Ex01 灰色の学園都市
――色に例えるのなら、灰色かなぁ……、と。
静まり返る教室の風景を自分の席から眺めながら、ふと、そんなことを思った。
窓際列最後尾。
僕は教室を見渡すことができ、逆に他の生徒から視線を向けられることが少ない(であろう)、教室の観察には絶好のロケーションだった。
……そして観察の結果。
やっぱり灰色なのかな、と。
――そう思った。
今日は、とある学園の入学日。
前日までにこの『学園都市』に集められた生徒達は、あてがわれた寮の一室から、この『学園』へと集う。
学園と呼ばれる敷地を囲うには、物々し過ぎるような門をくぐって。
入学式は挙行されず、事前に通達されたクラス割を元に、そのまま自分のクラスへ直行という、普通の入学日としては異例なほどの味気無さ。
しかし、それに文句を言う声は聞こえてこない……というか、門をくぐってからここまで、はっきりとした話し声を聞いた試しがなかった。
入学前から見知った友人と語らう声や、あるいはこれから友人となれるかもしれないクラスメイトとの、ぎこちなくも微笑ましいやりとり。
そんなものはまったく聞こえてくる気配がなく。
酷く遠慮がちに囁きあう声が、微かに耳に届いたくらいである。
そして今は、誰も彼もが、指定された席について、静寂の跳梁跋扈に加担する。
十代の若人達が集う場所としては、一種異様なまでの静けさであった。
そんな静寂を破るように、チャイムの音が響き渡り、その音が完全に聞こえなくなって少し後、教室の正面――一般的な教室ならば黒板があるであろう場所――に備え付けられた大きなモニターに、映像が映される。
そこには、壇上に立つ一人の男性の姿が映っていた。
男性は、この学園の教頭を名乗り、彼の背後にあるプロジェクターに映されたスライドを元に話し始める。
それは、ある事象が『病』として公式に定義された、その一連の経緯についての説明だった。
――『突発性特異現象誘発症』。
大仰な名前と、それに見合うように小難しい定義が添えられているが、一言で説明してしまうなら。
――罹患した者は、周囲に、いわゆる『超常現象』と呼ばれるような現象を引き起こすようになる病、である。
さらに雑に言えば、その病気に罹った人は、『超能力者』になる、ということだ。
……そんな、どう考えても胡散臭い病気が公のものとして定められたというのが、既に、現在の状況が異常であることを示しているとも言える。
日本での発端となったのは三年前の、秋から冬に変わる頃。
とある少年が傷害容疑で逮捕されたことである。
その少年は学校でいじめられていた……らしい。
そしていつものようにいじめの集団に呼び出されたのを数人が目撃している。
しかし、その日はいつもと違った。
昼休みの終わる頃、校舎に響き渡る男子生徒の悲鳴。
それを聞いて駆けつけた先生達が目撃したのは、血まみれになって倒れている、いじめを行っていた男子生徒達。
そしてその中心で佇んでいる、いじめられていた少年。
ひとまず状況的に少年が他の男子生徒に危害を加えた可能性が高いということで、警察に連行されていったが。
まずひとつ、事件現場の状況から、少年一人に対して、四人の男子生徒が取り囲んでいた状態であるはずで。
その状態から、いじめられていた男子生徒が、他の四人の男子生徒を制圧できるということは、一般的な常識としては考えにくい。
格闘技の経験者であればまだ可能性があるが、その少年は部活にも所属しておらず、そういった習い事をしていたこともない、むしろ運動は苦手な部類だった。
次に、男子生徒達に少年がどのように傷つけたのか。
事件当時、少年は刃物やそれに類するようなものを持ち合わせていなかった。
というかほぼ手ぶらの状態で呼び出されていたのだ。
少年は、いじめの標的になってから、財布や携帯などはあまり持ち歩かないようにしていた。
少年達の怪我は、何か鋭利な刃物で切り裂かれたようなものだった。
少なくともナイフのような、刃を持った凶器による犯行であることは間違いはないという。
中途半端な凶器ではつくことのない、鋭利な傷口だということらしい。
さて、警察による聴取において、少年は『超能力で倒した』と供述していた。
勿論、それを聴取していた刑事がそのまま信じる訳はなく。
ふざけた態度とみなされ、その聴取は段々と激しくなっていったそうだ。
――これからの内容は、後の証言や生き残った監視カメラの記録などによるものではあるが。
そしてその聴取中に、少年は突然。
――『暴走』、したそうだ。
突然苦しみだした少年は、黒い靄のようなものを発しながら周りの刑事達を不可視の何かで切り殺していった。
突然の非現実的な状況に対応は遅れ、被害はかなりのものとなったそうだ。
最終的には警察の外に被害が出る前に少年を射殺することで、その異常事態の解決となった。
監視カメラで撮影された映像(後にどこからか流出したものがネットやテレビに流されていたらしい)では、まさにそうとしか見えないような様子が映し出されていたらしい。
当初この事件の扱いに、警察側は非常に頭を抱えたそうだ。
明らかに外から何か異常なことが起こっていることが分かるレベルの被害、その情報を内々で処理することは難しく、外部に公開しないという選択肢はほぼ不可能……のだが、ありのままを説明して、世間を納得させられるかと言えは、……それもまた難しい。
――「超能力者が署内で暴れましたので、最終的に射殺しました」。
という報告を、冗句としてではなく、そのまま素直に受け取れと言うのは、少なくともその時点における現代の常識的な人々に要求するのは、酷というものだろう。
そんな貧乏くじを引かされた警察であったが、その状況が一変したのは、その数日後だ。
その日を境に――という訳ではないのだろうけれど――世界各地で、似たような事件・事故が発生していたらしく、そのことがネットやテレビのニュースなどで一斉に認知された。
超常的な現象による事故・殺傷事件。
それらの中心となったのは、いずれも十八歳以下の若者であること。
そしてそのいくつかは、その若者が超常的な能力を引き起こしたという噂付き。
――さて、事件・事故とは別に、その事件が起こる少し前から、自身には特別な能力があると主張する少年少女が増えていったという。
動画サイトなどで、自身には超能力があると主張する動画が急激に増え出したそうだ。
勿論、過去にもそういったものは数多くあったのだろうけれど、それでもその増え方は異常だったらしい。
僕の身近でも、学校でそういったことを主張する生徒がそれなりにいた……と、思う。
休み時間とかに人を集めて何かをやっていた気がする。
透視とか念力とか、そんな単語が聞こえてきた覚えがある。
ただ、それをその時点で本当に信じた人はそれほど多くなかっただろう。
少なくとも動画サイトで見みていた人は、ネタ動画として見ている人が大半だっただろうことは、コメントなどから推察される。
実際に目の当たりにした人の中には、信じた人もそれなりにいるのかもしれないけれど、まだその頃は派手な能力を持った発症者は少なかったらしく、ちょっとしたマジック感覚で捉えていた人も多いと思われる。
その頃の常識からすれば、当然のことではある。
常識外の現象に対して、それを超常現象と認識するのではなく、種や仕掛けを疑い、あるいは科学的な反応としてことが、少なくとも日本では一般的な常識ではあっただろう。
勿論、そういった常識は国や人種によって異なるだろうし、同じ人種であろうとも、個人差はあるのだろうけれど。
今回も、大部分の人間は、よくある『そういうブーム』と捉えていた……と思われる。
その後も、動画は徐々に増えていき、テレビでもそういう人の露出が増えてきた時期。
その少年の事件が起こった。
そして、その少年も、その事件が発生する前日に、超能力動画を上げていた。
テレビでその事件が(ある程度ぼかされながらも)流された時に、そういった情報はすぐにネットで広まった。
そして、そこから話題はすぐに、『彼の能力は本物だったのか』ということで持ち切りとなった。
動画で『超能力者』を嘯いていた少年が、その『能力』で殺傷事件を引き起こした。
その話題性は絶大であり、それ以降の、『超能力者』達に対する世間の見る目は大きく変わることになった。
その後も、その少年のような事件とはいかないまでも、ぽつぽつと、超常現象による事件・事故が発生していき、『超能力者』の肩身は段々と狭くなっていったが。
その年の三月後半、卒業シーズン真っ只中。
その、ある意味では決定的な事件が、日本で起きた。
とある遊園地。
卒業旅行生で賑わうある日に。
日本で初となる、死傷者数百人に上った、大規模超常現象暴走事件が起こった。
発端が何かは分からない。
ただ最初に誰かが何かを発現した。
そしてそれに触発されるように、数名の若者が連鎖的に発症・暴走し、大規模な超常現象が発現、乗り物や建物、あるいは人々を直接的に壊し、砕き、阿鼻叫喚の地獄絵図を形成。
最終的に自衛隊が乗り出し、被害を出しながらもどうにか全員を射殺することで鎮圧。
この事件は日本に、あるいは世界に、『ソレ』の恐ろしさというものを、刻み付けた事件となった。
『ソレ』を信じて、その危険性を訴えてきた派閥の声が一気に大きくなり。
今まで半信半疑、あるいは認めることから目を背けていた者、面白半分に信じていた者達の大部分が、そちらに流れていった。
実際に目の当たりにした人たちが一気に増加したのも理由のひとつであろう。
そして、それはその後もじわじわと増え続け、世論では最早『ソレ』が――『ソレ』自身が一体どういうものであるかが認識されているかは別として――現実に起こりうることであることが、常識として定着し始めた。
その事件の後の半年は、混迷を極めた。
身近にいる人間が突然、自身を殺傷可能な能力を発現するかもしれない。
拡散という機能に限って見れば、酷く効率的となった現代、その恐怖が、社会全体に浸透していくことにそれほど時間はかからなかった。
ネットによる『超能力者』叩きは当然のことながら、現実に過激派によるリンチなどが横行し、現代の魔女狩りの様相を呈していった。
最早、噂というレベルを超え、『超能力』というものが現実として定着した頃。
ある日、各国の政府から、ほぼ同時にこれらの事象に対する声明が発表された。
――それが、『突発性特異現象誘発症』、という言葉である。
『超能力』は原因不明の病を発症した結果であり、しかるべき保護と治療が必要であると。
そして、その病を発症した少年少女の『保護』のための法律が恐ろしいほど速やかに制定、施行され、政府による全学生の一斉検査が行われた。
現代の常識では、中々考えられないような、政府の民間に対する強制的な介入。
ただ、それに不満を言うものは、その時点では――『発症者』を除けば――ほとんどいなかっただろう。
それほどまでに、その時点で危険性が広く認知されていたということになるのだろうか。
各国は、いつ頃からかは分からないけれど、それらの『超能力』に関しての研究を秘密裏に進めていたらしく。
既に『超能力』を持つ――つまりは『発症者』か――、あるいは、『発症者』予備軍であるかどうかを判別出来る……とのこと。
内容としては、普通の健康診断と同じような血液検査や問診などがあったが、特徴的なのは、何かのメーターがついた機械を近づけられるのと、X検査機のような機材によって全身を撮影されること。
メーターに反応があると一発でアウト。反応しなくても検査機での撮影で引っかかったら予備軍としてアウト、ということらしいのは、この学園へ来るきっかけとなった検査を受けてなんとなく分かった。
そして、『陽性』と診断された少年少女達は、晴れて『学園都市』へ送られることとなる。
――学園都市。
現在のところ、発症する人間が全て十八歳以下の学生であることから、学園と、突発性特異現象誘発症の治療のための医療施設を合わせた、複合施設。
全国一斉調査の時には、既に作られていたというのだから、国は発表前からある程度これらの事象について、事前に研究を進めていたのだろう。
あくまで『学園』や『医療施設』を強調しているけれど、実態は収容所であり隔離施設である。
まあ、隔離しなければ、発症者でない一般人が危険に晒される、という意味では、理に適ってはいるのだろうけれど。
『この学園都市の目的は、貴方達『発症者』の保護・治療であり、貴方達の権利の一部を制限するのも致し方がないことである』
そんな言葉が、ディスプレイ越しから聞こえてくる。
その説明理解を示す学生が、この教室――あるいはこの校舎に、果たしてどれほどいるだろうか。
どんなそれらしい言葉を並べられようとも、彼らにとってこの状況は理不尽以外の何物でもなく。
「ふざけるなっ!!」
と、怒りの声を口に出したくも――。
(おぉっ……?)
今の今まで、映像から漏れる音だけが我が物顔で占領していたこの教室に、誰かの肉声が響いた。
声のした方に視線を向けると、教室中央付近の席に座っていた男子生徒が立ち上がり、
ディスプレイに向かって声を上げていた。
「そんな言葉で納得できる訳ないだろっ!ふざけやがって……っ!」
後ろからは表情が見えないけれど、怒りを堪えるかのように、拳を強く握り締めていた。
そして、握りしめた掌から、暗い黄色の糸のようなものが少年の机に伸びていくのを、僕の眼球は確かに捉えていた。
手品のような不思議な光景。
一般人には見えないらしい『ソレ』をこの教室にいる誰もが視線で追っている。
(うわ……っ!?)
それは不味いと思った。
恐らくあの男子生徒の掌から零れ出しているのは、周囲に何らかの現象を行使する指向性を持った『力』が、可視化されたものなのだろう。
それがどんな現象を起こすかは分からないにしても、この教室の空気を大いに刺激することだけは確かである。
それは連鎖的に他の生徒の能力を刺激するには十分と思われ――。
「……がっ……あっ!?」
その力が、まさに何かを引き起こそうとしていた瞬間、男子生徒が首に身に着けていたチョーカーが光り、男子生徒が苦しみの声を上げ、机と椅子をなぎ倒しながらその場に倒れる。
(おぉ……)
あれが噂のセーフティ、とやらだろうか。
この学園に入学するにあたって、指定の制服の着用の他に、首にチョーカーを巻くことが義務付けられている。
チョーカーは割り当てられた自室でしか外せず、外したまま外出は出来ないシステムになっている。
つまり学園に来るには、装着してくるしかない訳で。
それは今のこういった事態を想定したシステムなのだろう。
教室の他の生徒達も、倒れた彼を遠巻きに見ているだけだ。
(……というか、介抱しないと、まずいのでは?)
原理は電気ショックか何かなのかは分からないけれど、一瞬で人を失神させたほどの何かを受けて倒れた人を、そのままにしておくというのは、常識的に考えて、良くはないだろう。
そう思って、ひとまず彼に近づくべく、立ち上がろうとしたところ。
廊下の方で、複数の、こちらに近づく足音が聞こえてきた。
教室の誰もが、その音に気付き、扉に視線を向けたところで、教室後ろの扉が開かれる。
入ってきたのは武装した数名の人達と、白衣の女性が一人。
全身をプロテクターで固め、顔を隠し、銃を持った――完全武装、という表現が似合うような人達。
……実は、そういう装いの人を見たのは初めてではない。
校門の所に立っている人も、同じような恰好をしていた。
……この学園都市の警備員、ということになるのだろうか。
その物々しさは、過剰にも見えるが、その実この『場所』とっては、心もとないものであるのだと、後ほど気づかされた。
さて、そんな人達が集団で教室に入ってきたことで、にわかに学生達が騒めき出す。
「落ち着いてくれ」
と、ここで、白衣の女性が、教室全体を見渡しながら、良く通る声で告げた。
長い黒髪を、ぼさぼさのまま無造作に垂れ流している。
その眼差しは、眠そうでもあり、鋭くもあり、どうにも掴みどころのないような印象。
「私達は彼の保護のために訪れただけだ。君達に危害を加えることはない」
その言葉を、生徒達のどれほどが信じたは分からないけれど。
ただ、それを発したのが、ぱっと見何の武装もしていないような女性であったことは、一定の効果を上げたように思う。
ひとまず、騒めきは一旦落ち着き、その隙に、担架を持った人達が、彼を担架に乗せて、教室を出ていく。
それを見届けて、他の人達も出ていく。
その一瞬、白衣の女性が、ちらりとこちらを見たような気がしたのは、自意識過剰、だっただろうか。
その後、校内放送で、指示があるまで教室で待機との指示があり、誰もが席に戻り、再び自分の殻に籠っていったところで。
「……まったく、煩かったわね……」
僕の前の席で、今まで机で眠っていた女子生徒が上体を起こして、僕に話しかけてきた。
「あ、起きたんだ、姉さん」
……その女子生徒は、僕の姉さんなのだった。
「あんなに騒がれたら、嫌でも起きるわよ……」
その長い黒髪をかき上げながら、不満げな声を上げる。
「ていうか、どうして今日はそんなに眠そうなの?夜更かし?」
姉さんは朝、寮の近くで待ち合わせてた時から、酷く眠そうにしていて、教室に着いた途端、机に突っ伏して眠ってしまった。
「……宝玉を中々ドロップしないヤツら(モンスター)が悪いのよ」
「……ああ、ゲームの話ね」
姉さんが最近ハマってるのは、モンスターを狩るゲームだそうだ。
モンスターを狩って、ドロップする素材を集めて、装備を作ってまた強いモンスターに挑んでいくといった内容らしい。
姉さん曰く、収集と作成のサイクルが好きらしい。
「まあ、それはいいわ。それより……」
「ああ、さっきのこと?」
先ほどの出来事について、詳細を話そうとすると。
「そんな有象無象の出来事なんて、まったく興味ないわ」
本当にどうでもいいような口調で、先ほどまでのちょっとした事件を切り捨てる。
「静季に聞こうと思って、忘れていたことがあったのよ」
「……?」
「……静季は、ここで、どうしたいかしら?」
唐突な質問。
「……?どうしたいって……?」
質問の内容はともかく、意図が読み取り切れず、質問で返してしまう。
何故そんなことを改まって聞かれるのかと。
「そのままの意味だし、それほど深い意図もないわ。ただ、平凡よりはほんの少し異常な環境に叩き落されて、私の弟は何を考えるのかしらと、気になったのよ」
そう言いながら、僕の目を、その鋭く、美麗な目で見つめてくる姉。
「うーんと……」
正直、検査に引っかかった時から、今この瞬間まで、この状況についてほとんど考えたことはなかった。
僕一人ならば、もう少し危機感を抱いていたのかもしれないけれど、姉さんも一緒だから、何も不安に感じなかった。
姉さんにそんなことを言ったら、もっと自発的に考えなさいと、叱られるだろうけれど。
「何も考えてなかった、なんてのは、なしよ?」
僕の思考を読み取ったかのごとく、先に釘を差してくる。
「う、うーんと……」
勿論、何も考えていなかったのだけれど、正直にそう話すと、きっとまた姉さんに怒られてしまうだろう。
姉さんに怒られるのも嫌いではないんだけれど、常々言われていることを蔑ろにしてしまっている後ろめたさもあるため、数秒、ちょっと、出来るだけ真面目に、考えてみることにした。
その様子を、姉さんは、急かすことなく、その黒い瞳で待ち続ける。
自分のやりたいこと考えてみて。
それは勿論全然なくて。
それでも何か考えてみて。
……考えてみて。
「……とりあえず、髪を伸ばそうかな」
「………………は?」
ふと思いついたことを口走ったら、姉さんが珍しくポカンとした表情をした。
「えっと、僕、姉さんの長い黒髪がとても好きで……あっ、勿論姉さん自体も大好きだけれど。で、お揃いにしたいなって、思ってたんだけれど、流石に普通の学校の時に髪を伸ばす勇気はなかったから。でも、この環境ならみんなそんなに気にしないかなって……
慌てて説明を付け加えると、姉さんは、しばらく唖然としたような顔をした後。
「……我が弟ながら、たまに驚かされるわね……」
「あっ、えっ、その……引いた?」
流石に変なことを言い過ぎたかと、不安になって聞いてみると。
「……いいえ。私とお揃いがしたいだなんて、そんな健気な弟は大好物よ」
そう笑みを浮かべて頭を撫でてくれた。
それだけで、こんな状況でも、何も問題ないな、と、思ってしまうことは、本当は良くないのかもしれないけれど。
でも、そう思ってしまうのだから、仕方がない。
「それなら、いい感じに伸びてきたら、一緒にペアルックでもしましょうか?」
「……それはまだちょっと恥ずかしいかも」
「……貴方の判断基準も、良くわからないわね……」
そんな突込みを受けながら、姉さんと二人、笑いあう。
きっと僕らは、周りからは酷く浮いていたことだろうけれど。
――そんなことは全く気にならなかった。
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――そんな過去を、夢にみた。
「……」
目が覚めて、頭が現実を認識し始めるまでの狭間。
ぼんやりと、今まで見ていた夢を頭の中で思い返す。
自分が学園に初めて来た頃のこと。
(なんとなく、その頃のことは、もう思い出すこともないと思っていたんだけれど……)
――それは懐かしい、と、言うよりは。
一瞬、様々な感情が生じてはお互いに食らい合うような、そんな暴力的な心象に苛まれたような気がしたけれど、どうやら気のせいだった。
だって今、もう一度思い出してみても、何の感情も沸いてこないのだから。
ただ――。
(……そういえば、結局、お揃いには出来なかったな……)
自分の前髪を指で摘み、視界に収めながら、ふと、そんなことを、思ったのだった――。