第二章 3 この手に!
な、何でウルルカさんが……僕は一気に混乱する。そこに追い打ちをかけるかのように声が響いた。
「う、ウルルカ」
後を追ってきていたミコトが現状を目にしたのだ。ミコトは信じられないといった様子で目を丸くする。途端にウルルカがびくっと全身を震わせてミコトに視線を向けた。
「ち、違う!! うちじゃない!!」
突然暴れだし、僕は再度押さえつける……というか、これ押さえつけていいのだろうか。ウルルカは仲間だ。仲間にこんなことをしていいのか?
わからない。わからない。とっさの事で頭が回らない。
――と、とにかく現状維持だ! わからないけど、今、手を離すのが一番まずい気がする!
僕は抵抗するウルルカを必死に押さえる。それでもウルルカは許しを請うように訴えかけた。
「違う、違うの、これは」
「黙りなさい!」
そんな状況を打開したのは《マジックトーチ》を片手に歩いてきた疾風だった。《マジックトーチ》を掲げ、ウルルカの顔を確認する。
「三百代言……よくぞ、今まで、騙し通せた、ものですね」
まるで犯人と決めつける物言いをして、疾風は眉間に皺を寄せる。ミコトはそんな姉を睨んだ。けれど、言葉が出ない。反論する材料がない。
その事を見越してか、事態が悪化する前にホネストは、二人の間に無理矢理割り込んで指示を出した。
「はい、そこまで!! 疾風はけが人の手当を最優先!!」
その言葉に疾風はふんっと鼻息荒く振り返った。見れば、大広間では手首を押さえて蹲っている女性がいる。
尖った耳はエルフのようだが、ほどよく焼けた褐色の肌と男勝りな体躯、なにより大漁旗を羽織る姿は、間違いなく海の男を思い起こさせた。まさかあの人がミコトが言っていたリューゾ家の……。
「……しっかりしろ、《お触り禁止》!!」
はっ……肩を掴まれ、急激に頭の中が冷えていく。振り向けばホネストがまっすぐ僕の顔をみつめて……そうか、僕は冷静に分析していたようで現実逃避していたのか。
「とにかくウルルカはこちらで預かる……いいな?」
「え?」
僕は動揺を隠しきれずにうろたえる。正直、ここで手を離せば仲間を売ったのと同義なのではないか。
下を向けば、押さえられているウルルカと目が合う。助けてと目が訴えていた。
助けて、違う、うちじゃない――声なき泣き声が頭に響く。
そんな僕を危ういと思ったのか、ホネストは返事を待たず、掴んでいた僕の手を払って、ウルルカの身柄を奪い取った。そこから再度背中に回り込んで、きつくウルルカの手をひねる。同時にウルルカが悲鳴を上げて黙り込んだ。
今度は目の奥からも生気が抜けてただれたように蹲ってしまう。
「ホネスト!!」
僕はとっさに喚いて糾弾しようとした。だが、次の瞬間、言葉が口から出ることはなかった。ウルルカを抑え込むホネストに異様と思えるオーラが出ていたからだ。
特技ではない……その人が本来身につけているもの。たくさんの経験と、極限の状況をくぐり抜けた者だけが許される威圧感。
正直、怖いと思った。鳥肌が立って、悪寒が走り、腰が抜けた。
「情をかけるのは勝手だが、状況を見てからにしろ」
ホネストがウルルカを担ぐ。僕は小さく縮こまり、見上げることしかできなかった。その姿はまるで言われるがままの子供のようだと、僕の脳裏に深く刻み込まれた。
◇
温泉郷での二日目は最悪の日だった。
ウルルカが連れて行かれたその日、僕たちはホネストから待機を命じられて、二日目はほぼ自室で過ごした。それも華やかであれば良かっただろう。だが、仲間が一人欠け、その事にコールは気を落としていた。
そんな僕たちの気を紛らわそうと、食事だけは豪華なものが用意されたがとても喉を通るものではなかった。
外では、ぽつぽつと雨が降り続き、僕は雨に濡れる日本庭園を眺める。そんな中、コンコンと異質な音が聞こえて振り返った。
振り向いた先ではノエルが静かに隣の部屋のドアを閉める。
「コールは?」
「今はもう落ち着いてる。泣き疲れちゃったみたい……セイ」
「わかってる。話すよ」
僕は部屋中を見回す。囲炉裏で退屈そうにしているナガレとユキヒコ。ドアの側で静かに聞き耳を立てるノエル。そして、部屋の隅で俯いていたミコトに視線を送った。
視線に気付いたミコトは小さく頷き、了承の意と察した僕は、今回の休暇が実はスパイの捜索も兼ねていた事、そのスパイの容疑者にウルルカが挙がっている事を皆に説明した。
その事を聞いて最初に声を上げたのはナガレだった。
「かわい娘ちゃんを疑うとかありえねぇー!!」
「はい。ややこしくなるから大人しくしてましょうね」
立ち上がるナガレをユキヒコが抑え、代わりにノエルが口を挟む。
「……それでセイはこれからどうするの?」
「どうする?」
「ウルルカを見捨てるの?」
ノエルの言葉で皆の注目が僕に集まる。僕は瞼を閉じ、少し考えた後、再び日本庭園を眺めた。
「うん。それだけど……明日からだと思う」
「明日?」
皆が首を傾げる。だが、日本庭園からは雨の音に混じって隠しきれない怒声がかすかに聞こえていた。
そう、僕の予想が正しければ、今、月光館では昨日の件で会合どころではないのだろう。
◇
そして、三日目。予想通り状況が動いた。
僕とミコトはホネストに呼ばれて月下荘の別室に入る。執務室の代わりに使っていたそこでホネストは重苦しい表情を隠さずに待ち構えていた。
「用件は言わなくてもわかるな」
「その前に、疾風さんはどこに?」
「今は席を外してもらっている。彼女も冷静ではなかった」
そう言うとミコトは、ほっ、と一息ついた。やはり昨日の事で顔を合わせづらかったのだろう。ホネストが気を遣ってくれたのだ。
けれど、ホネストの重苦しい雰囲気は変わらない。なぜなら、
「正直、厳しい状況にある」
ホネストは視線を逸らす……いや、ある方向を眺めているのか。もしかしたら、ウルルカがそこにいるのか?
「今、ウルルカは月下荘の一室に軟禁させてもらっている。だが、はっきりと言おう。このままではウルルカは《Plant hwyaden》の残党とともにギルド会館で幽閉することになる」
改めてホネストは僕たちに向き直り、言い放つ。
僕とミコトは驚かない。昨日皆に話をした時点で覚悟はしていた。ただ、それでも聞いておきたい事がある。
「どうしてホネストは僕たちの味方をしてくれるんですか?」
「ん?」
ホネストは首を傾げる。だが、ウルルカが捕まったこの状況で僕たちを信じてくれる方がおかしかった。
その事を話すと、ホネストは納得した。確かにウルルカと同行していた僕たちは警戒人物の一人だろう、と。
「だが、《お触り禁止》の味方をしたつもりはない。こちらとしてもこの状況は望ましくないだけだ」
「というと?」
「仮にウルルカがスパイだとしたら、仲間に引き入れたこちらにも問題があるということだ」
つまりは《ナインテイル九大商家》からの信用問題に発展するのである。
自分たちの手を貸す組織がずさんだったら、誰だって取りやめるだろう。今、『アライアンス第三分室』にも同じ事が起きかけている。
「現在、《ナインテイル九大商家》は第三分室にかかる利益と損失を秤にかけている」
その後、ホネストは一日目の議題になった海洋貿易について、かいつまんで説明し、その解釈がミコトの予想と相違ない事を認識した。
「第三分室と九大商家の関係は、企業とスポンサーの関係に近い。スポンサーは資金を打ち切ればいいが、資金を打ち切られた企業は」
「成り立たなくなる」
僕は割り込むように言葉を紡いだ。『アライアンス第三分室』がなくなれば、いままで僕たちが死に物狂いで頑張った成果も水の泡になる。いや、それどころか、
「最悪、第三分室は存続するために、ウルルカを含め君たちに厳しい処分を執らざるを得なくなる」
いざ第三分室がなくなるとなれば、ホネストは犠牲をいとわない。そうしなければ、スポンサーに……《ナインテイル九大商家》に『誠意』を示すことができないのだから。
「そんなの駄目です!!」
瞬間、冷え切った空気に電撃が走る。部屋のドアが勢いよく開き、外からわらわらと人がなだれ込んでくる。
それはドア越しに聞き耳を立てていた仲間たちであり、その一人……我慢できずにドアノブをひねった少女が飛び出してきていた。
「コール……」
「駄目です。ここにいるセイさんたちも、ここにいないウルルカさんも、全員私にとって大事な人たちです。だから」
コールは今にもあふれ出そうな涙を強引に拭き取って、ホネストに詰め寄る。
「どうにかしてください! あなたは《冒険者》で『迷惑の一つや二つあってないようなもの』なんでしょ!?」
ああ、本当にこの子は強くなった……僕は憧れに似た何かをコールに感じ取った。冷たい空気が暖かい日の光に照らされてぬくもっていく。今のコールは《冒険者》にとっての『日だまり』になっていた。
それはホネストも……いや、全員が感じていた。
「はは……これは一本取られたな」
ホネストはむずかゆいように頭を掻く。そして、やっと目が覚めたように笑顔を零した。
「そうだな。僕たちは《冒険者》だ……だったら、バカで欲張りで皆が幸せになる方法を考えよう。上手くいかなかったら、その時はその時だ!」
その瞬間、喝采が轟く。ナガレはやる気に満ち足りた雄叫びを上げ、ユキヒコはナガレの後ろで抑えながらも強く頷いた。
ノエルはコールに寄り添って優しく頭を撫でる。それなら僕はミコトの側に寄った。
「コールに大事なことを教わった気がします」
「そうだな。僕たちも頑張ろう」
「はい」
心ここに在らずだったミコトは、顔をゴシゴシ拭った後で息を吹き返したように瞳に力を取り戻した。
「今度こそ私はウルルカに向き合って、この手に取り戻します!」
傍から見てもわかる。ミコトは自身の決意を強く胸に刻み込んだ。




