エルフの嫁入りその11 結婚式中に本妻が攻め込んで来て新郎が既婚者だと発覚した件
エスペルとヘラが先程の売買契約を交わしている。私はソワソワしてしまうが、ここは我慢だ。
そしていよいよ―――
「よし、契約するぞ。本当に良いんだな?」
エスペルが私に婚姻魔法のスクロールを見せてくれる。
(うーん…人間の古代語かぁ。ヘラの辞書貸して貰わないとちゃんとは読めないかも…)
ただ字体は現代人間語よりもエルフ文字に近い。もしかすると、あらゆる文字は遡れば一つの言語に辿り着くのかも知れない。
それに文字は読めないとはいえ、感じる事は出来る。
そうよね。ちゃんと確認しなきゃね。
私は精霊に呼びかけてスクロールを調べて貰う。
(特に邪悪なモノは無いわ…)
トラップ等の違和感も無いし、嫌な精霊の気配も無い。大丈夫そうだ。むしろ逆に、その厳かさと神聖さに感動すら覚えてしまう。
(これで私達は夫婦になる…)
「…?」
私がスクロールをチェックしていたらエスペルが何か含みのありそうな視線を向けて来た。なんだろう?
まぁいいわ。そんな事よりも!
「早く早く」
私は逸る気持ちを抑え切れずにエスペルを急かしてしまう。
エスペルは指先から、私は腕から血を取る。
そしてスクロールへと垂らす。
(………特に何も感じないわね?)
ただスクロール周りの精霊が運動を始めている。何らかの術式は発動しているのだろう。
「なんかゾワッとしたな」
エスペルが眉根を寄せている。
「?」
何だろう?私には特に何も異変は無いのだけど…
…と思っていたら、エスペルがとんでもない事を言い出した。
「なぁ婆さん、これって離婚出来る?」
「エスペル?」
突然の発言に私は真っ直ぐにエスペルを見上げる。え?何?どういう意味?
「無理だね。少なくともアタシにゃ無理だ」
それは良かったけど、どういう意味?
ズズズズズズズズズッ…
そんな時、地響きの様な音が鳴り始め、同時に部屋が揺れ始める。
(なにこれ?)
何より精霊の騒ぎ方が変だ。おかしい。
婚姻魔法のスクロール?…いえまだスクロールは起動準備段階だ。契約魔法に関しては素人だけど、周囲の精霊の動きを感知すればある程度の事は解る。
この異変は…別件だ。
「ごめん。やっぱナシで。一旦ストップー」
どさくさ紛れにエスペルが変な事を言い出してる。でもそれどころじゃない。
「もう遅いよ。てーかなんだいこの揺れは?この部屋は空間として隔絶されとるはずなんじゃが?気の所為かね?」
ヘラも気付いたらしい。周囲を窺っている。
うん、これ、契約魔法関係無い…
それでも一応スクロールを確認しているヘラ。
「エスペル?」
私はエスペルを見つめる。何か嫌な予感がする。嫌な気配が近寄って来る。
地響きは鳴り止まない…どころか段々とその大きさを増していく。
スクロールを見ると、私とエスペルの垂らした血が魔力を伴い、契約の文章を走り抜けて行く。
そしてその文字が次々と光り輝き出す。
「あーあ…」
エスペルが何か変な声を出す。何今の声?
同時に色々起こり過ぎて情報処理が追いつかない―――
ボッ!
スクロールに火が着き、一瞬で燃え尽きる。
これで婚姻魔法の契約は成された…はず。
「ぬぐっ!?」
次の瞬間、エスペルが頭を抑えて蹌踉めく。
頬を寄せているエスペルの胸の鼓動が早まって行くのも感じ取れる。
何これ?実はあのスクロールがやっぱり罠だったとか?
「シルク、平気か?」
こんな時でもエスペルは私を心配してくれている。でもおかしい。なんでエスペルだけ?
「エスペル?汗すごい?だいじょうぶ?」
私には何も起こっていない。それよりエスペルだ。エルフの毒矢を受けても、ドラゴンブレスを真正面から浴びても平然としていたエスペルが苦しむ?
エスペルは自身の異変に気付いていない。
(また、なの―――?)
私がその事実にゾッとする。
里守のハイエルフ様も強かった。強い為に本人も周りも危機感が薄かった。
だから負けた、殺された。
(エスペルは強い。強いから負けるイメージなんて浮かばなかったけど―――)
エスペルは私を落としたりせずにしっかり抱き締めてくれているが、その足元はふらつき、顔を流れる脂汗も止まらない。
「エスペルっ!エスペル大丈夫っ!?」
私がエスペルに呼びかけるが応答は無い。
意識朦朧としているとまでは言わないが反応が薄い。まるで夢遊病者の様に虚ろな表情だ。
「痛っ………」
エスペルが私を力強く抱き締めて来る。痛いくらいに締め上げられながら、私はエスペルの不安な心を感じ取る。
(エスペルが怯えてる―――)
「ベアナックルっ!どうしたんだいこれはっ!?」
地下室内の結界を補強していたらしいヘラが怒鳴る。この異常事態とエスペルの不調が無関係ではないと踏んだのだろう。
「エスペルっ!」
エスペルは譫言の様に途切れ途切れに何言かを呟いている。
「死なせたくない…シルク…死んでしまう…俺はシルク…守りたかった…のに…」
「何それ、どういう意味…?」
(あ、しまった。今のエルフ語だ)
その時、エスペルの気配が変わり、ボソリと一言呟いた。
「来る」
………ィィィィィィィン………
(な、なにこれ?)
例えるならば、魂に響く様な、耳鳴り―――
リィィィィィィィィィィィィィィィィィィィィッ!
物理的には聴こえていないはずの、存在しない鈴の音の様な音が私の魂に響く。
地獄の鈴が鳴っている。
「なんだっ!?」
エスペルが私を守る様に抱き締めてくる。
(ナニカが…来た―――)
あまりのプレッシャーに私も総毛立つ。
部屋内の精霊が暴れ回り、部屋も結界も空間も音を立てて軋む。
「アンタふざけんじゃないよっ!?アンタ結婚してるねっ!?しかもこりゃ高位魔族っ!正真正銘の悪魔だよっ!悪魔の婚姻魔法がかかってる!」
ヘラ婆が目を剥いて怒鳴って来る。
結婚?エスペルが?浮気?
浮気したの?してたの?許せな―――………
ドーン!ドーン!ドーン!
「重婚を察知されたっ!マズイマズイマズイマズイっ!正妻がっ!本妻がっ!正室が来るっ!ただの魔族じゃないよっ!魔界貴族っ!いや準魔王クラスだよっ!結界が突破されるっ!」
嫉妬だ。物凄い嫉妬の感情を感じる。
自分の男を取り戻しに来た。
えーとつまり…
バン!バン!バチン!バチーン!
(あ、浮気相手は…私か)
すとんと腑に落ちてしまった。
その間も部屋内に鳴る異音は鳴り止まず、振動もむしろどんどん酷くなっていく。
膨大な魔力が不可視の掌の形でこの部屋を叩き潰そうとしているのが解る。
ヘラの張った結界と婚姻魔法による結界だけでは防ぎ切れないだろう。
「アンタとその娘を殺しに来るよっ!」
(本妻か。準魔王クラスの本妻)
そんなのが乗り込んで来たら確かに私は殺されちゃうわね。なるほど。エスペルが私を守ろうとする訳よね。
浮気相手にされたと言うのに、私はむしろ、冷静にエスペルへの愛を確かめる。
「エスペルは私が守る」
こんな邪悪な存在が本妻だなんて可哀想過ぎる。
きっと酷い目に遭わされて来たのだろう。
きっと無理矢理結婚させられたのだろう。
だからか、だから婚姻魔法を求めていたのね?
(直接妨害して来た…って事は、この婚姻魔法は準魔王クラスの呪いすら突破出来る!)
「勘弁しとくれっ!巻き沿いで死ぬなんて嫌だよっ!」
ヘラの悲鳴が響き渡ったその時…
―――ツカマエタ―――
聴こえないはずの声を、私は確かに聴いた。
「がっ!?」
「エスペルっ!」
エスペルの首が凹む。まるで見えない手に握られた様に、五本裂傷が生まれ血が流れ始める。
(これは―――魂への、攻撃っ!)
エスペルの魂を何者かが握り込んでいる。エスペルの肉体の首が握り潰された時、肉体だけでなく魂も死ぬ。魂が無ければ輪廻転生も無い。
「私からエスペルを奪わないでっ!」
だが逆説的に、婚姻魔法による未来永劫の契りの信憑性が増した。
(これを凌ぎ切ればエスペルは私の物だっ!)
略奪上等。
私もエスペルに略奪されて結婚させられた。
ならば私もエスペルを略奪してやる。
「来るなら来いっ!」
私も魔力を高める。街中の地下室。木魔法も風魔法も使えない。精霊の力も大して使えない。だからどうした?エスペルは私が守る。
首を握り潰されそうになりながらエスペルが何か呟いている。私に向けてではない。自身の首を、魂を握り込んでいる相手に対してだ。
「へっ…そんなに俺がいいかよ?」
その声音には諦観と安堵があり、私が不安になる。
首の裂け目がどんどん広がる。エスペルの自動回復魔法が効いているのだろう。重要な血管や神経等は切れかけては修復してる。だがじわじわと損傷の方が上回り始める。
「だめ―――」
私は拙い人間魔法…回復魔法を使おうとする。エスペルの怪我を治さなければ―――
「よしなっ!」
ヘラが叫んでる。エルフ語だ。しかもこの訛り方は…
「あんたも死んじまうっ!人間の男なんかに尽くすなっ!」
ダークエルフ訛り。かつて魔族側に寝返り歴史の闇に消えたエルフ達。袂を分かった同胞の一氏族。
「悪魔の目的はベアナックルだっ!見殺しにしなっ!抱かれた情に流されるなっ!魂を砕かれるよっ!」
「黙っててっ!」
私はヘラを見ずに一喝する。
私達の遣り取りが聴こえていないのか、エスペルはボウッとしながらも私の頬を撫でてくれる。
その瞳からは血の涙が流れている。
「シルクが…無事…良かった」
エスペルの唇から血が溢れる。
「だめっ!行っちゃだめぇっ!エスペルぅっ!」
私が叫ぶ。
エスペルが私を、生きる事を諦めたのが解った。
良くないっ!良くないわよっ!
こんな体にされて、貴方無しでは生きられない体にされてっ!
「勝手に諦めるなぁっ!」
貴方はもしかしたら私を愛していないのかも知れない。ううん、誰も愛せて来なかったのかも知れない。
だからそれがどうした。
「私が愛してあげるから」
欲望しか知らない貴方に、私が愛を教えてあげるから―――
「おいで。私はここだよ?エスペル―――」
私は魂でエスペルの魂に触れる。
「独りになんてさせないからっ!」
―――火遊びは許そう。じゃが結婚は許さぬ―――
私にも聴こえる。エスペルの本妻の声。
「解ってるよ■■■…仕方無い奴…」
「誰よっ!その女っ!」
エスペルが知らない女の名前を呟く。物凄い言霊が強くて脳が、魂が知覚を拒む。準魔王クラスの真名だ。聴いただけで常人なら発狂する程の呪詛が込められているのだろう。
上等だ。相手にとって不足は無い。
寝取る、略奪してやる。
「この男は私のだっ!引っ込め鬼嫁ぇっ!」
そう叫んだ時、私の意識は弾けて消えた―――




