第四章 6 生きていてほしい
劣勢から優勢に一変させたウルルカの口伝は、その後も一役買ってくれた。
詳しく言えば、黒いユウヅキの物量を薙ぎ払ってくれるおかげで、セイこと僕もホネストに混じって攻撃を当てる余裕がでてきたのである。
その成果もあって、ユウヅキのHPは《三千尾の妖力》分も合わせて半分まで削れた。
だが、それにつれて、別の問題も浮き彫りになってきた。
「《マーシレスストライク》!!」
ちょうどホネストが大剣を掲げ、ユウヅキに向けて攻撃技を放つ。
だが、なにか違和感を覚えたのか、唐突にその手を止めた。その隙にユウヅキが小刀を構え、突き立てた。
運がいいことに小刀は全身鎧に弾かれて、大事なく済んだのだが、ホネストは一瞬たじろぐ。
「ホネストさん?」
僕はサラマンダーもどきを一掃しつつ、振り返った。どうしたのだろう……ホネストなら一撃、いや二撃は加えていた場面だ。
すると、ホネストは攻撃を受けるために大剣を盾のように構え、苦虫を噛み潰しながら呟いた。
「今の攻撃、避ける気がなかった」
「え?」
「これは、あまり悠長に事を構えている場合ではないですよ」
それはどういう意味か……僕がそれを口に出す前に事は動いた。
次の瞬間、黒いユウヅキはモンスターに引けを取らない凶暴な雄叫びを上げたのである。それに比例して、黒い影がさらに濃くなり、ユウヅキの外見も見えなくなった。
次第に影は大きくなり、牙が生え、爪は鋭くなり、四足歩行になる。これは、
「まさか第二形態!?」
今も尚、迫りくる手裏剣を薙ぎ払いながらウルルカが叫ぶ。
そう、モンスターによっては残存HPが少なくなることで行動変化が生じる事がある。それに伴い、激しい攻撃をするために姿を変えるものもいる。だが……。
「これ、ユウヅキさんはどういう状態なんだ?」
今までは『呪いの装飾品』が無理矢理《三千尾の妖力》を発動させ、自我を封じていたはずだ。だが、理性は残し、操りやすくしていた。
だが、第二形態は僕達より一回り大きな妖狐の姿を形どった。まるで、理性さえも取り払い、暴走させているような……。
「セイっち!!」
その時、ウルルカが注意を促した。
ユウヅキ……もとい、三千尾の妖狐が手裏剣、サラマンダーもどきに続き、自ら妖艶な紫色の火の玉を生み出した。
やばい、明らかに人数不足だ。順にウルルカが手裏剣を、僕がサラマンダーもどきを担当しても、火の玉まで受ける者がいない。ホネストも妖狐の引っ掻きや噛みつき攻撃を大剣でいなすことに精一杯だ。
僕は改めて曲剣を構え直した。ノエルたちはまだ戦える状態ではない。何か打開する手立てはないのか、何か……。
「セイさーん!!」
その時、背後から声がかけられた。
◇
ーーああ、本当に締まらないなぁ。
一方、ユウヅキこと私の意識はまどろみの中を漂っていた。
わかっている。私は首に『呪いの装飾品』をかけられ暴走している。おそらく、そう遠くない未来に倒されるだろう。
かの《アキバの街》で猛威を振るっていた殺人鬼、エンバート=ネルレスも呪いにより体を乗っ取られ、アキバの《冒険者》に倒されている。
まどろみの中で、かすかに音が聞こえるキン、キンという音。刃がこすれ合い、砲撃のような大きな音が交じる。
想像するに、今、現在では一進一退の攻防が繰り広げられているのだろう。
《冒険者》は危機になるほど力を発揮する。私の調べでは『口伝』というものも存在しているらしい。もし私が圧倒的な物量で攻めても、何かしらの方法で形勢を逆転する。そして、《変わり身の一尾》の反動に追い立てられ、成すすべを無くした私は、徐々に命を減らしていき、いずれは……
ーー今思えば、何と浅はかだったのだろう。
結局、独りよがりで何も守れずにいなくなるのだ。誰も私の事なんか気にもしていない……。
ーー「そんな事ありません!」
そんな事を思っていると、はっきりと叫ぶ声が聞こえた。
ああ、覚えている。私は目を瞑って、残りの時間を使って思い出すことにした。
◇
脳裏に浮かんだのは、町娘に扮して、小さな社にセイをおびき出した時のことだ。
『けども、調子に乗りすぎりゃ。
風に攫われ。
宵の中』
その時の私は着物の袖を正しながら、わざとけまりを転がした。
これから貶めようとしている標的と言葉を交わしてみたいと思うなんて、どうかしている。けれど、《九山巫女》の一人として……いや、ただのきまぐれとして、会ってみたいと思った。
――どんな人物だろう。
ナカス奪還の立役者と聞いたからには、大男をイメージしていた。だが、実際に現れたのはただの子供だった。
じー。私は目の前の少年、もといセイという《冒険者》に近寄ってまじまじと見渡した。
「あの……」
「はい」
「何しているんですか?」
「お気になさらず。ただの人間観察ですので」
そ、そうですか……セイはそう言うと、小首を傾げながら、けまりを差し出してきた。
「……?」
「いや、これ、あなたのですよね?」
「…………………………はっ!!」
しまった、そうだった……私はたじろいだ。
「けまりを拾ってもらい、さりげなーく仲良くなって、標的の弱点を探る作戦が……」
「あの、聞こえてますよ」
あああ……狐耳と尻尾がぴんっと立ったかと思うと、力なく項垂れる。意識しないと感情が出てしまうのが、狐尾族の難儀なところだ。
故に不憫に思ったのか、セイは私に手を差し伸べた。
「あ、あの……大丈夫ですか?」
「あ、これはご丁寧にどうも……って、ちが――う!!」
私はその手を取りそうになって、すぐさま払い除けた。
――はぁ、はぁ、危うく標的の手を借りるところだった。
そうだ、私がこんな失態をするわけがない。これでも、《影巫女》を率いていた実力者だという自覚はある。
――ならば、なぜ? はっ……まさか、もう『ユウヅキ』だと見抜いているのか。
私は警戒して一歩下がって身構える。そのまま一定距離を保つと、けまりを携えながらポカンとするセイに、こう言い放った。
「くっ、さすがは《ナカス奪還》の立役者。だが、私はまだ負けていない! 覚えてなさい!」
そうして、私は脱兎のごとく撤退を余儀なくされた。そんな女性に、残念そうな視線を向けるのは当然で、
「あの……けまりは?」
セイは、けまりと見て、「変な人」と呟いたのだった。
◇
それからしばらくして、セイという名の《冒険者》は、けまりを携えながら東西南北をあてどなく歩き回っていた。私は、見えない位置から、その道中を眺めていた。
どうやら《ユフィンの温泉街》を見て回っている最中だったらしい。だが、《ユフィンの温泉街》は温泉以外に特出したものはない。最終的に小川にたどり着いたセイは、大きくため息をついて振り返った。
「……いつまで、くっついて来るつもりですか?」
「……!?」
私は大慌てで土手に隠れる……まさか見破られたというのか。
もしや、わざと小川に誘い込まれたのか。ここは土手以外には隠れられる場所はない。逃げるとしても、隙を作らないと、この窮地を乗り越えることはできないだろう。
――《お触り禁止》の名は伊達じゃないわね……。
敵にまわす以上、最低限の情報収集はしている。確か触れることさえできずに敵が倒れる様から《お触り禁止》という名がついたはずだ。そして、得意技は、
「《シャドウバインド》」
瞬間、私は固まった。セイが返事がない事をいいことに、仕方ないと言わんばかりに技を繰り出したのだ。
まるで石のように言うことを聞かない身体に、私は混乱してあたふたした。その間に、セイは背後に回って、
「こんにちは」
「ひゃぁぁぁぁぁぁ!!!!」
突如、意図せぬ場所から声をかけられた私は、手足をバタバタさせた。冷や汗が滝のように溢れ、尻もちをついた。
その大仰とした様子に、さすがのセイも傷ついたのか、ムッとした表情で呟いた。
「いや、人の顔を見るなりひどいな。僕が何かしたのかなぁ?」
「ひゃゃぁああああ……あ?」
やばい、やられる……そう、身構えた時だった。
「……グキッ」
え……背筋から異様な音が響き、セイと目が会う。そして、腰が曲がらない私をまじまじと見ながら、今度はセイが冷や汗にまみれることになった。
◇
そうして、しばらくした後、私はなぜか土手の上……柔らかい草地に座らされ、セイという名の《冒険者》は川原で土下座している。
私はそれをなだめて、どうしてこんなことになったのだろう、と頭を抱えていた。
「ごめんなさい、ごめんなさい。おふざけが過ぎたみたいでごめんなさい」
「あ、いえ、単純に腰が抜けただけですので、お気になさらず……少し休めば治りますから」
必死に語りかける私。えっと、確か標的を貶めようとしているはずだよね?
《十席会議》第二席、インティクス様から命令が下って、私は《お触り禁止》と呼ばれている《冒険者》を再起不能にするか、苦汁をなめさせるために帰ってきた。
なのに、標的は少年で、頼りなくて、土下座までしている。
「くすくす……」
何だがあほらしくなって、肩の力が抜けた。
「ふふふ……あはははは」
「何、笑ってるんですか!?」
土下座をしていたセイが跳び上がる。
私は慌てて狐耳と尻尾、金髪の髪を整えて、改めて挨拶をした。
「失礼しました、《冒険者》さん。けまりを返してもらっていいですか?」
「え、は、はい……」
セイは傍らに置いてあったけまりを手に、急に真面目になった私が怖かったのか、おそるおそる渡してくる。
私はけまりを受け取って、大事に抱えた。セイという名の《冒険者》もそれを見て、安心して、隣に座る。
「大事なものなんですか?」
「けまり自体は特に何も。でも、暇があれば、仲間たちとけまりで遊んでいたんです」
「お仲間さんと?」
そう言うと、私はけまり歌を口ずさむ。
そう、小さい頃は皆で集まって遊んでいた。
何もない《ユフィンの温泉街》……だけど、何もないからこそのびのびと過ごせた。
けまり歌は小川の気持ちいい風に乗って、どこまでも飛んでいく。私はそんな《ユフィンの温泉街》が好きだった。
「お仲間さんはどこに?」
「今は離れ離れです」
セイという名の《冒険者》は、私の言葉を聞いて息を呑んだ。
そう、全ては昔の話。私の心は冷めて、頭は垂れ下がった。
「きっと私のことなんて誰も覚えていない……だけど、もう一度だけこの景色を見れて良かった」
その瞬間、私はけまりを川に向けて投げはなった。けまりは川に流されて、どんどん先に進んでいく。私は見届ければ、それで……。
「そんな事ありません!!」
その時、セイは立ち上がった。そして、私の投げ放ったけまりを取りに行って、川に飛び込んだ。泥にまみれ水に濡れながらも、けまりを拾い上げることに成功したセイは、精一杯に語りかけた。
「大切な仲間なら、きっと帰りを待っています。信じてあげてください」
「……」
「ああ! すみません!! また勝手なことを言って」
私は目を丸くした。そうか、このセイという《冒険者》は純粋なのだ。きれいで川のせせらぎのごとく、自分の気持ちに正直になれる……だから、皆ついていくのだ。
でも、だからこそ、私には眩しすぎる。
「はい。もう無くさないでくださいよ」
川から上がったセイは、再びけまりを差し出した。私はそれを受け取ると、まじまじとみつめる。
水浸しになったけまりは、まるで私のよう。《ウェストランデ》に染まりながらも、今も大切なものにすがりついている。
――皆のもとに帰りたい。
私は胸ぐらをつかんだ。突如として腹の底に溜め込んだ気持ちが溢れ出しそうになる。
「大丈夫ですか!?」
「大丈夫……でも、ごめんなさい。今日はもう失礼しますね……」
慌てるセイに、私は軽く挨拶しながら立ち上がった。ちょうど腰も良くなり、介抱してくれたセイに頭を下げ、歩き出す。
「ユウヅキさん!」
だけど、その瞬間、私は名前を呼ばれて振り返った。
おかしい。私の記憶だと、セイは心配そうに見つめながらもその場を後にしたはずだ。それにまだ私の名は知られていない。
なのに、セイという《冒険者》は、こちらをまっすぐに見て言い放った。
「生きるのを諦めないでください」
「え?」
「忘れないでください。大切なお仲間さんの事を」
その瞬間、セイという《冒険者》は桜の花びらに変わって舞い上がった。そのまま景色を飲み込んで、私をまどろみの中から押し上げていく。
その先で待っていたのは、私の名を呼ぶ声だった。
◇
「目を覚まして!! ユウヅキ!!」
その声で私は現実に戻ってきた。
けれど、身体は動かない。四肢は縄のようなものに縛られ、乗っ取られている。
おそらく、この縄は『呪いの装飾品』の意思に近いものだ。絶対に離さない……冥府の底まで道連れにすると言わんばかりに食い込んでくる。自分の姿も人型から狐へ……縛られている部分から徐々に獣へと変貌を遂げていた。きっともうすぐ完全に飲み込まれるだろう。
だが、まだ意識ははっきりとしている。今も旧ラレンド家邸宅の敷地の境目で、暴れまわっている自分を視認できた。
「《タイガーエコーフィスト》!!」
それに対峙しているのは、ウルルカとセイ。ウルルカが大量の手裏剣と召喚生物を大砲のように薙ぎ払い、こぼれた個体をセイが仕留めていく。
できれば、このままレジスタンス組織の《冒険者》の力も借りながら、支配された私を倒してほしい……そう、願った時だった。
「回復用の水薬をちょうだい!」
その願いに割って入る声が聞こえた。その声に私は聞き覚えがあった。
何故……嬉しい反面、私は苦虫を噛み締めた。
「次、前衛と交代するわよ! 準備して」
気づけば、声がいろんな方向から飛び交っていた。身体に密着した忍び装束に網タイツを着た女性たちが、逃げないように私を取り囲み、手裏剣や召喚生物の迎撃に参加……心配そうに、もしくは決意を秘めた表情で私を見ている。
「ユウヅキ! 帰ってきて!!」
「ユウヅキは、絶対に負けたりしないんだから!!」
覚えている。彼女らはユフィンの温泉街を支える《影巫女》たち……私の大切な仲間たち。
――こっちに来ないで!
私は叫んだ。けれど、乗っ取られている今、口は動かない。声は届かない。
駄目だ。このままだと私は《影巫女》たちを傷つけてしまう。そうなったら私は何のために《ウェストランデ》に手を貸していたというのだ。
――全ては《ユフィンの温泉郷》を守るため……しいては皆を守るためだ。
人質が解放されたとはいえ、《影巫女》にはまだ諜報機関としての価値がある。もし、私が自ら離れれば、別の誰かが犠牲になる可能性があった。
だから、私はあえて残り続けた。罪を重ねて、いつか誰かの返り討ちにあうために。
《影巫女》が返り討ちにあえば、価値は下がるだろう。だから、だから……。
――お願い、死なせて。
私は必死に心のなかで叫んだ。少しでも口が動くように、届くように。
「諦めないで!!」
その時だった。《影巫女》のくのいち集団から、威風堂々と声を張る女性がいた。
私と同じ狐尾族で、他の者よりもひときわ顔立ちが良い……覚えている。一緒に競い合っていた友であり、私が《影巫女》の『裏』になった後は、ともにラレンド家のために支えあった『表』の巫女だ。
『表』の巫女は《影巫女》の先陣に立ち、鼓舞するように言う。
「いままでユウヅキは《ウェストランデ》に仇なす勢力を切り崩してきた。今更、《九大商家》にも、他の《九山巫女》にも顔向けはできない。でも」
『表』の巫女は、自分の拳をぎゅっと握りしめた。
「私は、私達は……ユウヅキに生きていてほしい!!」
その瞬間、私は口をつぐんだ。死という言葉を口にできなくなった。
「そのために私達がすることは、一緒に沈むことではない! 《影巫女》の誇りをかけて、ユウヅキを助けるのよ!!」
――ずるい。
わかっている。これはセイという《冒険者》の仕業だ。どういう経緯かは知らないが、私の同情心を煽って、引き戻そうとしているだけなのだ。
最初に会ったときは純粋な人だと思っていたのに……とんだくわせ者だ。
それでも、
――私はかつて《影巫女》の一人として名を馳せた者。こんな事で負けては、仲間たちの名折れになる。
それだけは、許されない。罪を背負っているからこそ、私が仲間の重荷になってはならない。皆の尊い誇りを汚すことだけはしてはならない。
私は縄で縛られて動かない手足を力任せに動かし始める。
――身体が動かないからって何だ!! 『呪いの装飾品』が何だ!!
全身にありったけの力を込める……それに伴い、私の尾も三尾から四尾に、四尾から八尾に……尾が増えるに従って、力が増していく。
――はぁぁああ!!!!
最終的に、尾は三十に増えた。これが本来使える技……私だけが使える《三十尾の妖力》。
これを使うと解除した後の身体への負担が何十倍にもなるけど、構っている場合ではない。
縄がしなる音が鳴り響く。
――いい加減、この縄もうざいのよ。
私を本当の意味で縛れるのは、《ウェストランデ》でも『呪いの装飾品』でもない。
――《影巫女》だけだぁぁぁあ!!!!
次の瞬間、私を掴んで離さなかった縄が、観念するかのように、音を立ててちぎれ去った。
1/31 誤字(九大巫女→九山巫女)修正




