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ブロークン


 明滅する次元のかなたに、王都アサルセニアの石造りの街並みが見える。覗き見るだけなら星の数ほど。訪れるのは数百年ぶり。


「そろそろね。すぐに道を開くから、待っててよ」


 ドロシーは走りながらぶつぶつと呪文を唱える。

 精神世界(アストラルスフィア)から覗き見える風景は、すれ違う次元の重なりだ。近くに見えたとしても、物理的につながっているわけではない。


「これでこの術を使うのも最後にしたいものね」

 ため息とともに、次元の壁が蕩けていく。

 ドロシーが唱えた紫の靄(パープルヘイズ)は、本来なら精神体にしか効果がない術だ。失敗とまでは言えなくとも、完成品とはとても言えない不完全な術。だが、最後までドロシーを助けてくれた。


 安堵したのもつかの間のこと。

 すぐに腹の底を持ち上げられるような咆哮が聞こえる。

 刺すような凍てつく空気が周囲を包み、樽のような腕が霧の向こうから飛び込んでくる。


「あ、やば」


 閉じたはずの扉は開かれたままになっていた。

 青白い巨大な塊。それが巨人の肩だと気づくまで、数秒かかった。

 バチバチと雷雲のような音を立て、空間がきしむ。強引に、腕力で隙間を広げようとしているのだ。


「ドロシー、急ぐぞ!」


 リーインベッツィが漆黒の翼を広げる。二人して靄の出口から飛び出す。

 出口はミスフィッツのホーム、レイチェル・ヘイムドッター医院の裏庭に通じている。



 ◇◇◇◇◇◇



「むー、遅いですねー。もう三日ですよ」


「しかたないにゃん、イングウェイが言うには、次元によって時間の流れが違うそうにゃん。待たせるかもしれないって、最初に言われてたにゃん」


「そうですけど、あまり待たされると、体も腐っちゃいますよ。魂が抜けてる間は、私の魔力で持たせるしかないんですから」


 暢気な話をしているところで、特徴的なパチパチと空気がはじける音がした。

 聞き覚えのある、パープルヘイズによる次元の隙間が開くときの音だ。


 靄が形を成す前に飛び出してきたのは、透けた体のドロシーとリーインベッツィだ。


「あー、リーインちゃん、おかえりなさいー! ドロシーさんも、ようこそー」


「おー、本当に戻ってきたにゃんか。……あれ、イングウェイは?」


 歓迎するミスフィッツの面々とは裏腹に、ドロシーたちは慌てていた。


「挨拶は後よ、すぐに怪物(モンスター)が追いかけてくる! 戦闘の準備を!」

「レイチェル、わしらの体をすぐに!」

 リーインベッツイはレイチェルの首根っこを掴むと、幼女らしからぬ腕力で(しかし吸血鬼らしい腕力で)そのまま奥へと走っていく。

「うええ、そんな急かさないでくださいよー。その右の部屋ですぅ、その隣!」


 残されたのは、サクラとフィッツ、そしてゾンビのマリア。

「せわしないなあ。なんかすごく慌ててたみたいだけど、何かあったの?」

「さあ? あ、マリアさん、麦の水割り持ってきましたよ」


「ありがとうサクラ。……あれ、ロックになってる?」


「え、そんなはずは。――って寒っ! なんですか、急に冬到来?」

 

「サクラ、マリア、下がるにゃん! あそこからにゃん!」


 フィッツが背中を丸め、威嚇の体勢を取る。最初に異変に気付いたのはフィッツだった。庭の空間の一角、先ほど靄がドロシーらを吐き出した場所が、縦に裂けていた。

 バリバリと金属を断ち切るような音が響いた。恐ろしい冷気が噴出している。


 サクラは直ぐに名刀モモフクを構え、マリアを後ろに下がらせる。

「マリアさんっ、下がって! すぐみんなに連絡を!」

「あ、う、うんっ!」


 ◇◇◇


「ドロシーさん、何なんですか、モンスターって?」

「私たちが次元を超えるのが気に入らないやつがいるってこと! 性格が悪い女神(ビッチ)の奴隷よ」


 ドロシーは手順を頭の中で再生する。

 新しい体に入り、インベントリから自分の体を取り戻し、入り直す。

 巨人(タイタン)はすぐ後ろまで迫っている。この世界へ入ってくるまで、間に合うかどうか。間に合ったとして、魔力の涸れ果てた体で戦えるのか。

 リーインベッツイは強いけれど、相手は魔法生物だ。相性は悪い。


 それでも、ミスフィッツのメンバーに比べれば、自分とリーインが相対するほうがよほどましだろう。


「早く助けに来てよ、イングウェイ」

 ぼそりとつぶやいて、頭を振る。


 何を甘えてる。アサルセニアに戻ろうとしたのは、他でもないドロシー自身だ。ならば、これは自分の戦いだ。


 ――ばたんっ!


 大きな音を立てて、レイチェルがドアを開けた。

「さあ、これですっ! これがイングウェイさんに頼まれていた、ドロシーさんの新しい体ですっ!」


「はあ? これって……」


 リーインベッツイの肉体の横で寝かされていたのは、他でもないイングウェイ・リヒテンシュタインだった。

「これって、もしかして、インギーの? 間違いじゃなくて?」

「ええ、インギーさんからはこの体を使うようにって言われてますよ。あ、リーインちゃんはこっちですね」

「わかっとるわ。……のうドロシー、もしかしてイングウェイは、こうなることをわかっておったのかの?」


「わかんないわ。次元魔法の調整は難しいから、魔術に長けている体を使わせようと思っただけなのかもしれないし」


 うお゛お゛お゛お゛おーん


 その時、遠くで本日三度目となる咆哮が聞こえた。地面が揺さぶられる。

 次元の壁が壊され(ブロークン)たのだ。

 もはや迷っている暇はない。


「使います? この体」

 レイチェルはほほ笑んだ。邪術使い(ネクロマンサー)特有の、影をたっぷり含んでいる笑い方だ。


「この期に及んで迷ってるなんて、私もバカよねえ」

 そういいながら、ドロシーは首を縦に振った。


「うふふ、じゃあ準備しますよ」


 レイチェルは二つの遺体にかけられた死体保存(モルグ)の術を解いていく。死療術(ネクロマンシー)の基本の術だ。


 ドロシーとリーインはすぐにそれぞれの体へと入る。


 ドロシーの魔力がイングウェイの体をめぐっていく。

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