第三章 2 ユウヅキ
深夜、月下荘の廊下。
誰もが寝静まる中、一人の女性が足音を忍ばせて歩み寄る。その行く先は『宵月の間』。月下荘で一番広い部屋……スイートルームである。
戸に手がかかる。そっと開ける仕草は手慣れたもので、無駄ない所作で音を立てずに中に入った……鍵をかけていたはずなのに、だ。
女性は周囲を見回し、灯りが完全に消えている事を確認する。その後、奥に進み、一人の少年が寝ていると思われる場所まで歩み寄った。
小上がりの座敷には三つほど布団が敷かれていた。その一つに目星をつけ、懐から薬液に浸された布を取り出す。頭まで布団にくるまっていたが、蒼い髪が見え隠れしていた。そこへ一気に、布を布団にくるまっていた者の口元に当てた。
「はい。そこまで」
その時、忍び込んだ女性の首筋にギラリと刃が添えられた。ノエルのクナイが女性に向けられる。
と同時にぱっと部屋の灯りが点り、隣の部屋の戸が開いた。そこから隠れていたであろう人影がぞろぞろと姿を現した。その中には蒼い髪の《冒険者》……セイこと僕の姿もあった。
女性は驚いて布団をはぎ取る。すると、そこには同じように布団をぐるぐる巻きにしていたダミー人形が横たわっていた。
「ヴェシュマさんから大体の事情は聞いています。でも、あなたからも事情を聞いてもいいですか……女将さん」
女性は僕に視線を向ける。狐尾族特有の尻尾は垂れ下がり、申し訳なさそうな表情で振り向いた女性は、間違いなく僕たちを部屋まで案内した女将本人だった。
◇
改めて部屋を明るくした後、僕たちは女将を囲むようにして座った。
今、ここにいるのは僕とノエルとミコトだけ。皆、会合の後で行われたヴェシュマの話を聞いて、事の深刻さを肌で感じたのだろう。ホネストはそのままナガレの代わりに《九大商家》の警護に入り、ナガレとユキヒコは我慢できずに、何か痕跡がないかと《温泉街》を見回ってくれている。
僕はそっと目を閉じて、ヴェシュマの話を思い出す。
――「そもそも《九大商家》と宣っているくせに、七人しかいないのは変だと思わなかったかい?」
ヴェシュマは、別邸『月光館』の大広間で、そう話を切り出した。
そういえば、とその時の僕は周囲を見回しながら頷いた。大広間に用意された席は九つ。だけど、三度目の会合にいたのは、各々の従者を除いて七人だけだった。
おそらく空席の一つはクォーツ家だろう。僕たちが訪れた事もある《アキヅキの街》を治めていたのだが、今、《ウェストランデ》の支配下になっている事は言うまでも無い。
その際、クォーツ家は拘束され、解体された。その影響は甚大なもので、すぐに復帰できるというわけでもない。
正直、そこら辺の詳しい事情はわからないが、ミコトが言うには、『家名がない』ということは『経済力がない』のと同義だという。つまりは『この会合に立ち会える権限がない』のだそうだ。
そういう事もあって、クォーツ家は空席……当のクォーツ嬢は《Plant hwyaden》の脅威が遠のいたのを機に、《アキヅキの街》から身を隠しているという。ヴェシュマに依れば、密かにクォーツ家の再建を謀っているとか……上手くいくことを祈ろう。
だが、そうだとすれば残り一つの空席は、いったいどこの誰なのか……その問いに、ヴェシュマは端的に答えてくれた。
――「簡単さ。『ここ』だよ」
――「ここ?」
ヴェシュマに言われて、僕ははっとする。そうだ、ここ……《ユフィンの温泉街》にも一帯を治める《九大商家》の一つがあるはずだ。
――「えっと、名前は確か……」
――「ラレンド。今は無き《ユフィンの温泉街》の商家」
すると、間髪入れずにヴェシュマが呟いた。ラレンド家……僕はあまり聞かない名前に頭を捻る。
そういえば《ユフィンの温泉街》は観光地としては有名だが、商業や経済の面ではあまり良いところはない。周りは山に囲まれているし、交通の便は悪いから行商人からは敬遠されていたはずだ。
いうなれば《ナインテイル自治領》で一番、微妙な所と称される。あまり当主の名を聞かないのは、そのせいなのかもしれない。
けれど僕はあることに気付いて顔を上げた。
――「あれ、でも、『今は無き』って……」
すると、ヴェシュマが静かに頷いた。
――「そうさ。ラレンド家はすでに滅亡している。《アキヅキの街》と同じく《ウェストランデ》に反抗を表明したせいでね」
その時、大広間にいる全員がヴェシュマの言葉に息を呑む。本人は気付いてないようだが、その声には怒気が混じっていた。
――「酷かったさ。それでいて的確だった。《Plant hwyaden》は、ラレンド家の邸宅だけを襲撃し、徹底的に潰した……《アキヅキ》の比にならないほどにね」
ヴェシュマは目を背けたいのか、顔を伏せた。
おそらく《アキヅキの街》は、まだ生かしておく価値があったのだろう。《ナカスの街》に近いし、そこを治めていた商家が潰されたとなれば、《大地人》の動揺は計り知れないだろう。下手をすれば反感を買う可能性もあった。
だが、《ユフィンの温泉街》はその限りではない……。
でも、意外だった。ミコトから《九大商家》はあまり関係良いわけではないと聞いていた。
その事を素直に伝えると、ヴェシュマはばつが悪い表情をしながら、「当たり前だろ」と恥ずかしそうに頭を掻いた。
――「商売の本分は、取引だ。その上で敵対するのであれば、利益と上前で張り合うのが商人ってもんだ。それを暴力で潰されたとなれば、同じ商人として同情もするさ」
ヴェシュマは語る。だけど、一拍置いてその考えを改めた。
――「いや、違うな。奴らは商売そのものを否定したのさ」
商売は対等が基本。それをいつでも潰せると脅したのであれば、それは商人にとって侮辱に等しかった。
だからこそ、《九大商家》は対立していながら、協調路線をとれるようになった……それほどまでに、ラレンド家の滅亡は各家に衝撃を与えたのだ。
――「そして、もちろん、ラレンド家にも仕えている《九山巫女》がいた」
――「……っ!!」
その瞬間、僕は全てが繋がって立ち上がった。
――「もしかして《九大商家》は、ウルルカさんを犯人にしたいのではなく」
――「そう、かばいたい相手がいたのさ」
ヴェシュマはまっすぐに僕たちを見て頭を下げる。そして、その子の素性を明かし、「この先は関係者から聞いた方がいい」と僕たちをスイートルームに返して、女将が来るように仕向けた。
そうして、僕たちは現在に至る。
ノエルに捕らえられた女将は、今も、部屋の中心で黙りこくっている。僕はノエルとミコトにアイコンタクトを送り、口火を切った。
「女将さんが黙っているのは、『ユウヅキ』さんをかばいたいから、ですか?」
刹那、女将が顔を上げた。その表情には驚きが出ていたが、事情を察して安堵した表情も見え隠れしていた。
「なるほど、すでに承知の上でしたか……でしたら、『私たちの素性』もヴェシュマ様から聞き及んでいますね」
僕は頷いて答える。
そもそも《ナインテイル九山巫女》は祭事を司っているだけの、アイドル的集団ではなかった。
もちろんそういう一面も持っているが、僕はヴェシュマから『彼女らの素性』を聞いて、驚愕した。
正直、想像の斜め上だった。しかし、考えてみれば、至極、当然ともいえる。
祭事などの宗教行為は、人の思想に深く結びつく。その代表が、内政と全く関係ない赤の他人だと、反感を煽って《九大商家》の立場を危うくしてしまう可能性があった。
だから、《ナインテイル九山巫女》は大抵、《九大商家》の重要人物や関係者が担っている場合が多い。リューゾ家の血縁であるヴェシュマや、現当主であるクォーツ嬢がいい例だろう。
だが、例外も存在する。その内の一つが、ラレンド家が率いる巫女集団《影巫女》だった。
そう、ラレンド家の率いる巫女は一人ではない。いや、正確には巫女は隠れ蓑で、その実態は《ナインテイル》を代表する諜報組織だった。
普段は巫女として祭事を司る『表』の顔と、実際に諜報や謀略を指揮する『裏』の顔。女将はその『表』を率いる者だった。
――温泉でリラックスさせた後に、緩くなった口から情報をはき出させる……想像するだけでも、背筋がぞっとする。
それはともかく、これで微妙だと思っていた《ユフィンの温泉街》も重要な拠点の一つになった。ラレンド家は、観光資源だけでなく、『情報』を商売の種にしたのである。
そして、それは《Plant hwyaden》に目をつけられる要因にもなった。
「一見すれば、何もないが故に『見せしめの対象にされた』という見解が強い。でも、本当は諜報組織を恐れて、潰しに来た」
女将は表情を変えず首を縦に振った。まるで仮面をあつらえたようだが、きっとその仮面の下では、苦悩していることだろう。
なぜなら、
「『裏』を率いる『ユウヅキ』さんが《Plant hwyaden》に捕らえられ、連れて行かれてしまった」
女将が感情を隠しきれずに、唇を噛む仕草をする。
そう、ラレンド家の滅亡の際、ユウヅキは仲間や親族を逃がすためにしんがりを務めたらしい。だが、ラレンド家唯一の生き残りである末子を人質に取られ、やむなく投降したのだという。
それからどうなったかは知らないが、《ユフィンの温泉街》から《Plant hwyaden》は撤退し、通常運営を許された。憶測にしかならないが、ユウヅキが何かしらの取引に応じたのだろう。
そして、
「ここ最近、彼女がこの温泉郷に帰ってきた」
「……」
女将が再度、口を閉じる。しかし、その行為に意味はない。
「無駄ですよ。僕は一度、ユウヅキさんと会っています」
「……っ!?」
女将が顔を上げた。
ヴェシュマの話に寄れば、ユウヅキは金髪で二十代半ばの女性だという。その話を聞いて、僕は真っ先にけまり歌を思い出した……初日に小さな社で出会った女性がユウヅキだった。
自分のことながら悪運が強い……いや、今回はユウヅキの方から接触してきたのだろう。その事を伝えると、女将は観念したかのように仮面を取り払った。
「きっとあなた達の事を知りたかったのね」
女将の表情には、慈しみと共に自身への嫌悪感も混じっている。僕はそんな女将に問うた。
「……単刀直入に聞きます。ユウヅキさんの目的は何ですか? どうしてウルルカさんを攫ったんですか?」
「そんなの、あなた達が《ウェストランデ》の『敵』だから、に決まっているでしょ!」
すると、女将は怒鳴り出す。けれど、その怒りはどこか自身に向けられていた。
「ラレンド家が滅亡した後、《影巫女》は必死にユウヅキを探したわ! そうしたら、あの子は《九大商家》に荷担する勢力の切り崩しをしていたのよ!」
全ては人質のため、しいては《温泉郷》を守るために出された条件だった……女将はその言葉を濁すように呟く。
《ナインテイル》を守るための諜報組織が、スパイに成り果てる……その姿を垣間見た《影巫女》たちの絶望感は計り知れなかったという。
「でも、人質は解放して」
「解放したからって、やったことは変えられない!!」
僕が言葉を紡ごうとすると、女将がそれを断ち切った。
「私たちだって最初は喜んだ……これでユウヅキが苦しまなくて済むって。だけど、久しぶりに戻ってきた彼女は、壊れたままだった!」
女将たちの前に現れたのは、以前のユウヅキとは全くの別人に成り果てていた。
《影巫女》としての使命も、矜持も粉々に砕け散って、個性さえ失っていた彼女は、女将たちの前でこう告げた。
――「私の罪はすでに骨の髄まで染みこんだ。もはや《ナインテイル自治領》が復活しようとも、私は《ウェストランデ》の人間だ」
全ては《ウェストランデ》のために、《Plant hwyaden》とインティクス様のために。
鋭い眼光に、冷たい言葉。その言葉を聞いて《影巫女》たちは嘆き、彼女と運命を共にすることを選んだ……せめて一人で苦しまぬように。
「待ってよ!! そんなの間違ってる!!」
その瞬間、ノエルが声を張り上げて割って入る。
ノエルからしてみれば、そんな主と心中するような考え方は受け入れられなかった。それはもちろん僕とミコト、ナガレやユキヒコも同じだ。《冒険者》は自己犠牲を嫌う。
だが、女将は振り向きもせず、問い返す。
「だったら、あなた達は道を踏み外した者を正せると言うの? 知っているわよ……あなた達にも、罪を背負いきれなくて逃げ出した者がいる事ぐらい」
きっとウルルカの事だろう……一瞬、目を逸らしたノエルは、何も言えない自分に対して歯ぎしりをした。
「……何もできないなら、余計な口出しはしないでください」
そう、結局、僕たちは同じ穴の狢であり、この論争に意味は無い。
だけど、
「待って、どこに行くつもり?」
女将の言葉を尻目に、僕は静かに立ち上がった。
刹那、女将が怪訝な表情を、僕に向ける。
「別に。ただ、迎えに行くんですよ」
正直、罪が何だ、というつもりはない。罪を背負ってもいないのに語ったところで絵空事にしかならないし、だからといって罪を背負うのはお門違いだろう。
だから、これは僕にはわからない境遇だ。わからなくていい境遇だ。そこは認めよう。でも、それ以外、何もなかったなんて言わせない。
「背負った罪と同じくらい、楽しい事があったはずだ。背負った罪と同じくらい、嬉しい事もあったはずだ。それを思い出させに行く」
しばらく僕の言葉に場が唖然としたが、ミコトが「ふっ」と笑って後に続いた。ミコトの瞳に炎が灯り、ノエルも空気が変わった事を実感する。
「端から、私はウルルカを諦めるつもりなんてありませんから!」
「……全く、空気を読まないところが、セイらしいわね」
二人が微笑みながら近寄った。二人と頷きあい、僕は再度、女将に向き合った。
「僕たちが本当に何もできないか、そこでじっくり見ていてください!」
そして、僕たちは駆け出す。ウルルカの居場所はここだ……その認識だけは誰にも譲らないために。
そうして、部屋に残されたのは、途方に暮れた女将と静寂のみ。
僕たちがいなくなった後、若者の熱気に浮かされたのか、女将は深いため息をつき、その傍らから忍装束を身につけたくのいちが現れた。他でもない《影巫女》の一員だろう。
「今の若い子って怖いわね。純粋で、純白で、怖い物知らず」
「これからどうしましょう」
くのいちの言葉に、女将はしばらく考えた。けれど、答えは出なかったのか、頭を横に振る。
「駄目ね。歳を取ると慎重になってしまう」
「では」
「ええ、あの子達のお言葉に甘えて見させてもらいましょう。賭けるに値するかどうかを」
直後、女将は窓の外に視線を向けた。今さっき駆け出していった僕たちに想いを寄せて。
ちょっと詰め込みすぎて、視点があやふやになったかも。
1/31 誤字(九大巫女→九山巫女)修正




