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一緒に行こう、あの雲の向こうへ  作者: おぐら あん


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11/23

5-3

 あと三日ほど後には首領のオアシス・レグレンに着く、と言うところまでやってきていた。五人は時に会話を弾ませながら、時には寡黙に淡々と旅路を急いだ。

「今日はあのサイリュの根元で野宿だな」

 砂漠に一番慣れているザルクルーシュが、いつしかそういう判断を下すようになっていた。それに異を唱える者はいない。初めのうちこそ素直に従うことを是としないマリシュだったが、ザルクルーシュの判断の確かさに、今では何も言わずに従うようになっていた。砂漠のあちこちでよく見かけていた木がサイリュと言う名だと言うことも、ザルクルーシュから教わった。

「大丈夫? 少し顔色が悪いみたいだけど?」

 フードを取り去ったマリシュをまじまじと見つめながら、リュウナがそっと首を傾げた。

「ええ、ちょっと疲れているだけよ」

 マリシュがそう応じると、ザルクルーシュが腰に提げた小さな袋から、硝子の小瓶を取り出した。

「ほらよ、オヒメサマ」

 ぽん、と小瓶を投げて寄越され、マリシュはそれを慌てて両手で受け止めた。

「何? これ」

 小瓶を透かすように見ながら、マリシュは眉をひそめた。

「一種の精力材。体力が落ちてるときには覿面さ」

「ふうん?」

 小瓶を弄びながらマリシュは首を傾げる。

「俺を信じないのか?」

「そういうことではなくってよ。ただ、ちょっと」

 リュウナ、アドル、シャイラーンは二人のやりとりを横目に着々と野営の準備を進めた。簡易テントを張り、サイリュの枯れ枝を集めて火をおこす。本格的な夜を目前に、砂漠の大気は急速に熱を失っていく。

「リーシュ。こっちで火に当たったら?」

 リュウナが声をかけると、マリシュは明らかにほっと表情を緩めた。

「あ。お前今、助かった、って思ったろ?」

「そんな訳ではないけれど」

「とりあえず一口でいいから飲んどけって。レギアの民に伝わる、いーい薬なんだからさ」

 ザルクルーシュは自分の乗っていたクポの荷を下ろすと、すべてのクポを集めて水と飼葉を与え始めた。マリシュはやや躊躇ったものの、思い切って栓を開けて小瓶の中身を口に含んだ。あまりの苦さに吐き出しそうになった瞬間を見透かしたように、ぱっとザルクルーシュが振り返る。

「吐くなよ。良薬口に苦し、だ」

 マリシュはなんだか悔しくなって、それを無理やり飲み込んだ。目じりに薄く浮かんだ涙を細い指で拭って、それからリュウナを呼ぶ。

「お水を頂戴」

「はいはい」

 リュウナは水筒を引き寄せると、軽い身のこなしでマリシュに駆け寄る。リュウナの手からもぎ取るように水筒を受け取って、マリシュは水を流し込んだ。それでも口の中の苦味はなかなか消えなかった。内心でうんざりしているところに、ザルクルーシュがやってくる。

「ほらよ」

 ザルクルーシュは乾燥させたクルナの果実をマリシュに差し出した。砂漠では保存用に乾燥させたさまざまな果実と出会ったが、クルナの実まで乾燥させてしまうことに、マリシュもリュウナも最初は驚いたものだった。クルナは水分を多く含んだみずみずしい果物で、喉によいとされている。よく冷やしてデザートとして食べたことが何度もあった。冷たい果汁は喉を潤し、爽やかな甘味とやさしい香りに、心までも潤うような気がしたものだ。それを乾燥させてしまうなんて、なんて物を知らない人たちなの――そう言ってマリシュは砂漠の習慣を鼻で笑ったが、実際に口にしてみると冷やして食べたことしかない自分たちの方が、物を知らないのだと悟った。甘味も香りもぐんと増し、疲れも吹き飛んでしまうようなおいしさだったのだ。

 マリシュは受け取ったクルナの実を口に含んで、それをゆっくりと味わった。甘味が口いっぱいに広がって、喉の奥がすうっとする。飲み下したときには、薬の苦味が嘘のように消えていた。

「……ありがとう」

 口の中でぽそりと呟くマリシュに、ザルクルーシュはにやりとした。

「おうよ」

 それから五人は簡単な食事をした。マリシュはどうも食が進まないようで、リュウナはマリシュの体力が落ちることを心配して、半ば強引に食事を取らせる。焚き火に照らされるマリシュの顔色は、さらに白く見えてリュウナは不安になった。

「早く休んだら? なんなら、トルシュハでも飲む?」

 マリシュは軽く手を上げてそれを断った。

「そう。ゆっくり休んで」

「そうさせていただくわ」

 マリシュの姿がテントに消えた。シャイラーンはほっと息をついて、リュウナに声をかけた。

「リュウナも早めに休んだら? 火の番なら、僕たちが交代でしているから」

「うん、そうだね」

 そうは答えたものの、リュウナはどこかうわの空だ。アドルがやや大げさにため息をついて見せる。

「あのなぁリュウナ。今からお前がそんなんでどうするんだよ? リーシュだって不安だし疲れてる。だけどお前は、そのリーシュを護るためにいるんだろ?」

 リュウナは頬を打たれ、目を覚ましたようにはっとしてアドルを見た。

「お前まで不安になってたら、リーシュはまたいらない気を遣うはめになるんだぜ? それって護衛失格じゃねぇの? お前らしくもない」

 アドルは言葉とは裏腹に、気楽な表情を見せている。それはアドル流の励ましの言葉だった。それがリュウナにも解っているから、情けないと思う以上にそうだ、自分がしっかりしなくちゃ、と言い聞かせるように頷いた。

「お前がうじうじしてるのなんて、らしくないからな」

「……そうだよね。うん、そうだ。あたしが頑張らなくちゃね」

「そうそう、その意気」

 笑うアドルに、リュウナも笑顔を返していた。それをシャイラーンは複雑な表情で見守ることしかできない。リュウナをこうして元気付けることができるアドルを羨ましく思い、自分の気持ちだけがむなしく空回りしているような苦い気分に襲われる。

「最初はオレが火の番をしてるからさ、お前たち、休めよ」

 ザルクルーシュが持っていた水筒の中身をあおりながら言った。



 はっきりとした時間は解らなかった。

 夜半に目を覚ましたリュウナは、静かに身を起こした。隣ではマリシュが安らかな寝息を立てている。今は誰が火の番に立っているのだろう。外套を羽織ってするりとテントを抜け出して、リュウナは焚き火に近付いた。

「なんだよ、寝てないのか?」

 眠そうな声で尋ねてきたのはアドルだった。少し風が吹いていた。砂混じりの風を避けるように外套の襟を掻き合せて、リュウナはアドルの隣に座った。

「代わるわ」

「いいよ。次はシャラに代わってもらうつもりだし」

 アドルとザルクルーシュが旅の仲間に加わってから、リュウナは火の番から解放されていた。それは三人がリュウナに気を遣ってのことだと言うことくらい、リュウナにも解っていた。はっきりとそう言う者はいなかったけれど。

「眠れないから、起きてる。それでもダメ?」

「辛いのはお前だぞ?」

「大丈夫よ」

 リュウナは答えて、じっと焚き火を見つめていた。アドルが脇に寄せてあった枯れ枝をくべて、火の勢いが少し強まる。

「ねぇ、アドル」

「何?」

 アドルは欠伸を噛み殺している。リュウナはアドルの横顔をじっと見て――それがもう、リュウナのよく知っていたアドルとは違ってしまったことに、少しだけ悲しみを覚える。

「……何でもない」

 リュウナはやっとそう言って、ただじっと蹲っている。アドルも特に何も言わず、黙って焚き火を見つめていた。時折思い出したように枝が爆ぜた。

「シャラとはうまくやってんの?」

 急にアドルが口を開いたので、リュウナはびくりとして身体を震わせた。

「……何だよ、そんなにびっくりすること聞いたか?」

 リュウナは軽く首を振る。アドルの質問の意図が掴めずにいると、アドルは燃える枝を軽くかき回してから、言った。

「シャラはさ、誰よりもお前を大事に思ってるんだから、そんなに一人で何でも背負い込もうとすんな? シャラ、きっと自分を責めてるぜ。ちっともオマエの力になってやれてないんじゃないか、って。あいつがいりゃ、何だってうまく行く。寄宿舎にいた頃から、そうだっただろ?」

 リュウナは素直に頷いていた。それでも――とリュウナは思う。それをそのまま、口にしていた。

「それでも、シャラにばっかり頼ってちゃいけないと、思わない? あたし、今までずうっとシャラに頼りっぱなしで、シャラのためになることなんて、ちっともしてこなかった気がするんだ。だけどシャラ、いつも笑って、大丈夫、心配しないで、って……。あたし、あたし、ね……」

 それきりリュウナは何も言えなくなった。俯いて膝を抱えるリュウナの背中を、アドルがばんと勢いよく叩いた。リュウナが顔を上げると、アドルは笑顔を浮かべていた。

「……アドル?」

「オマエ、頭悪いな、やっぱ」

「どういう意味よ?」

「男ってのはな、好きな女を護るために生きてるんだぜ? シャラはずっとそう言ってたよ。おれはシャラのその気持ちがすっげー強いって知ってるし、いざとなったらあいつ以上に頼れる男なんていない、って思ってる。オマエがシャラを信じてやらなくて、どうしてシャラが頑張れるって言うんだよ? 例えばさ――リーシュがオマエを頼らなくなったら、どうよ? 自分が護るって決めたのに、って思うだろうが。それと同じだよ」

 リュウナが目を上げたのを確かめてから、アドルはうん、と強く頷いて。

「だから、シャラには頼ってもいいんだって。もっと気楽に行きな。張り詰めた糸ほど簡単に切れちゃうんだからさ」

「……そうだね」

 リュウナが笑みを浮かべた。どこか力のない笑顔だったにしても、やっと笑ったリュウナに、アドルもほっと息をついた。

「まだ旅は終わっちゃないけど、きっと何もかもうまく行く。シャラにはそれが視えてるはずだ。だから、安心しろよ。それに砂漠にいるうちは、おれもザッシュもいるから。な?」

「うん」

 リュウナもほっとした表情を浮かべた。そうだ。あたしは一人じゃない。皆いてくれる。それに――マリシュを護らなくちゃ。

「うん」

 リュウナはもう一度強く頷いた。風が砂粒を運んで、リュウナの頬を叩く。それすらリュウナには、何かがリュウナを励ましているのだ、と感じた。



 まいったな――。

 シャイラーンはテントの隙間から、そっと外の様子を伺っていた。アドルと交代してテントに入ってきたザルクルーシュは深く寝入っている。そろそろアドルと交代しよう――そう思っていたのに、出て行く機会を失してしまった。火の傍に蹲るリュウナが、その姿のまま寝入ってしまっているのはシャイラーンにも解っていた。だからなおさら、シャイラーンは出て行けなかったのだ。

 リュウナは蹲り、アドルに身体を寄せていた。アドルは自分が包まっていた外套でリュウナの身体を一緒に包んでいる。そして――リュウナの立てる安らかな寝息。鳩尾の辺りでちりちりとくすぶる火種を飼い馴らすように、シャイラーンは二人をただ見ていることしかできなかった。

 シャイラーンはアドルが今なおリュウナに想いを寄せていることを、痛いほど感じていた。それに加えて二人には、シャイラーンには――いや、他の誰にさえも踏み込めない強い絆があって、それがただ幼馴染であるせいなのか、それ以上のものなのか、シャイラーンには判断できなかった。

 ふと脳裏を掠める不安の正体は、リュウナの気持ちが自分からアドルへ移ることへの恐れなのだろうか?

 シャイラーンは自問してみる。

 いや、それならそれも仕方のないこと、自分はリュウナの想いを最優先に考えられる自信があった。相手がアドルであるならばなおのこと。見知らぬ誰かに奪われるなら、いっそアドルが相手であれば、安心して任せられる。胸を張ってそう言えるほどに、シャイラーンはアドルを信頼している。だから、そんなことを不安に思ったりはしないのに――。

 このときほど、はっきりとした未来を視通せない自分の能力を忌まわしく思ったことはなかった。はっきり視えないくらいなら、何もかもが視えないほうが幸せだった。そのとき突然に目の前に映像が浮かんで、シャイラーンは無駄なことと解っていてきつく瞳を閉じることしかできなかった。それは闇に照らし出されたようにくっきりと鮮明に、シャイラーンの瞼を焼く。鳩尾にくすぶっていた火種が、大きな炎となって燃え上がる。小さく身体を縮こまらせて、必死にシャイラーンは炎と闘っていた。

 僕の愛しい、リュウナ。

 君が本当に求めているのは、僕だったんだろうか? それともそれは、僕の思い込みに過ぎなかったんだろうか? ねぇ、リュウナ。僕の愛しい、愛しいリュウナ。

 ――君は僕を、愛してくれているんだよね?

 それは確信だった。自分を愛するリュウナの姿を、視たことがあるのだから。リュウナが消え入るような小さな声で、愛を告げてくれたこともあるのだから。それでもシャイラーンは、この炎を消す術を持たない。

 嫉妬と言う名の、身を焼き滅ぼす炎を消す術を。

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