理解不可能
「………世界の果て?」
ゆっくりと聞き返す俺にアロナは頷く。クレイもこの事は初めて聞かされたようで、非常に驚いていることが目にとってわかる。
アロナは近くに落ちていた手頃な木の棒を拾うと、それで地面に四角を描く。
「世界の果てが指す意味は正直分かりません。海の事なのか、海の外なのか、それとも世界の行く末なのか……」
「海……?海なんて船を使えばすぐ……」
海。海とは、世界の七割を占める大きな水たまりのことだ。いや、それは前の世界の事だろう。この世界における海とはまた別の物かもしれない。
しかし世界の果てという単語が出て来た後に海が出てくるのにはとても違和感がある。海の向こうには陸が広がっていて、その先を行けばいつかは元の場所に戻る筈だ。
そういえば昔、天動説なるものを学校で習った事がある。それによると海の向こうは滝になっているので、そういう事なのかもしれない。
「ぐっ……!?」
突如激しい頭痛に見舞われる。何かとても大切なような、そうでも無いような事を思い出しそうになり……
隣にいたクレイに正気に戻される。
「大丈夫?」
「あ、ああ。大丈夫だ。……何か大切な事があったような気がするんだけど……まあいいか」
思い返してみたらそこまで大切でも無い気がする。本当に大切な事なら思い出した瞬間に言えばいい。
そんなことよりも、今は目の前にいるアロナだ。
今アロナは、恐らく初めて人に夢を話して、不安に思っている筈だ。それなら今にもきちんと返事をしなくてはならない。
事実不安そうにこちらをみているアロナの顔を俺はしっかりと見据え、にっと笑うようにして手を差し出す。
「世界の果てを目指す旅、俺は気に入ったよ。行こうぜ、一緒に!」
「……!はい!」
そして、もう一人。
「クレイ、お前はどう――」
お前はどうする?俺たちの旅に一緒に来るか?
そう言って振り向いた瞬間俺の目に、仰け反り地面に崩れ落ちるクレイの姿が見えた。
「………は?」
状況が飲み込めず、固まってしまう。何が起こった?今クレイの腕から出ている赤い液体はなんだ?
血か?
それが血だと認識した瞬間、俺の中に恐ろしい程の勢いで恐怖が渦巻き始める。血だ。血が流れている。
ヤバい。少なくとも今の状況が相当やばいということをすぐに確認して、俺とアロナはクレイを抱えて大声で話しかける。
「おい、大丈夫か!何があった!?この状況は一体どういうことだ!?」
「クレイ、クレイ!腕から血が……どうなって……!」
「………まさかこんなに早く来るなんて。それに見境なし……か」
そう言うとクレイはその体を起こす。動けるのなら逃げられる。そう思ったのだが――
「……どうなってんだよ、その腕」
血の出ていた腕からの出血はすでに止まっていた。しかし止血したわけでは無い。
クレイの腕は細く骨の形が見えるほど痩せこけ、まるでミイラのようになってしまっていたのだ。
「アロナ、ハルオ。二人とも、その恐竜に乗って」
「え、クレイ、何を……」
「いいから早く!その恐竜で逃げるから!」
クレイに急かされ、俺が前に乗る形で恐竜に乗る。恐竜も俺たちが乗ることを悟ったのか、しゃがんで乗りやすくする。
「クレイ、お前も早く!」
「……うん」
俺達が乗りながらそう言うと、クレイは小走りでこちらに近づいて来る。
そして乗り切ると、突然恐竜が立ち上がった。
目線の高さはおよそ二メートル。予想以上に高い。
「ちょ、ちょっと!しゃがんでください!クレイがまだ乗ってませんよ!」
アロナが必死にそう言ってペシペシと叩いている。俺もどうにかしてしゃがませようとするが、恐竜は言うことを全く聞かない。
一体なんだと言うのだ。クレイが乗らなければ逃げる事も出来ないのだ。
仕方がないので俺はクレイに手を伸ばして、登って来るように促す。アロナも同じように手を伸ばすので、二人に捕まればなんとか登れる筈だ。
クレイが二人の手を握るので、それを引っ張り上げようとして――
「ごめん、二人とも」
「え?何を……」
「『束縛』」
クレイが呟いた瞬間、いつの間にか握っていた縄がシュルシュルと巻き付き、恐竜に固定される。
束縛スキル!?なんで今……!
「クレイ、いい加減にしろ!早く乗れ、何かが近づいてきてる!」
限度を超えた俺はクレイに怒鳴りつける。事実すぐそこまでガサガサと草木を押し退けて何かが近づいている音が来ているのだ。
しかしそれでもクレイは動かない。
「クレイ……!」
「ごめん。ごめんね。いつかきっと話すから。またいつか会えた時に、必ず」
そう言ってクレイは恐竜を撫でる。
やめろ、やめろよそういうことを言うのは。なんなんだ、そのまるで今生の別れの様な物言いは。
なんでだ、どうしてこうなる。なんで乗らないんだよ。乗ってくれよ、頼むから……!
「お願い、ハグハグ。走って」
クレイが恐竜にそう言った次の瞬間には、クレイが既に遠くにいた。
「クレイーーーー!!」
「クレイ!!」
俺とアロナが必死に叫ぶと、クレイも大きな声で、しかし既に遠くの小さな声で叫んだ。
「逃げて!逃げて、逃げて、逃げ続けて!!きっといつか会えるから………」
聞こえたのはそこまでで、残りは全ては風と草木の音にかき消された。
「へえ、女の子か。こんな森の中で何してたんだ?」
黒い仮面を被り、黒いマントを羽織った全身黒装束の男性がクレイに話し掛ける。その話し方はあやす様なイメージと、傷物を触る様なイメージを内包させた。
手には杖の様なものを持っており、先端には丸い大きな宝石がついている。支柱の部分には二本の飛び出した形の棒とトリガーらしきものがあり、知識あるものが見れば、それはある種の銃にも見えただろう。
クレイが何も答えないまま睨んでいると、男はバツが悪そうに頭を搔く。
「ん〜……その腕、サンドガン食らっちゃったみたいね。狙撃班かな?あいつら普段は全く仕事できねえくせに、こう言う時だけちゃんとしやがって」
言いながら男は森の方を見る。おそらくそちらに狙撃班がいるのだろう。
仮面をカリカリと引っかきながら、気だるげにクレイを見てトリガーに指をかけながら杖の下の部分を突きつける。
「……まあ、そう言う指令だから。あんまり恨んだりしないでよね。俺、別に人殺しが好きな殺人鬼ってわけじゃないんだから」
クレイはゆっくりと目を閉じる。それはまるで諦めた様にも見える。
男はごめんね、と呟き、トリガーを引こうとして――
「火炎の渦!」
「うおっ!?」
目の前に火の渦が現れ、男を飲み込む。
クレイが火の渦が飛んできた方向をみると、そこにはリィナがいた。
「な、なんで……!?」
目を見開き驚いているクレイの腕をリィナが掴み起き上がらせる。
「なんでか……まあ一応まだ私の生徒だからね」
「私はもうあなたの生徒ではない。助けられる義理もないし、助ける義理もない」
「だったらなんで君はこの一ヶ月強、あいつらと生活してたんだい?」
「……!」
図星を突かれ、クレイはピクリと反応する。それを見てリィナは少し微笑み、私も一緒だよと呟いた。
ずん、と言う音が後ろから聞こえ、二人はそちらを向く。そこには大岩を地面に落とし渦から抜け出した男がいた。
「トルネードとモアファイアーね……古典的だけど結構効くんだよねこれ。……許さないよ」
先程とは打って変わり、パキパキと指を鳴らすそのさまはまさしく怒っている様子だ。
先程の長い杖ではなく短めの杖を構える。こちらは支柱に付いている棒は一つのみで、いわゆる小銃の様にも見える。
二人も同じく構える。
「モアロックで自重を増やして抜け出したってことかい。頭が回る分なかなか厄介だな。例の力はもう使ったのかな?」
「………」
「ま、いいさ。さあ行くよ!」
「今は一時的に協定を結ぶだけだから!」
二人は駆け出し、戦いが始まった。
その後、この二人は行方不明となっている。
「はっ……!はっ……!うおっ!?」
「ハルオっ!大丈夫ですか!?」
地面に叩きつけられる様に落ちる。なぜバランスを取らなかったのかと言うと、それはたった今束縛状態が突然解除された為である。
アロナはなんとかバランスを保った様で、恐竜の上になんとか安定していた。
「あだ、あだだだだ……あのスピードで地面に叩きつけられたらどうしようもないな……」
「結構傷が深いですね……できれば病院に行って回復魔法をかけてもらいたいところなのですが……」
幸い骨は折れていない様だ。身体中に擦り傷があり、一部は皮がめくれているが、耐えられないほどではない。
アロナが見るのは村があった方向だ。アロナが語尾を濁したのは当然、村には戻れないと言う意味を込めてのことだろう。
「ろくな説明も準備もなく送り出しやがって……しかも最後は様子がおかしかったぞ?」
「確かに、あんなクレイは見たことがありません。いつだって嘘はつかなかったのに……ごめんって、一体どう言う意味が……」
「……考えたって仕方ないな。もう戻れないんだ」
そこまで言い、ふと俺は疑問に抱いたことを思い出す。
「そういえばお前、なんで授業中に単独行動なんてしたんだ?」
「え?」
えってなんだよ、えって。
「クレイには課外授業中に突然いなくなったって聞いたけど」
「……? 私は馬車に乗って待機していろと、リィナ先生に言われただけですが……」
おかしい。意見が食い違っている。
しかしこの場合、アロナが言っていることの方が正しいのだろう。
つまり結論としてはこうだ。
「……クレイはなんで嘘なんか吐いたんだ?」
「………分かりません」
アロナが分からないのなら、俺にも分からないだろう。
考えるのをやめ、俺は恐竜に再度乗る。
「とりあえず、人のいるところに行きたいな。アロナは地図とかそう言うのは……」
「いえ……」
そうか、と呟いて周りを見る。
こう言う時に川でもあれば良いのだが、あいにく周りは荒野だ。右手には断崖絶壁があり、見通せる距離も短い。
「……とりあえず走らせるしかない、か。恐竜、走ってくれ」
「ギィーッ!」
恐竜の顔を覗き込むと、恐竜は大きな声で鳴いて走り始める。先程までは縛られていてよく分からなかったが、きちんと座って見るとなかなかどうしてとても速い。
時々浮く様な感覚が混ざりひやっとするが、それでも乗り心地は良い。
「……ハルオ、後ろから何か来ます!!」
アロナの言葉に振り向くと、そこには黒い点が二つ浮いていた。距離と揺れのせいで確認しにくいが、あれはもしかして……
「人か?」
人が空を飛んでいるのだろうか。いや、魔法がある世界なのでそれはありえるかもしれない。
だとしたらなぜ今飛んでいるのか、そしてなぜ後ろにいるのかだ。
それの答えは明白で――
「……走れえっ!!」
アレは俺たちを追って来た、クレイの腕をミイラにした奴らに違いない。恐らくクレイしかいなかったので追って来たのだろう。
だとするならもっと速く走って逃げなければいけない。クレイが命がけで何かから逃がしてくれたのだから、俺たちはそれに報いるべきだ。
俺の掛け声と同時に、恐竜のスピードが増す。それでも黒い点は着々と近づいて来ており、それが人だと確信するのにも時間はいらなかった。
「ええと、ええと、どうしたら……」
混乱しているアロナの声を流し聞きしながら、俺は焦って行く。
だめだこれでは。もっと、もっともっと、もっと速く逃げないと――
一瞬何かが触れた様な気がして後ろを見ると、そこには既に黒い装束の人間はいなくなっていた。
それから結構な時間が経った気がする。何時間かだろうか。日は超えているだろうか。
人の気配はさっぱり無く、俺たち二人と一匹はかれこれ相当な時間無駄に歩いている様な気がする。
俺たちは恐竜の負担を抑えるためにいつしか歩き出し、少しずつ疲労を貯めていった。
そして――
「うっ……」
「アロナ……!?うお……」
アロナが倒れかける。崩れ落ちる様に倒れたのをギリギリ支えたところで、俺の足からも力が抜けて地面に倒れる。
二人して地面に伏してしまう。辺りはかなり暗く、なんの準備もなしによるを越えようとしたら野生動物に殺されるかもしれない。
それでも全く体は動く気がせず、少しずつ地面と一体化している様な感覚が流れてくる。
「………」
意識が落ちる直前。俺は頭上に誰かが立っている様な気配を感じ、上をみようとした。
その瞬間意識が飛んだ。
次に目覚めたのは、硬い布団の上でだった。
今回で第1章が終わりです。次回第二賞をお楽しみに。