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一緒に行こう、あの雲の向こうへ  作者: おぐら あん


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7-4

 ハンザの館の地下室に、リュウナはいた。目の前に設えられた硬い寝台の上に、シャイラーンが横たえられている。リュウナは入口の傍に置かれた椅子にぽつねんと、ただただぼんやりとした表情で座っている。同じ部屋にアドルもザルクルーシュもいた。先に到着していたザルクルーシュはセルア王の許可を得、三人を招き入れたのだ。領主の館の使用人が地下室に案内してくれ、そこに運び込んだ寝台にシャイラーンの身体をそっと横たわらせた。

 リュウナは自分が椅子に座らされたことにも気がついていないような、呆然とした様子だった。二人はそんなリュウナを横目に、小さなテーブルを挟み、領主が振舞ってくれたザクナと言う果実で作った酒を酌み交わしていた。甘みよりの酸味のきつい酒だった。

「……ところでセルア王だが」

 ザルクルーシュが遠慮がちに口を開く。

「どうしてこんな国境の地に?」

 アドルは杯をぐっと干して、ザルクルーシュに答えた。

「自らマリシュを迎えたいって言ってくれたんでね」

 アドルの視線もどこか定まらず、宙を彷徨っているようだった。

「でもよかったよ。ザッシュがいつもと違う進路で来ていたら、出会えなかったところだ」

 そう言うとアドルは、これまでのことを簡単にかいつまんで説明した。

 セドに入ってすぐ、身分を明かし親書を渡したたこと。セルア王への直接の面会を求めたこと。その場で保護され、王の使いの者を待ち、謁見したこと。そのとき同時にセルア王が直々にマリシュに会いたがっていると聞かされたこと。マリシュたちを迎えるために、この関まで移動してきたこと――等々。ザルクルーシュは酒を呑み相槌を打ちつつ、じっとアドルの話に聞き入っていた。

 アドルが語り終えると部屋は静寂に包まれた。ザルクルーシュはやはり黙って杯を重ね、アドルもまた、沈痛な面持ちで酒を煽った。二人の視線は共に、リュウナの背中にあった。リュウナは以前と打って変わり、頼りない、幼い少女のようだった。膝を立てて腕で抱えこんで、小さく丸くなり、椅子に座っていた。

「……だめかもな」

 アドルが小さく呟いて、ザルクルーシュは短くああ、と応じた。

「アド、誤解がないように説明するが」

 ザルクルーシュはやや掠れた声でアドルに話し始めた。

「オレも、マリシュも、もちろんシャイラーンも、全力を尽くした。オレがもう少し早くあいつらをぶちのめしていたら、こんなことにはならなかった。アドにしてみれば、これはオレの単なる言い訳にしか聞こえないかもしれないが、オレはできるだけのことはやった。決して、シャイラーンを犠牲にするつもりなんて、なかった――。マリシュだってそうだろう、シャイラーンを盾にするつもりなんかなかった。シャイラーンは、自らの意思で、身を呈して、マリシュを護った」

 アドルは力なく頷いた。ちらりと上目にザルクルーシュを見る。その目は熱を帯びたように真っ赤だった。

「そんなこと、言われなくたって解ってるよ。シャラはそういうヤツだからな」

 すん、と鼻を鳴らして、アドルはそっぽを向いた。油断したら次々に涙が溢れて止まらなくなりそうになる自分に、心内で叱咤を飛ばす。

「……リュウナは、どうする?」

「ああ――どうするかな」

 アドルはそう言ったきり、口を噤んだ。今のリュウナを救えるのが自分ではないことが、アドルを苦しめる。シャイラーンと交わした約束が、アドルの首をぎりぎりと締め付け、まるで息ができないような苦しさだった。

「ところで――どうする?」

 ザルクルーシュの問いに、アドルが反対に問い返した。

「どうする、って?」

「……まさかこのままここに……って訳にも、いかないだろう――?」

 ザルクルーシュの言葉に、アドルははっとした。シャイラーンのことだとやっと解った自分に――それくらいの機転すら利かせられない自分に、無性に腹が立った。

 ここにこのまま安置させてもらうにも限度がある。かと言って故郷まで送り届けるのは困難だろうと思った。なにしろあの砂漠である。そこを運んでいくとどうなるかなんてことは、簡単に想像がつくだけに、あれこれ想像したくもなかった。

「せめて遺髪くらい、届けるべきだろう?」

 ザルクルーシュの言葉ももっともだ。しかしアドルにはシャイラーンに触れる事はとても出来やしない、と思った。それに――それに。

 それが出来るのは、リュウナだけだ。

 強く思った。

「せめてリュウナが――」

 ザルクルーシュもそれ以上は言葉にならないようだった。再び二人は押し黙って杯を重ねることしかできなかった。

 どれくらいそうしていただろう? 呑みすぎで頭ががんがんと痛むのに、呑むのを止められなかった。ザルクルーシュは卓に突っ伏して眠りに落ちていた。冷静に考えれば、ザルクルーシュとマリシュは休みなく旅を続けてきて、そして今日、イレムの関に到着したばかりだ。相当疲れているに違いないのに、それを思いやる余裕もなかった。アドルは自らのあまりの情けなさにがっかりした。酔ってぐらぐらする視線をリュウナに送ると、リュウナはその姿のまま凝り固まってしまったかのようだった。アドルは立ち上がると、そっとリュウナの肩に手を置いてみた。それが思った以上の温かみを持っている事に何故だかほっとしていた。シャイラーンがこんなことになって、そしてリュウナにまで何かがあった時には、狂ってしまうかもしれない――そんなことを思った。

「……」

 リュウナ、と呼ぼうとして、何故か声は出なかった。寝台に静かに横たわるシャイラーンに視線を送ると、その顔はまるで全ての責任を果たしたかのように、安らかで穏やかだった。アドルはふらふらと寝台に近づいて、シャイラーンの顔を見つめた。

 息をしていないなんて、信じられなかった。

 今にも目を開け、身体を起こしそうだった。

 それからアドルに――どうしたの? と笑いかけるのではないかとさえ、思った。

 それほどにシャイラーンの死に顔は美しかった。生前とまるで変わりがなく――いっそもう駄目だと一目で解るほど、傷つき苦悶に満ちた表情だったら、納得できたかもしれない。ばん、と寝台に拳を叩きつけると、振動でシャイラーンが動いたように見えて、またもや泣きそうになった。

「シャイラーン……」

 リュウナの歌うような微かな呟きが、アドルの耳に届く。アドルは寝台に突っ伏して、声を押し殺して泣いた……。



 リュウナが自分を失っている間にも、事態は着々と動いていた。

 セルア王はマリシュの証言を元に、ラディラフの陰謀を暴く手はずを整え、優れた伝令の力を十二分に発揮し、驚くべき速さで周辺諸国へ使いを遣った。諸国から正式な返答が届くのを待つ間、マリシュもまたセルア王の力を借り、今後の方策について協議を重ねていた。アドルもザルクルーシュも、リュウナの様子を心配してシャイラーンの遺体を安置している地下室に何度も赴いたが、その度に気分が落ち込むのを感じた。

 いつまでそうしているつもりだと、責め立てるのは簡単だった。

 しかし責めたところで、リュウナは彼我の世界にいる。何を言ってもはっきりとした返答もないままであった。手応えは、まったくなかった。

 忙しい合間を縫ってマリシュもまた、リュウナの許に足を運んだが、何も出来ない自分の力のなさに歯噛みするだけだった。

 リュウナが我を手放してから、すでに十日が経っていた。僅かに水分を摂るだけの日々で、リュウナはすっかりやつれて生気を失いつつあった。

 しかし不思議なことにシャイラーンの遺体は、最初に運ばれたときと全く変化していないように見えた。普通なら疾うに腐敗が始まっていても不思議ではないはずなのだが、まるでシャイラーンが「まだどこにも行けない」と主張しているかのようだった。しかしだからと言って、いつまでもこのままにしておく訳にもいかない。様子を見に地下室にやって来たマリシュは、そこに居合わせたアドルとザルクルーシュに、どうしたものかと相談を持ちかけた。

「……さてな。リュウナがしっかりしてくれれば、どうにでも判断できるんだろうけど」

 ザルクルーシュがもっともなことを言う。

「遺体はセドに埋葬させてもらうしかないのではなくて? そうすると何か形見を残さなければね」

「そりゃそうだけど……」

 そう言ったきり、アドルも口を噤む。いい案は全く浮かばなかった。

「それにわたしもそろそろ、ここを離れなくては」

 セルア王はマリシュに、一度セドの国都に来てはどうかと、提案してくれていた。各国からの返答が届き、無事にガゼッタを取り戻すまでにはまだ暫く時間がかかるだろう。それまで国都で準備を進めておけば、その後の政策を進めるのも随分楽になるのではないか――と言うことだった。マリシュは返事を保留していたが、それもそろそろ限界に近い。

「リュウナ、オマエは一体、どうしたいんだよ?」

 返事がないことを覚悟で、アドルが強い調子でリュウナの肩を揺さぶった。揺さぶられるままになっているリュウナの口が、何かを求めるようにぱくぱくと動く。しかし声は聞かれなかった。

「くそっ! どうすりゃいいんだよ!」

 アドルは力任せに地下室の壁を殴りつけた。マリシュも、そしてザルクルーシュにも、何も言えなかった。二人にくるりと背を向けて、アドルは唇を噛み締めた。横たわるシャイラーンの足許に、静かに歩み寄った。悔しいやら切ないやらで、涙が溢れそうになる。

 どうしたらいい、シャイラーン――。

 アドルは心の底から、シャイラーンに助けを求めていた。知らずうちにシャイラーンの足許に縋るように、膝をついた。マリシュとザルクルーシュは視線を交わすと、そっと地下室を後にした。今のところ二人には、出来ることは何もないと感じたのだった。

 その隣には焦点の合わない視線を宙に漂わせたリュウナが、蝋人形のように無表情のままで自らの両膝を抱えて、椅子に座っていた。もうずっと、同じ姿のままだった――。

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