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第四話 出立

 一体何が起きたのか。

 その時のノアには何も分からなかった。ただ鮫を倒せたことは確かだ。そして突然海が陸になったことも。その理由について考える余裕は無かった。勢い良く鮫の身体を上り下りした疲れが、落ち着いたことで一気に出たのか、彼は倒れそうになった。自警団の団長は彼を支え、大丈夫かと声をかけた。ノアは「大丈夫です」というと、次にスージーの事を思い出した。「スージーは何処ですか!?大丈夫ですか!?」

 慌てるノアに、今度は逆に団長が答えた。「大丈夫だ。ほら、そこに。」彼が指す先には、元々あった池で元気にしているスージーの姿があった。ノアは彼女に駆け寄ると、ホッと一息ついて「よかった・・・」と呟いた。スージーは彼を心配するように吠えた。団長がノアの肩を持ち上げながらスージーに言った。「大丈夫、私が連れていく。」スージーは安心したような顔を見せた。それは団長にも何となく伝わった。


 団長にもたれ掛かりながらノアは家へ向かった。手には鮫を切り裂いた剣を持ったままだった。成し遂げたという達成感と、今一体何が起きているのかという疑念を抱えていた。だがとにかく疲れた。もう何も考えられないという様子で、彼はゆっくり歩いていった。それを支えながら団長は別の事を考えていた。この青年は今まで世界中の誰も成し遂げられなかったことを成し遂げた。何故だ。彼の視線はノアが持つ剣に向けられた。この剣の光によって鮫は薙ぎ払われた。剣のお陰で彼は勝てたのか?仮に自分が彼の立場だったとして、こんな剣一振りで立ち向かえただろうか。そんな事を考えると、自然とノアを支える手に力が入った。よくやった。言葉には出さなかったが、彼の心の中はその気持ちでいっぱいだった。

 家の近くに来ると、足音でも聞いたのか、イーザックがドアを開けて飛び出してきた。

「す、スイッチは押したぞ!!さ、鮫はどうした!?居なくなったか?!あの地響きはなんだ!?」

 まず落ち着けと団長は諭した。家の中にノアを連れ入れ、自室の布団で寝かせると、団長は事の次第をイーザックに説明した。

「そうか・・・あいつがやってくれたのか。あいつめ・・・大きくなったもんだ・・・。」

「ああ、立派な子だ、本当にな。」

「しかし、陸地が増えたってのは本当かい。」

「間違いない。港にいってみろ。漁師が大慌てしていると思うぞ。」

「ハハハ、まぁそうだろうねぇ。・・・なんでだろうね。」

「俺は知らん。ただあいつが鮫を倒してくれた直後だ。無関係とは思えん。」

 後で分かったことだが、漁師達にとっては笑い事ではなかった。だが今はそのような話ではなく、彼らの話は、ノアが持っていた剣と、イーザックが持っていた勾玉に移った。

「で、それなんだが。なんだそれは。」

「ああ、これかい。神話に伝えられた三種の神器だよ、間違いない。特にこれ、この勾玉ね。これがあったからこの島は守られていたんだ。」

 イーザックは確信していた。団長は半信半疑だったが、剣で鮫を倒した事を思い出すと、あながち否定出来ないとも思い、腕を組んで悩んでいた。

「どうしたね。」

「・・・いや、大地の復活に三種の神器、これだけの事が起きた現状、今後どうすれば扱えばいいのかと思ってな。」

 沈黙が場を制した。答えを出せるものは誰もいなかった。大地が本当に復活したならそれは何故なのか。そしてこれがもし神話の道具なのだとしたら、人が扱っていいものなのだろうか。二人とも悩んだが、結局結論は出なかった。明日島長も交えて考えよう、どちらかがそう言い、どちらかが肯定した。

 団長は自宅に戻っていった。イーザックはノアが寝ているのを確認してから、自分の部屋に戻り、同じように眠りについた。

 その晩、それ以上巨大な鮫が襲ってくることは無かった。


 翌日ノアが目を覚ますと、父の姿が無く、机の上には「島長のところに行ってくる」という書置きが残されていた。島長・・・今となってはこの場所を島と呼ぶべきか否か困るところではあるのだが、それはともかく、島長は島に残された住人の内もっとも年配だったことから半ば強制的に就かされた人だった。だが一旦引き受けた後は長らしく人々の相談に乗ったり決断を下したりといった所はしっかり行っていた。父も彼の事は信頼していたので、おそらくそれで今後の相談をしにいったのだろうと推測した。とりあえず自分も行った方がいいのでは無いかと考え、彼は着替えて外に出て、島長の家まで歩いていった。

 家は島の中央部にあったので、必然的に彼は島の様子を目の当たりにすることになった。島では大騒ぎが起きていた。海が山に変わっていた。それだけでなく、十年前に見た光景そのままとなっていた。中には十年前、目の前で鮫に食われた人が十年経過した姿で現れていたりもしていた。もちろん、十年前の事件はあまりに強烈で、記憶が定かでない者も多かったし、十年後の姿というのが分からない者も居たが、人々はあれに見覚えがある、お前はあの時のあいつではないか、等と口々に意見を交わし、再会を喜んだりと人それぞれの驚きを噛みしめていた。そんな島の人々にの目には、今までに無いほどの輝きが満ちていた。一方のノアはどちらかというと記憶が定かではなかった方なので、あまり感慨深いわけではなかったが、ひとまず昨日の出来事は夢ではなかった事と、人々が喜んでいることに対し、何となく自分も喜びを感じていた。


 島長のところに着いたノアは、父と自警団団長にちょうどいいとばかりに呼ばれ、事の次第の説明を促された。それに従いノアは一通り自分がやったことを説明すると、島長はなるほどと肯き言った。

「お前もこの道中色々聞いていると思う。もう島というのが正しいのかはわからないが、今朝から陸地が増えている。陸地が増える契機となったその地響きが、お前があの巨大鮫を倒したのと同時だということを考えれば、これらは何か繋がっていると考えるのが必然というものだろうな。」

「つまり巨大鮫が大地に変わったということですか?」イーザックは尋ねた。

「僕もそう思います。巨大鮫が溶けてから地響きが鳴って、海が消えたのを見ました。正直自分でも信じられませんが、そうとしか思えません。」ノアは言った。

「・・・うーん、だとすると・・・」

 イーザックが考えこみだしたので団長は尋ねた。「何か思い当たる節でも?」

「いや、もしかするとだけど、あの鮫が食った大地が元に戻ったのかなって。」

「あの鮫が食った大地が?」

「十年前に出てきた巨大鮫、確か八体だったと思うが、その内の一体が昨日の巨大鮫で、そいつがこの島の周りの大地を食っていたんじゃないか?」

 団長が察して続けた。

「なるほど、それで昨日ノアがそいつを倒したことで、そいつが食った大地が吐き出されて元に戻ったのか?」

「おお、そう考えると辻褄が合う!!」島長は合点がいったと言わんばかりに手を打った。

 ノアは大人たちの考えには付いていけないと思ったが、そもそも大地を食べる鮫という存在自体、生物学上おかしいのであって、何が起きても不思議じゃない。まぁきっとそういうことなんだろうと自分に言い聞かせることにした。


 大地の復活については一応の結論が出た。次の議題は、三種の神機の扱いについてだった。

「さて、こいつらをどうすべきか、だな。」

「私はこのままにしておくべきだと思う。少なくとも勾玉は残しておきたい。また鮫が出たら困る。」団長は自警団の立場として言った。

「いや、そもそも範囲が狭すぎる。勾玉を中心に据えたとしても、また同じように島暮らしに戻るだけだ。」イーザックが答えると団長は聞いた。「じゃあどうする?」イーザックには答えが無かったが、代わりにノアが答えた。

「僕が持っていてはダメですか?」

 イーザックは下を向いて黙った。ノアが何を考えているかが大体理解出来たからだ。そして、自分もそれを考えていたからこそ、二の句を告げることが出来なかった。それは彼に大きな負担を強いることが目に見えていたからだ。

「・・・持ってどうする?」

 団長もある程度察していたが、本人から聞くべきだと思い、尋ねた。

「僕が・・・他の鮫を探して退治してきます。スージーと一緒に。」

「無茶だ。」イーザックが言った。

「大丈夫だよ。昨日だって出来たし、スージーと一緒なら海でも自由に動けるし。」

「しかし・・・昨日はもう他に考えられなかったからで・・・お前じゃなくてもいいじゃないか・・・」

「いや、彼の言う通りかもしれん。」団長が言った。その手にはいつの間にか剣があった。

「え?」イーザックが問うと、団長は黙って剣のスイッチを押した。安全装置を外しているにも関わらず、剣は反応しなかった。

「ノア。」団長が剣をノアに差し出す。ノアが持ってスイッチを押すと、剣は先ほどとは異なり動き出した。

「・・・。」

「理由は分からん。最初に抜いたものに反応するのかもしれんし、あるいは何かに選ばれた者だけが使えるのかもしれん。だが間違いなくこの剣はノアにしか使えない。であれば、ノアの言う通りにした方が良いのかもしれん。」

「ウチの息子に世界の運命託せっていうのか?」イーザックは怒鳴った。だが団長には、その怒りは自分に向けたものでは無いように感じられた。

 少々の沈黙の後、島長が口を開いた。

「イーザック、お前も、薄々それしかないとは気付いているんだろう?だからそれを否定できないから怒っているんだろう?違うか?」

 イーザックは黙ったままだったが、それが肯定を意味していることはその場の人間には理解出来た。

「・・・ノア。」

「はい。」

「すまんが、行ってくれるか?」

「・・・はい!!」彼は元気よく答えた。


 次の日、村に残されていたトラックを借りたノアとイーザックは、ビニールプールとスージーを乗せ近くの海辺へ向かった。後ろには団長や島長、話を聞いて見送りに来た島民が付いてきていた。

 海辺に付くと、彼らはスージーを下ろし、そしてノアに三種の神器の内、勾玉と剣を渡した。鏡は何でも「用途が分からないから研究する」とのことで、イーザックが預かることになった。勾玉を持っていくことについてはノアは反対したが、団長が「お前の身さえ守れれば、例え奴らが来てもまた助けてもらえるだろう?」と軽く冗談めいて無理やり渡してきた。渡した後に彼は言った。「・・・重い物を背負わせるようで済まない。だが我々では何も出来ない、お前しか頼れる者がいないんだ。・・・すまん。」そうして深々と頭を下げた。

 ノアは言った。「気にしないで下さい。自分でやりたいと思ったから言ったんです。・・・昨日、あの鮫を倒して、今日みんなが喜ぶ顔を見て、自分も嬉しかったんです。自分がみんなの役に立ててるんだって。だから、団長さんには、島のみんなをお願いします。」そういって自分も頭を下げると、ノアは剣と勾玉、それとノアとスージーの食糧を入れたリュックを背負うと、スージーの元へ向かった。

 スージーは2日ぶりの海水に少し喜んでいるようだった。ノアの顔を見ると更にその喜びが増したように見えた。

「スージー。」

 ノアは彼女に話しかけた。

「一昨日はありがとう。お前のお陰で、あの鮫を倒すことが出来たよ。」

 スージーは少し照れたように吠えた。

「それでね、これから僕は、他のあの巨大鮫を倒す旅に出たいと思うんだ。」

 スージーはじっと彼の顔を見た。覚悟を読み取るような眼をしていた。

「・・・大変な旅になると思うし、そもそもまた君に乗せていってもらうことになる。君にすごく負担をかけてしまうことになるだろう。それでも・・・それでも、一緒に行ってくれないかい?」

 スージーは彼の決心が固いことを読み取ると、分かったと肯定するかのように吠えた後、そして背中を見せた。一昨日も見せた、いつもの『背中に乗れ』の合図だ。

「・・・ありがとう、スージー。」

 ノアは彼女に跨り、海へと出ようとした。振り返り海辺を見ると、父親が涙を流しながら手を振っていた。他の島民や島長達も口々に励ましの言葉を叫んでいた。彼はそれらに手を振って答えると、外海へと向かっていった。

 一人と一匹の、当ての無い、鮫退治の旅が始まった。

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