Commandment
話を急がないといけない。時間は彼女たちの敵だ、基本的には。
しかし、何の話からすればいい? 彼に理解してもらえるのか?
「酒とダイヴと、どっちの話からすればいいかしら」
「ダイヴだ。酒のことなら、少しは知ってる」
「オーケイ、ダーリン。すぐ見せるわ」
「見せる?」
ドロシーは枕元のくすんだ色のコンソールを操作した。音もなく(おそらくイカレちまってるだけだ)パネルの横のボックスが開く。中には太いコードが二本入っていた。
イングウェイは見たこともない材質のそれを、物珍しく手にとり、恭しく持ち上げた。
「そういうこと、間違っても他でしちゃだめよ」
「なぜ?」
「実験中のお猿さんと間違われるから」
くすくすと笑いながら、ドロシーは片方のコードを彼の手から優しく受け取る。
コードの先には、金属製の太いコネクタがついていた。
ドロシーは後ろ髪をかきあげ、艶っぽいうなじをあらわにする。
「恥ずかしいから、あまり見ないでね」
そういうと慣れた手つきでコネクタを、――首にある”穴”に差し込んだ。
「このあとは、パネルで操作するの」
「そうすると、どうなる?」
「夢を見せる道具よ、これは。脳に入り込み、記憶をいじる。思い通りの夢を見せるための機械。それだけじゃない、他人の夢同士をつなげることもできるの」
「夢を見せる? なるほど、なかなか面白い発想の魔道具だ。だが、害になるとも思えんな」
イングウェイは見よう見まねで、もう一本のコードを首の後ろに持っていく。
「やめて!!」
叫び声だった。ドロシーは叫ぶより前に、彼のしぐさを見た瞬間に、彼に飛び付くようにコードを奪い取った。
ベッドの上で絡みあっているというのに、ドロシーの顔には一抹の色気もない。どころか、おびえ切っているように見える。
イングウェイはその顔を知っている。被支配者の、または敗北者の、あるいは奴隷の見せる表情。
「落ち着け」
イングウェイは彼女の手首をぐっとつかみ、押さえつけた。ドロシーはいまだおびえた表情のまま繰り返す。
「…めんなさい、ごめんなさい、ごめんなさい。ごめんなさい」
彼女は錯乱しているわけではない。それくらいはわかる。彼女の精神は枯れ木なのだ。乾ききってやっとのことで形を保っているだけの枯れ木だ。
イングウェイはベッドから立ち上がると、ゆっくりと身体に魔力を巡らせた。
熱い酸のような血が、体全体をめぐっていく。
落ち着け。それは自身への言葉でもある。
場所や彼女は関係ない。俺は誰で、何者か。それが第一だ。
俺は魔術師だ、力も失っていない。
それを確かめてこそ、次へ行けるのだ。
「俺の名は、イングウェイ・リヒテンシュタイン。職業は戦闘魔術師だ。研究は専門ではないが、大抵の魔術理論なら頭に入っているつもりだ」
「……ええ、知っているわ」
「知っているだと? 覗き見ただけだろう?」
「…ごめんなさい、ごめんなさい、そんなつもりじゃないの、私だって必死で」
「すまない、責めるつもりで言ったわけでは無いんだ。ただ、覗き見た程度ではわからないこともある」
「え?」
イングウェイはさっと手を振ると、空間の隙間から酒瓶を取り出した。
ドロシーの目は猫のように大きく見開かれる。
「ふむ、転生したとしても、『インベントリ』は使えるようだな。この魔力の質、おおかたここは俺が以前いた世界とは別の次元のようだが、インベントリは共通している。つまり、」
「できる! 帰れるわ、アサルセニアへ! 次元魔法陣の転移先がずっと不明していたの、ここの座標がまずわからなくて、でも――」
イングウェイは優しく微笑み、ドロシーの頬へ手を触れる。
「落ち着けたようだな。まずは足元に落とした希望を拾い上げろ。君のことは知らないが、賢者であることはわかる。ゆっくり、教えてくれ。この世界のことを。まず、一番大切なことを言うんだ。君が一番俺に言いたかったのは」
たっぷりの沈黙。頭の中でミルクを落としたコーヒーのように、ぐるぐると念入りに文字をかきまぜた後で、ドロシーはようやく吐き出す。
「ジャックを、開けるな。ダイヴマシンを使うな。 それは不可逆な、取り返しのつかない変化よ」
「忠告をありがとう、ドロシー。だけど俺は、」
「――違う!」
ドロシーはしっかりと彼の目を見据えて、強く言い直す。
「忠告じゃないわ、『訓戒』よ」




