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蜜月の終わり

 ドロシーが眠りに落ちたのを確認して、イングウェイは静かに外に出た。


 深夜なのに各々が好き勝手に満月の光を作り出す。そんなこの世界の夜が、イングウェイは気に入っていた。

 星が見えないと嘆く人々が多いと聞いたときも、いまいちピンとこなかった。六分儀を使うわけでもないのに、星が見えないことで何の問題が発生するのか、理解できなかった。


 さびれた裏路地を、ぶらぶらと歩く。


「うええぇぇ、おええ」

「おい兄ちゃん、金くれよ。金ぇ」

「誰あんた、あっちいきなよ」


 ドロシーが蛇蝎のごとく嫌っていた電脳中毒者(サイバネドランカー)たちも、イングウェイにとっては愛おしい存在だった。

 言い間違いではない、愛おしいのだ。

 ヘドロのようになりつつも力強く生きている者たちのしぶとさや狡猾さが、かつての自分を見ているようで。 


 新福岡(ニューフクオカ)の街並みは独特で、イングウェイの好奇心を大いに満たした。


 灰色の巨大なビルディングに、色とりどりのネオン。鳥の巣のように張り巡らされる電線。奇妙な文字が塗りつけられた看板はさっぱり読めなかったが、眺めるだけでも楽しかった。

 派手な色で人の目を引き寄せるくせに、近寄ると錆と汚れにまみれている。

 そんな泥臭さが気に入っていた。



 イングウェイは繁華街に出ると、ある雑居ビルの階段を上る。階段には吐きかけた酔っ払いがいたので、イングウェイは優しく踏みつけて歩いた。

 『アジアン・シュリンプ・ガーデン』と書かれた木製の看板があった。ドアを開けると、薄暗い店内の奥から年配の女性が出てきた。

「いらっしゃい、インギーちゃん。今日は一人なの?」

「ああ。一杯もらえるかい」

 ドロシーに教えられた、秘密の酒場だ。雑な注文でもお構いなし、酒があるだけでマシなのだ。


 女店主はショットと冷めたエビチリを出してきた。

「はいどうぞ。度数が高いだけがウリの機械油(マシンオイル)よ」

「ありがとう。君の料理があるから、多少はマシに飲めるよ」

 皮肉ではなく、本心だ。この地の独特な味付けが癖になっているのかもしれない。


「インギーちゃん、いつも優しいわねえ。ドロシーちゃんも幸せ者だわ」

 女店主は目を細めて、本当に嬉しそうに言った。

 カウンターに置いた腕は、シャイロックが困り果てそうなほどに、骨と皮しか残っていない。右腕に巻き付いた蛇の刺青(タトゥー)は、紋章術を仕様するときの文様にそっくりだった。

 イングウェイが最初に気付いてそれを指摘したとき、ドロシーは涙を流して笑った。「ずるい。私、ずっとそれを話す相手を探してたのに、先に言われちゃったわ」と。


 ドロシーは飢えていたのだった。そんな何でもないことですら、共有できる相手に。



 イングウェイは、ドロシーさえよければ、自分も首に”(ジャック)”を開けて、一生この街で暮らしてもかまわないとすら思っていた。

 だが、そんなことはありえない。


 彼女がアサルセニアという世界に心囚われていることは知っていた。そして何よりも、彼女は芯から魔術師であった。

 魔術師の本質は、抗うことだ。羽をもがれたままこの世界にとどまることを、彼女が選ぶはずはない。



 イングウェイが一人で飲みに来たのは、考えをまとめるためであり、覚悟を決めるためでもあった。

 彼女のためにこの身をささげることに躊躇はなかったが、それには保障が欲しかった。うまくいくという保証が。


 ぼんやりとした計画(プラン)は、すでにある。彼女にも話していない、彼だけの計画だ。


 転生する際、イングウェイの肉体はどうなった? ドロシーが転生するとき、彼女の肉体は?


 イングウェイの肉体はこの新福岡(ニューフクオカ)に確かに存在している。ではそれは前の肉体と同じものなのか? 違和感はないが、同じと断ずるには気になることがある。

 ドロシーの前世は病死だと聞いていた。しかし、今の体に病気の兆候はない。

 今の彼女の肉体は、新しいものなのか? 以前の彼女の亡骸は?


 確かめるすべはない。なぜなら、それはすべて別の次元のことだからだ。




 それから数度のダイヴを経て、イングウェイとドロシーは、ついに精神世界(アストラルスフィア)内でアサルセニアへ至る(ルート)を発見した。


 イングウェイは計画を実行に移す時が来たことを悟り、ため息をついた。


 難しい手順はない。ただ、いくつかの運は必要だ。

 そして、ドロシーの協力も。

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