも口にしてしまうものだ。
「やってみたい」って。私はもう一度、人生をフルスロットルで駆け抜けてみたい。今度は中途半端に死なないで、もっと先を見て、私の生きる意味を切り拓いていきたいんだ。押し付けがましい目的でも、今は従ってやる!
「......アンタの企みに跨ってやる。私を醒めない夢に導いてくれるんだろ?」
「無論、君を熱中させるものさ! さあ決まった決まった! もう逃げられないよ! 始まる始まる、君の新しい一ページが!」
神は喜ぶように手をパチパチと拍手する。後ろのスクリーンが輝き出す。その光が眩しくて、手で目を覆うと、体が引っ張られる感覚に襲われる。いや、あの光に吸い込まれている?
「さっ、頑張って世界を救っちゃってね〜!神様は期待して、天から見守ってるから〜!」
「ちょ、まだ色々と聞きたいことが——」
「終わりのない夢の続きをとくと味わっていくといいよ」
自称”神”との対談が終わった。不思議な空間から追い出されるように、体が浮き上がって飛んでいく。「うわああ!」と情けなく声を上げながら、最後にうっすら笑みを浮かべる神の顔を見て——。
「期待してるよ。リン」
◆◇◆◇◆◇◆◇◆
「っは!!」
悪夢から目が覚めたように飛び起きる。嫌な汗をかいていたのか、ベッドの上に尋常じゃない量の汗の跡が残っている。
「はぁ、はぁ」と乱れる呼吸を抑えるように胸に手を押し当てる。......なんだ? 私の体、こんなのだっけ?
(......違う。そうだ、思い出した。私は......ここはっ!)
私の名前は......「リンユース・ストレイライン」。そして前世では「志流 凛」だった者。
前世の記憶が蘇った。私はそれを強く自覚した。同時に虚空を見つめたまま、思考を整理する。
——フルスロットルで駆け抜けすぎて、わずか23歳で死んでしまった。それが我が人生だった。
......まあ、もとよりいつか終わりを迎える夢を見ていたようなモノだったんだ。あのまま生きていても、私はきっと何も得られず、社会の鎖に縛られて惨めな思いをして死んでいくだけだった。
だからバイクに乗っても、私は安全装備なんて着なかった。心の片隅で死を望んでいたから、世間では「プロテクターなしはバカ!」と言われても、関係なかった。私の夢に他人の声なんて必要ないんだから。
まあ、結果として死んじゃったけど、後悔なんてない。私という個が社会の闇に押しつぶされて汚れる前に、美しいまま死ねたんだ。贅沢な死に方だと思っている。
まあ、皆の思い出から徐々に私が消え失せて、彼らが老衰で死ぬ頃には「そんなやついたな」くらいになるのは、なんだか......癪だけど。いや待て、なんで怒ってるんだ? やっぱり私、性格クッソ悪いなぁ。そりゃ、どこの企業サマも雇ってくれませんわ、はは。
「......なんて、卑屈になってる場合じゃない」
私はベッドの上で頭を抱える。この——すごい豪華で、ヒラヒラしてて、ドラマや映画でしか見たことない高そうなベッドの上で。何この支柱と屋根みたいなのついたベッド! これを一人で使ってるの!?
(待て、冷静になれ......私はこれからどうすればいいんだ?)
ベッドだけじゃない。チラリと横に目をやると......昨日までは確実になかった、生前の愛用品。「赤いフルフェイスフェルメット」が、陽光に照らされて、その場に浮いている。......ヘルメットが浮くって何!?
「お目覚めでしょうか。お嬢様」
「ひっ! やばい、隠さないと!」
「お嬢様?」
「く、くるな! 待って!」
ガバッと毛布を取って、素足で床に着地。赤いヘルメットを手に取ると、急に眩く光だして——。
「っ、なんだ!?」
眩しくて目を覆う。光が収まったのを確認して、再び目を開けると、赤いヘルメットがあったところに何かが浮いていた。
これは......車のスマートキー? さっきの赤いヘルメットは、キーホルダーとしてくっついている。それに腰に引っ掛けるようのカラビナまで......。
「い、いいぞ。入れ!」
「......失礼します。お嬢様、先程はご無礼は。罰は承知で——」
咄嗟にその鍵を両手で握って隠す。入ってきたのは三十代くらいの若い執事......というか家で唯一の使用人。綺麗に整えた顎鬚を蓄えている。そういえばこの男の名前は......。
「痛っ......」
急に頭が痛む。片手で押さえていると、何か声のようなものが聞こえてくる気がした。
この映像は......記憶だ。視点は今の私とそう変わらなくて。
「前にも言ったわよね。この程度も覚えられないの? 『サイトー』?」「はうっ、申し訳ございません!」
「全く、クズはどうしようもないのね」「そんなっ、おぉ! んおお!」
「はぁ、退屈。飽きた。もういいわ」「本日も、誠に申し訳ございませんでしたっ......んふっ」
なんだこれは。自分の声と......えっ、私? なんでムチなんてもって、このおじさんを痛めつけて......。しかもなんか気持ち悪いな!? なんでこのおじさんは喜んでるんだ!?
(......『セバス・サイトー』。私の執事で今、思い出したけど......生粋のドM!)
「お嬢様。なんだかお顔がすぐれない様子ですが」
「朝からお前の顔を見てうんざりしてるだけよっ!」
「んっ......甘美な。いえ、大変申し訳ございません。耳が、おぉ......刺激的で痛くなります」
耳を抑えてビクビク震える三十代のおじさんの姿を見て、私は本気で引く。目頭を抑えてため息を吐いて「汗で体が。お風呂に入りたいのだけれど」と言って、チラリと視線を送る。
サイトーは私の言葉に疑問を感じることなく、腰を直角に曲げて「確認して参ります」と言って部屋を出ていく。
......ああ、やはりと確信する。記憶を取り戻すまでの「リンユース」は......異世界物の定番の一つ。「悪役令嬢」の一人だったらしい。しかも、マゾヒスト特化型タイプだ。
「......すっごい身に覚えがある。前の私、何しちゃってんのよ! あんなキモいおっさん虐めて、女王様気取りだったなんて。......恥ずかしい!」
前世の記憶を失っていた間の出来事も、ハッキリと覚えている。ともかく私は、今の自分の状況を顧みて、寝起きだというのに早々、頭を抱えるのだった。