第三章 1 いい落とし所
その日の夜は大荒れだった。
三度目の会合が行われている月光館では、ノエルが入り口を固めていたナガレに事情を説明していた。ナガレは耳を疑う。
「おいおい、それはつまりウルルカが逃げたってことか!?」
「ウルルカさんは逃げません!」
すると、すぐさま反論の声を張り上げる。反論の主はノエルの後ろで涙目になりながらにらみつけるコールだ。ナガレはそんなコールに「待ってくれ、これは言葉のあやというやつで」と狼狽えながら弁解する。
「でも、今回は本当にやばいかも」
そんな中、ノエルは声色変えず淡々と呟いた。それが絶妙に現実味を帯びていたせいで誰もが押し黙る。ノエルの視線の先……大広間をみつめながら。
そう、今、大広間ではウルルカの処遇について議論されていた。セイこと僕は参考人として招集され、事情を説明した後、反吐が出そうな議論を聞かされている。
僕の隣にはユキヒコが控え、ホネストが前に立つ。
そして、僕たちに相対するのは九の席とそこに座る六人の出席者たち。狙われたリューゾ家は念のため欠席してもらっている。そんな中、出席者の一人、イトウ家の席に座る従者が口を滑らした。
「逃げたということは、かの《冒険者》がスパイでしたか」
ユキヒコによれば、イトウ家は現実世界の宮崎にあたる場所を治めている。その本当の代表はヨーコ=イトウという《九山巫女》の一人らしい。だが、体が弱く長旅に耐えられないため同じく法儀族の従者を使わした。
「何と言うことでしょう。間者が紛れておったとは……やはり《Plant hwyaden》に反旗を翻すのは時期尚早だったかしら?」
そして、その従者に並ぶかのように呟いたのが、芳花の巫女と呼ばれるエイメル=ウェルフォアだ。ナガレがご執心なのも納得できるほどの色香あふれる女性で、その表情には余裕も感じられた。
だが、彼女も必死だということは、会合にいる誰もが知っている。ウェルフォア家は、真っ先にウェストランデに隷属を表明したと知られる商家だ。当初、裏切り者だと罵られたが、他の商家も習うかのように隷属を示し、結果的に《九大商家》の生き残りに成功している。
今では他家と同じく裏で密かに反抗の機会を窺っているときたものだから、侮れない相手だ。そんな芳花の巫女に落ち着くように指示する童女がいた。
「皆、少し待ってくれ。まずは相手の主張を聞こうではないか。して、ホネスト殿はこの責任をどう取るおつもりですか?」
しかし、その口調は童女と思えないほどしっかりしている。
それもそのはずで、オオスミ家の席に座る彼女は齢百歳を超える女性だった。なぜ童女の姿のままなのかは知らないが、灯火の巫女と呼ばれる彼女は、オオスミの武者をまとめ上げている。ナインテイルで未だに反抗声明を保ち続けているのは、彼女の威光によるものだといわれている。
その貫禄は会合でも示されているらしい……彼女の言葉で《九大商家》の皆が静まった。
ホネストは息を呑む。いうなれば九大商家の議長とでも言うべき彼女にどう弁解しようか考えあぐねている。
「……」
「どうしたのですか。まさか身内かわいさにかばうつもりではないだろう?」
なっ……オオスミ家の言葉に僕とユキヒコは身構えた。彼女の言葉は明らかに僕たちへ向けての挑発だった。
ホネストは未だ天秤にかけているように見定めていると言ったが、とんでもない……彼女ら《九大商家》は今すぐにでも見切りをつけようとしている。
「お言葉ですが、失礼ではありませんか!?」
すると、ユキヒコが我慢できずに口を挟んだ。珍しく息を荒くして怒っている。
「ウルルカさんだって、まだスパイとは決まっていないはず!! なのに、かばうなんて言い方はあまりに……」
「とうにその次元は超している」
けれど、彼女は淡々と打ち切った。その視線はこちらに興味が無いと言わんばかり。ただただ事実だけを口にする。
「この際、スパイだろうが、何だろうが、どうでも良い。現状において重要なのは、その《冒険者》を起点に問題が起き、振り回されているという点に尽きる」
オオスミ家の童女に九大商家が一様に首を縦に振った。さすがは商人……不利益を被ることに関して、人一倍、神経質になる。
「何より、逃げたのは火を見るよりも明らか。そこに《冒険者》の意思がなかったとは思うまい」
これについてはユキヒコも口をつぐむ。
そう、今回逃げた件は完全に言い逃れができない。連れ去られた可能性も考えたが、他に騒ぎが起きていない以上、犯人に付き従っているのだろう。これがリューゾ家襲撃の件に関係あるのかはともかく、例え理由があったとしても、ウルルカの非は消せなくなった。
でも、だからこそ。
「……今、ここで責任を問うのはおかしい」
ほぅ……僕の言葉に、オオスミ家の童女が腕を組んだ。ホネストは目を丸くして止めようとしたが、僕はここは任せて欲しいと、強引にでも前に出る。
「こんな取り留めの無い話をしたところで決着はつかないでしょう……本気で責任を取らせたいなら、他でもない本人を引きずり出さなければ始まらない。違いますか?」
オオスミ家以外の商家が図星を指されて動揺する。商人は自分たちの不利益になることを提示されると言い淀む。
「それにオオスミ家が責任の処遇を求めるのも納得できません。実際に被害を被ったのはリューゾ家のはず……こちらが補填を保証するのはリューゾ家であって、オオスミ家に合わせる必要はありません」
その事を伝えると、オオスミ家は「ふむ」と目を伏せる。だが、長年商家を率いていただけあって、ただでは食い下がらない。
「確かに個々としてはそうだろう。しかし、第三分室は九大商家全体としての保証はしないということだろうか?」
「それは……!」
その言葉にホネストは勢い余って声を上げる。その後で必死に歯を食いしばった。
アライアンス第三分室としては《ナインテイル九大商家》の信用を損ねたくはない。それは企業とスポンサーという話をした時と同じだろう。
だが、ここで非を認めてしまえば、何かしらの補填を九大商家全体に支払わなくてはいけなくなる。リューゾ家だけならともかく、全体の損失となると膨大なものになるだろう……それは第三分室にとっても好ましくない状況だった。
「どうした。何も言わないのか?」
オオスミ家の童女が急かしてくる。ここで何も言わなければ、これもまた決断力がないものとして、信用を失いかける。
「……」
僕は押し黙り、二人が困ったように見つめてくる。
その時だった。
「焦んなよ。そこは順番ってやつだろ」
突如、声が響いてエントランスへの扉が開いた。間に合ったか……僕はほっと一息ついて声のした方向に視線を向ける。
視線の先、扉から入ってくるのは、馴染みのある桜色の羽衣を着た少女。
「ミコトさん!」
ユキヒコが驚いて声をあげる。けれど、その言葉に応えず、ミコトは道を空ける。すると、その後ろから威風堂々と入ってくる女性がいた。
ウェーブを効かせたロングヘアーに褐色の肌、銀髪の下からはエルフの耳が飛びだしている。その体には、なぜかマントのように羽織った大漁旗がはためき、鍛え抜かれた体が見え隠れしている。
あの人がリューゾ家の代表……ミコトから聞いていた通りの人物だ。《海賊巫女》と呼ばれ、海賊衆をまとめ上げた女傑はそのままオオスミ家の傍らにつくと机に手をついた。
「まずは被害を被った者から穏便に済ませる。義理立ては商人の粋だろう……あんまり意地汚いと嫌われるぞ」
「あなただけには、言われたくなかった」
オオスミ家の童女がやれやれと肩をすくめる。リューゾ家の女傑は、それを了承の意と汲んだのか、今度は九大商家に向けて言い放つ。
「それに、おまえらも忘れていないか? この会合の本当の主賓はここにいる子たちだ……まさかちっぽけな小旅行で、恩返しできたなんて思う奴はいないだろう?」
「……」
「皆、大事な家族を助けてもらった。それは大恩に等しく、こんなお膳立てで返せるっていうんなら、もらいもんだろ」
九大商家が押し黙る。それを言われてしまえば、おしまいだ……皆、そう言いたげに目を伏せた。
「決まりだな」
リューゾ家の女傑が勝ち誇った表情で拳を合わせる。こうして三日目の会合はけりがついたのだった。
ただ、
「ヴェシュマ!」
直後、本名だったのか、リューゾ家の女傑が肩をふるわせ、オオスミ家の童女に振り返る。
「いいんだな?」
その言葉にどれだけの意味が乗っかっていたのかは知らない。だけど、言葉足らずに告げるオオスミ家の童女に、リューゾ家の女傑はただただ頷いて答えていた。
◇
それから各商家がそれぞれの部屋に戻り、大広間には僕とミコト、ユキヒコが残った。入り口にいたナガレや、ノエル、コールも中に入ってきて合流する。
そして、ホネストが頭を垂れる中、大漁旗を翻し、女傑が改めて挨拶する。
「ヴェシュマ=リューゾだ。よろしく頼むぜ!」
リューゾ家の《海賊巫女》、もといヴェシュマが手を差し伸べてくる。僕はその手を取り、握手する。
「この度はご協力していただきありがとうございます」
「堅っ苦しい挨拶はよしてくれ。むず痒くなっちまう」
ヴェシュマは胸を張り高笑いをあげる。清々しいほど豪快な人だ……内面もそうだが、腕っ節も強そうだ。握った手は筋肉質でとても女性の掌とは思えないほど硬かった。
「あ、そうだ! 手……ウルルカさんの一件での怪我は大丈夫なんですか!?」
ウルルカが捕まったあの日、確か手首を押さえていたはずだ……僕は慌てて握手した掌を凝視する。目立った傷はない。だが、よく見れば浅い古傷が無数にある。
僕は血の気が引いて青ざめた。そんな僕を見てヴェシュマは拍子抜けしたかのように笑い声を上げる。今度は純粋な微笑みだ。僕は首を傾げる。
「すまねぇ。こうしてみると見た目通りだなと」
「……もしかしてけなされていますか?」
子供だなと……いや、実際に子供だからいいのだが。
「本当にわりぃ。でも、安心しな。あの時の傷は第三分室のやつらが治癒の魔法をかけてくれて、すっかり元通りさ」
ヴェシュマは手首を見せる。確かに綺麗さっぱり傷痕一つなかった。そうでなくとも、リューソ家の領内には海賊がいるだけあって、あのような襲撃は軽い挨拶のようなものだと言う。
それはそれで驚かされる事実だが、実際、気にもとめない様子でこちらをみつめた。
「しかし、小さくても歴とした《冒険者》だ。まさかこのヴェシュマ様を使って他の奴らを黙らせるとは、恐れ入ったぜ!」
と思いきや、ヴェシュマは再び僕の肩を掴んで豪快に笑い飛ばしてくる。肩を組まされた僕は、あまりの強引さに「あはは」と苦笑いを浮かべた……僕、ちょっとこの人苦手かもしれない。
すると場に呑まれたのか、ユキヒコさえも声を張り上げる。
「そうですよ、手立てがあるなら、何で先に話してくれなかったんですか!?」
こっちはひやひやものでしたよ、と言わんばかりにユキヒコが拗ね、ホネストもまったくだとその問いに同調する。
だが、その文句は僕でなくミコトに言ってほしい。なぜなら、
「すみません。こちらも時間がなかったので強行しました」
ミコトが会話に介入する。そう、これは僕の案ではなく、ミコトが出した案なのだ。
ウルルカが部屋からいなくなったあの後、悲しみに暮れるかとも思ったが、ミコトはいきなり立ち上がって、ぶつぶつと呟いたのである。そして、
――「……しといて」
――「はい?」
――「時間稼ぎしといて!!!!」
――「は、はい!!」
ミコトの怒りのこもった言葉に、僕は直立不動で頷くしかなかった。それからホネストに現状を報告し、会合に介入して今に至る。
おそらくこうするだろうな、という予想はつけていたが、本当にリューゾ家を連れてくるとは思わなかった。
こうなった以上、九大商家を黙らせるには同等の立場が必要になる。加えて、実害を受けた者が退くというのであれば、他者は口出しできなくのは必定だ。
「とはいえ、よくこちらの要求を呑みましたね」
実質、『今回の件は水に流せ』と言っているようなものだ。リューゾ家にしてみれば『冗談じゃない』と突き返しても文句は言えない。
すると、ヴェシュマは快く、僕の問いに答えてくれた。
「そりゃ、他の奴らと同じように、家族を助けてもらった恩を返せっていわれたら、聞かないわけにはいかないだろ」
それはがめついというか、手段を選ばなくなったな……僕はミコトに視線を向ける。すると、ミコトは笑顔の裏でふつふつと怒りの炎を燃え上がらせていた。
「ふらふらといなくなる野良猫には、きちんと首輪をつけてあげないとね……うふふ」
ミコトの言葉に全員が引いていく……どうやら、ウルルカはミコトの逆鱗に触れてしまったらしい。首根っこ掴んででも捕まえてやると言わんばかりに、目元をピクピクひきつらせた。
ともあれ、卑屈にならなくてよかった……僕はほっと安堵の息をついた。やっぱり誰かが悲しむ姿は見たくない。
けれど、そんな僕たちに水を差すかのように、ヴェシュマは口を挟む。
「だが、それも今回限りだ」
え……僕は顔を上げると、ヴェシュマは肩を組んでいた手を離して、真面目な顔で僕たちをみつめた。いや、これは見定めているのか。
「義理立ては商人の粋だが、敵だとわかれば、利己的に潰しにかかるのもまた商人だ。今回のチャンスを活かせないのであれば、すぐに縁を切るだろう」
リミットは四日目の夜。公言したとおり、次の会合にウルルカを連れてこれなかった場合は、責任は持てないとヴェシュマは告げる。
「あえて言うが、今回、オオスミの奴はかなり手加減してたぜ。最終的に『冗談でした』で済ませられるなら、良心的な方だ」
それは他の九大商家も然り……今はまだ信用足りえるものだから、皆、いい落とし所を探していた。
だが、約束が履行されないとなれば、信用は落ちる。そうなれば、第三分室の即時解体も視野に入る。ヴェシュマの言葉にホネストは息を呑んだ。
「今ならまだ頭を下げれば、許してくれる……そのウルルカっていう《冒険者》を犠牲にして罪を着せれば、あんたたちは生き残れる。それでもこのまま先に進むのかい?」
僕は仲間たちに振り返る。その誰もが、この状況が悪くなる一方でも諦めずに頷いた。ヴェシュマが満足して微笑む。
「なら、こちらも覚悟は決めねぇとな」
拳を合わせるヴェシュマに、僕は違和感を覚えて首を傾げる。その純粋無垢な表情に、ヴェシュマは申し訳なさそうに目を伏せた。
「言っただろう。利己的になるのも商人だって……襲ってきた奴に心当たりがある」
いい落とし所を探していた……それは僕たちに限ったことではない。その後、語られるヴェシュマの言葉に全員がその本当の意味を知ったのであった。
意外と時間がかかったよー。
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