第二章 6 全部、あなたのせいで。
一方、月下荘の一室。ウルルカと呼ばれているうちは部屋の隅で一人、膝を抱えて縮こまっていた。ホネストに捕まって、この部屋に閉じ込められた。そして、日差しが入るこの部屋の中で暗い場所を探した結果、こうなってしまったのだ。
とはいえ、待遇は良い。食事はきちんと出るし、セイっちがいるスイートルームと比べれば狭いが、一人でいる分には十分に広い。加えて、そこそこ広い部屋の外には四人の見張り番がいる。入り口と窓際にそれぞれ二人ずつ、《ナカスの街》から手の空いた《冒険者》を呼び寄せたらしい。うちを見張るためにしては、なんと贅沢なことか。
「……なんてね」
面白おかしく舌を出して、ウルルカらしく笑ってみる。だが、すぐさま気持ちが冷めて元の表情に戻ってしまった。
――結局、うちはこんなものなのかもしれない。
うちは顔を俯かせた。
《大災害》前からそうだった。現実のうちは周りに合わせて意見を変え、波風立たずに生きてきた。それを後悔に思ったことはない。争い事なんてないに限る。だが、ふと思うことがあった……この世界に自分はいらないんじゃないか、と。
そんなうちの耳に《エルダーテイル》というゲームの名前が入ってくるのは、そう遠い未来じゃなかった。
――「第二の人生というのも嘘じゃないかも!」
ただの路地、ただの通りすがりの言葉に心が動いた。
第二の人生……本当にそんなものがあるのだとしたら、今とは違う子を演じてみたい。そんな想いに突き動かされて、うちは電気屋に飛び込んだ。
今の自分が間違っていないという確証が欲しかったのだ。取り扱い説明書を片手に、パソコンとにらめっこする日々。頭を悩ませ、やっとの想いで《エルダーテイル》をダウンロードした日は大きな達成感を覚えた。
だけど、いざ始めてみれば今度は『キャラクターを作成してください』と画面に表示され、愕然とする。いくつもある顔のパーツから自分に合ったものを探さなければならず、気が遠くなる想いをした。
それから先も様々な困難が立ち塞がる。メイン職業の選択、ネット環境……もう頭の中はぐるぐるだ。
けれど、そうして過ごしていく日常に少しずつ色がついていることに気がついた。いつも見ている景色が色鮮やかに、いつもこなしている行為に意味を見いだせた。
そう、うちはいつの間にか『変わっていく』事に胸を躍らせていた。そして、必死の思いで誕生させたウルルカはまさしく第二の自分になった。
肌は褐色、髪は黄色に。名前も思い切ってちゃん付けにしてみた。
派手な装いとは裏腹に、言葉遣いは「にゃ」をつけて可愛らしくする。何もかも現実にはない自分。けれど、不思議と馴染んでいた。
そうして、《エルダーテイル》に降り立ったその日から、胸の高鳴りは拍車をかける。
初めての日。うちは《アキバの街》を隅々まで練り歩いた。そこでみつけたウエイトレス風の服に目を奪われ、思い切って着用してみる。
――メイド服を着れば『ギャップ萌え?』ってのになれるんだっけ?
それが間違った情報だと後で知る事になるのだが、思いの外、デートに誘ってくる人が多くて《ミナミの街》に拠点を移すことを決意する。
――ゲームでも戦うのは嫌だな……この生産職っていうのを極めてみるか。
拠点を移した後は、攻略情報を探して立ち回る日々。いっそのことサブ職業も『売り子』にして、情報が集まりそうな酒場で働いてみる。
後日、寄せられた情報を元に素材を取りに行った時は、大騒ぎだった。
――うぅ、生産職でも戦わないといけないのか……だったら、力任せで倒せるようにしたいな。
その時はありとあらゆる攻撃技を覚えて、出てくるモンスターに放った。手当たり次第に攻撃するものだから、必要のないモンスターからも注意を引き、周りにいた《冒険者》にも多大な迷惑をかけてしまったものだ。それでも何とか素材を勝ち取った時は、迷惑をかけてしまった人たちからも拍手をもらえて舞い上がった。
全部、本当に全部、いい思い出だった。《大災害》が起きて、皆が混乱する中も、何とか役に立ちたいと……支えてくれた人たちに恩返ししたいと一生懸命、自分にできることを探した。
『売り子』から『交易商人』へ。すでにサブ職業の転職を果たしていたうちは、有用な情報を得るために商業ギルドをかけずり回った。そして、
――「あなた、使えるわね」
目をつけられてはいけない人に出会ってしまった。
商業ギルドの紹介で出会った彼女は、『インティクス』という名の《冒険者》だった。紫色のメイド服に柔和な笑顔を浮かべ、彼女はうちの活動に共感したと宣った。
もちろん最初はただの社交辞令だと思った。だけど、その後もたびたび会いに来ては、《エルダーテイル》のこれからを話していく。そのうちに自分は彼女こそが《エルダーテイル》に必要な人材ではないかと考えるようになっていた。それが自分の首を絞めている事にも気付かずに。
次第に《ミナミの街》に活気が戻り、《Plant hwyaden》というギルドのおかげだと知る。その一覧に『インティクス』の名があることに気付いたうちは、なんとも言えない高揚感を覚えた。
――こんな凄い人とお近づきなんだ。うちももっと頑張らなきゃ。
うちの目は曇り、いつしかインティクスの頼みを優先するようになった。さらには《Plant hwyaden》の目的が『単一ギルドによる差別のない世界』だということも知って、インティクスの忠誠心に拍車をかける。
そして、うちは……、
――「インティクスさんはすごいにゃ!! 《ミナミの街》はもう完全に元通り……やっぱりあなたは『普通の人』じゃなかったんだにゃ!!」
いつものようにミナミの街路を行き、いつものように待ち合わせをして、いつものように話し合う。
だけど、その日、インティクスは「いいえ、まだよ」と切り出した。努力の甲斐あって、《ミナミの街》には多くの《冒険者》が集まってきていたのに……さらなる発展も見込めるはずだった。
――「まだよ、まだ終わらない」
――「……どういうことですかにゃ?」
今にして思えば、インティクスが抱える野心の事だとすぐにわかる。
けれど、その時のうちは本気でインティクスを信じていた。この人についていけば、絶対、間違う事なんてないんだと疑わなかった。首を傾げ、インティクスの憂いに満ちた言葉に耳を貸していた。
――「確かに《ミナミの街》は元通りになりました。ですが、他の《冒険者》の街はどうなるのでしょうか?」
――「っ!?」
うちは愕然とした。《ミナミの街》の事しか見ていなかった自分に対して、この人は世界全体を見つめているのだと……偉大な存在だと錯覚させられた。
――「《アキバの街》は……今はいいでしょう。《冒険者の街》で一番大きい。きっと《Plant hwyaden》と同様に改善に向けて動いているはず……ならば」
――「《ナカスの街》」
うちは答えた。いや、誘導されたと言った方が正しいかもしれない……インティクスが首を縦に振り、信頼の証と言わんばかりに掌をこちらに向ける。
――「ウルルカさん、あなたを見込んでお願いがあります。一足先に《ナカスの街》に行って、情報を集めてきてくれませんか?」
――「うちが《ナカスの街》に?」
――「ええ、今度はあなたの手で《ナカスの街》を救ってほしいのです」
――「うちが《ナカスの街》を、救う……?」
それがいかに業腹なことか、今のうちには理解できる。だが、その時のうちは、インティクスを信奉する余り、麻痺していた。『憧れの存在になれる』というにんじんを目の前に飛びつかずにはいられなかった。
再度、言おう……盲目だったと。
インティクスの手を取り、単身《ナインテイル自治領》へと赴いたうちは、その後も甘い言葉に惑わされ、『密偵』として活動した。全ては《ナカスの街》を救うため、《Plant hwyaden》とその理想を叶えるためにと。ひいてはそれがインティクス『様』のためになると思い込んで。
そして、あの出来事に繋がる。
――「《Plant hwyaden》が《都市間転移門》を使って攻めてきたぞ!!」
目が覚めたのは、全てが終わった後のことだった。
《大災害》から程なくしての《Plant hwyaden》による《ナカスの街》への侵攻。当時、酒場に潜り込んでいたうちはその光景を目にして驚愕した……目の前の光景が、自分の嫌いな『争い』の光景にすり替わっていたからだ。
まさか……うちはすぐさま念話を繋げた。だけど、いくらかけてもインティクスがその念話に出ることはなかった。ついにはフレンドリストから登録解除したのか、念話をかけることもできなくなり理解した。うちは『利用』され、『使い捨て』にされたということを。
その後、逃げろという単語が耳にまとわりつく中で、うちはミコトに出会い、手を引かれて今に至る。
だが、ことここに至るまで、うちがミコトにしてきたことは何もなかった。せめて、同じ過ちが起きないように見守ってきたつもりだったけれど、セイっちが現れてからはその考えも変わった。
前は自信のなさが尾を引いて、どこか儚げで不安定なところがあったのだが、今のミコトは見違えるほどしっかりしている。明らかにセイっちと張り合って自信をつけたおかげだろう。
結局、うちはミコトの後ろに隠れて、びくびく震えていたにすぎない。昔のウエイトレス姿を捨てて、新しく生まれ変わったつもりでも中身は変わらない。現在、こうして月下荘の片隅で小さく縮こまっているのも当然の報いなのかもしれない。
『恩返しが、いつの間にか自分を誇示するものになっていたものねぇ』
インティクスの声がした。
『ねぇ、今のあなたはどんな顔をしているのかしら』
もちろん本物ではない。ただの幻……うちの罪悪感が形を取って責め苦を与えているだけに過ぎない。だけど、耳を傾けないわけにもいかなかった。うちがそれを求めていた。
『裏切られ、絶望した表情。ああ、叶うなら見てみたかったわ』
幻のインティクスは正気を疑うほど平然としていた。そのあまりの落ち着きっぷりに憤りを覚えるほどに。
「ふざけないで、うちはナカス侵攻の計画なんて聞かされていなかった!! 全部あなたたちのせいじゃない!!」
『あら、それはあんまりね。救うのはあなたの役目……そういう約束だったはずよ』
うちは顔を伏せたまま口惜しそうに唇を噛んだ。幻のインティクスは『ふふふ』と微笑む。
『そう、こちらは一言も救うとは言っていない。勝手に勘違いしたのはあなたの方』
うちは耳を塞いだ。けれど声は響いてくる。
『少なくともあなたには気づくチャンスがあった。それを生かせなかったのはあなたのせい』
「うるさい!!」
うちは近くにあったものを掴んで投げつける。けれど幻は幻……通り抜けて、当たることはなかった。幻のインティクスは『ふふふ、ははは』と高笑いをあげる。
『結局、あなたはそうやって逃げるしかできないのよ』
そう言って幻のインティクスは姿を消す。後に残ったのは、見るも無惨に散乱する花たち。どうやら掴んで投げたのは花瓶だったようで、花瓶は割れ、中に入っていた水は床を汚し、花は悲しげにこちらをみつめていた。
なんと陰湿なことか……まるでこれがうちがしてきた事だといいたげだ。そこがインティクスらしいと言えばそうだが。
「でも、これが自分なんだよね……」
うちは自分の掌を見つめる。わかっている……これらは全部、自分の空想だ。醜いのも、卑しいのも、自分勝手なのも、身から出たさびだ。だから、幻のインティクスに『あなたのせいだ』と責められれば、それは。
「……」
こうして、また部屋の片隅で小さく縮こまる……繰り返し、繰り返し、ナカス侵攻の悪夢に囚われながら。
だけど、今日はここで終わらないらしい。
「……そこにいるのは誰」
うちは俯かせてた顔を上げて、ドアの向こう側にいる誰かに声をかけた。
最初は元密偵としての勘に近いものだった。だが、しばらく無反応が続き、逆にそれが確信に繋がった。
「隠れても無駄。物音がしたのに見張りの反応がないのは、明らかにおかしい。察するに、あなたがうちを嵌めた本物のスパイってところかしら?」
すると、静かにドアが開いて、その向こうから忍び足ですり寄ってくる。金髪のくのいち……その姿を見て、うちは「ああ、やっぱりあなたなのね」と頷いた。
◇
夕刻、別邸『月光館』を調べ終えたセイこと僕は、ウルルカのいる部屋を目指して、ミコトと共に月下荘の廊下を歩いていた。
先刻、僕たちが月光館でみつけた髪の毛……その持ち主に心当たりがあったので、ウルルカに見てもらおうと考えていたのだ。
コールと同じ金髪だったから覚えている……初めて《ユフィンの温泉街》に来た時、蹴まりを拾って渡した女性だ。その事を道すがらミコトに話すと、腕を組み考えこんだ。
「話はわかりましたが、いったいその女性は何者なんですか?」
当然の疑問だ。だが、僕にもわからない。その時は感謝され、お礼として軽く案内してもらっただけだ。アライアンス第三分室の情勢にふれようとする素振りや、ましてウルルカを嵌めようとする気概は感じられなかったのだが……。
「もしかしたら私たちが出会う前にすでに知り合いだったのかもね」
すると、突き当たりの角から声が響いた。顔を向ければ、そこには薄暗闇色のコートに赤髪……ノエルの姿がそこにあった。後ろにはコールもいる。
「ノエル。どうしてここに!?」
「たぶん、同じ理由。私たちもウルルカさんを探していたの」
「ということは、ノエルの方でも進展があったのか」
ノエルは頷いて近づいた。確か、ノエルはスパイの動機方面から捜査していたはずだ。つまりは何か手がかりを見つけたのだろう……端的に口に出して説明する。
「どうやら、ウルルカさんは《Plant hwyaden》の元密偵だったらしいの」
「密偵!?」
ミコトが驚いて声を張り上げる。途端に皆が振り向き「しー」と注意を促した。ミコトが「申し訳ありません」と頭を下げる。
「密偵とはいえ『元』よ。コールの話を聞く限り、今は関係を断たれているわ。だけど、その関係性を突かれたとみて間違いない……仲違いさせる気、満々ね」
ノエルの言葉にミコトがみるからに肩を落とす。ノエルの言う通りスパイの目的が嫌がらせだとしたら、こんな効果的な手はないだろう。
「でも、どうして?」
僕は問い返す。すると、ミコトは少し沈黙した後に答えた。
「これは想像に過ぎませんが、私たちは《ナカスの街》にとどまらず、《キョウの都》にも踏み込んだ……それで注目を浴びてしまったのかもしれません」
「驚異に感じているというのか」
「いいえ、あくまで放置できないといったところでしょうか。私たちはまだ中レベル……まだ揺さぶりをかければ勝手に瓦解すると思われているのではないかと」
ミコトの言葉に僕とノエルは静まりかえる。それについては《キョウの都》で痛いほど思い知った。そんな奴らが今度はあちらからちょっかいを出していると思うと寒気がした。
そんな中、コールだけが「あ、あの!」と声を張り上げる。
「と、とにかく今はウルルカさんに会いに行くべきかと!」
「そ、そうだな! 考えても仕方ないし!」
渡りに船とはこの事か……僕たちはコールの言葉を皮切りに仕切り直して歩き出す。ノエルのいた突き当たりを曲がって、まっすぐに……さらに突き当たりを曲がればウルルカがいる部屋だ。
それを聞いて、今度はコールが手を上げて質問してきた。
「あの、どうしてそこにウルルカさんがいるってわかったのですか?」
「ん? それはホネストに頼み込んだんだよ」
「そうなんですか! 私はてっきり教えてくれないものかと思っていました」
コールの言いたいことはわかる。僕たちはウルルカの関係者であるわけだし、ホネストはともかく、疾風さんや《ナインテイル九大商家》にはあまりいい顔はされないだろう。
実際、ウルルカの部屋に向かう前、どうしても確認したい事があるからと懇願した際、ホネストには渋い顔をされた。きっと後で疾風にどやされると想像したに違いない。
だが、ホネストは快く場所を教えてくれた。その要因として見張りの存在が大きいだろう。
「大丈夫。ホネスト曰く、部屋の前にいる見張りを同行させれば問題ないとのことだから」
そう言って突き当たりを曲がる。すると、今度はノエルが急かすように進言した。
「……どうやら事はそう簡単にはいかないみたい」
直後、ミコトが僕たちの前を走り抜け、とある部屋の中に押し入った。僕とコールは顔を見合わせて、注視する。
ミコトが入った部屋の前には昏睡状態の《冒険者》が二人。側には配膳用のカートが置かれていた……まさか!?
僕はミコトに続いて急ぎ部屋の中を覗く。すると、そこはすでにもぬけの殻で、膝を突いて床に倒れ込むミコトの姿があった。
「ウルルカのバカ……」
僕は顔を背けたが、その時のミコトは涙を流していたように見えた。




