Old Castle
イングウェイはグラスに残ったブランデーを飲み干した。
一人取り残された彼には、考える時間がある。
彼女は、自分に助けを求めた。ならば、彼女を信用するかどうかは、もはや問題にならない。行かない理由はなかった。
魔術師に必要な最低限の資格は、好奇心だ。しかし、生き残るにはそれ以上の警戒心が必要になる。燃え盛る家に飛び込む前に、頭からかぶるための水を探さなくてはいけない。
彼女は彼のことを、異物だと呼んだ。
実際に、彼の数十年の魔術師としての経験は、この世界においてむしろ邪魔にしかならなかった。
魔術師は魔術師なりの手順を尊重する。彼の師の教えは、今も心に刻まれている。即ち、「思考し、吟味し、実行しろ。ただし逃げ道は常に確保しておけ」だ。
彼は瞳を閉じ、『夢操り』の術を行使する。
意識をゆっくりと手放していく。
――しばらくの混濁を抜けると、彼は古城の入口に立っていた。
その時のイングウェイには知る由もないが、それはあの魔王城が再現されたものだった。ただ一つ違うのは、周囲を囲む一面の湖。それは魔術師ドロシーの築いた精神防壁が顕現したものだった。
その強固さにイングウェイは素直に驚き、彼女の魔術師としての腕に感心した。
仰々しい外見のわりに、中は簡素だった。石造りの長い廊下、突当りに木製の扉があるだけだ。
扉の中では、予想通りドロシーが待っていた。
「遅かったのね、待ってたのよ」
「すまない、そんなに待たせるつもりはなかったのだが」
「いいわ、警戒して当たり前だもの。それより、やっぱり来れたのね。ここに」
「君が道を開いてくれたからな」
望み通りになったというのに、ドロシーは浮かない顔をしていた。
考え込むドロシーの邪魔をしたくなくて、イングウェイは黙っていた。
石造りの頑丈そうな部屋だった。典型的な魔術師のそれだった。何冊もの本が所狭しとおかれており、テーブルもよくわからない研究器具で埋まっている。そしてそれらが皆、埃をかぶっている。
先ほどの安宿とさして変わらない程度にだらしなく、そして落ち着く部屋だった。
「ダイヴマシンは、精神世界に接続しているわ」
「君が言っていた、仮説ってやつか?」
「ええ、そうよ。私は魔術的要素をゼロにして、ここに来た。それなのにあなたが追いかけてここに来れた」
魔術や魔力の使用なしに精神に干渉できる技術があるなんて、イングウェイには信じ難かった。自身が今まさに証拠となっているというのに。
「何度も強制的に精神世界に接続された人間は、どうなると思う?」
冷たい雨に打たれた兎のように。ドロシーは肩を押さえ、細かく震えていた。
「肉体と精神の結びつきが弱くなる。端的に言うと、魔術の使用に問題が出るだろうな」
それはドロシーに対する死刑宣告だった。
巧妙な二段仕掛けの罠だ。
「ダイヴを経験するたびに、何かおかしいなって思ってた。ある時原因に気づいたの。魔力が、肉体にうまく定着しなくなったのよ。それに加えて、あの忌々しい”穴”よ。アレを体に埋め込んだことで、この世界とのつながりが強固になったの」
「しかし、君はまだ、魔術を使えるだろう?」
「まがい物の技術ならね。けれど、真の魔術とは呼べない。でもそんなことはいいの。私にとって一番大切なのは、次元跳躍ができなくなったこと。錆汚れたこの世界に、足枷でつながれたのよ」




