Phantom Lord
「行くあてがないなら、とりあえず一緒に来ないか?」
イングウェイの問いに、サクラは少し考えたあと、賛成した。向かうのはデイヴの店。
他に行き先も思いつかなかったこともあるが、デイヴがモンスターに襲われていないかも心配だった。
歩きだが、夜が明けるころにはたどり着けるだろう。
連れだって夜道を歩くうち、自然と二人の距離は狭まっていった。
「イングウェイという名に、心当たりはあるか?」
サクラは一言、いいえと答えた。続けて銃使いの友人のことを聞こうとすると、サクラは悲しそうに首を横に振った。
「記憶が、あいまいなんです。頭の中に霧でもかかっているように、思い出そうとしても思い出せない」
「そもそも、なぜドラゴンを追っていた?」
サクラは少し考え、語りだした。
「ダンジョンの中にいたんです。森の中の、洞窟のような場所。それが、最初の記憶です」
――若年性記憶喪失。イングウェイの脳裏に、一つの単語が浮かんだ。
ぞくりと、脊椎が凍った。
サクラはその様子に気付かず、続ける。
「周りには誰もおらず、手元にあったのはいくつかの装備品のみ。森の中を数日さ迷った私は、小さな村にたどり着きました」
「どんな村だ?」
「さびれた村ですよ、普通の。山の中で狩りをして生計をたて、たまにふもとの市場で生活に必要なものを買うような。ただ、ケガ人が多かった」
「……ドラゴンか?」
サクラは頷いた。
「ええ、最近住み着いたらしいです。若いドラゴンでしたし、はぐれかもしれません。お世話になったお礼に、ドラゴンの討伐を引き受けたんです」
「で、追いかけるうちにこんなところに迷い込んだ、と。――勝算はあったのか? レッドドラゴンはドラゴン系の中でも高レベルの奴が多い。電撃程度では足止めにしかならなかった可能性もあるぞ」
「大丈夫ですよ。ちゃんと勝ったじゃないですか」
サクラはにっこり笑って、胸を逸らした。
ああ、こういうところは彼女そっくりなのだ。
「イングウェイさんは、ここで何をして暮らしていたんです?」
「農家だ」
「ぷっ、ははっ、うっそだー! だってこの辺でまともな畑なんて見たことないですよ?」
「うそじゃねえよ、もう廃業しただけだ」
「いつです?」
「数時間前だ」
「……あー、そのー」
「気にするんじゃねえよ、どうせダイヴの合間にやってたようなもんだ」
「あ、そういえば、その『ダイヴ』って前にも聞きましたね。どんな魔法なんですか?」
無邪気なサクラの問いに、イングウェイはどう答えたものかわからなかった。
そのまま正直に説明してもわからないだろうが、そもそも答えるのか? 何と答える?
お前はダイヴの中の存在だと、そう言い放つのか? それとも――。
「なぜそんなことを聞く?」
「だって、聞いたことのない魔法ですから」
「魔法じゃねえ」
「それならそれで、ちゃんと説明してくれたらどうです? 私にも関係あるんでしょ? パーティーを組んでたんでしょ?」
違う。言いたいが、喉が動かない。頭に霧がかかる。
言ったら彼女が消え去るとでも? そんなバカなことがあるか。
「バカが大勢でクソマジメに作り上げた芝居小屋だ」
サクラがはたと足を止めた。イングウェイは振り返った。
目が合う。サクラは、イングウェイの瞳をじっと睨んでいた。その瞳の奥の言葉は、読み取れない。
「別の世界の記憶は、ないのか?」
「別の世界?」
サクラは聞き返した。きょとんとした表情で、さも当たり前のように言った。
「ありますよ、皆あるでしょう?」
何を言ってる? そうじゃねえ。
戸惑ったのは、イングウェイのほうだった。
「この世界が幻影だとでもいうのか?」
声が震えている。怯えているのだ。
「何を言っているんです? すべて幻影ですよ。全部。この世界も、アサルセニアも」
サクラがにたりと笑う。
先ほどまでの、少女のような笑みではない。
持ち上がった口角は徐々に裂けていき、耳近くまで届いた。
桜色の唇からのぞく口内には、びっしりと白く細かい歯がのぞく。
「自分だけがまともだと思っていたんですか? 私のことをどう思っていたんです? ――ダイヴできるから。干渉できるから。それがすべて、籠の中でもがいているだけと気付かずに」
「バカな、お前は……」
思わずリヴォルヴァーを構える。カタカタと肩が震え、照準は定まらない。
「ダイヴだダイヴだって、うるさいんですよあなたたちは。特別扱いなんて、ないんですから。幻影世界の王を気取るのも、ほどほどにしておいてもらえませんかねぇ?」
サクラがゆっくりと踏み出す。
一歩、また一歩。ゆっくりと、カタナを抜く。
「お祈りをしたらどうです? なんでしたっけ、ナウマンダーヴ? おもしろいですねぇ、きっと天国に行けますよ」
「やめろ」
「だめです」
「うそだ、こんな、やめてくれ」
生温い夜風が、吹き抜けた。




