第7話 在りし日からの”執心”
中央政権に戻り、数時間ぶりに支部長室に入ると、なぜかめちゃくちゃ驚かれた。
それがどういう意味かわからなかったが、私はあえて悪ふざけしてみる。
「あらレイターさん。私が死ぬ姿を期待していました?」
「い、いやいやそんなことないって! っていうか早くない!? こちらの見立てでは、二日くらいかけて攻略する手筈だったんだけど!」
「あら、そうでしたの。目論見が外れましたわね」
「......レイター支部長。彼女の実力は本物です。死を恐れぬ異常な精神と、私以上に戦闘に特化した能力は、側から見ていてまるで......化け物のようでした」
(バケモノ!? 私のどこがそんな......)
「君がそこまで言うなら本当なんだな。......そっかぁ。予定は狂ったけど、もし君が良ければ明日は別のオーダーを手配してもいいかな」
「え、ええ。かまいませんわ」
初めての仕事で張り切っていたかって? そう問われると否定しづらい。事実、この時の私は誇らしげな気持ちはあった。
それを帰りの道中で、相棒のフィルツェーンに言われて何となく自覚する。
「リン。君、思ったよりワーカーホリックだな」
「えっ。......でも今まで何もできなかったのですから、その分も働くのは当然ではなくて?」
「なんで時々、マトモなことを言い出すんだ。本当にあのリンユースと同一人物か?」
「ええ、一応......じゃなくて、ええと......」
「まあボクも『聖女』になって色々と経験した。世間知らずだったことも。だから先輩として一つ、アドバイスをしよう」
自分の力で何かをやり遂げることの優越感に浸っていると、私よりも先輩風を聞かせる相棒が肩をすくめて、冷めたような目で見つめてくる。
そこまで冷たくなる理由はないだろうと思いつつ、何かいいたげな彼女の言葉を受け入れるよう黙っていると。
「......君は浮世離れしすぎだ。価値観、常識、その他諸々。例えば今も」
「今?」
「自分の体から血の臭いが漂っているのに、呑気な顔して歩く貴族の令嬢とか。加えて君の場合は、噂に尾ひれがつくんじゃないか?」
「えっ、私、そんな臭いますの!? サイトー、なんで教えてくれなかった!?」
「お嬢様が臭かろうと、私はお嬢様を信じていますので」
「......家に帰ったら覚えてなさい」「はぅっ!」
周りが見えていないことを指摘され、特に自分の状態すら把握できていないと指摘された。言われるまで嗅覚が狂っていたが、確かに首まわりの服を持ち上げて匂いを嗅ぐと......うっ、これはまずい。
少なくとも令嬢が放って良い豊満な香りなどではない。というかなぜ、教えてくれなかったのか。今まで通りすがりの人やレイターに微妙な顔されたのはこれが理由か! と気づきで得た羞恥心と怒りを全てドM執事に投げつける。
「とにかく休め。ボクも今日は帰る」
「そういえば貴方、実家に帰っていないらしいですわね。家はどこに?」
「そこの借家を借りている。まあ貴族基準だから、借家にしては広いが......」
「......へぇ」
「おい、その顔は、まさか」
「私たちは一応、”パーティー”ですから。お邪魔しますわよ。あっ、サイトーは帰りなさい」「かしこまりました」
「......すぐ帰れよ」
この世界の友達の家にお邪魔する。このような貴重なイベントを見過ごすわけがない。
私はニヤリと、堪えきれない悪辣な笑みを自覚しつつ、執事を帰らせて相棒の家の前で腕を組む。
「この大きさの家に住んでいるの? 家賃、相当高いのでは?」
「大きい家なのは、前まではアイザックと半分、同棲のような感じだったからだ。家賃はそこまで高くない。なんか理由があるとか聞いたが、安いに越したことはないだろと思って、事情を聞かずに借りた」
「それ、事故物っ......いえ、何でも。(知らないことの方がいいこともあるか)」
「まあ話を戻して。彼はボクに気を遣って、寝泊まりせずに帰っていくんだが......どうした? あからさまに不機嫌な顔だぞ」
(先輩......いえ、あの男の臭いが染み付いているということか)
アイザック先輩とフィルツェーンの愛の巣......と称するには二人はそこまで深い関係じゃない。どちらかというとビジネスパートナー的な感じに見えたが、半同棲状態だったらしい。
それが何だか気に食わない。予定変更。私は家の扉を開けさせて、鍵が開いたのと同時に勝手にドアノブに手をかけて。
「ではこれからは、私も入り浸ります」
と言って、勝手に玄関の中に入り込んでやった。
後ろを振り返ってむふぅと鼻息を吐き、胸を張る。当然、フィルツェーンは大慌てだ。
「待て待て、家主の許可なくなんでそうなる!」
「なら私を雇いなさい」
「はぁ!?」
「料理、洗濯、掃除。こう見えて私、そこそこできますの(まあ前世の一人暮らし経験のおかげだけど)」
私の立てた三本指をジッと見つめて疑うような眼を。フィルツェーンが「本当にぃ?」と今にも言い出しそうだ。
前世の技術には自慢じゃないが自信はある。それらを武器に交渉開始だ。
「試しに一品、料理を作って差し上げますわ」
「その前に風呂に入れ! 台所から血の臭いがしたら最悪だ!」
「じゃあ一緒に入りましょ。先に待ってますわね」
「ちょっ、勝手に話を......」
「お邪魔しま〜す!」
靴を丁寧に脱ぎ捨てて、場所もわからぬ浴室めがけて廊下を歩き回る。
そんな私の強情な姿勢を見かねたフィルツェーンは「今日だけだぞ!」と。まだ枝を折った程度だが、着実に私の要求を飲み始め、風呂場へ案内してくれるのだった。
五人くらいなら入れそうな大きなお風呂で、二人仲良く......じゃなく、微妙に距離を空けて湯船に浸かっている。
「遠くない?」
「これが普通だ」
「ちなみにあの男とも一緒に?」
「ば、バカ言うな!! 流石に男女で一緒に風呂は、まま、マズイだろ!」
(あ〜、可愛いっ! 動揺すると顔を真っ赤にして......ふふふ、フィルは昔から化けの皮を剥がすと、からかってしまいたくなる衝動に駆られるなぁ!)
流石にアイザックと一緒に入る真似はしなかったらしい。もし一緒に仲良く入っていると言われたら、多分今の私は少しばかり暴走してしまうかもしれない。それほどまでに浮かれているし、独占欲が前のめりになっている。
元々、”わたし”のこの子に対する想いは少し、捻くれていた。それは前世の記憶が目覚めた今も変わらない。
実際の妹のように可愛がって、昔から少し無茶をする男前なところを「仕方ないな」と肩をすくめて、結局は二人で泥だらけになるような。貴族令嬢としては泥臭く、しかし精神的にも健康な日々を送っていた。
それが「聖女」の適性が芽生えたから引き裂かれた。だから私は許せなくて、今まで貯めた鬱憤がこうして暴走してるのだ。
リンユースの中身は何も変わっていない。善の立場に身を置くだけの、わがままな暴虐舞人ヤロウで、第三者から見れば「悪役令嬢」なのは変わりない横暴な女だ。
「......傷も増えましたわね」
だから私はふと、”大切なヒト”の体の傷に目が行ってしまう。昔は確かになかった古傷が、まるで商品を傷つけて、買い取るあてもなくなる手前のような......。
しかしフィルツェーンは気にしないように腕を持ち上げて、脇やあばらの部分の傷を見つめて。
「ああ、これか? 『聖女』になってから色々と忙しくてな。ボクの能力で傷は治せても、痕は消せない。女性としては魅力も無くなっていくんだろうな」
「......」
「ただ、気にしていないさ。ボクはこの職務に誇りを持っている。お前と違って、昔から」
なんてご立派なことを口にする。ああ、またそれだ。私は口をとんがらせて。
「だから嫌いなんですの」と、小声で呟いてやる。
「ん? 何か言ったか?」
「いえ、別に」
「?」
わずかに首を傾げるフィルツェーン。聞こえないのならそれでいい。ここで無闇に口にするのは、災いのもとだとわかっている。
だから私は不思議がる彼女の目を無視し、話題を変えるように。
「......傷は増えましたけど、フィルの体はそこまで成長していませんわね」
「——なんだって?」
それこそ昔を思い出す気持ちで、ふと思ったことを口にした。まあ特に他意はなく、私としては「昔とあまり変わらないところもあるんだな」と言葉にしたに過ぎないのだが。
「え? いえ、身長とかも昔とほとんど変わらなくて、愛らしい見た目で——」
それが彼女の逆鱗だったらしい。撫でてはいけない神経に触れて、フィルツェーンが勢いよく湯船から立ち上がる。
わずかに波が押し寄せて体が揺れて、飛んでくる水飛沫を両手で防ぎ「何!?」と驚いて、私も立ち上がると。
「ボクのおっぱいが絶壁だとぉ!!?」と胸を隠すように腕で覆って、顔を真っ赤にして目をかっぴらいて、今までにないくらい感情的になった幼馴染の姿がそこにはあった。
「そんなこと言ってませんケド!!? 急に荒ぶってどうしましたの!?」
「おまえっ、何も持たざる者の苦しみが分かるか! 煽りか! 煽りだな、よし! その乳房をもぎ取ってやる、ボクによこせリンユース!!」
「私も別にそこまであるわけじゃ——」
「嘘つけェェ!!」
「ちょちょッとォ!? まちなさっ......イッ!?」
突然、暴れ散らかすフィルツェーンと取っ組み合いになる。なんとか腕を抑えようとするけど、今日のダメージが残ってる体では彼女の力を止めきれない。
荒ぶるフィルツェーンがぬるりと背後に回り込んでくる。片方の腕で腹を押さえられて、もう片方の手で胸を鷲掴みにされて、息苦しさとむず痒さでビクッと体が震える。
ーーなんですの、この言い表せない感覚はっ。どうしてこんな、力が入らなくて、体が受け入れて......。
「ああ、いいよなぁ悩みがないって。ボクは歩けば男に間違われるし同僚には告白されるし体は昔からずっと成長しないしそのくせ髪を伸ばしても似合わないって遠回しに言われるし足はどんどん太くなっていくし——」
「ちょ、その姿勢っ、まずいっ......いぃっ!?」
フィルツェーンが呪詛のように耳元で言葉を囁き続ける。しかしそれが耳に入らなくて、私は打ち上げられた魚のようにビクビクと震えながら、指を口に加えて必死に耐える。......後から振り返っても、なんでこうなったのかわからないが、彼女の気が済むまでいいようにされているのだった。