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メンタル・イメージ


 城は荒れ果ててはいた。いつからこの様子だったかはわからない。

 かつては水平線が彼方に見えたほどの堀は跡形もなく、一面の砂漠と化していた。

 冷たい手で心臓を握りつぶされ続けられているようだった。もしかしてという気持ちはあったけれど、実際に目にすると、前もっての覚悟などあっさりと吹っ飛んだ。


 ここを訪れるのは、何年ぶりになるのだろう。

 ダイヴマシンも法律も、女神ですらここに入ることはできない。ここは彼女と俺だけの城だった。

 今も同じなのだろうか?

 やっと帰ってこれたものの、ずいぶん遠回りをしてしまった。記憶はとうに掠れていた。


「いいえ、記憶がなくなることはないわ」

 彼女の言葉が思い出される。たしか転生術について話した時のこと。

「かつて賢者ラグレスは、魂を『精神体から人格や記憶をはぎ取ったものだ』と定義づけたわ。でも、魂はそんなに儚いものじゃない」

 城壁を歩きながら、懐かしい彼女の講義を思い出した。記憶が魂に刻み付けられる限り、それを完全に奪い去ることはできない。例え女神にすら。ただし、消し去ることができなくても、上から塗りつぶすことはできる。


 俺は手遅れかもしれないという恐怖を振り払って、冷たい床に膝をついた。両手で石畳に触れる。ひどく冷たい床だった。まるで氷のように。

 術を唱えた。黄金色の魔法陣を展開する。拡大魔術(イクスパンドマジック)を併用し、石畳を超え、砂漠の上にまで広げていく。

 砂漠は、轟音とともに水で満たされた。精神干渉を防ぐための防壁を張ったのだ。


 ここは果たして城なのか、それとも独房なのか。せめて廃墟でないことを祈りながら、俺は重たい扉に手をかけた。


 分厚い扉を開けると、中は見慣れた研究室だった。ベッドの上で横たわる、一人の女性。

 ドロシーだ。

 俺は弾かれたように駆け寄り、呼吸を確かめた。肌に手を触れて温かみを感じ、ホッとするのもつかの間、意識がない彼女に必死に呼びかけた。

 見よう見まねで治癒呪文をかけていく。身体を癒すのはお手の物だったが、精神の治療となると、経験はなかった。それでも、藁にすがる思いで魔力を注ぎ込んだ。


「ドロシー、ドロシー、起きろ!」

「――んっ、う、あ…。 だ…、れ?」


「俺だ。イングウェイだ」


「イング、ウェイ? うそ……」


「うそじゃない。待たせて悪かったな。今、戻ってきた」

「本当に、イングウェイなの?」

「そうだ」

「助けに、きてくれたの?」

「ああ」


「信じて、いいの?」

「最善を尽くすといったはずだ」


 ドロシーは俺にしがみつくと、声をあげて泣いた。彼女の背にそっと腕を回し、永遠と思えるほどの長い間、抱きしめていた。

 ただ、時間は俺たちの敵だ。依然変わりなく。


 彼女がわずかにでも落ち着いたのを見て、俺は声をかける。


「ドロシー、俺は君の紫の靄(パープルヘイズ)を使ってここにきた。時間があまりあるとは思えない。立ち上がってくれ」


 ドロシーは小さく頷き、しっかりと両の脚で立つ。


「インベントリは出せるか?」

「ええ、たぶん。でも、お酒は飲み干してしまったわよ」

「かまわないさ。祝杯にはまだ、少しだけ早いからな」


 ドロシーは身をよじり、咳きこんでいるのかわからないような、乾いた笑い声をあげた。 


「数年ぶりに笑ったかもしれないわ」


 俺たちは、あらためてこれからのことを話し合った。

 話したいことは山ほどあるが、互いに、そんなことをしている場合ではないのを理解していた。


 俺は、すぐにでもこの古城を抜け出すべきだと提案した。ドロシーは少し考えて、首を横に振った。

「無理よ。今の私には、次元を渡るほどの魔力はないもの」

「そのためにインベントリを譲渡しただろう」

「そうね。そうだったわね。インベントリを手掛かりに、次元の裂け目を固定して、経路(パス)を通して。……そんな繊細な魔術は、今の私にはとても無理だけど」


「君ができなくても、俺がいる。代わりに扉を開くさ」

「どこに開くつもりなの? 私があなたを追えたのは、あなたの魂に私が魔力を混ぜたからよ」

 ドロシーの言うことは正しかった。酔っていないときと魔術に関することについては、なおのこと。

 精神世界(アストラルスフィア)を通しての移動と、直接の次元間での直接の移動とは別物だ。現状、アサルセニア側から新福岡(ニューフクオカ)へ直接つながる経路(パス)は存在していない。イングウェイがドロシーの元に来れたのは、あくまでも精神世界(アストラルスフィア)を経由したからだ。

「せめて精神体だけでも移動できないか? 道はわかる、アサルセニアまで連れていける」

「肉体も無しに、どうするのよ。精神体だけで長くもたないことくらい、わかってるでしょ?」


「じゃあ、俺は何のためにここに来たというんだ」

「最後に顔が見られたわ。抱きしめてももらえたし。それは十分に意味があることだと思うけど?」


 ドロシーは笑っていた。


「大丈夫よ、たぶん、死んでもまた転生できるんじゃないかな。なんとか少しでも近くに行けるように、がんばるからさ」


「しかし、それは……」


「だんだん寒くなってきたと思わない? もう、時間があまり残されていないのよ」


「死ぬのか?」

「いいえ、肉体的にはいたって健康よ。私が言っているのは、魔術的な死ね。せっかくお城の回りに海を作ってくれたのはいいけれど、長くはもたないわ。ここに来れるのも、よくてあと数回かしら」


 ドロシーの言う通り、気温が下がってきているのはわかっていた。明かりも消えかけ、薄暗くなってきている。

 それだけではない。俺の体が少しずつ透けてきていた。

「大丈夫、あなたの体に異常があるわけじゃないから。たぶん私の精神が負荷に耐え切れなくなって、あなたが弾かれようとしているだけだと思う」


「ドロシー、また来る。必ず君を、助けに――」


 瞬間、俺は足元から嫌な浮遊感に襲われた。

 周囲が暗いのか明るいのかもわからない。すぐに理解した。俺は、精神世界(アストラルスフィア)に放り出されたのだと。


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