第一章 5 恋心と休息
《ユフィンの温泉街》はナインテイルの中では保養地として有名だ。だがその実、軽々しく行ける場所ではないらしい。
ミコトさんがいうには《ユフィンの温泉街》は山岳地帯に囲まれている。そこに至る道はどれも険しい山道であり、セイさんたちでも半月の月日を要した。唯一、平坦な南西の道も《火竜のすり鉢》というダンジョンが行く手を阻み、大きく迂回する必要があるそうだ。
結局の所、《ユフィンの温泉街》もナインテイルの僻地で、少し郊外に出れば、荒れ放題の野原が広がっていた。コールこと私は金髪を揺らして野原を進む。
そう、あの後、私はミコトさんとウルルカさんに謝って一人で郊外に出た。他でもない、ノエルさんを追って。
「この辺りだと思うけど……」
私は人影を探しながら進む。その手には桜色の風呂敷……月下荘の厨房を借りて軽く作ったおむすびと竹筒だ。きっとノエルさんには必要なもので、それを持って、身の丈近くある草を押しのけ、荒れ放題の枝を避ける。
すると、次第に視界は開け、声が響いた。
「やぁ、たぁ、はぁ」
間違いない、ノエルさんの声だ。その声を便りに前へ……よりいっそう草木が生い茂る中を潜るように進み、「ぷはっ」と声を漏らした私は、苦しかった草むらから顔を覗かせる。
「《カバーリング》、《ファントムステップ》、《ロングレンジカバー》!!」
戦いやすいように整地された区画になびくのは二つに分けた赤髪。いつもは薄暗闇色のコートを着ているが、今は動きやすいように薄着だった。確かタンクトップというやつだ。ナガレさんが前に肌が見えそうなものを「着てみて」と言われて聞いたことがある。セイさんとユキヒコさんが、すぐさま近づいてぼこぼこにしていた。
ノエルさんが着ているものはさすがに薄いものではなかったが、汗だくになったそれは身体のラインを際立たせて、健康的な美しさを醸し出している。
「まだまだーぁぁあ!!」
さらに声が響く。ノエルさんは区画の中央にある木の枝に吊らされた丸太へ向かって攻撃を加える。すると、丸太は宙に上がって当然のように跳ね返ってくる。それをノエルさんは両腕を構えて受け止め続けていた。
「くっ!!」
再度攻撃を加える。けれど、攻撃の軸がずれたのか、丸太は弧を描くように跳ね返り、ノエルさんはありえない方向から攻撃を受けて吹き飛ばされてしまう。
そのまま、地面に転がったノエルさんは仰向けになって意気消沈する。私は急いで近づいた。
「これじゃ、駄目。セイの力にはなれない……」
「だったら少し休憩してみてはどうですか?」
頑張り屋に近づいた私は桜色の風呂敷を掲げて呟いた。
「コール……!?」
ノエルさんはそんな私の顔を見て、跳び上がるかのように目を丸くしていた。
◇
「ばれちゃったか」
ノエルさんは照れくさそうに、ただ目の前の事実を呑み込んでいた。
整地した区画の端。太い幹の丸太に、私とノエルさんは並んで座っている。その間には微妙な隙間……風呂敷を解いて、おむすびと竹筒がちょこんと置かれてあった。私がその一つを差し出すと、ノエルさんは手にとってぱくっと一口。整地された区画にしばしの沈黙と涼しい風が吹く。
「その……コールはいつから?」
唐突にノエルさんは聞いてきた。私は答える。
「そうですね。《パンナイルの街》に帰ってきた時からでしょうか。街道へ向かうノエルさんをみかけました」
「って、ほぼ最初からじゃん……」
ノエルさんは肩を落とす。そう、ここ最近、ノエルさんは皆に秘密で訓練していたことを私は知っている。セイさんは「おかしい」と宣っていたが、それは歴とした間違いだった。
《パンナイルの街》にいた時は訓練道具にも磨きがかかっていたのだが、さすがに《ユフィンの温泉街》ではそうもいかなかったらしい。
「でも何故訓練を? もしかして、自分は足手まといと思っているんですか?」
「まぁね……」
途端に、おむすびを平らげて、竹筒を口に運び、ぐいぐいと水を飲み干す。ごちそうさま……手を合わせるノエルさんは飛び上がるように立ち上がった。
「セイさんはそう思っていないですよ」
「私はそう思ってるの」
そう言ったノエルさんは懐からクナイを取り出した。ノエルさんがいつも使う武器とは別の物だ。きっと訓練には向かないのだろう。それを掲げると先を見据えるようにみつめる。
「セイだけじゃない。『奪還作戦』を機にナガレだって強くなってる。ミコトやウルルカは元々高レベル者。私だけが置いて行かれていく……だから、私は今、頑張らないといけないの。皆と肩を並べるために」
私は黙った。私は《冒険者》ではない……ノエルさんの焦る気持ちを理解できるとも、そんなことにはならないとも言えないのだから。でも、
「きっと、セイさんの事が大好きだから頑張れるんですよね……」
「――っ!?」
瞬間、ノエルさんが咳き込んで、喉をつまらせる。
「ど、どうしてそこでセイが出てくるの!?」
「でも、間違ってないですよね?」
「……」
ノエルさんは頬を赤らめる。その仕草はなんと可愛らしいものか。やはりノエルさんはセイさんに恋している。高鳴る鼓動を抑えるように胸に手を置き、顔を背けるふりをして瞳は慈しむ眼差しを向けている。その想いは私たち《大地人》と比較できないほど輝いている。本来、その垣根はないのだとしても……少なくとも私にはセイさんの心に割って入るほどの輝きはなかった。
「私はいずれセイさんの下を離れてしまうのだから」
「……え?」
ノエルさんが耳を疑うかのようにこちらを見た。私は優しく微笑んで、気を紛らわすように足を上下に揺らす。
「実は最近、グレイスと手紙のやりとりをしているんです」
「グレイスって、《供贄の一族》を仕切っている人だよね」
私は頷いた。《アキヅキの街》での一件から彼女は、ナインテイルでの一族の団結に向けて活動している。一族の再編、見直しを勧め、同時に魔法具《幻想の忘れ形見》の位置を再確認をしていた。
そして、
「私はグレイスと一緒にとある部署を立ち上げようとしています。《幻想の忘れ形見》の場所を立ち入り禁止区画として《冒険者》に警告する部署です」
そう、一度間違えれば大惨事を起こす魔法具を《冒険者》に託すのは間違っている……その考えは私も共感している。一年前の《Plant hwyaden》による《ナインテイル》侵攻の事実……それを踏まえての三ヶ月前の闘技大会の惨状。うまく沈静化したが、闘技大会の光景は、二度と起こしてはならないものであることは間違いない。
だが同時に、このまま《冒険者》に何も知らせずにいるのはどうかとも思った。もし、あの時《幻想の忘れ形見》の一つが……危険物が闘技場にあると知っていたら、もっと早く対応できていたのではないか。その考えも消えて無くならない。
「だから、私はグレイスとも相談して『位置』だけは皆に伝えようって事になったんです」
「でもそれは!? それは……諸刃の剣だよ」
ノエルさんが訴える。その訴えは当たり前の事で、私とグレイスも同じ壁に当たった。
――位置が知られれば、悪用しようとする者が出てくる。
確かに事前に危険がわかっていれば、回避する方法を用意することはできる。だが、あえて危険を冒すことで、自分だけの利益を得ることもできる。《アキヅキの街》でのアミュレットがいい例だった。
それでも私はこの案を推した。なぜなら、
「私はセイさんに助けてもらいましたから」
きっと悪用しようとする者が出てきても、止めてくれる誰かがいるはずだ。助けてくれる誰かがいるはずだ。それぐらいには《冒険者》を信じても良いんじゃないか。可能性を信じても良いんじゃないか……私はそう、グレイスに綴ったのだ。
ノエルさんはゴクリと喉を鳴らす。けれど、それは重圧を感じたからではなかった。薄々、ノエルさんも気付いていたのだろう。
「私、セイさんの事が好きです。きっと助けられたあの日から、できることならずっと一緒にいたい……ずっとセイさんの微笑みを独り占めしたい。気兼ねなく話してもらいたいと思っている」
「……」
「でも、そうするにはセイさんの下から離れないといけない……そうでなければ『ただ甘えているだけの子』に成り下がるのだから」
ノエルさんはただ静かに私を見つめていた。その瞳に私はどう見えているのだろうか……私は知らずのうちに拳を握っていた。煮えたぎるような想いを胸に、真正面からノエルさんをみつめ返す。
「一緒にいたいのにいられない。私はどこまでいってもセイさんの隣には座れない……座れないんです!」
おかしい、こんなことを言うつもりではないのに……熱い想いがこみ上げてくる。なぜか額に涙が伝い、悲しくて流れ続ける。
「だから、私はノエルさんに座っていて欲しい……」
「――い」
「私はノエルさんの事を応」
「――もういい!!」
刹那、ノエルさんが丸太に座っている私を優しく抱いて包み込む。伝わってくるぬくもりに煮えたぎる想いが治まっていく。
「もう、それ以上言わなくていい。自分の恋心を傷つけなくていいから……思ってもいない事で、自分の心を欺く必要なんてない」
「あ……」
ノエルさんの鼓動が聞こえてくる。ノエルさんもまた同じように高鳴っていた。
「ごめんね。コールの気持ちわかってあげられなくて……また、つらい想いさせちゃったね」
「なぜ、ノエルさんが謝るんですか……?」
どうしてこうなっちゃったんだろう。私は本当にノエルさんの恋を応援したかったのに……その言葉が出なくてすすり泣く。
「ずるい……ノエルさんはずるいです。必死に我慢しようと思ったのに」
「いいの。言われなくても私はセイの隣に座るつもりなんだから……だから、私たちの間では我慢はなしにしよう。つらいことも、悲しいことも全て共有しよう」
だって、同じ人を愛したのだから。
ノエルさんが私の頭を撫でる。泣き止むまで、涙が涸れるまでずっと。
「……あと、セイは後で一発ぶん殴るから」
「はは……いいですね。是非お願いします」
ノエルさんの言葉に私は、ふふふ、と笑顔をこぼす。
それは二人の間に確かな絆が芽生えたことでもあり、セイさんではないにしろ、気兼ねなく話して欲しいという願いが叶った一瞬でもあった。
……ここの表現、思っていたよりも難しい(正直わかんなくなってきた)




