琥珀色の眠り
はるか昔、船乗りたちは、船に水の代わりに酒を積み込んだという。
長期の航海でも腐りにくいようにらしい。まさに生活の知恵と言えよう。
そしてその知恵は、今、俺たちに受け継がれている。
「酒とは、うまいものだ! そうは思わないか、フィッツよ!」
「いんぎー、お前、飲みすぎにゃん」
お前は飲まずに冒険をするというのか。
俺はこのメンバー選出の過ちに気付いてしまった。
それは、飲むメンバーが俺しかいないこと。
「ほらほら、イングウェイさん、肩を貸しますからしっかり歩きましょ」
剣士であるサクラ・チュルージョは、しっかりとした体幹で俺を支える。
支えてくれるのはいいが、肩どころか、過保護なくらい俺の体全体を支えてくる。歩きづらいことこの上なしだ。
「おい、そこまでしっかり支えなくても、歩けるぞ。俺は酔っていないからな」
「はいはい、いいから私にしっかり捕まってくださいねー」
「サクラ、顔がにやけすぎにゃん。」
「えー、そうですかー? うひひ。フィッツさん、あとで写真とってくださいね」
「しゃしん? ってなんだにゃん?」
「えー? なんでしょうねー。うへへー」
「おいサクラ、胸をそんなに押し付けるな。うっぷ、圧迫されて苦しい」
「えー、ごめんなさーい。そんなつもりないんだけどなー、こまっちゃうなー(棒)」
とそこに迫りくるはガリガリ色白女。
「ふひー、ふひー、はあ、はあ、ふー、ここまで逃げればー」
えらく息が上がっている。飲んだ後にこれだけ走ると、そろそろ吐くぞ。吐いている女など、敵ではない。
おっと、言い忘れていたが、ここはもう魔王城内。どうせ勇者パーティーの行く先はここなのだ。
寄り道などせず、まっすぐここへ向かった方が早いに決まっている。
どうでもいいが、こいつの服装はいただけないな。酒はいただくが。ぐびり。ごくり。
薄暗い廊下でもはっきり目立つ真っ白いローブ。目立ちすぎてモンスターに襲ってくれと言っているようなものだ。
どうせ冷気属性だからと、安直にコーディネートを決めたのだろう。
「おい貴様、ここで何をしている」
「ふぎゃあああっっ!
ガリガリ女は天井に頭をぶつけんばかりにとびあがった。とビアーがった。ビールっぽくなったということか。
うむうむ、いいことだ。うっぷ。
「なんだにゃあ、うるさい女だにゃあ」
「むむ、あなた、魔族ですね! さては魔王ー、ではなさそうですねえ」
サクラは蛆虫を見るような目で魔族の胸をみた。
女は胸元を抑えてのけぞった。
「ひいいっ!」
うむうむ、サクラもなかなか精神攻撃がうまくなったものだ。
「くっ、私は氷結のクマー。魔王ロック様の一番のしもべ!」
なんだか似たような名前のやつを倒した気がするが、酔った頭では覚えていない。
「で、その雷撃のボアーが何の用だ?」
「氷結のクマーだ! くそ、貴様もあの吸血鬼の仲間か?」
うん? なんのことだ。
「吸血鬼に知り合いなど――」
「ふひいいーー! きゅ、きゅうけつきー!」
氷結のクマーは突然俺の後ろにいる何かに気付くと、叫びながらどこかへ走って逃げていった。
振り返るとそこには、トマトのような瞳をした金髪の幼女。
「おおー、ひさしぶりじゃのう、インギー。あのあとどうなったかの? お、その子はサクラの嬢ちゃんか? いい顔しとるのう、良きかな良きかな。はっはっは」
幼女は俺の名を呼ぶと、親しげに手を振りながら近づいてきた。
待てよ、今こいつ、サクラの名前も呼ばなかったか?
「おいサクラ、お前の知り合いか?」
「いいえ、知りませんけど。……ねえお嬢ちゃん、あなたどこから来たの? ここは危ないよ。もんすたーががおーっ! ってくるんだよ。お姉ちゃんが一緒にいてあげるから、おうちに帰ろ?」
「サクラ、ばか、離れるにゃんっ! そいつ、人間じゃないにゃん!」
油断するサクラ(と酔っ払いの俺)を慌てて止めるフィッツ。
フィッツは鋼の鍛爪を出すと、俺たちの間に割り込み、身を丸めて戦闘態勢を取った。
ただならぬ様子に、俺も少し警戒する。
フィッツの背を見ていてすぐにわかった。
幼女に対して向けているのは明らかな殺意であるのに、フィッツが感じているのは、恐怖だ。
対する金髪幼女は、困惑の表情を浮かべていた。
「むー、猫娘よ、その爪をしまってくれんかのう? インギーの友達なら、仲良くしてほしいんじゃー」
「うっ、うるさいにゃん! 貴様なにものにゃん! いんぎー、サクラをつれて早くにげるにゃんっ!」
「逃げられるのも困るんじゃがのう。しょうがないの。ちょっと寝ててもらうか」
幼女は細く白い腕を前に伸ばし、フィッツに告げた。
『琥珀の眠り』
フィッツは大きくふらつき、倒れ込む。「い、いんぎい、にげ・・・」
「フィッツ!」「フィッツさん!」
「すまんの。しかし、あれに抵抗しようとするとは。この娘、思っていたよりずっと根性があるのう」
幼女の声から敵意は感じられず、むしろフィッツを本気で気遣っているようだった。
「敵ではないんだな?」
俺は確認した。
幼女は答えた。
「なんじゃ、覚えてないのか? 寂しいのう。わしの名は、リーインベッツィという吸血鬼じゃ。好きな酒はレッドアイ、血は少々ニガテじゃな」
「俺のことを知っているのか?」
「もちろんじゃ、おぬしの名はイングウェイ・リヒテンシュタインじゃろう。この城の主、ドロシー・オーランドゥのことも知っておるし、横にいるサクラ嬢ちゃんとも会ったことがあるぞ」
「ふえ? 私のことも知ってるんですかあ?」
隣で驚くサクラ。サクラは嘘をつけるような性格ではない。おそらく本当に知らないのだろう。
いや、記憶を操作されている可能性あるか。
「少し話を聞かせろ」
「ようやくその気になってくれたか。よしよし、なんでも話してやるぞ」
リーインベッツィと名乗る吸血鬼の目が、怪しく光った。
が、相変わらず敵意は感じられなかった。




