04 契約と始まり
――彼女を仲間に引き込む。
森で出会った少女――シズキ、というらしい――に、この提案をすることが、ここに彼女を連れ込んだ目的である。
「へ……?」
少女の方は、口を開け、気の抜けた表情を浮かべている。
恐らく、私の言葉を、すぐには理解出来ていないのだろう。
私自身、少女の虚を突くような発言であることは分かっている。
……それでも、どうにか彼女を味方につける必要がある。
(少女の今の状況を、出来るだけ利用して……)
少女の言葉――そして、異世界転移というお伽話。
今も私は、それらを完全に信じている訳ではないけれど。
少なくとも少女は今、私と同じか、それ以上に、頼る者のない状況に投げ出されている……らしい。
森で出会ってからここまでの、少女の言動から考える限りは。
(……悪い人間ではない……ようには、見えるのですが……)
私の命を救ってくれた人に対して、失礼な話ではあるのかもしれないけれど、人を信じるというのは、それとはまた別の話だ。
ただ、森の中から、今のこの状況まででは、特段、悪い印象を受けてはいない。
お互いの常識の不一致を除けば、普通に話も通じる。
(元の世界に戻りたそう、というのは、意外でしたけれど)
異世界転移者は、ここが異世界と分かって、てっきり、喜ぶとばかり思っていた。
(それに、転移するときに、何の話も聞いていないらしいですし……)
……まあ、あくまで、彼らから聞いた話からの推測なので、異世界転移者と仮定したとしても、同じとは限らないのかもしれない。
……そう考えると、これは早計だったかもしれないと、思われなくもない。
(……スキル)
異世界転移者である彼らは、何か強力なスキル――あるいは他の何か――を持ってこの世界に訪れるらしい。
……今、そこまでこの少女に聞くのは、流石に露骨過ぎると思って聞けていないが。
ただ、少なくとも、森の中でシャドウハウンドを――スキルが切れている状態とは言え――一人で撃退していたところを見るに、ある程度の戦闘能力はあることは確かである。
――例え、目の前の少女が異世界転移者でない、別の何かだったとしても、今の私に必要なのは、戦力を持つ協力者だった。
そのために、少女の状況に対して出来る限りの理解を示し、こうしてなけなしのお金を使って、宿にまで引っ張り込んだのだ。
(うまくいく、でしょうか……)
これまでそれなりの任務はこなしてはきているから、交渉事に全く慣れていない訳ではないが。
シズキの反応を待ちながら、彼女を説得する言葉を頭の中に並べていると――。
「いいよ」
「…………へっ?」
あまりにもあっけない返答に、一瞬、私の思考が追い付かなかった。
「あっ、えと、パーティ、っていうのが、僕が知っているものと同じかどうかは分からないけれど……とにかく、僕を必要としてくれてる……ってこと、だよね?」
そう、何故か少女の方が、どこか不安げな表情で問いかけてくる。
「え、ええ……そういう、こと、ですけれど……」
少女のそんな反応に、こちらが面食らってしまう。
「……そっか。……そっか!」
私のその返答に、少女は何かを噛み締めるように頷いて。
「うんっ、協力するよ!」
私の想像を超えた好意的な反応が少女から返ってきて。
「あ、りがたい……のですけれど……いいのですか?」
そのあっけなさに、協力を要請した私が、その是非をシズキに聞いてしまう。
「勿論っ!森で色々親切に教えて貰って、ここまで連れてきてもらったし。まあ、それがなくても、誰かに頼られて、断る理由はないかなっ」
少女は私の問いかけにも、笑顔でそんなことを述べる。
「……」
森の中、という話ならば、命を救って貰った私の方が、むしろもっと恩を返すべきである。
そんな、あまりにも好意的な反応に、逆に不審の心が芽生えてしまったのは、私の心が捻くれているからだろうか。
少女が語る言葉の真偽を確かめようと、こちらに向ける表情を注視してみる……が。
(分からないですね……)
そこまで他者の内心を読み取れるほど接してきた訳でもないのだから、当然といえば当然なのだけれど。
「…………ありがとう、ございます」
若干引いてしまいながらも、感謝の言葉を絞り出す。
この僅かな間に、様々な考えが、頭の中を駆け巡ったけれど。
ひとまず、自身の目的通りにことが運んだという現実を受け止めることにした。
「……」
「……」
そして、しばしの沈黙が私と少女の間に横たわる。
「……?」
少女のが、首をやや斜めに傾げながら、不思議そうな顔をしてこちらを見つめている。
「……あっ、えっとそれでは……」
慌てて、頭の中を次に切り替えていく。
「……それでは、改めて」
そう言って私はベッドから立ち上がる。
「お、おお……?」
少女も私につられるようにして立ち上がった。
「その、えっと……これから、よろしくお願いします」
そうして、少女――シズキに、右手を差し出す。
正直、私的にはここまでする必要はないと思っているけれど、友好的な態度は少しでも多く見せておいた方が良い。
「……」
(……?)
目の前にある私の右手を凝視しながら、少女は何かを躊躇う様子を見せる。
「ええ……っと、握手、でいいんだよね?」
「……?ええ、そう……ですけれど……?」
そう尋ねるシズキの言葉に、同意を返す。
「そ、そっか……じゃあ……」
何故か恐る恐るといった様子で、少女が私の手に触れていく。
森の中で初めて触れたその手。
今度は少女の方が、私の手を握り返す。
恐ろしいほどぎこちなく、病的なほどに慎重に握る力を込めてくる。
ふるふると、少女の手が小刻みに震えているのが、こちらに伝わってくた
……まるで握手が苦手、とでも言うかのような。
(……そんな人、いるのかしら)
そんな違和感があったものの、ようやく少女と私の手が、握手として適度な状態に収まる。
改めて触れた少女の手は、細く柔らかな手をしていた。
「……改めて、よろしくお願いします、シズキ」
「うんっ、よろしく、イミリアっ」
お互いに再度、挨拶を交わした時、ひとつ肩の荷が下りた心地がした。
勿論、劇的に状況が好転した訳ではないのだけれど。
……と。
「君が必要としなくなるまで、好きなように、好きなだけ僕を使ってくれて大丈夫だから」
出来ることは少ないんだけどね……と、やや恥らう様子と、明るい声、そしてどこか晴れやかな笑顔で、シズキが、そんな言葉を付け足してきた。
「……へ?」
(はい……?)
それは、初対面の人間に投げる言葉としては、明らかに心的重量を誤ったものにしか聞こえなくて。
「あ、あの……そんなに気負ってもらう必要はないのですけれど……」
そう、控えめに申告をしてみたものの。
「……?」
彼女は、何故か不思議なモノを見るような顔で、こちらを見つめていた。
――真っ黒な、瞳。
――こちらを見つめるその目に、視線を合わせた瞬間。
(……っ!?)
……ゾクリと、背筋を凍らせる何かが、獣の形をして、私の中を駆け回った。
彼女の漆黒の瞳が、深さと暗さを増して。
私を捉えて、捕食して。
真っ暗な彼女の胃袋の中で、自身の致命的な過ちに、ようやく気づく。
……そんな馬鹿みたいな妄想を、何故か一瞬、抱いてしまった。
「……あっ!……えっと、そうだよね。こんなこと、いきなり言われたら引くよね」
ちょっとテンションが上がってしまって……ごめんなさい、と、謝罪の言葉が彼女の口から出る。
その言葉に、はっと、我に戻る。
「い、いえ……大丈夫、です」
正直割と引いてはいたけれど、言葉の上ではひとまずそう返す。
先ほどの悪寒は、消えていた。
――その僅かな名残だけを残して。
(自分が思っているよりも、疲れているのかもしれないわ……)
ここまで休みなく来て、ようやく少しだけ得られたものがあったことで、気が緩んで、幻覚のようなものを見たのかもしれない。
……と、思うことにした。
――だから、その時感じたのが、最初に彼女が私に手を差し伸べた時に感じたモノと、同種の何かであったことを、その時は気づけなかった。
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……イミリアからの提案は、停止しかけた僕を動かす、天啓だった。
学園。能力者。課外授業。etc。
僕を今まで取り巻いていた環境。
それら全てが突然、目の前から跡形もなく消え去ってしまったこの状況。
それを自覚した時に感じたもの。
言い表すのが難しいけれど、一番近いのは、『虚無感』、だろうか。
自身を構成していたものが次々と拡散して、薄くなっていくような。
環境というものは、良くも悪くも、自身を形作る型の役目をする……と、先生が言っていたけれど、まさにその通りなんだなぁ……と、改めて感じた。
そんな中で、少女の申し出は、正に、天啓そのものに思えた。
(パーティを組む……)
その響きは、それこそゲームや漫画の中でよく聞く言葉だった。
イミリアの言ったそれが、それと同義であるのかはまだ確かめてないけれど。
(……まあどちらにしても、彼女に協力することに代わりはないから、問題はないかな)
とにかく、彼女が僕を必要とした、それだけで僕は救われたようなものだった。
だから、あまりの幸運、あまりにも恵まれた状況に、テンションが上がってしまい、ポロリと言葉が零れてしまった。
『君が必要としなくなるまで、好きなように、好きなだけ僕を使ってくれて大丈夫だから』
……案の定、彼女はドン引きしているようだった。
(……気をつけよう)
……そう、心に誓ったのだった。