キャスリー、お漏らしを何とか我慢する
俺とキャスリーは、夕方前にはレノンフィールドの屋敷に着いた。
魔法を使えばあっという間だ。
この世界に来て最初に世話になった屋敷だ。いわば俺の第三の生まれ故郷と言ってもいい。
客間に通された俺は、キャスリーとともにレノンフィールド侯を待つ。
キャスリーは明らかに怯えていた。
「なあ、そんな怖い人なのか? 一応はお前の父親だろう?」
「お父様は厳しいけれど、優しい方ですわ。話を聞かないタイプではないのですが、その、曲がったことは大嫌いな性格ですの。……学校を退学になったことを、どう思うか」
話していると、どかどかという大きな足音とともに、大柄な筋肉質の中年男性が入ってきた。
キャスリーはびくりと気を付けの姿勢を取ると、緊張したようにぷるぷると震えていた。
俺はゆったりと余裕を見せた態度で、一礼する。
「初めまして、レノンフィールド侯。私はイングウェイ・リヒテンシュタインと申します。先日は候のいない間にいろいろとお世話になりました」
「ああ、礼ならむしろ、こっちが言わねばならないところだ。わしはこのレノンフィールド領の領主、エドワード・レノンフィールド。大切な娘を、グラスハイドラから救ってくれたと聞いている。本当に、ありがとう」
エドワードは礼を言いながら、深々と頭を下げてくれた。一介の冒険者に過ぎない、この俺にだ。
「それにしても貴公もなかなかの腕だそうじゃないか。グラスハイドラを苦も無く追い払うとは。どうだ、キャシーのやつを嫁にせんか? 歓迎するぞ」
「お、お父様っ? いきなりなにをおっしゃるんですの!?」
俺は冷静に言った。
「ふっ、ご冗談を。それより、本題に入りたいのだが」
なるほど、言葉を交わしてみて、キャスリーが言っていた意味がよく分かった。
エドワードは質実剛健を地で行くタイプらしい。下手に取り繕うよりも、こちらも誠意をもって正直にぶつかれば、きっと応えてくれる。そんな気にさせてくれる、気持ちの良い人物だ。
「ううむ、本気なんじゃがのう。まあよいか。
今回の件は、簡単にだが事情は聞いている。キャスリー、決闘でどこぞのお嬢様を殺したらしいな」
エドワードがじろりとキャスリーを見た。
ひっ、とキャスリーが小さく声をあげたのが聞こえた。お漏らしの呪いが再発しなければいいのだが。
「あ、あの、ごごご、ごめんなさい、お父様っ!」
どもりつつも一息に謝ると、ばっと頭を下げる。
が、それに対するエドワードの反応は、意外なものだった。
ほわっと顔をほころばせると、笑みを浮かべてキャスリーに近づく。ばんばんとでかい右手でキャスリーの細い背中を叩きながら、激励したのだ。
「何を言っとる、正々堂々とした戦いで勝利したんだろう? しかも、腕を食わせて腹に一発ぶちこんだそうじゃないか。戦いは気迫じゃ、そうでなくてはいかん。だいたいあそこの家は前からむかついてたんじゃ。米や麦の相場がどうたらとか、芋の病気がどうだとか。金のことしか考えず、戦争のせの字もわかっとらん甘ちゃん貴族よ」
「え、……え? お父様?」
「ああ、もちろん亡くなったメアリー嬢には心から同情するがね。キャスリー、よく頑張ったな」
「うえーん、お父さまー。でも私、退学に。えぐっ、えぐっ」
緊張の糸が解けたのだろう、キャスリーはエドワードの胸に顔を埋め、ぼろぼろと泣き始めた。
優しくその背を撫でるエドワード。
ところで、とエドワードは俺を見ていった。
「君も単に娘を送り届けに来ただけではないのだろう?」
「ええ、この手紙を預かりました。おそらく、王から」
そうだ、むしろ本題はこちらなのだ。
エドワードは頷くと、未だ嗚咽が続くキャスリーを優しく離した。
「キャシー、お前は部屋で休んでいなさい。夕食は三人で食べよう」
「ぐずっ、はい、お父さま」
ばたり、と扉が閉まり、部屋は急に静かになる。
では、手紙を見せてもらおうか。
そう言ったエドワードの顔は引き締まり、辺境侯の領主へと戻っていた。




