愛という呪い
「綺麗…」
ルピアは左手薬指の指輪をジッと見つめている。
エスペルから贈られた愛の証。だが呪いの品とも呼べるかも知れない。ルピアがどんなにエスペルを愛していても、側に居なければいずれは心を離し、違う男を愛して別の幸せな一生を送れたかも知れないからだ。
もしも本心から違う男を愛せなかったとしても、彼女ならば割り切って子供を作り、ロメロン家の為に滅私出来たはずである。
しかし、薬指にある指輪と宝石がそれを許さない。エスペル本人はよく解っていなかったが、その宝石は魔の領域でしか手に入らず、滅多に流通する物ではなかった。リングを作った彫金師はドワーフの名工であり、人間社会に出回っているシリーズは少ない。
値段も然る事ながら、希少性の高さがとてつもない宝飾品である。何故そんな逸品が王都ロイヤルでなくバリュー市にあったのかは謎だ。
ミスリルの鉱脈が枯れ始め、代わりに流通が産業と化したバリュー市に訪れた運命の悪戯。それが今、ルピア・ロメロンの左手薬指に輝いている。
「…駄目だったか」
その娘の姿を見ていたロメロンが溜め息を吐き出す。
富と権力を誇るロメロンであるが、唯一足りないものは武であった。
命の恩人ではあったが、エスペルの利用価値は高かった。彼には権力欲は無く、純粋な暴力の化身であり、ロメロンの求める人材に近かった。成り行きの駄目元で娘に籠絡をさせてみた。
上手く行っている様に見えたが、そう甘くは無かった。
聞いた身の上から家族愛に飢えていると踏み、ルピアにはその様に愛させた。
エスペルは恐らくそれも解った上で受け入れてくれたのだろう。そして結局出て行った。
(後援者として登録してくれただけで儲け物か。私が筆頭後援者。例え王侯貴族が後からエスペルに目を付けても、我が家が最初に見出した事実は変わらない)
エスペルが冒険者として活動するだけで利益が生まれる仕組みは出来上がっているが、何よりの旨味はその関係性だ。
(果ては勇者か英雄か。彼の力はロメロンをより強固なものにする)
ベアナックルの名声が高まれば、むしろ王族が繋ぎを付けようとしてくるかも知れない。それは商売のまたとないチャンスだ。エスペルがその場に居なくてもロメロンに富を与えてくれる。
あの時、フォーゲイル第一王女に語った様に、エスペルはこれからも価値が上がり続ける商材であり物件だ。まだ無名の頃の彼と出会えたのは、ロメロンの一生において最大の幸運の一つだろう。
(孝行息子…と呼ぶのは時期尚早かな?)
娘を捨てていった様な形に父親として思う所も無い訳では無いが、それよりも利のが勝る。ルピアがエスペルの子を妊娠し、それが男児であれば更に価値が上がる…はずだった。
(悠長に構え過ぎたかも知れんな)
エスペルはまだ若かった。既成事実を作るにも段取りがある。ルピアは勿論、ベトレイヤやシュヴェスタにも避妊薬を服用させていた。
その慎重さが裏目に出たかも知れない。
「ピロスがまた縁談を申し込んできたぞ」
思い出した様に…実際に娘の部屋に来た用件を思い出して伝える。
理知的で聡明な普段の姿とは違う、狂気を孕んだ視線で指輪を見つめていた娘に、思わず魅入ってしまっていたのだ。
「懲りない人」
指輪をボウっと見つめたまま、呟く様に吐き捨てるルピア。
ピロスはルピアの幼馴染だが、ただそれだけだ。
ピロスは善良だが凡人だ。
彼の父親が割と阿漕な商売をしているが、それを知らない。いや、見て見ぬふりをしているのだろう。綺麗な物だけを見ていたいのだ。
実際彼がルピアに惚れているのは確かだが、やや自分の理想を押し付けているきらいはある。エスペルが現れる前から、女に商人は務まらないだの、女は家を守るべきなど、やや偏った主張を繰り返しルピアをうんざりさせていた。
ピロスの家は、ロメロン程の規模ではない中小の商会だ。しかし立場の弱い職人や取引先を追い込み、結果的に何人も自殺や破産の憂き目に遇わせている。
身売りした娘も両手の指を合わせても足りない。だがピロス個人は孤児院への寄付をしたりと、やっている事がちぐはぐだ。
そんな偽善をするくらいなら、父親を追い出し商会を乗っ取り、まともな商売をすれば良い。
(家を継いだ時、父親の悪事を知って怒るか蔑むか飲み込むか。はてさて…)
清濁併せ呑む商人としての才覚を現すならばルピアを嫁がさせても良かった。しかし、もうすでにルピアはエスペル…ベアナックルの所有物だ。
エスペルと最初に出会った際、ロメロン父娘に罠を仕掛けていた商売敵も結局は滅んだ。懲りずにエスペルを籠絡しようとして飼い犬に手を噛まれたのだ。
(ベトレイヤとシュヴェスタも優秀だが、忠誠の先がエスペル殿なのは頭が痛いな)
ロメロン家が彼の役に立たないと見限れば直ぐ様出て行くだろう。
最早このバリュー市にロメロンより強い権力者は居ない。領主はバリュー子爵ではあるが、彼の生殺与奪もロメロンが握っていると言っても過言ではない。
「それもこれもエスペル殿のお陰だ。確かに、彼を息子と呼び、彼から父親と呼ばれてもみたかったがな…」
エスペルは家族の温もりを求めつつも遠ざけようとする性質がある。
(ルピアに子が宿っていれば、もしかしたら繋ぎ止める事も出来たかも知れな―――)
「うっ…」
ルピアが突然口を抑え、自室に備え付けられた洗面所へ駆け込む。
「ルピアっ!?どうし―――まさかお前…避妊薬を―――」
少し前から様子がおかしいとは思っていた。
彼女はロメロン商会の中枢だ。結婚出産も簡単ではない。ピロスだけでなく縁談の申し込みは毎月大量に届いている。娘は自分の市場価値を理解している。安易に妊娠など選ばないはず…だった。
「産むからっ!」
父親を睨むルピアの瞳には、凄絶な炎が宿ってる。まるで子を守る母の如く己の腹を抱きかかえる。薬指の宝石が妖しく光る。
呪いだ。ルピアは愛の呪いにかかっている。
「エスペルが私にくれたのっ!私だけのものよっ!」
それは指輪の事を指しているのか?胎内に宿った新しい命を指しているのか?あるいは両方か………
「エスペルは帰って来てくれるもんっ!私のだもんっ!」
駄駄っ子の様に泣き叫ぶ娘に呆然とする父親。
「籠絡しようとして、逆に籠絡されてしまったか…いや、これは最早…」
魅入られたと言うべきか。
(安易に触れるべき存在ではなかったのかも知れんな…)
だがもう遅い。だが悪くない。外聞は悪いかも知れないが、エスペルの子供である事は間違い無い。それを最大限に利用すれば良いのだ。
「良かろう。元気な子を産めルピア。父としてロメロン商会会長として、最大限のバックアップはする」
今日から一切の仕事から切り離す。母体の健康に最大限の配慮をするのだ。
(未婚の母か…。商売敵どもに、有る事無い事言われそうだが…全て握り潰す。私の孫だ。我が家の将来を担う未来の希望―――)
ルピアとエスペルの子だ。
武に秀でているのは間違い無いし、もしやすれば商才も持つ異能の者になるかも知れない。
「ふ、ふふふ」
愛する実の娘すら道具にし、力の増強に励む鬼畜。
将来は孫に殺されるかも知れない。
だがそれにより家がさらなる発展を遂げるならば、むしろ本望。
「良くやった。ルピア」
ロメロンはルピアを褒める。
父の言葉が聴こえているのかいないのか、ルピアは自分の下腹部を撫でて笑みを浮かべている。
長い髪が一本唇の端にかかっており、その姿は妖艶にして壮絶。
彼女自身にはそれほどの力が無いはずなのに、得体の知れない力を内包している事だけは解る。
「エスペル、愛してる…」
瞬きもしない虚ろな瞳でルピアが呟いたのだった。
☆☆☆☆☆
「エマの調子が良くないらしいな」
ロメロンには娘以外にも悩みの種はある。
「ええ、塞ぎ込んでいる様です。仕事も辞めました。エスペル様から定期的にお金が入るので生活には困りませんが」
ベトレイヤが慇懃に応える。
この元産業スパイの半グレメイドはロメロン家を嵌めようとした商売敵の手先だった女だ。
エスペルとの繋がりを強くするために手元に置いていたが、日に日に有能さが増している。
今ではユーパロッシ・ロメロンの秘書の様な役割もこなしている程である。
エスペルが抱いた女達はそれぞれの生活を続けている。
アスパーシャやフリーシアンは平気だったが、エマは駄目だった。ルピアよりも重傷だ。
「…適当な男を充てがうのが一番なのだが…エスペル殿の地雷が解らん」
「そうですね。それは下策かと」
「うむ」
エスペルがエマに飽きて捨てていったならそれも構わないかも知れないが、彼は別に女達に飽きた訳ではない。
全員から迫られるのが嫌で逃げ出しただけだ。ある日ふらりと帰って来るかも知れない。
その時に違う男が自分の女の隣に居た時の反応が予測出来ない。男を殺すか女を殺すか。報復は過激なものとなるだろう。自分が女を放置していたからだなどという言葉は通じない。彼の暴力に言葉は敵わない。
そして、男を用意したロメロンまで報復対象になるかも知れない。
彼は他人を助ける事も殺す事も大した事はないと思っている。少ない労力で達成出来るからだろう。
少しでも敵に回りそうな事をするのは得策ではない。
「解った。エマパティ母娘を保護しよう」
「畏まりました」
「だが何か仕事はさせろ。何もせぬと本当に気を病んでしまうぞ」
何もしていないと心がゆっくり死んで行く。
ルピアにも何かやらせようとしたら、料理を頑張ると言い出した。包丁や火が危ないので却下した。今は編み物で赤子用の靴下等を編んでいる。
「ルピアも変わった…」
もしもルピアが普通の男と結婚し妊娠していたら、世界各地からマタニティグッズや赤ちゃんグッズを取り寄せそれを自然に周囲に浸透させ、商売の種にしたはずだ。
妊婦である事すら武器にしてさらなる利益を産んだだろう。
ニコニコしながら下手くそな編み物に一日中費やしてなどいなかったろう。
「お前も、本当は欲しかったのではないか?」
ふと思いつきで、目の前のメイドに訊いてしまった。失言だった。
「………」
ロメロンの問いかけに微笑で応えるベトレイヤ。もしかすると、近々姉妹の腹も膨れてくるかも知れない。愛娘ですら避妊薬を飲んでいなかった。ロメロンの真の配下でない姉妹が言う事を聞いていた保証は何処にも無いのだ。
「ふぅ。仕方の無い御仁だ」
ロメロンが嘆息した、その時だった。
「頼もぉぉぉぉぉぉぉぉぉぉぉっ!」
元気溌剌な叫びが屋敷中に轟く。凄まじい声量である。
「室内!?いや、屋敷内!?敷地内に誰ぞ居るのか!?」
ベトレイヤには劣るとはいえ、護衛の私兵は屋敷中に居るはずだった。何をしていたのか。
「いえ、ロメロン様。声の主は、どうやら門の前に居るようです」
「馬鹿な…いったいどれ程離れてると―――」
驚愕するロメロンの耳を再びつんざく女の声。
「我は王都ロイヤル騎士団所属フロイラインっ!エスペルっ!姿を現せっ!」
凛とした女の声だ。
「はぁぁぁぁっ!?エスペルは居ないっ!?嘘おっしゃいっ!調べはついてるんだからねっ!ここに居るのは解ってるんだからっ!あーもぉっ!面倒臭いわねっ!いいから出てきなさいよっ!エスペルっ!伯爵令嬢の私から逃げられると思わないでよねっ!いい加減覚悟決めなさいよっ!………え?何よシェリーっ!?ロイヤルまで行って無駄足を踏んだんだものっ!ここで逃がす訳にはいかないわっ!……そりゃ勇み足だったけど…バリュー市に来てるなんて思わないじゃないっ!」
ここまで声が聴こえるのは単なる大声ではあるまい。風魔法で空気の振動を増幅しているのだろう。
「フロイライン?フロイライン・フルールドリス伯爵令嬢?」
名前には聞き覚えがあった。猪突猛進の女騎士だ。確か任務中に独断専行して行方不明になったとかなんとか。生きていたらしい。
それが何故ロメロン商会に?高位貴族が用事があるならバリュー子爵の屋敷ではないだろうか?
「エスペル殿の知り合いか?」
窓から覗くと、女戦士といった風体の女が仁王立ちしていた。隣には従者らしい少女が居て、女戦士と何やら揉めている。
ロメロン家のメイドが対応している様だ。アレは多分シュヴェスタである。ベトレイヤと並び戦闘能力は高い。荒事慣れした彼女が買って出てくれたのだろう。
ヴェーツェが居ればと思うが、彼女はエスペルを追い早々に姿を消している。
「ホーミィに一人で赤ちゃん産ませる気っ!?フルールドリス家は寛容よっ!妾なら二人…ええいっ!三人までなら許すからっ!とっとと出て来て私と結婚しなさいっ!責任を取りなさいよねっ!」
「あ」
「あー…」
その台詞の内容により、だいたい察してしまったロメロンとベトレイヤ。
その時ロメロンの執務室を開けて何者かが入って来る。
「ルピア…」
少し気が早い産休に入ったロメロン商会会長補佐が、窓からジッと外を見下ろしている。
そしてゆっくりと微笑み、父親を振り返る。
「伯爵令嬢様をおもてなししなければなりませんね。ここへお連れしてくださる?お父様」
いつものルピアの顔だ。
しかし目には狂気の炎が燃えている。
「…妙な事は、考えるなよ?…」
あそこでずっと騒がれても迷惑だ。一旦は招き入れるしかないだろう。
フロイラインは堂々と胸を張って叫んでいる。
「隠れてないで出てきなさいっ!もう一度王都に行くわよっ!私達に対する責任を取りなさいっ!ヤリ逃げなんか許さないんだからねっ!」




