FullMoon
二人はその後、いくつかのことを試し、確認した。
その中にはインベントリに関することもあった。
インベントリ本体は、厳密に言えば魔術によるものではない。
この世は多数の次元がすれ違いながら存在している。そんな偶然できた次元の隙間を、魔道具で固定して使用するのだ。そこから物を取り出すとき、次元の隙間を開くために、魔術が必要になる。
(次元の隙間を固定する魔道具の技術は、イングウェイの世界ではすでに失伝魔術とされていた)
現在の次元の枠外に踏み出すだけの『インベントリ』と違い、他の次元に侵入する『次元跳躍』には、隔絶された技術が必要になる。とはいえ、基本的には同系統の技術だ。つまり――、
「本当にいいの?」
「ああ、かまわない。君にはこれが必要なんだろう?」
「ありがとう。私が自分のインベントリを取り戻したら、必ず返すわ」
「気にするな。中身の酒も、自由に飲んでくれ」
いくつかの確認と契約を経て、イングウェイ・リヒテンシュタインの所有するインベントリは、ドロシー・オーランドゥに譲渡された。中身の酒とともに。
インベントリを管理する魔道具は、個人の魔力紋による厳格な個人鍵によって管理されている。使用者は常に一人。その貴重さから、普通は初めて会った他人に譲渡するなんてありえない。
イングウェイは理解したのだ。彼もまたこの世界に閉じ込められつつあることを。
彼は研究者ではないし、次元魔術についても専門ではない。ならば、彼女にゆだねるのが一番だと考えたのだ。
ダイヴから現実世界に戻った後、ドロシーは静かに泣いた。
「イングウェイ、あなたのおかげよ。私はまだ、最悪からは程遠いみたいだわ」
今度は希望の涙だった。あふれ出る感情を、どうしても自分のうちに収めきれなかった。
その言葉にイングウェイは素直に喜べなかった。
成り行きとはいえ、見知らぬ世界で常識すら学ばないうちに、世界の暗部から見ることになってしまったのだ。気分が良いわけがなかった。
それでも知らぬうちに彼女のような事態に陥るよりはマシなのだ。
結局この世界は彼女が最初に言った通りの、クソったれな地だということだ。
二人が安宿を出たときは、すでに空が白み始めていた。
「ずいぶん長居したわね」
「それだけの価値はあっただろう」
「ええ」
ドロシーはイングウェイの腕を、自身の双丘に挟み付けるようにして歩いた。
その明るい表情は、数時間前にすれ違った中毒者たちが見ても、とても同一人物とは気づかないだろう。
ふと見上げると、まだ暗い空に灰色の頭蓋骨が輝いていた。
イングウェイは、ドロシーを強く抱き寄せる。彼女は嬉しそうに応え、さらに体を絡みつかせた。
イングウェイはただ、温かい肉の感触を感じていたかったのだ。そうしないと、まるで自身の腕に大蛇が絡みついているような錯覚が抜けなかったから。




