第1話 ギャルにねらわれる昼休み
昼休み。今朝早起きして作った弁当を食べていると、隣の席から、「ぐぅ~」とお腹が鳴る音が聞こえてきた。視線をチラリと右にやれば、もじもじ赤面しながら辺りを見回す椎名日葵の姿が。
「ううっ……バレてない、よね?」という椎名の呟きが耳に入る。
ああ、バレてないとも。俺以外にはな。
誰も気づかなかったことに安堵すると、椎名は食事を再開した。
もぐもぐと玄米ブランを齧りながら、いちごミルクを飲む椎名の横顔は、ため息をつきたくなるほど端麗で、つい見惚れてしまう。
ゆるふわのベージュ髪、短いスカート、涼しげな胸元に、右耳のピアス。見た目はまごうことなきギャルそのもので、いかにも遊んでそうだが、不思議と浮いた噂はない。しかも成績優秀で人当たり良し。
とはいえ、こんな軽薄そうな恰好しといて清廉潔白なわけないよな、って邪推する奴もいる。まあ、いてもクラスに二、三人くらいだけど。そして俺はその数少ない一人だ。
(なんか様子がおかしいな)
いつも元気ハツラツな椎名日葵だが、今日はひどくやつれているように見えた。しばらく横目に彼女を観察し、俺は不調の理由を悟る。
(……なるほど。負けたのか)
良くも悪くも"歴史を感じる"うちの学校には、食堂が併設されておらず、弁当を忘れた場合、購買部でパンかお菓子を買うなりして空腹を満たすしかない。だが、昼休みの購買部には、飢えた生徒たちが一斉に群がり、総菜パンをめぐる熾烈な争いが繰り広げられるのである。
その戦争において、椎名は敗北したのだろう。右手に握りしめられた玄米ブランは、購買部の売れ残り商品。いうなれば敗者の証だった。
さっき聞こえた腹鳴りは、おそらく空腹の呻きだろう。椎名は今、耐え難い空腹に苦しんでいるのだ。かわいそうに。
それはそうと。
(今日の唐揚げは格別に美味いな。店に出せるレベルだ)
今日の弁当のメインは、ラー油から揚げ。ピリ辛のラー油で味付けし、そこにフライドガーリックとフライドオニオンをまぶした一品だ。これがめちゃくちゃ美味い。試作品にしては上出来だ。帰ったら、店の新メニューに加えられるかどうか親父に相談してみるか。
ちなみに、俺の実家は定食屋で、放課後や休日には俺も厨房に入って鍋を振るう。だから、料理の腕前に関して言えば、ふつうの高校生よりも遥かに優れているという自負がある。
だけどけっして、それをひけらかしたり自慢することはない。
料理人として、自分がまだ未熟だと理解しているからだ。
「うわぁ、おいしそー……」
すぐ隣からそんな呟きが聞こえてきた。椎名日葵の声だ。彼女の視線は俺の弁当に。正確には、残り一個となったラー油から揚げに注がれている。俺はそれに気づかないふりをして、最後の唐揚げに箸を伸ばそうとすると、横から「ああっ……」と恨めしそうな声がしたので、思わず箸を止めた。そんなに注目されると食いづらいんだけど。
まあ、今日の唐揚げは特別出来が良いし、そんなに食べたいって言うのなら、べつに食べさせてやらないこともないのだが。ていうか正直、食べさせたい。そして味の感想を教えてほしい。
それに……。
空腹に苦しむ彼女の姿は見るに堪えない。料理人の端くれとして、「どうにかしてやりたい」と、そう思わずにはいられなかった。
「あのさ」俺は椎名にたずねた。「昼飯。それだけで足りるの?」
もし足りないなら唐揚げ一個あげようか。という言葉が喉から出かかったところで、俺はとっさに口をつぐむ。べつに親しくもない異性に、しかも椎名日葵に対して、その提案は馴れ馴れしい気がしたからだ。あと単純に、恥ずかしくて言いづらいのもある。
(客となら普通に話せるんだけどなぁ)
……仕方ない。椎名がねだってくるのに期待しよう。
俺からの問いに、少し慌てた様子で椎名が答えた。
「う、うんっ。全然へーき! 心配してくれてあんがとね」
平気とか言ってるあたり、逆に平気じゃない気がするのは俺の考えすぎか。
「てかさ、飯田君の唐揚げめっちゃ美味しそーだよねっ! 自分でつくったの?」
あ、この会話まだ続くんだ。「まあ、そだね」
「わっ、マジでっ!? これホントに自分で作ったやつなのっ!? すっご、天才じゃん。えーだって、これもう間違いなく絶対おいしいやつだもんね。匂いでわかっちゃうもん。見てるだけで幸せ感じちゃうレベルだし」
「はは……どうも」めっちゃ褒めてくるなこの人。正直嬉しい。
「って、ごめんごめん。まだ食べてる途中だったよね?」椎名の視線が唐揚げと俺の顔を行ったり来たりしている。「いいよ、そのまま食べ進めちゃって。うちのことは気にしないでいいからさ。地蔵みたいなもんだと思って」
そう椎名が言うので俺は気にせず唐揚げに箸を伸ばすと、
「てか昨日めっちゃおもろい動画見つけてさー」
椎名がスマホの画面をこちらに向けてきた。箸が止まる。
このあと、ハムスターとカブトムシが綱引きしてる動画を見せられた。
ちなみに普通にカブトムシが負けた。しかもハムスターに捕食された。
どこが面白いの?
「あーやば、これ見てたらなんかお腹減ってきたかも……」と椎名。
いやいや、この動画に飯テロ要素なくね?
……まさか、ハムスターの捕食シーンか?
このギャルどんだけ腹空かせてんだよ。
これはもう、絶対邪魔しにきてるだろ。
完全に狙ってやがるな、俺の唐揚げ。
欲しいなら欲しいって言ってくれよ。
あげるから。全然あげちゃうからね俺。
(つーか、さりげなく『腹減った』って白状したよな今。ひょっとしてアピールしてんのか? 自分が空腹だと知らせることで、俺が唐揚げを譲るよう仕向けている?)
だとしたらとんでもない策士である。愛読書は孫子の兵法だろうか。
俺は気を取り直して、再び唐揚げに箸に向ける。
すると、隣から「ぐぅ~」と腹の鳴る音が。かなりでかい。
横に目をやると、椎名が顔を真っ赤にしながら腹を抑えていた。
「っ、違うから……うちのじゃないからぁ。信じて……」
なにも聞いてないのに自己弁護しはじめたぞ。これじゃ私が犯人ですって言ってるようなものだ。
(……やるか、唐揚げ。このままだと椎名が不憫すぎる)
「もしよかったら───」
俺は意を決して、椎名に声をかける。そのときだった。
「日葵ぃ~!」
「えいちゃん」
ギャル2号がやって来た。日焼け肌の金髪ギャルである。たぶん別クラスの生徒だろう。下の名前で呼んでるあたり椎名の友だちっぽい。こう言っちゃなんだが、最悪のタイミングで現れたな。
「さっき綾花から聞いたんやけどさぁ、昨日サッカー部の宮園から告られたんマジ?」
「……うん、マジだけど。てかなに、それもう噂になってんの? 早くない? うち誰にも言ってないんだけどなぁ」
「まあ、相手があの宮園だからなぁ。うちの学校じゃ一番イケメンで有名人やし、たぶん尾行してたファンが告ってるとこ覗き見してたとかじゃねぇの?」
宮園って、バスケ部キャプテンの宮園晴翔のことだろうか。
たしか女子生徒からすごい人気あるって聞くけど……。
「それはそうとさ、なんで振ったん? もったいなくね?」
あ、振ったんだ。なんでだろ。
「なんとなくなんだけど、恋愛は遠慮しとこうかなーって思ったんだよね。部活とか勉強とか、今はそっちのほう頑張ってるし……。それに、うちって器用じゃないから、恋愛もやるってなったら絶対パンクするもん……」
すごい真面目だ。俺が今まで抱いていた印象とはまるで違う。
人は案外、見かけによらないのかもしれない……。
「そっか! そこんとこ気になってたから聞けてよかったわ!」
椎名の返答に納得したらしい黒ギャルは、「ほんじゃ、今から委員会あるから行ってくんね」と言い残して、教室を出るのだった。……委員会にちゃんと出席するとか、あのギャルも案外真面目だな。
なにはともあれ。
嵐は過ぎ去った。これで椎名に声をかけられるぞ。
と、思ったのも束の間。
「ぐぅぅぅぅ~~~~」
また椎名の腹の音が鳴った。それも過去最大級の唸りが、教室中に響きわたる。
教室にいる生徒たちが一斉にこちらへ目を向けた。中には「デケェ腹の音だな」「熊の鳴き声?」なんて失礼なことを言うやつがちらほら。
「……ううっ」
椎名は顔をうつむいたまま、じっとしている。その隣に座る俺には、そいつの体が小さく震えているのがわかった。よほど恥ずかしいんだろう。だけどそこは堂々としてないと。そんなあからさまな反応してたらバレるに決まっている。
何人かが、椎名を見ている気がした。
笑っているような気がした。
腹の音が鳴ったからなんだ、とは思う。
べつに俺は恥ずかしくない。
でも、椎名にとっては違うらしくて。
だから俺は───
「ごめん、今の俺だわ。なんか今朝からすっげー腹の調子悪くてさ」
なんて、ふざけた調子で言うのだった。
するとクラスメイトたちは顔を見合わせて、「大丈夫?」「キツイなら保健室行ったほうがいいぞ」「先生には俺が伝えとくから」と心配そうな眼差しを俺に送ってきた。
こんなに心配されたら、保健室に行くしかないじゃないか。
俺は席を立つと、呆然としている椎名にこっそり告げた。
「……唐揚げ、食ってくんない?」
「えっ?」
「俺、腹痛くて食えないんだよね。でも、残すのも勿体ないし」
「い、いいの?」
「つっても、腹痛めてるやつが作った飯だし、ばっちいかもしんないけど……」
普通、腹壊してるやつが食ってた料理なんて口にしたくもない。
でも、椎名は知っている。俺が本当は、腹痛じゃないことを。
「ううん」椎名は首を振った。「ばっちくなんかないよ。めっちゃ美味しそう」
そして俺の弁当箱からひょいと唐揚げをつまみ上げ、口に入れた。
幸せそうな顔で噛みしめる。ザクザクと心地の良い音を立てながら。俺はそんな彼女の姿に見惚れつつ、笑みがこぼれそうになるのを必死におさえる。だって、椎名が、すごい美味そうに俺の飯を食ってくれるんだ。そりゃ嬉しくもなる。
食べ終わると、椎名は満面の笑みで手を合わせた。
「ごちそうさまっ! マジ美味しかったです!」
そうだ。その一言が欲しかった───
「よしっ。じゃ、行こ!」
と感激に浸る暇もないうちに、椎名が俺の手首をぎゅっと掴んだ。
「保健室、うちが連れてってあげる!」
俺はそのまま、廊下に連れ出された。
椎名を先頭に、二人で廊下を歩いていると、昼休み終了のチャイムが鳴った。廊下にたむろっていた生徒たちがみるみる教室の中へと吸い込まれていく。
「あんがとね、色々と。チョー助かっちゃいました」
椎名が振り返る。
「……いいよ、お礼なんて」
もう貰ったからな。「美味い」って言ってくれた。それだけで俺は満足だ。
「そんでさ」足が止まる。照れ臭そうに頬を掻きながら、歯切れの悪い口調で椎名は続ける。「あの、こんなこと言うの図々しいかもだけど……うち、飯田君にお願いしたことがあんだよね……」
俺は静かに、耳を傾けた。
「う、うちとシェア弁してくれませんかっ?」
───え?