第9話 フルスロットルで婚約破棄!!
「聖女」兼「勇者」になってから三日目の今日。私は非番で、やることがなかった。
なので実家に忘れ物を取り帰りに行ったのだが、それが良くなかったらしい。
(すっかり忘れてた。最悪だ......)
「お嬢様。失礼ながらサイトーに代わり、本日は私”セム”が——」
「ええ、ありがとう。用意ができたら呼びなさい」
父に長く使えた老齢の執事が出てきた。ということは、やはり今日は私にとって無視できない日のようだ。
(私が『悪役令嬢』として好きにしていた頃、父が勝手に取り繕った”許嫁”の話......。アイツとの面会は今日だった。くそッ、すっぽかせばよかったか)
忘れていた案件とは「婚約者との面会」のこと。
記憶がなかったにせよ、リンユースだった頃の素行が招いた、本末転倒と言われれば首を横に振りきれない自業自得の事態だ。
しかし、前世とは真逆のゴリゴリに固められたレールを歩かされるとは。
名前や家に縛られて反対の鳥籠の中に押し込められた息苦しさが、今になって再びやってきた。
父が悪いといえば悪い。ただ、あの人も娘のことを想って、必死に相手を探してきてくれた。しかも何故か運の良いことに、相手はかなり切実な貴族の公爵で、リンユースだった頃は「この人とならまあいいか」と、半ば受け入れていたが。
(今の私は婚約とかどうでもいい。相手には悪いけど、ハッキリ言わないと)
「リンユース様。待ち人の方が——」
「あ〜、ハイハイ。報告ありがとう。今行くから」
こうして憂鬱な気分を引きずって。私はストレイライン家の正装に身を包み、部屋を出ていった。
——ストレイライン家の応接室にて。
「やあ。久しぶり。リンユース」
「お久しぶりですね。エリック」
「今年で十六、いや......十七歳か? もうそろそろ決断の時期だね」
「ええ、そうですね」
エリック・シュリヒト。茶色に近いクリーム色の短髪に碧眼の貴族らしいイケメン。少しキリッとした眼を持ち、顔はシュッとして整っている。声は穏やかで背筋もよく、年齢は二十歳。私より四つ年上だ。
この人と出会ったのは、リンユースが十四歳だった頃。まだ子供だった私だが、当時からグレる兆候があった。きっかけはまあ、親友との別れとか色々あったのだろうけど。
そんな頃に偶然、私の家を訪ねてきた彼と出会った。そして何を思ったのか、父はその後に彼に連絡を取り付けて許嫁の約束をしたのだ。
私の知らないところで私の伴侶が決まったと知った時、腑が煮えくりかえるほどの怒りが込み上げてきた。三日間怒りは収まらず、緊急策としてサイトーを派遣され、大いにいたぶった。......今更ながらあの時の私は精神のダムが決壊し、生前の自暴自棄を超えた狂乱ぶりだったのだろう。
縋るものをなくし、それがない世界で生まれ、大切だった親友とも別れ、心がガラスのリンユースには耐えられなかったんだ。
——ここまで見れば私はエリックを嫌っているように思える。しかし実のところ、私は意外にも、彼に悪い印象はなかったのだ。むしろ......。
「聞いたよ。『聖女』だけじゃなく『勇者』にも任命されたって。凄いね」
「え、ええ」
「未来のお嫁さんがそんな凄い人だと、僕は謙遜しちゃうなぁ。あはは」
「そんなことは.......っ(やはりダメ。この人の顔を見ると、私は——)」
ふいっと目を逸らす。しかしエリックは私の挙動不審な様子に対し、小さく微笑み返すだけ。その顔をチラリと見てしまい、胸がキュンと引き締まる感覚が走る。
(な、何が『キュン』だ、私のバカ野郎! こんなロリコンになんて.......)
何かの間違いだと否定したくても、気が緩むと胸の高鳴りは勝手に昇っていく。それを抑えるように、膝の上の両手にギュッと力を込めて耐えるように踏ん張るが。
「どうしたの?」
「くぁぁぁ!」
「えっ、本当に大丈夫!?」
(ダメだ、顔が良すぎて許しちゃう! オマケに声もいい! 間違いない、魂レベルで私はこの男に惚れちゃってる!!)
頭を抑えて悶えてしまう。
そう。私の魂は無条件に、この男の声や顔、ニオイに惚れてしまっているのだ。
リンユースの頃、彼を初めて目にした時、言葉を失った。「私の望む”完璧”の権化がそこに立っている」と。
他の誰が言おうと、私の目には彼は価値の高い存在として映ってしまう。誰の手にも渡したくない、大切なコレクション。......親友を失ったばかりだったから、余計にそう思ったに違いない。
生前は全く感じられなかった恋の波動を今になって感じるのは、私の運命の相手がこの人だったからなのか。だとしたらクソみたいな理不尽だ。前世で私は絶対に幸せになれないと確約されたも同然だったのだから。
(やっぱり腹が立つ! 私の運命の相手は異世界にいたってこと!?)
「熱でもあるのかな。なら僕は失礼するよ。また忙しくなるけど、時間を見て......」
「あっ、待って! ......っ」
私のことを気遣って彼が去ろうとする。縋るように手を伸ばし引き止めてしまい、自己矛盾に気づいてまた悶えそうになる。
だがそれは許されない。多分、彼を選んでしまえば楽にはなれる。......女神との約束を破り、この身に何が起ころうと、あの綺麗な手を握ってしまいたい衝動に駆られる。
しかしダメだ。自分の決断も、女神ソラとの約束も、そしてフィルツェーンとの......。
私はまた、この身に舞い降りた幸福を振り捨てる意思を固める。
「私はこれから『聖女』と『勇者』の役目を背負う。お互いにこのまま、ズルズルと引きずるのは良くない。だから前々から思っていた、私の胸の想いを告げさせてください」
顔を上げて彼の瞳をまっすぐ見つめる。綺麗な碧眼は水晶玉のように透き通っていて、満足するまで見つめていたくなる。そう錯覚させるような誘惑の導きに私は乗っからない。
「私は許嫁を勝手に決められたことが嫌い。だから貴方を好きになりきれない」
「......」
「薄々、感じていたでしょう? 貴方と会う時の私は、普段はしないような格好に身を包んで、だというのに不満の色を滲み出す真似をしていた。それが答えです」
私はまた、愚行を犯した。前世で私を想ってくれた人の言葉や叱責、救いの手を無碍にするような真似を、生まれ変わってまたやった。
だからなのか、胸を締め付けるような痛みが治らない。事故や先日の戦いの痛みとは違い、胸に手を押し当てても耐えられない苦痛に耐えるように唇を噛み締める。
エリックは数秒ほど黙り込んで、視線を斜め下に落とす。私に会う時は笑顔を絶やさない彼が、珍しく哀愁漂う表情を浮かべて、しかし顔を上げた時にはいつもの微笑みに戻っていた。
彼は理想の王子様のような笑顔を浮かべたまま。
「ああ。知ってるよ。僕はそれでも構わないと思っていた。......”許嫁”は家と家の当主が決める行いで、メリットとデメリットがある。僕は家のためにその条件を呑んだ」
私を気遣うように優しい言葉を投げかけてくれた。プライドの高い”わたし”を想った言葉なのは、頭の片隅には理解している。でも......。
ーーは? 何それ、私との結婚は妥協だったってこと? なんかムカつく......いや、何を面倒くさい女ムーブしているんだ私!!
カチンと来たけど、くだらない邪念を振り払う。でも抑えきれなくて、私は無意識に手をぎゅっと握りしめる。彼は私の様子から内心を察しているのだろうか。申し訳なさそうに眉を寄せて。
「半ばお互い様だってこと。だから気にしないで。僕は君を振り向かせようとしたけど、君は振り向いてくれなかっただけのことだから」
困ったような笑みを浮かべて、最後まで紳士として一貫した姿勢を示してくれた。
分かってる。この人は悪くない。むしろ私のために努力も重ねてくれた。それが自分の家とメリットに繋がるとしても、貴族の跡取りにしては誠実さがカンストするくらいの献身ぶりだ。
「......ええ。だから今、私から言わせてください」
そんな人に最後まで悪い思いをさせたくない。身勝手な怒りはあるけれど、それを押さえ込む。
私は父からの叱りや後の責任も踏まえて、立ち上がり、深々と一礼する。
そして顔を上げて、まっすぐとエリックの瞳を見つめて。
「私、リンユース・ストレイラインは。エリック・シュリヒト。貴方との婚約を破棄します」
逃げることなく堂々と婚約破棄を突きつけてやった。
「......分かった」
「ですが!!」
「?」
「もし貴方が諦めるつもりがないのでしたら。私は待ちます。自分から断っておいて、大変不躾ですが......」
婚約は破棄した。でも先ほど自覚しように、私の魂はこの人を渇望している。
でも許嫁という制約で結ばれるのは癪だ。それに私は運命の相手には告白されたい乙女心も持っている。その些細な夢に向けて、努力はさせてもらう!
「こんなワガママな私を、それでも求めるというのなら、今度は”許嫁”などという取引ではなく。純粋に私を振り向かせて見せなさい!」
ビシッと指を指す。驚いて口を半開きにするエリックの視線に、徐々に耐えられなくなり「で、では!」と今度は本当に逃げるように部屋を出ていく。エリックの気持ちも全てを蔑ろにして、マジ最低だ。
だから胸が痛むのだろう。ああ、腹が立つ。勝手に色々と決めた父にも、それを呑んだエリックにも、そして父のように婚約を勝手に破棄した私自身にも。
(でもこれだけは譲れない。......いつかの時まで、エリックとは距離を置くとしましょう)
私は色恋沙汰にかまけている余裕はない。女神ソラとの約束に、「聖女」と「勇者」の役割が求められている。そして何より今は、私との相棒のためにも、家の事情などに時間を割いていられないのだから。
◆◇◆◇◆◇◆◇◆
ストレイライン家の応接室にて。
全てを見ていた老齢の執事から報告を受けた、現ストレイライン当主。つまりリンユースの父が、謝罪として部屋に入り、頭を下げてきた。
「頭を上げてください。彼女を振り向かせることができなかった僕が悪いんです。......父を説得して、全てを正直に伝えます」
「誠に申し訳ない。エリック殿!」
「......リンユースの顔が別人のように変わって見えました。前までは何に対しても興味が無い様子で、僕と会う時もそれは変わらない」
「いえ、娘はエリック殿と会う時だけは、人並みの情緒を見せていた気がします」
「それは嬉しい言葉です。でも結局、僕は失敗しました。ただ最後に彼女はこう言ったんです。『その気があるなら、今度こそ振り向いて見せろ』って」
エリックにとっても、リンユースの存在は無視できないほど大きくなっていた。なんせ二、三年もの付き合いだ。
数年の時を共有してできた思い出は、彼女との縁を振り解くには無視できないくらい大きい。ただ単に「もったいない」という軽い感想もあるだろう。
「そうまでして我が娘を想ってくれるとは......」
「......貴族の結婚に愛は無い。でも僕は幸福だ。リンユースとの出会いで、凍りついた心が少しずつ融和していったんです。それに——」
「?」
「女性を好きになるのに、たいそうな理由などありませんから」
エリックにとっても肩の荷が降りた気持ちだった。再び求める機会があるのなら、生まれてからずっと情熱というモノを持ったことのない自分を焚き付けるのにもちょうど良い。
いなくなった元婚約者のセリフを頭の中に思い起こしながら、ふと窓の外に目を向ける。初めて彼女を目にした庭を見下ろして、僅かな意志を固める。
(それならば僕は、君という熱を追い求めてみせるよ。素直にね)
後のことは、数時間後の自分に任せることにして。不思議と穏やかな気分のままわずかに微笑み、エリックは応接室を去って行くのだった。