05 最初の夜
「お客様ー、入っても大丈夫ですかー?」
コン、コン、と、部屋の扉を叩く音がした後、外から声が聞こえてくる。
声からすると、先ほど僕たちをこの部屋まで案内してくれた店員さんのようである。
ベッドの前で握手を交わしたままだった僕とイミリアは、その声を合図に、どちらともなくその手を解く。
「……はい、大丈夫です」
イミリアがそう答えると、明るい、良く通る声と共に扉が開き、少女――店主らしき婦人にはメリーと呼ばれていた――が、入室して来た。
その手には折りたたまれた布のようなものを持っている。
「あの、良かったらなんですけれど、これを……あ、勿論お金はいただきませんっ」
というかお金をいただく方が失礼ですよねっ、と。
「へ……っ?」
そう言ってイミリアの方に差し出されたのは、どうやら服のようだった。
(おおー……)
「……」
イミリアは、その服を、何処かぼんやりとした表情で見つめる。
「あ、えっと、私のお古なので、というかむしろそんなものを差し上げること自体が失礼かもしれませんけど……」
イミリアの視線が、何かを責めているように見えたのか、慌てたように説明をする。
その様子は、嫌味などは感じられず、純粋な好意によるものに、僕の目には映った。
「といいますかっ、大きなお世話とかっ、私のお古とか着てたまるかとかっ、ご迷惑でしたらもちろん引き下がりますのでっ……」
「あ、いや……その……」
そう一気に捲し立てる少女に、言葉にならない声を漏らしていたイミリアだったが。
「あ、ありがとう、ございます」
少女の、何故か必死な様子に気圧されたのか、イミリアが感謝の言葉を告げて、服を受け取る。
何故か服をあげる側も感謝の言葉を返していた。
(良い子だなぁ……)
まだ見知ったばかりではあるが、親切で、でもそこはかとなく押しが強そうなところが、なんとなく、あの店主と似ている気がした。
たとえ迷惑と思われる可能性があるとしても、他者にこうやって干渉する意思を持つ人間は、貴重であるように思う。
服を少女に渡した少女は、空いた両手を目の前で叩き。
「あっ、それから、お風呂が沸きましたので、夕食の前に一汗流してはいかがですか?」
と、そんなことを提案してきたのだった。
---
「ふぅ……」
湯船に肩まで浸かると、自然とため息がこぼれた。
イミリアは、もう少し一人で考えたいことがあるとのことなので、結局、僕が先にお風呂をいただくことになった。
店員の少女に脱衣所まで案内されて、そして今に至る。
ちなみに店員さんはタオルを取りにまた戻ってくると言っていた。
「はぁ……」
風呂場の広さは、一般的な家庭と同じくらい、だろうか。
木製の湯船は、人一人がちょうど入るくらいの大きさ。
お湯の温度は少し温めで、それが心地よい。
じんわりと身体が暖められていき、気持ちが緩んでいくのを自覚したところで、どうやら自分は先ほどまで気を張っていたんだなということに気づく。
まあ、それは、当然といえば当然のことではあるのだけれど。
(結局……どういう状況なんだろう……?)
天井をぼんやりと眺めながら、今日一日の出来事について考える。
(本当に、いつも通り、教室に向かおうとしていた……はずなんだけどなぁ……)
……そのはず、だったのだが、目が覚めると、見知らぬ森の中。
そして、目覚める前と後とでの、記憶の断絶。
少女――イミリアとの出会い、モンスター……?との戦闘、そして、『異世界転移者』の話。
(異世界、かぁ……)
イミリアからの説明を受けた今でも、それについては、未だに酷く曖な気持ちであった。
……いや、少なくとも、僕がいるこの場所が、僕が知っているような場所――大仰な言い方をすれば『世界』――であることは、この町の様子を見るだけでも、そうなのかもと、思えては来ているのだけれど。
(ただ、お風呂は流石に違いはないのかな……)
――そんな先ほどまでの気持ちが嘘であったかのように、普通の浴室だった。
……逆に、一般的な入浴という行為は、異世界であろうと、差異が出るほどのバリエーションはない、ということなのだろうか。
(まあ……とりあえず)
仮に本当にここが、僕がいた世界とはまったく異なる世界であるとして……。
どうして自分がそんなことになってしまっているのか。
(まさか、気づかないうちに死んじゃった……?)
『転生』の方は、元の世界で死んでしまうことがトリガーとなって物語が始まるものだった……はず。
それに当て嵌めるのなら、僕も『元の世界』で死んでしまったということなのだけれど。
(あるいは、『転移』の方、だっけ……?)
そちらは死なないままで、様々な外的要因によって異世界に飛ばされる、というもの……だった、かな。
(そもそも、そういうものに当て嵌まる状況っていう訳でもないのかな……)
言葉や状況の一部が似ているというだけで、半端な知識に照らし合わせること自体が、間違っているのかもしれない。
(……まあ、とりあえず、今は、いいか)
きっとこれ以上は、考えても、何も分からないだろう。
自分が今どんな状況に置かれているのかは置いておいて、考えるべきはこれから僕は何をするべきか。
それだけ決まっていれば、とりあえず、問題はない。
(パーティ……)
具体的な話はまだ聞いていないけれど、必要とされたのならば、それに出来る限り答えるだけである。
よしっ、と、改めて気合を入れ直したところで。
「……そろそろ上がろうかな」
---
「……ふぅ」
シズキが部屋を出て行ったあと、私はベッドに倒れるように横になる。
「疲れた……」
緊張の糸が切れて、今までの疲労がどっと押し寄せて来たかのか、身体に鉛が詰め込まれたかのように重くなり、軽い眩暈まで感じる。
「まったく……っ」
安全な場所を確保した途端に、湧き上がる苛立ち。
森の中で多少は吹っ切ったと思ったけれど、やはり人の心はそう易々と変わるものではないのだろう。
何よりも、私があの少女――シズキ――に協力を仰いだこと。
交渉……とも呼ぶほどのこともなく、決まったしまった協力関係。
それが正しい選択だったのかどうか、ということを考えるのは今は意味がないのだろう。
ただ、誰かに頼らなければならなかった自分の弱さを、噛み締めるように自己嫌悪に浸る。
……別に、自分を強い人間だとでは断じて思っていないけれど、それでも、他者を拒絶しながら生きてきた私が、都合良く他者に頼ろうとしている。
「……ああ、もうっ」
負の思考が淀み続けて、明日からの考えがうまくまとまらない。
重い身体をどうにか起こす。
このまま眠ってしまいそうになるけれど、流石にあのシズキが戻ってきた時に、眠っていたのでは話にならない。
どうにか眠気を振り払おうと、部屋の外へ出ようと扉に向かおうとしたところで。
ふと、ベッドに置いていた、あの店員の少女から受け取った服を見る。
「……」
……正直、余計なお世話、だとは思った。
多分、少女の方はただの善意……なのだろう。
哀れな奴に施しを与えて悦に浸るような趣味でもあれば話は別だけれど、私が見る限りでは、そういう感じでもなかったように見えた。
……だから、問題は私の方なのだ。
(……まあ、結局、受け取ってしまっているのですから、世話ないですね)
あの少女――メリー、と呼ばれていたっけ――の押しの強さとか、そんなことを理由にするまでもなく。
最初からあの好意を跳ね除ければ、それで良かったのだ。
そんな強さも持たない自分に文句を言う資格もない。
少女の服を受け取った時点で、彼女の好意に敗北したようなものなのだ。
……勝ち負けで考えている時点で、何か間違えている気がするのだけれど。
(……好意を素直に受け止めればよかっただけなのでしょうけれど)
それが出来ない人間なのだから、今こんなことになっているのかもしれない。
だけど、そうそう自分というものが変わるわけでもない。
「……」
それを手に取って、部屋を出ていく。
シズキのお風呂がどれくらい時間がかかるかは分からないけれど、まあちょうど出てきたらそのまま次をいただこうかと、そんな程度の心持ちだった。
階下に下りて、先ほどの食堂らしきフロアに出る。
食堂では、店に入った時と同じように、お客の喧騒と、時折聞こえる女将の大きな声が響き渡っている。
それらが私に耳に刺激となって目を覚まさせる。
(……やっぱり、戻りましょうか)
騒がしい雰囲気は、苦手だ。
そこに自分の場所を作れる人間は勿論いるのだろうけれど、私は絶対に無理だ。
……その喧騒を、どうしても、不快な雑音としてしか捉えられない。
「……あっ!お客様っ!」
……と、私が階段の下で立ち尽くしていると、奥から店員の少女が出てくるところに出くわす。
「お食事ですか?」
「い、いえ……」
気分転換、という言葉を、少女に話すのに、何故か抵抗を感じてしまい、咄嗟になんと返すかすぐに浮かばない。
すると少女の方が、私の持っている、少女から借りた服に視線を向けて。
「あっ、それ……もしかして気に入りませんでした?」
私が服を持ち歩ていたのを、返すためと思い込んだのだろうか、不安げな顔で少女がそう聞いてくる。
「いっ、いえっ、そんなつもりじゃ……。つ、連れの様子を見に行くついでに……と思っただけですので……」
言葉に詰まりながら少女の方を見ると、少女の方も何やら両手に持っている。
「あっ、これですか?」
私の視線に気づいたのか、手に持っている布切れをこちらに持ち上げる。
「私はちょっと、脱衣所のタオルを切らせているのを忘れていて……」
これからもう一度向かうところなんですよ、と、照れ隠しの表情を浮かべる。
「……そう、ですか。それなら、私が持っていきましょうか?」
そう言って少女の持つタオルに手を伸ばす。
「えっ、いや、お客様にお使いをさせるわけには……っ」
そう言って身を引こうとする少女に、私は半ば強引に手を伸ばす。
「……さっきも言いました通り、様子を見に行くついでですから。……それに」
今思いついた理由のいつくかを矢継ぎ早に繰り出した後、次の言葉は吐き出すのに数秒の時間を要した。
「この服を貸してくれた礼……なんて、釣り合うほどのことでもないですけれど」
その小狡い言い方に、自分でも嫌気を感じながら。
「いっ、いえっ、本当に大したことじゃあ……」
「おーいっ、メリーっ、団体さんだよっ、早くおいでっ!」
と、そこに、女店主の大きな声が聞こえる。
「あっ、わっ、わっ……」
突然呼ばれて、慌てた様子を見せる少女。
「ほら……」
「えっ、あっ……」
半ば強引に少女の手からタオルを奪う。
少女は一瞬だけ申し訳ないような表情を浮かべて。
「ありがとうございますっ。お風呂はそこの通路の突き当たりにありますからっ」
それだけ告げると、少女はフロアの方へ向かっていく。
「……酷い」
何が酷いか、最早自分でもよく分からないけれど。
ただ、自分の振る舞いが、酷く醜いものに映ってたまらない。
先ほどのやり取りを思い出しながら、自分に向けて溜息をつく。
勿論、私は普段、あんな風に積極的に手伝いを申し出たりはしない。
少女に施しを受けたことによる、自身の少女への負い目を少しでも減らしたいという、身勝手な理由に他ならない。
それに少女を付き合わせて、困らせてしまったことに更に負い目を感じている時点で、そもそも最初から破綻しているのだ。
「……はぁ」
先ほどから思考が悪い方向にしか向かっていない気がする。
ひとまず、気を取り直して、店員の少女が教えてくれた通路を進む。
すると、その突き当りの左側に『お風呂 入浴中』と書かれた看板が掛かった扉を見つける。
「……ここ、ですかね」
二回ほどノックをして。
「……反応がない」
まだ入浴中なのだろうか。
……なら、入って置いておけばいいでしょうか。
ドアノブを捻って見ると、鍵をかけている訳ではないようで、扉が開く。
扉の向こうは小さな脱衣所で、その奥が、風呂場になっているようだ。
……と。
「ふぅ……っ」
ちょうど風呂場の扉が開き、熱気と湯気と共に、シズキが姿を現す。
風呂場の熱気と湯気と共に、シズキが姿を現す。
「あっ、えっと……店員の子にタオルを持っていくように頼まれまして――」
そう声を掛けようとしたところで、湯気が晴れ、シズキの姿を間近で見ることとなる。
(お、ぉ……っ)
変な声を出してしまいそうになるのを、堪える。
全体的に細身のシルエット。
そして水に濡れた艶やかな黒髪。
肩や首元に纏わりつくそれは、肌色と身体のラインを強調し、扇情的なものを感じさせる。
……綺麗だなと、同じ女性ではあるが、素直に思えた。
前方に垂らされた黒髪のいくつか、鎖骨で曲線を描き、その先の胸元へ。
そして、その、胸元にある――。
(あ……れ……?)
そこで、違和感を覚える。
……胸元にあるはずの膨らみ。
個人差はあるにしても、曲線を描くはずのシルエット。
それが、ない。
(は……?え……?)
半ば本能的に、視線をそのままさらに下の方、下腹部、そのさらに下、足の付け根辺り――つまりは股間――に移動してしまう。
それはまるで、好奇心に惑わされ、絶対に見てはならぬと言われた扉の先を覗いてしまった、寓話の主人公のよう。
そしてその主人公たちは、例外なく後悔を迎えて――。
「ええええぇぇぇぇぇっ!?」
ひとつの事実に気づいた時、その驚きの声を、止めることはできなかった――。
風呂から上がろうと脱衣所に向かったら、イミリアがいた。
彼女はしばらく僕を凝視して。
そして突然、目の前で絶叫する。
「うわっ……!?」
と、その声に驚くが。
(……あっ)
その原因に、ようやく思い至る。
「えっと……その……」
「……っ!?」
何か弁明の言葉を口にしようとしたが、その前に、イミリアがそっぽを向きながら無言でこちらにタオルを投げる。
それをなんとかキャッチして、とりあえずイミリアに背を向ける。
「あのーっ、お客様っ、どうしましたかーっ?」
コンコンと、脱衣所と廊下を繋ぐ扉から、店員の少女の声が聞こえた。
イミリアの悲鳴を聞いて様子を見に来たのだろう。
「あっ、いやっ、えっと……」
「なっ、なんでもないわっ!」
僕が返答に詰まっていると、イミリアが大きな声で扉の向こうに告げる。
「そ……そうです……か?」
若干納得はしていないような声色だったが、イミリアが大丈夫だから、ともう一度念押しすると、分かりましたー、と声が聞こえ、足音が遠ざかっていく。
「あ……あの……」
背後をちらりと見ながら、何か声をかけようとしたけれど。
「と……とりあえず……ふ、服を……」
「ご、ごめん……」
身体を拭くのもそこそこに、脱衣所の籠に入れていた制服を再び着ていく。
(……さて、どうしよう……)
気合を入れた途端この体たらくである。
---
「貴方は……その、男……なん、です、か?」
イミリアが、恐る恐ると言った声色で尋ねてくる。
「う……うん」
僕とイミリアは、部屋にいる。
僕が着替え終わったのを見届けた後、すぐさまイミリアは僕を風呂場から追い出した。
完全に怒らせてしまったのだろうかと、不安になりながらもひとまず部屋に戻って。
それから三十分くらいたって、イミリアが部屋に戻ってきた。
店員の少女から貰った服に着替えて。
(ああ、お風呂、入ってたのかぁ……)
そんな、ちょっと場違いな感想を抱いて。
……そして、今の状況に至る。
(完全に失念……そして反省……)
最近は自分のこの姿に言及する人がほとんどいなかったため、そういった誤解を与えるという発想がすぐには浮かばなかった。
「……………………そう、です、か」
僕の返答に、イミリアは長い沈黙の後、それだけ呟いた。
嫌悪を堪えているのか、それとも別の感情によるものか、薄目を開けて、何処か苦い表情を浮かべている。
「……どうして、そんな、恰好を?」
(……当然の質問だよね)
「ええと……趣味、かな」
「しゅみ……?」
イミリアは、理解出来ないものを目の当たりにしたような、どこか間の抜けたような表情を浮かべる。
「……………………」
「……………………ええっと」
その後、再び沈黙してしまったイミリア。
ここは僕が話を進めるべきだろう。
「あの……その…………ごめんなさい」
とにかく謝る。
悪化した状況で、とにかく出来るのはそれだけだった。
「……………………」
「それで……ええっと……」
イミリアからの反応はない。
(うう……やっぱり完全に怒らせちゃったのかな……)
……このままさっきまでの話がなかったことになって、ここから追い出されてしまうのだろうか。
そんな不安を抱きつつ、イミリアの反応をただ待つ。
「………………ふぅ」
「……?」
数分の沈黙の後、イミリアは大きく深呼吸をする。
「別に、気にしていないです……とは、言い切れないですけれど」
「は、はい……」
「あ、貴方に、私を騙す意図がなかったということは、分かります。そもそも、貴方に協力をお願いしたのは、私の方ですから……」
「う、うん……」
「私が貴方の力を必要としていることも、変わらない、です」
「あ、ありがとう……ございます……っ」
……どうにか、僕は首の皮が一枚繋がったようだった。
……本当に、きをつけ、ないと。
「ちなみに、なのですけれど……。貴方の世界では、そういうのが普通、なの、ですか?」
そういうの、というのは、勿論、この女装のことだろうか。
(なるほど……)
イミリアの常識でも、男がこういった格好をするのは、一般的ではないらしい。
異世界でも、基本的な感性は一緒のようである。
……などと、納得している場合でもないのだけれど。
「えっ?あっ……と、僕以外にも、いるにはいると思うけれど……基本的には少数派……かな?」
少なくとも、僕の周りでは、他に女装している生徒は見たことがなかった。
「……そう」
興味があったのか、それほどなかったのか、分かりにくい曖昧な反応だった――。
---
その後、店員の少女が部屋に来て、夕食はどうですかと勧められ、二人で食堂に移動する。
最初に言われた通り、ご飯は別料金とのことだが、宿代と一緒にツケで良いと、女将さんからのお達しがあったとのこと。
僕とイミリアは、一瞬だけ顔を見合わせたものの、お言葉に甘えることに決め、店員さんと一緒に階下に降りる。
「あっ、着てくれたんですねっ」
イミリアの姿を見て、よかったー、と、顔を綻ばせる少女。
「え、ええ……」
少女のその反応に、曖昧な表情で返すイミリア。
(困っている、というよりは……?)
その様子が、なんとなく気になってちょっと観察してみたけれど、まあそんな簡単に彼女の内心が分かる訳もなく。
料理が運ばれてきた途端、そんなことなどさっぱりと忘れてしまっていた。
出てきた料理は、潰したジャガイモらしき食材を固めて、ピザように焼いたもの。
野菜やベーコンらしき食材がジャガイモにまぜられており、焼かれたジャガイモとベーコンの香ばしい匂いが、とても食欲をそそった。
僕もイミリアも、ここに着くまで何も食べていなかったことを思い出す。
一瞬だけお互いに顔を見合わせて、おずおずとお互いの目の前の料理に手を出していく。
(……おいしいっ!)
空腹であることを差し置いても、素朴な感じでとても美味しい。
隣のイミリアも、無言で食べ続けているが、口元が綻んでいるところを見ると、口には合っているようだ。
あれよという間に、二人ともあっという間に平らげてしまった。
「なんだ、二人とも元気じゃないかっ!」
僕たちの食べっぷりを、女将さんは何故か気に入っていた。
――その後部屋に戻ると、掛け布団が二枚と、敷布団一枚置いてあった。
一人はベッドで、もう一人は布団で寝て下さい、ということだろう。
(……そういえば)
と、ここで、僕が男であることをイミリアに主張し、一緒の部屋で眠ることは良くないだろうと提案したが。
「……じゃあ、シズキは何処で寝るの?」
と、正論を返されてしまい、お互い仕方なく(?)、一緒の部屋で寝ることで合意となった。
勿論イミリアは気にしている様子ではあったけれど、それでも僕と一緒に寝ることを我慢してくれた。
「……ええと、それじゃあ」
お互い、部屋に収まるべきスペースが出来き、落ち着いたところで。
「……明日からのことを、貴方に話しておこうと思います」
イミリアがそう切り出した。
「私たちの目下の目標は……」
「う、うん……」
畏まって、イミリアの言葉に耳を傾ける。
「……生計を安定させること」
「お、おお……」
……現実極まりない発言に聞こえるのは、これが現実だからだろう。
(……確かに)
というか、換金出来るものを持っていたイミリアに比べて、完全に無一文の僕は、現状、救いようがないのではないのだろうか。
(……完全に、ヒモ状態……)
それは非常に不味い。
「酷く地味な目標ですみません。ですが、恐らく現在の私たちにとっては死活問題です」
「十分理解してるから、大丈夫……」
自分の現状に落ち込みそうになりながらも、とりあえず質問を返す。
「それで、さっきの……パーティ?」
「そうです」
「見知らぬ街で、仕事を探す……というのも、もしかしたらうまく行くのかもしれないけれど、可能性は低いと思います。特に貴方と……私、にとっては」
「むむぅ……」
イミリアの、事情。
それはこの街に着くまでに、少しだけ聞いていた。
実はイミリアも、あの森に望んで居た訳ではないのだそうだ。
彼女が森で言っていた、魔術の家系は、人里は離れた場所で魔術の研究をしているとのことで。
転移魔術の実験中に、魔術が暴走してしまい、あの森まで飛ばされてしまったそうだ。
しかも、国を超えて飛ばされてしまったらしく、今僕たちがいる国――アートルマ、だっけ――には、土地勘はほとんどないとのこと。
「それじゃあ、なんとかして家まで帰りたいですよね」
と、月並みな言葉を投げかけた時に、何故か酷く苦い顔をしていたのを、良く覚えている。
とにかく、僕もイミリアも、お互いまったく生活基盤というものをここに持っていないということである訳で。
さらに、イミリアは自身の家系の都合上、出来るだけ自身の素性を明かしたくないとのことだし、僕はそもそも異世界人(?)であり、素性も何もない。
「……見知らぬ土地で、素性をどうにか誤魔化して、お金を得る手段――それが、冒険者ギルド」
「ぼうけんしゃ……ぎるど……」
……それは、もしかして、『冒険者ギルド』、で合っている、のだろうか。
(なんかワクワクする単語が出てきたっ……!)
これも友人に勧められたライトノベルの中で出てきた単語だった気がする。
それを差し置いても、『冒険』という言葉が付いているだけで、こんなにもテンションが上がってしまうのは、男の子の性なのだろうか。
「冒険者としての一定の基準の能力を持っていれば、それほど素性は問われない……らしいです」
流石に有名な犯罪者とかは別だろうけれど、と。
「私も……多少は、魔術の心得が、ありますし。その、貴方も、あの森でシャドウハウンドを倒していたことから、冒険者としての適性は問題ないと思います」
そう言いながら、こちらを伺うような視線を向けてきたけれど、それにどう答えていいか分からず、ひとまず続きを促すように相槌だけ打つ。
「冒険者、と言っても、常にダンジョンを探索している訳ではないようでして、その町の便利屋みたいなことも斡旋している……らしいです」
語尾のほとんどに『らしい』がついているのは、彼女が『冒険者』というものについて、人伝えでしか知らないから、なのだろうか。
「……ただ、勿論、モンスター退治みたいな、命の危険のあるクエストもあります。私はそちらを受けることも吝かではないです」
危険度の高いクエストの方が当然ながら報酬が高いのだという。
最終的な目標は、この町から隣の国まで移動するための資金の調達ですので、と、付け加える。
「……さっきはそういう大事なことも言わずに、貴方に協力を求めてしまいました。勿論、貴方がそういう危険を避けたいのなら、そういうクエストのみを選んでもいいですし。そもそもやっぱり協力出来ない……というのも、当然ありです」
畏まった様子で僕に告げるイミリア。
「だっ大丈夫!これでもそこそこ危険なことには慣れてるからっ!」
その畏まりが、僕には恐縮過ぎるように映って、慌てて言葉を返す。
「それに、『冒険者』とか、なんかそういうモノになれるだけで、きっとそれだけで何も十分贅沢だと思うし」
完全に、僕の思っている『冒険者』のイメージで想像しているため、実際は異なるのかもしれないけれど。
だけど。
こんなチャンスを逃してしまうのは、きっと色々な人――主に友人……――に酷く失礼なのだろうから。
「前向きな意見、ありがとうございます……」
言葉の割に、また若干引き気味なのは気のせいだろうか。
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窓の外を見ると、いつのまにかすっかり日は暮れていて、家々から漏れる光が、点々とその存在を主張していた。
ふと、部屋の中がほんのり明るいことに今更ながら気づく。
光の発生源を見ると、小さなテーブルに置いてある簡素な電灯のようなものが光っていた。
いつの間にか、イミリアが点けていたようだ。
(あれ……?)
しかしよく見てみると、白い台座に乗っているのは電球ではなく、似た形に加工された透明な石の塊のようだった。
周囲に何か文字のような模様が刻まれている。
「それは、『マナ灯』と呼ばれる、明かりを灯すことが出来るアイテムです」
僕の不思議な者を見るような視線に気づいたのか、イミリアがそう説明する。
「スイッチを入れると、周囲のマナに反応して明かりが灯ります」
「……マナ?」
これも聞いたことのある単語だ。
「そうですね。マナと言いますのは、簡単に言いますと、この世界に満ちている、魔力の源となる存在です」
「おお……」
「魔術の行使や、魔道具の動力とするため、マナから魔力の変換が行われますが、そもそもの根源となるものは……」
「お、おお……?」
イミリアが妙に饒舌となり、つらつらと説明を始める。
……のだけれど、多数の専門用語と概念的な話に発展し、結局、『力の源』という最初の理解しかできなかった。
「え、えーと……」
「あ、ご、ごめんなさい」
僕が戸惑っている様子がようやく視界に収まったのか、イミリアが説明を止める・
「つ、疲れてますよね。もう寝ましょうか」
何処か照れ隠しのように、就寝を勧めるイミリア。
「う、うん。そうだね」
僕はまだ大丈夫ではあったけれど、恐らくイミリアの方がお疲れのようだと思ったので、素直に同意する。
と、いうことで、今日はこのままお開きとなった。
「それじゃあ、消します」
イミリアが明かりを消して、ベッドに入る。
僕もそれを見届けて、布団へ潜り込む。
スカートを履いたまま布団に入るというのは、中々新鮮な感覚だった。
(とりあえず、眠りにくいことは確かだ……)
寝返りを打つたびに、スカートが捲くれ、それがどうにも気になり、もぞもぞとしてしまう。
着替えも何も持っていないので、仕方がないのだけれど。
(せめて寝巻だけでもどうにかしたいけれど……)
完全に無一文、かつ、イミリアのヒモ状態の僕にとっては、酷く贅沢な悩みなのだろう。
お金になりそうなものも、何か所持している訳でもない。
ただ、例え財布を持っていたとしても、恐らく通用しなかっただろうけれど。
(とにかく、少しでも、ちゃんと役に立てるようにしないと……)
イミリアが寝ているベッドにちらりと視線を向ける。
彼女はこちらに背を向けて寝ており、その様子は分からない。
(眠っているの……かな?)
今日出会ったばかりの少女と、同じ部屋で眠る。
考えてみれば、中々起こりえないシチュエーションではある。
そして、それは、イミリアにとっても同じことで。
(僕は、それほどに気にならないけれど……)
彼女の方は、もしかしたら、警戒しているかもしれない。
……いや、普通は、警戒してしかるべきだろう。
同じ部屋で眠ることを許すというのも、彼女なりの苦悩があったと思う。
(一応、男だし、僕。こんなナリだけど……)
風呂場でやらかしてしまったことを思い出し、改めて心の中で謝罪しておく。
……とりあえず、出来るだけ意識させないように、物音を立てずに眠るように心がけよう。
その心がけが、果たして意味があるのかは、分からないけれど。
――そして、今日が終わる。
一日にして、僕の周りの環境が何もかも激変した、今日が終わる。
そしたら、明日が始まるのだ。
……そんな当たり前の事実が、何故か酷く新鮮に感じた。
ぽつぽつと、そんな他愛のないことを考えながら、眠気が訪れるまで、ぼんやりと、天井を眺めていた――。