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狐の嫁入りの話(前編)


 ぱらぱらぱら。


 小さな雨音が周囲を柔らかく叩く。

 それは密やかに。

 まるで秘め事が行われているかのように。

 かすかな雨音は、静かに静かに山の中腹の宮を洗い清めていく。


「あれ? 晴れてるのに……雨だ」


 社の主は、外へと出てそれに気づいた。

 夕暮れ時の鮮やかに茜色に染まった空から、キラキラと朱金色に煌めきながら雨粒が落ちている。


「ああ、『狐の嫁入り』だねぇ」


 ぐるりと頭上を見渡しても雨雲はなく、日が出ているにも関わらず、雨はどこからともなく降り注いでくる。

 それは本当に不思議な現象で、誰に言う事も無く呟いたあと、黄昏時の雨を魅入る。

 さざれの雨は、まるで砂金が落ちてくるようで、けれど、触れれば儚く消えて行く。どこか夢幻のような、美しく目映い光景である。


「どこの狐のお嬢さんがお嫁に行くのかな」


 空は燃えるような赤銅色で、周囲は黄金色に輝く美しい夕映え。それなのに雨は絶え間なく降り注ぐ。こんなに見事な『狐の嫁入り』だ。きっといいところの狐の姫君がお嫁に行くのだろう。

 狐の嫁入りは、たいそう立派で美しいと伝え聞く。春水は、綺麗なものは大好きだ。出来ることならば、一度見てみたい。

 天気雨がここまで来ているということは、どうやら花嫁行列は近くまで来ているようだ。少しお山を下りて出かけてみようか。そう、思案していた矢先であった。


 ちりーん……ちりーん……。


「おや?」


 どこからか耳に心地よい鈴の音が聞こえてきた。

 瑠璃と玻璃を弾き合わせたような、涼やかな音色が山の中まで響き渡る。


「なんだろう」


 春水は、不思議そうに首を傾げる。

 とても美しい音だ。清涼な風のごとく耳朶をくすぐる。

 どこから聞こえて来るのか。

 なにが音を立てるのか。

 思わず耳を澄ませて、再び聞こえるのを待つ。


 ちりーんちりーん。


 その音は、また春水の耳に入り込んだ。


「綺麗な音だねぇ……」


 綺麗な音も大好きだ。

 だから、この音も春水はすぐに気に入った。口を噤み耳をそばだて、再び音を拾い上げる。


 ちりーんちりーんちりーん。


(鈴の音?)


 綺麗な音を聞き逃すかもしれなくて、声を出すのが惜しくて、心中で疑問を口にする。


(だとしたら誰が鳴らしてる?)


 何のためにこんな山の中で鈴の音を響かせているのか。

 熊除けの鈴ならば、こんなにも澄んだ音はしない。

 魔除けの鈴ならば、一体誰がこんな場所へ足を踏み入れているのか。


 音が先ほどより近くなった気がする。

 いったいどういうことだろうか。

 音は徐々にこちらへと近づいている。


(一体なんの目的で?)


 思い当たるものは何もない。

 そうなると気になりだした。

 その音の元が知りたくて、春水は境内の先にある鳥居の下まで足を伸ばした。

 そうして気づいた。


 ちりーんちりーんちりーんちりーん。


 音は、鳥居のすぐ下に続く簡素な参道から昇って来る。誰かが階段を上がっているのだろうか、音は、ゆっくりとのぼってくる。

 いつの間にか鳥居の前の両脇に狐が二匹、向かい合わせに座っていた。

 驚いた。

 今までそんなものがいたことは、一度たりともありはしなかった。春水の山には狐も棲んでいるが、目の前にいる二匹は獣とは違う。毛の一筋まできちんと手入れされ、美しく整えられたそれの両目には、山の獣とは違う理性が見える。

 驚く春水に気がつけば、二匹はまるで揃えたように春水に向かって丁寧に深々と頭を下げ、再び背筋を伸ばして向かい合う。

 まるで、春水の神社にはいない狛犬のように両脇にきちんと並んで座っている。それより下には、無数の明かり。草木の影で一足先に夕闇に沈み暗くなった参道が照らされる。

 人が灯す提灯の明かりとは違う、拳大の柔らかな緋色の揺らめき。両端に等間隔で並び、宙に浮いて階段を照らすそれが、数多の狐火だと気づいたのは、ずっと後から。

 ぽかんとしたまま、何がなんだかわからないまま、階段の下を見ていれば、光の奥から赤が見えた。同時に鳥居の両脇にいる狐と同じ姿のものが何匹も現れる。

 

 ちりーん。


 春水が惹かれた涼やかな音色が耳朶を打つ。

 先頭の狐の持つ、銀色の鈴が揺れている。

 その奥から現れたのは、朱色の鮮やかな大きな傘。傘持ちが身体にに合わぬほどの大きな傘を危うがなくもっている。側には狐火を入れた提灯持ち。その灯りに照らされて、傘の下から美しい白無垢に身を包んだ花嫁が姿を見せた。前後には数多の狐達が花嫁を囲んでいる。


「うわぁ」


 それは見事な狐の花嫁行列。

 初めてみるそれに、春水は目を見張った。

 そういえば、雨はまだ降り続いている。

 音の方に気が向いて、花嫁行列のことはしばし忘れてしまっていた。

 考えてみれば、当たり前のこと。

 あの鈴の音は、狐の花嫁に悪さをしないように魔除けとして鳴らされていたのだ。


「って、あれ?」


 そこまで考え春水は、はて、と首を傾げる。

 花嫁行列は、春水がいる宮の参内を通っている。

 この先は春水の宮しかない。その先には道がないのだ。


「花嫁はどこへ行くつもりだい?」


 答えを出せぬまま、そのまま見続けていれば、行列の中央にいた花嫁が重たげな花嫁衣装の裾を軽々とさばき、石段の最上段まで昇り切り、そして足を止めた。


「……お嫁に来ました」


 呆けた顔でそれに見惚れる神を前に、粛々と花嫁は、そう告げる。

 俯いたままの顔は、角隠しに隠されたままで、その表情はうかがえないものの、視線の強さは感じられる。俯きながらも、角隠しの向こうでは、ねめあげるように、じっとこちらを見ている様子である。

 だが、花嫁の言葉は、春水にとって寝耳に水のものだった。


「よ、嫁? えっ、うそ……何それーー急に来たって言われても……どう――いったいっ!」


 春水は、行き成りよろけて後ろに下がり、そのまま蹲った。左足の弁慶の泣き所と言われる個所をしきりにさする。

 なんだか昔もこんな風に蹴られたのを思い出す。あの時は小さな仔の蹴りだったから、思ったよりも痛くはないが、今回のは鋭さと重みがあって本気で痛い。


「ちょっ! 行き成り何?」


 春水は、花嫁に抗議した。蹴られたのだ。けれど、花嫁に蹴られる理由がわからない。


「……さっさと『是』といってください」

「へっ?」

「貴方が私を受け入れない限り、私はこの鳥居をくぐれません」


 転んだ春水がいるのは、鳥居の内側。

 花嫁がいるのは、鳥居の外側。

 たった一歩の距離。

 だが、そこは大きな壁が立ちふさがっている。

 鳥居の内側は神域で、神の許しなく立ち入ることは許されていない。

 春水は、ようやく痛みが引いた足で、立ち上がり鳥居と花嫁を交互に見やった。 

 狐達はその後ろでじっと自分たちを見つめている。今まで花嫁を守るように鈴を鳴らし、火を灯し、囲っていたのに、今は音も立てず後ろで控え、成り行きを見つめている。

 これは自分と花嫁の問題なのだから、口出しも手出しもしないつもりなのだろうが、無数の目の中には自分を責めているような視線もあって、いたたまれない。この状況は、自分が望んでやったわけではないのにだ。とはいえ、まずは目の前の問題が先だった。


「あの……でも、君間違ってない?」

「何がですか」


 花嫁は、苛立ちを隠さず、不満そうに言い放つ。

 言葉ひとつひとつが刺のようで、声をかけるのにも勇気がいるのだけれど、過ちならば早急に正すべきだと、勇気を振り絞って春水は言い放った。 


「君の嫁入り先はここじゃないと思うんだけど」


 この神社には、春水しかいない。

 一柱の神しか祀られてないのだ。その上、ここには眷属も神使もいない。

 こんないいところの狐の嫁ぎ先ではない。

 しかし、そのとたんに花嫁は、これ以上ないぐらい顔をしかめた。

 顔をしかめても、綺麗なものは綺麗なのだと、思わず感心するほど、それは盛大に歪む。


「貴方が春水という神なら間違いないです」


 春水は、首をかしげる。

 その名は確かに間違いなく自分の名だ。


「私は、春水だけど……でも……」


 狐の嫁入りのあてはない。


「つべこべ言わないでください」

「言うよっ!」


 うかつに『是』なんて言った日には、自分は狐の嫁をもらってしまうのだ。別に不満というわけではない。むしろ不釣り合いなのだ。自分は、おそらく位が高いだろう狐を自分の神社に受け入れさせるほど、立派な神ではないのである。

 花嫁達の後ろにいる狐達の殺気にも似た冷たい視線が恐いけれど、易々とそれを受け入れるわけにはいかない。

 分相応という言葉があるのだ。

 目の前の花嫁にはもっと良い嫁ぎ先があるはずである。こんな寂れた社には似つかわしくない。

 春水は、『是』など言わない。

 それを察したのか、花嫁の紅など必要なのだろうか、と思うほど品よく形作られている唇が、不服そうに、むぅとへし曲げられた後、開かれた。 


「……仕方ないんです」

「仕方ない?」


 花嫁は妙に機嫌が悪そうだった。

 花のような口元を曲げたまま、心底嫌そうに言葉を紡ぐ。


「恩返しなんです」

「恩返し?」

「昔、小さな狐の仔を助けてあげたでしょう。覚えてますか?」

「ああ、うん。それは覚えてるよ」 


 花嫁の言葉に、すぐに思い出す。それは、少し遠い日の出来事だ。

 自分のお山の下の小さな森で、迷子の狐の仔に出会った。

 もっともその子は頑なに迷子だとは認めなかったけれど――。

 春水は、その子の手を引いて、彼の里まで連れて行ってあげたのだ。

 そして目の前にいる花嫁がー―あの狐の仔だといことは、ひと目、その顔を見た時から気付いていた。

 小さな頃から顔立ちが際立っていた仔だ。

 想像以上に綺麗な姿に驚いてしまったけれど、その容赦ない言動は、幼いころのままである。三つ子の魂は百までというのは本当なんだ、と思ってしまう。


「甚だ不本意ですが、こういう場合恩返ししないと徳があがらないので、そのためにやってきたんです」

「不本意ならば、無理にせずとも……」

「いいから、さっさと恩返しさせなさいっ」


 言いたいことを言いきったのか、ツンと顔を上げ、そのままそっぽを向く花嫁を、春水はまじまじと見やった。

 かつて見たことのある姿。不本意といいながら、その横顔は、どこか不安そうに見える。

 ああ、そう言えば、この仔は昔から素直ではなかった。もっとも、一度きりしか会ってはいないのだけれど、それでもやはり変わらないと思ってしまう。

 狐の恩返しが、こんなにも仰々しいものだとは知らなかった。

 恩を返す必要性などひとつもない気がするけれど、ここまで華々しくも大事にやってきたとすれば、これで追い返してしまったら憐れだろう。

 まさか、それを計算してご丁寧に嫁入りしてきたわけではないと思うが――断れない。


「わかったよ――六花ちゃん」


 かつて教えられた名前を口にすれば、驚いたように、ぴくりと肩が大きく動いた。向けられたその瞳が、涙で潤んでいた。



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