第四章 2 暖かい
黒い妖狐。妖狐といえば、九尾を思い起こすが、ユウヅキの尾は三千も分かたれていた。余りにも多くて、何本かは足代わりに使っているぐらいだ。その手には黒いオーラから作られた短刀を握りしめている。
【モンスター:三千尾の妖狐 レベル:70 ランク:レイド】
僕は曲剣を構えながら、じりじりと距離を取った。ステイタス画面を開けば、ユウヅキの名が《三千尾の妖狐》に変わっている。
「一体、何が起きた?」
「間に合わなかった」
知っているのか……僕は妖狐に警戒しながら、ウルルカに確認を取った。すると、ウルルカは息を呑んで頷いた。
「ウェストランデにいた頃、噂程度に聞いた事があるの……ジェレド=ガンが《影巫女》ユウヅキに目を付けているって」
「目を付けている?」
「詳しいことは知らないけど、ナインテイルに来てからも人伝には聞いていた。ジェレド=ガンにいじくられた哀れな巫女だって……確か」
「《三千尾の妖力》」
ウルルカの言葉を引き継ぐように、疾風が呟いた。
「ジェレド=ガン、の手、により、強化された、《三尾の妖狐》の、強化版」
もともと、ユウヅキは《三十尾の妖力》という切り札を編み出していた。これも《三尾の妖力》を強めた特技だったのだが、使えば白目を剥いて気絶するため、多用はしていなかった。
けれど、これに着目したジェレド=ガンは、実験を繰り返し、《三千尾の妖力》に強化した。もちろんその代償が、自我が崩壊させる危険なものなのは、言うまでもない。
「だけど、『呪いの装飾品』で、制御、すれば、問題、ない」
「『呪い』……」
第三分室の報告書で読んだことある。確か『呪い』の武器を手に、《アキバの街》を震撼した《大地人》がいた。
エンバート=ネルレス。《供贄の一族》を裏切って、殺人鬼と化した《大地人》。《霰刀・白魔丸》を手にしたことで意識を乗っ取られ、最終的にレイドモンスターとなった。
――まさか、ユウヅキさんも!?
瞬間、黒い妖狐が動き出す。尻尾で勢いを付けて、飛び上がり、短刀を振りかざしてきた。
くっ……僕は曲剣を真横に構えて、小刀を受け止める。刃が噛み合って、悲鳴に似た金切り音が零れる。
「はぁぁぁぁ!!」
次の瞬間、ウルルカが拳を構えて跳んだ。僕が動けない以上、自分が動くしかない……そう、考えたのだろう。ユウヅキの背後に陣取っていた疾風めがけて、《タイガーエコーフィスト》を放つ。
だけど、それも《狼牙族》の《冒険者》によって止められた。《狼牙族》は、得物である槍を地面に突き刺し、ウルルカが近づくと、軸として槍を最大限に生かした回し蹴りを見舞う。
その意表を突いた攻撃にウルルカは避けきれず、腹に食らって吹き飛ばされた。
それを皮切りに、再び疾風の下に《冒険者》たちが集結し、守るように陣形を取った。
陣形の中で疾風は、悠々とその場を後にしよう後ろを向く。
「逃げるんですか!?」
その後ろ姿に、僕は罵声を浴びせた。疾風は振り向きもせずに答える。
「明察秋毫……早く、しないと、彼が、来て、しまいます、から」
今頃、僕とユキヒコの念話を頼りに、大急ぎでこちらに向かっている……疾風は、ずっと側にいたからこそ、ホネストの動向は手に取るようにわかる、と公言した。
「もたもたしていたら、囲まれて、終わる」
「そのためだけに、ユウヅキさんやウルルカさんを利用したって言うんですか!?」
「……」
「答えてください、疾風さん!!」
「そうだよ……だって、とってもかわいそうな、ユウヅキを、このままには、しないよね?」
僕はその言葉を聞いて、苦虫を噛みつぶした。
皆の優しさに付け込む。それはホネストを、第三分室を知っているからこそできることだ。知っていて逆手に取るのだから、到底、許す気にはなれなかった。
何故……その表情を読んでか、疾風は去り際に呟く。
「忠言逆耳……戦う事、だけが、救う道とは、思わないことです」
「え?」
僕は顔を上げる。けれど、疾風はすでに前傾姿勢を入り、仲間と共に山岳方面に向かって飛び去っていた。
「待て!!」
僕は身を乗り出す。けれど、剣を交えるユウヅキが立ちはだかる。
つばぜり合いに勝ち、小刀を弾き返すも、ユウヅキは寸前の所で見切り、くるりと身を捻らせ、回避。続けて曲剣を中段に構えて、突きを放ったが、三千尾ある尻尾を絡ませ、曲剣を器用に掴んだ。
その様はまるで真剣白刃取りのよう……そのまま地面に押さえつけられ、びくともしなくなった曲剣に慌てる最中、ユウヅキは躊躇無く小刀を振りかざす。
くっ……僕は攻撃を食らう覚悟をして、歯を食いしばった。
「《禊ぎの障壁》」
けれど、小刀は当たる寸前で、弾き飛ばされる。振り向けば、ミコトが障壁を展開していた。
疾風たちがいなくなったのだ。ミコトを邪魔する《猫人族》の《冒険者》もいない。
「今のうちに!!」
ミコトが叫ぶ中、僕は怯んでいるユウヅキの隙をついて、曲剣を引っ張り出した。そして、息もつかせぬうちに、通常攻撃を叩き込む。
瞬間、曲剣の効果でユウヅキは吹き飛ばされ、体勢を崩した。
「悪い。助かった」
「それで、この状況をどうするつもりですか?」
言っておきますが、MPはありませんよ……ミコトが警戒する中、僕は距離を取る。
ずっと《猫人族》の攻撃を受け続けていたのだ。もうずっと早くMPが尽きてしかるべきである。それを引き伸ばした管理術は完璧に近い。
それでも、限界はくる。それが最悪のタイミングと重なった。
ミコトの障壁が見込めない中、吹き飛ばされたユウヅキは無傷のまま。起き上がった後も黒いオーラを漂わせ、こちらの手を探っている様子だった。
ただ黒い尻尾が一つ減った気もするが、わざわざ数える時間もない。
「さて、どうしたものか」
額に汗が流れる。この緊張感……これまで度重なる強敵と戦ってきたからこそわかる。相手は格上。僕たちでは、まず勝てない。
だからといって、放置するわけにもいかない。
今のユウヅキは『呪いの装飾品』でかろうじて理性を保っている。体裁きが物語っている。が、自我は封じられているため、いつ暴れ出してもおかしくない状況だ。
疾風の思い通りなるのは不本意だが、ユウヅキを助け出さなければ、あまりにも可哀想である。
――それにユウヅキさんを連れて帰らないと、ウルルカさんの無実も証明できない。
ユウヅキの次なる一手は何か。僕は額の汗を拭う……その時だった。
「《シャドウバインド》」
「なっ……!?」
次の瞬間、僕は両手を地面についた。全身の力が抜けて、反応が遅れる。
《シャドウバインド》による放心状態……その間が命取りになるのは、僕が一番理解している。
「セイ!!」
ミコトが叫ぶ。顔を上げれば、ユウヅキはすでに攻撃態勢をとっている。三千もある尻尾には黒いオーラがまとわりつき、まるで狐火のように妖しく灯った。
もし、これが《三千尾の妖力》で力を底上げした状態だとしたら、いくら《冒険者》といえど、受け止められるかどうか……僕は必死に回避する方法を考える。
けれど、黒いユウヅキは、無防備である僕の目の前を通り過ぎた。嫌な予感が走って、背筋が寒くなる。
「止まれ!!」
僕は剣を振り上げ、払い落とそうとした。だが、その前に《モビリティアタック》を使われ加速される。その行く先はミコトだった。
対人戦において、まず倒すべきは回復職である。せっかく苦労してダメージを入れても、回復されては元も子もないからだ。
故に、戦闘の基本は、いかに回復職を守るか、にある。ただでさえ瀕死に近い状態で、戦力も欠けている僕たちでは、守ることなど、夢のまた夢……ユウヅキはそれを理解していた。
実に忠実で厄介極まりない。叩くなら今と言わんばかりに、ユウヅキは小刀を構える。僕もまた《モビリティアタック》を使って追いかけようとするが、間に合わない。
襲いかかる凶行に、ミコトが思わず、身を屈める。
「やらせない!!」
その瞬間、吹っ飛ばされて転がっていたウルルカが、拳を地面に叩きつけ、無理矢理に身体を叩き起こしていた。
「ミコトは……うちの宝物なんだ!!」
痛みで痺れた身体を衝撃波で浮かせ、《ワイバーンキック》を発動する。次の瞬間、『瞬間移動』の効果でウルルカはユウヅキの背後へ……そのまま勢いよく蹴り飛ばした。
黒いユウヅキはミコトの上空を越えて、ラレンド家旧邸宅を仕切る塀へ。大きな穴を開ける。
ウルルカのきつい一発を食らったのだ。ユウヅキは気を失い、そこに崩壊した瓦礫が流れ込んだ。
それでも、ウルルカの緊張の糸は切れない。はぁはぁ、と息切れはしても、構えだけは解かなかった。
「ごめんね」
そして目を丸くするミコトに、ウルルカは拙くも謝罪の言葉を口にする。
「本当は何かを残したかった。居場所をくれたミコトに恩返しをしたかった。でも、不器用で、力任せしかできなくて」
「バカ!!」
ミコトはしがみついた。さすがのウルルカも驚いて、慌てふためき、その場に尻餅をついてしまう。
それでも、ミコトは、二度と逃がさないように、しがみついた手を、ぎゅっと握りしめて離さなかった。
「ウルルカの方こそ何もわかってない! 私がどれだけあなたに泣きついてきたか、忘れたわけではないでしょ!?」
《アキヅキの街》でも、その前からも、ウルルカは泣き言を黙って聞いてくれた。頭を撫でて甘えさせてくれた……ミコトは瞼に涙を浮かべて訴えかける。
「与えられているのは私の方! ここまで来れたのは、あなたのおかげ! ウルルカは私の拠り所なの!!」
「うちが拠り所?」
「そう、だから勝手にいなくなったら許さない!!」
直後、ウルルカは戸惑いながらも、自分の拳を見つめた。
拠り所……その言葉が胸を打つ。自分も頼られていた事を知って、初めて曇り無き眼でミコトと旅してきた一年を思い返していた……楽しかった、戻りたい。
きっと、大勢の人生を狂わせておいて何を甘えた事を言っているんだ、と思っているのだろう。
今更、戻ることはできない。それでも今にも泣きそうな表情を見かねて、固く閉ざされた拳を広げた……優しく包み込む掌で、ゆっくりとミコトの頭を撫でる。
そして、
「ああ、暖かいウルルカの手だ」
次の瞬間、泣き出したのはウルルカの方だった。ミコトの言葉が染みこんで、涙をぽろぽろと流させる。
「ウルルカ?」
「何でも無い……何でも無いよ」
ミコトが首を傾げる中、涙は頬を伝い、ウルルカの心をほぐしていく。
『暖かい』という事は、『まだ血が通っている』証拠とも言える。人として生きて良いのだと……大切な人に言われたのなら、尚更、認めざるを得ないだろう。
「ねぇ、ミコト。一緒に温泉に入ったとき、やりたいことがあるか聞いたよね」
「うん」
ミコトは静かに頷く。その瞬間、ユウヅキが埋もれている瓦礫が、がたがたと揺れた。
「これが終わったら聞いてくれるかな」
「もちろん」
ウルルカは起き上がって、再び拳を構えた。今度は生き残るために……本当の意味で第二の人生を送るために。
そして、瓦礫が吹き飛び、無傷の黒い妖狐が小刀を構えて跳びだしてくる……。
「《シャドウバインド》!」
けれど、その足が止まって地に伏せる……悪いけど《シャドウバインド》を使うというなら、僕も黙ってはいられない。
ウルルカが振り返って、にやっ、と口端をつり上げた……どうやらいつものウルルカが帰ってきたみたいだ。
「これからユウヅキを伸すけど、つき合ってくれるよね。セイっち!!」
「ほどほどにね」
僕はため息を吐きながら、ウルルカの真横に降り立った。ゆっくりと曲剣を構える。剣と拳がユウヅキの前に立ち塞がる……第二ラウンドが幕を開ける瞬間だった。
8/5・1/19 誤字修正(短剣→小刀)




