二つの告白
「………ハルオ」
硬直している体をクレイにつつかれ、ようやく意識が戻る。失神していたわけではないが、頭が真っ白になっていた。
頰や背中に嫌な汗を感じながら、クレイに問いかける。
「……アロナは今どこに……いや、なんでいなくなって……いや、危険なのか……?」
混乱が激しく、頭がうまく動かない。ようやくしぼり出せそうな思考も、緊張のためか唇も震えて言葉にならない。
荒くなった息を落ち着かせ、いつの間にか冷や汗でいっぱいになっていた額を拭いて深呼吸をする。
クレイは俺が混乱していることを悟りながらも、焦ったように説明を始める。
「学校の課外授業で、森の中で植物観察するというものがあった。その時にアロナがいなくなって、それで慌ててここに来た」
「……事情はわかった。衛兵は呼んだのか?」
俺の問いにクレイは首を振る。
「なんでだ?森に入ったのなら衛兵を呼んで捜索させるべきじゃないのか」
「……たった今衛兵は全員遠征に出ている。私も呼びに行ったが、誰もいなかった」
そんな事があるのだろうか。普通、見張りに何人かはおく物ではないのか。
異世界の事情なんて物は知らないが、この世界の人間は頭が回っていないのかもしれない。それなら衛兵がいないことにも頷ける。
衛兵が村にいないとなると、今度は自分たちで探すしかない。クレイ曰くリィナは子供を学校の敷地内に誘導しているようなので、リィナの加勢は期待できないだろう。
「一旦家に戻って、即席で捜索の準備をするぞ!」
「もう用意してある。早く行こう」
準備が良すぎる。
許可もなく男の部屋に入るなと突っ込みたくなったが、よく考えたら自分は以前まで女の部屋で寝ていたので文句は言えないだろう。
クレイが持ってきた武器防具と小物をしっかり確認し、装備する。リベルブレードもきちんとあった。
振り向き、スタジオに向かう。
「おっちゃん、悪い。今日はここまでにしてくれ!」
「あ、ああ。分かった!俺は行ったほうがいいか!?」
スタジオがそう聞くと、横にいたクレイが首を振る。確かに迷惑をかけるのはごめんだが、スタジオがいたほうが戦力は上がるはずだ。
とは言え、クレイの決めた事なので文句はあまり言えない。こくりと頷き、俺たちは走り出した。
「それで、どの辺りにアロナがいるんだ?」
「ここから南東。走ればすぐ着く距離でいなくなった」
クレイが先導する方向に走りながら着いて行く。妙に騒がしく人が慌ただしく動き回る商店街を駆けながら、俺は一つ疑問に思う事があった。
何故アロナは単独行動などしたのだろうか。あいつはそう言う事はあまりしないタイプのはずだ。だとしたら、何か理由があったのかもしれない。
そう言えば祭りの日、クレイも俺たちの前からいなくなって単独行動を……
「ハルオ、こっち!」
はっと、自分がいつの間にかクレイを追い越して走っていたことに気付く。
「わ、悪い。少し頭に血が上ってたみたいだ」
すぐにクレイの元へ向かう。
焦りすぎてはだめだ。冷静でいなければならない。そうでなければ、先日のようにまた人を傷つけることになる。
「……冷静になったよ。俺、あいつときちんと話す」
深く吸った空気を一度吐き出し、目の端にクレイが映る程度顔を曲げながらそう言うと、クレイは少し驚いた顔をする。そして、うっすらと微笑む。
「うん」
「漫画とかにもよくある、もう二度と会えないみたいな展開は俺、大嫌いなんだ。それに……」
それに、俺のせいで傷ついたままで、と言おうとして、ふと気付く。
あいつは迷惑をかけたくない、そういう考えで今までコソコソと生きてきた。しかし、そう。今俺が考えていることも全部、あいつを傷つけてしまうのを怖がっているのだ。
同じだ。俺とあいつは同じなんだ。自分のせいで他人に迷惑がかかるのが我慢ならないのだ。
そのことに気づき、雷に撃たれたように感じる。
「……だったら、絶対に助けないとな」
「……?うん」
クレイは理解していないようだったが、それでいい。これに関しては俺一人が理解できていれば良いのだ。
「そこの角!」
クレイが指差す角を曲がる。
すると突然クレイが止まり、俺はぶつかりそうになるところで避けて転びそうになる。
なんとか体勢を持ち直して前をみると、そこには――
「……何もないぞ。もしかして間違えたのか?」
「……そんな、はずが……」
呆然としているクレイを見つつ、俺は周りを確認する。ここは確か厩戸だったはずだ。何故こんなところに連れてきたのだろう。
疑問に思っていると、クレイが下を向く。すると突然、クレイが勢い良く走り出した。
「お、おい!?」
「こっち!」
ハルオが5W1Hで疑問を投じる前に、クレイはいつの間にか先へ進んでいる。仕方なくハルオも追いかけていく。
一体何が起こっているのか。アロナは森で居なくなっただけなはずで、厩戸に寄る必要は無い。しかも厩戸にはお目当ての物はなかったようだ。
状況が全く掴めず、俺はただクレイの後ろをついていくしかないのだ。
たとえ、胸の奥が何かに怯えるようにざわついて居たとしても。
クレイについていくまま走っていると、いつの間にか森に入っていた。
一心不乱に走り続けるクレイに、俺はしびれを切らして問いかける。
「おい、こっちに何があるんだよ!」
「いいからついてきて――っ!?」
ピタリとクレイは足を止める。一瞬何かと思ったが、その理由は明白だった。
大蝶。それも怒り狂っているのが目に見える。
ヤバい、そう感じさせる必要も無いほどの圧力がかかってくる。
大蝶とは一度戦ったはずだ、なのに何故。
いや、考えている暇はない。何が何でも今すぐ倒さなければならない。
クレイが走っている理由はわからないが、おそらくこちらに何かがあるのだ。それを阻害するのなら、排除しなければ。
「『投擲』!」
腰のポーチから縄の繋がったナイフを投げる。これは俺が新しく買った投擲スキル用のナイフだ。普通のものよりも空気抵抗が少なく良く飛ぶ。そう簡単に防げるものではない。
そして刺さった瞬間に束縛スキルを使えば、殺す事は出来なくても動きを止める事はできる筈だ。
しかし―――
「んなっ……!」
ブォン、という風と共に突然の突風が起こる。この前のアロナのものと比べ物になるかならないか程度だが、体が浮くのにそう時間はかからなかった。
勢いよく吹き飛ばされ、どご、という鈍い音と共に俺は背中から木にぶつかり、クレイは俺の体にぶつかってくる。顔の少し横にナイフが突き刺さり、投擲スキルを跳ね返したのも確認出来た。
「これ……まさか!」
第五階級クエスト、大蝶の討伐。
ただしこの大蝶はただの大蝶ではなく、風を起こしてテリトリーへの異物の侵入を拒むらしい。
そういう情報を俺は一週間前に入手していたが、今こいつに出会うとは。なんたる不運。最悪だ。
「くっ……そ……!」
圧倒的な風力の前に、何も出来ない。手をあげることも、指を動かすことも、もはや息をすることすら難しい。俺は負けかけていた。
現状のどのスキルでも奴を倒す事は出来ない。素振りも、投擲も、束縛も、そしてもう一つのスキルも、奴に届きはしないのだ。そもそも最後は攻撃ですらないが。
(ダメだ、もう意識が……)
酸欠と圧力の中でついに意識が朦朧とし始めてくる。薄れていく視界の中で少しずつ周りの木々が倒れていくのを見て、今度は自分の番だろうな、と悟ったときだった。
「ハルオ」
そう問いかけたのは、俺の前で丸まっているクレイだった。
クレイはすっと立ち上がり、こちらを見てくる。
立ち上がる?どうやって?この風の中で……
朦朧とする意識の中、クレイは俺の言葉を待たずに、耳元で喋る。
「暫く、目を瞑っていて」
俺はクレイの言う通り、目を閉じた。
風がやんだのは、それから3秒後のことだった。
「……ハルオ、大丈夫?」
心配するクレイに、俺はああ、と一言だけ答える。
体力回復のポーション……味からしておそらくただの栄養剤を飲みながら、俺は体のあちこちを確認していた。
身体中に細かい擦り傷は確認できるものの、致命傷になりうるものは無い。多分菌が入ったりして大変なことになることもないだろう。
ぎゅっと拳を握り、腰に当てる。ポーチの中にナイフも仕舞ったし、もう何もない筈だ。
「じゃあ、早く行こう。多分こっちにアロナがいる」
「そうだな。走ろう」
俺がそう提案すると、クレイはこくりと頷く。
俺が目を開けたとき、最初に目に入ったのはバラバラになった大蝶の死体と、その近くに佇むクレイだった。
俺は思わずクレイに何が起こったのか聞こうとしたのだが、そこで手を止めた。
クレイは恐らく、何か物凄いパワーを使ったのだ。それがどう言うものなのか、俺が想像しても妄想の域を出ないが、わざわざ俺に目を瞑らせてからあれを倒したと言う事は、そう言うことがあったのだろう。そしてそれは、恐らく人に見せてはいけないものなのだ。
それなら、俺はそれを聞くなんて野暮なことをしてはいけない。ただあったがままに行動するだけだ。
「借りが一つ出来ちゃったな」
「……気にしないで」
それは無理だ。俺が気にする。
借りといえば、スタジオにも借りはあるのだ。それも返さなければならない。
戻ったら必ず返そう。そう決意して――
俺たちは、バラバラになった馬車と馬の死体を見つけた。
「なんだ、これ……!」
見るも無残になっていた馬の亡骸を見て、俺は周りを探った。
近くにこれをした犯人がいる筈だ。それなら、そいつが俺たちを狙う可能性は大いにありうる。
いやその前に、アロナだ。もしアロナがこれの犯人と出会っていたら――そう思うだけで、背筋が凍るような印象を覚える。
「……クレイ、気をつけろ」
「………なんで、こんなところに!」
え?と答える前に、俺はクレイの言葉の意味を知る。
がしゅ、と地面に鋭い爪を立てて、それは俺たちの前に立ちはだかった。
恐竜。俺の第一印象はそれだ。
二本足で立ち、前の足には鋭い爪が見える。体に対して小さめの顎にはギザギザとした牙が大量についている。いわゆる肉食竜。
そしてその後ろには――
「アロナ……!」
地面に伏したアロナがいた。その背中には、服を超えて切り裂かれた背中が見える。
突然、胸の奥にメラメラとしたものが生まれてくる。しかしそれを押さえつけて、クレイに問う。
「さっきの、もう一度使えないか?」
「……あれは1日に一度だけしか使えない。ごめん」
謝る必要はないと答える代わりに、こくりと俺は頷く。
目の前には今にも襲ってきそうな恐竜。その奥にはアロナがいる。いまの俺の装備でこの恐竜を出し抜けるのか非常に不安だが。
やるしかない。今度こそ成功させる。
ピリピリとした空気の中、俺はそっとポーチに手を近づけさせる。実際は十秒に満たされるかどうかだが、今の俺にはそれが十分にも感じられた。
パチン、とポーチがひらき、俺がナイフを指の先で触れた瞬間。
「『投擲』!」
指でポーチごと貫き、弾くようにナイフを投げる。ナイフの軌道上に出来るロープを手で捉えながら、恐竜に刺さった瞬間、もう一つのスキルを詠唱する。
「『束縛』!」
突き刺さったナイフごとロープがクルクルと恐竜の周りを覆い隠すように回転し、縛り上げる。
このコンボ、やはり予想以上に便利だ。恐竜は今だにジタバタしているので、そのうちにアロナへ近寄る。
「おい、大丈夫か、アロナ!」
体を仰向けにすると、アロナはうっすらと目を開きこちらを向く。
「ハル、オ……」
「……良かった、平気なんだな、良かった……」
手のひらにアロナの背中の傷を感じながら、俺は出来るだけそこに当たらないように上半身を持ち上げる。
そして俺はアロナの顔を見て、安心し切ってしまう。今がそんな状況でない事は理解しつつも、胸に込み上がってきた物に、俺は押しつぶされる。
「……アロナ、ごめんな。俺、ようやく気付いたよ。俺があまりにも自分勝手で、人に迷惑しか掛けてこなかったかって。人の気持ちも考えずにわかったつもりになって……。俺のせいでお前らを傷つけてさ」
そこまで言って俺は一度言葉を止め、もう一度口を開く。
「でも俺さ、お前らのこと好きだわ。この村のことも。だからこれからは、ちゃんと胸張って生きられるように頑張るよ。だからさ、……仲直り、してくれないかな」
俺が自分の気持ちを最後まで伝えると、そこまで黙って聞いていたアロナは、スッと手を俺の頰に当てる。
「ハルオ、ごめんなさい。……私も、私も自分の勝手ばかりを押し付けようとしていたんです。人のことを傷つけたくないなんて言いながら、本当は傷付けていたんですね、そうやって、知らないうちに」
俺はそう言いながら泣きそうになっているアロナに、もう一つ問い掛ける。
「なあ、なんであの時、魔法を使おうとしなかったんだ?」
聞いてもいいのか。そう迷っていたが、今なら聞けるだろう。
お互いの弱みを見せ合った今なら、心は通えるはずだ。
「嫌われたく、なかったんです。ハルオに。私は魔法が下手だから、みんなにいじめられて………クレイは受け入れてくれたけど、ハルオに知られて、嫌われるのが怖くて、それで……」
そこまで言ったアロナを、俺はぎゅっと抱きしめる。抱きしめようと思ってしたわけではない。
なんとなく、アロナのことが大切だと感じたのだ。その気持ちが無意識に抱き締めてしまったのだ。
ああそうか、俺はなんて馬鹿なんだ。こんなことを思っている人を傷つけて、俺は………
ぎゅっと唇を噛み締めて、俺はアロナと真正面から向き合う。
「俺はそんなことじゃお前を嫌いにならないよ。だって、俺は……」
そこまで言って、俺は背後の殺意に気付く。
振り返ると、目を見開き明らかに切れている様子の恐竜がいた。
「もう抜け出しやがったのかよ!……クソ、どうする……?」
「え、ちょ、ちょっ……!?」
俺はアロナをお姫様抱っこの形で抱き上げる。アロナをこのままにして俺が恐竜を惹きつけると言う手もあるのだが、もし俺ではなくアロナにターゲットを移した場合、アロナがやられる可能性もある。何より、現状アロナは動けなさそうだ。
倒すしかない。出来るかどうか分からないが、やるしかない。
だが、俺一人では無理だ。
俺は恐竜を威嚇しながら、腕の中のアロナに問う。
「アロナ、お前、各種魔法を使うとどうなるんだ?」
「え?えっと、そうですね……」
アロナは俺の耳に手を当てて答える。風を除いた火、草、水、土、雷の五属性。その効果を聞いて、俺はある作戦を思いつく。
「空間に光を出す魔法は使えるか?」
「ら、ライトニングペンシルは使えません」
「じゃあ紙とペンは?」
「す、少しだけ……」
十分だ。俺はアロナに最初にある魔法と、とある魔法を描きまくるように指示し、いくつか命令する。そしてクレイにも同じ魔法を発動するように叫んだ。
「覚悟はいいな……行くぞ!」
掛け声と同時に、俺は走り出した。
一万字を超えたので二分割で投稿します。次回は戦闘シーンです。