第一章 4 それぞれの休息
一方、月下荘の玄関手前では空を切る音が鳴り響いていた。街中でも練習できるよう竹刀を握り、ナガレこと俺は意識を集中させる。目をつむれば、目の前には剣を抜いた《冒険者》が四人、現れる。
まずは《吟遊詩人》が先兵として槍を突き立ててくる。俺はそれをいなして突き飛ばす。
その瞬間、《武闘家》が素早く隙を突いて、《ファントムステップ》を繰り出す。次の瞬間、真横に跳んできた《武闘家》は蹴り上げるように膝を曲げ、俺は奥歯を噛みしめながら受け身を取った。そして、打ち上げられた瞬間、視界の端で《妖術師》が魔法を発動しようとしているのが見えた。《武闘家》の背後で火の玉が浮かび上がる。《妖術師》の《オーブ・オブ・ラーヴァ》だ。
俺は着地後、すぐさま竹刀を腰に当てて構える。一ヶ月半前……『ナカス奪還作戦』の時に会得した《迅雷の構え》で向かってきた火の玉を真っ二つに叩き切った。発動中の特技をキャンセルしたのだ。
だけど、半分に割れた火の玉は俺の周りに燃え広がって炎の海に変える。攻撃を仕掛けた三人をも飲み込み、真っ黒い景色が赤く染まる。
そして、対比するかのように蒼い髪が揺れた。そう、炎の海の波際から倒すと決めた相手が歩み寄ってくる。
俺は口端をつり上げた……いつしか竹刀も本物の刀に変わる。それだけ俺が本気になっている証拠でもあった。
呼吸を整えてゆっくりと構える。そして、
「何しているんですか、ナガレ?」
刀を抜こうとした瞬間、目を覚ます。
はっ、と俺は瞼を上げると、そこには想像で作った炎の海ではなく見知った顔があった。スケッチブックを片手に佇んだそれは言わずもがなユキヒコである。
「何だ、ユキヒコか」
振り下ろされる竹刀がぴたっと止まる。俺は完全に止まったのを確認してから、邪魔した腹いせにユキヒコの額を軽く竹刀で弾いた。いたっ、とユキヒコがおでこをさする。
「何をするんですか!?」
「イメージトレーニングを邪魔したからだ……で、キング・オブ・地味は何をしているんだ?」
それからすぐに素振りを再開する俺にユキヒコは怪訝そうな表情で口走った。
「いや、セイさんはどこかなと……あと、キング・オブ・地味ってまだ僕のことを罵ってますか?」
「そんなわけあるか」
瞬間、ユキヒコが目を丸くする。俺は竹刀でスケッチブックを指さした。
そう、最近のユキヒコは絵を描く事に躊躇がない。後ろめたがらないと言えば良いのか、流民に教えるのはもちろんのこと、自分でも積極的に絵を描き始めていた。まるで抑え込んでいたものが一気に爆発したかのようにスケッチしたものを絵に落とし込む毎日を過ごしている。
考えてみれば、荒廃した大地や大自然、モンスター……セルデシアは現実ではお目にかかれない物のオンパレードだ。貴重な題材を間近で見れる機会は他にない。頑なに拒む理由さえなければ、描かないなど損なのだろう。
案の定、ユキヒコもスケッチブックを眺めて頷いた。
「やりたいことができたからでしょうか……? 最近は絵への羞恥心はなくなりましたね」
「ふーん、良かったじゃねぇか」
「良かったって……あっけないですね」
ユキヒコが拍子抜けしたように肩をすくめる。だけど嫌みはなく、変に期待されない事に安心感を覚えているようだった。本当にしつこいほど「夢は諦めたのか」と突っかかっていたのだろう……俺は竹刀を軽く振りながら苦笑いする。
「で、何か急用でもあったのか? セイならずっと前に温泉街に繰り出したぞ」
そして、俺はふいに素振りをやめてユキヒコに聞いてみた。ユキヒコは「あ、いえ……」と残念がって口を窄めた。その後、少しばかり感慨に耽り、意を決して口を開く。
「ナガレは最近のセイさんの動向をどう思いますか?」
ああ、なるほど……俺はため息をつくなり、セイが行った温泉街の方向に視線を向けた。
「ありゃ、また何か問題を抱えてるんだろうな」
「やっぱりそう思いますか!?」
途端にユキヒコが食いつくように大声を上げた。俺は瞬間つんざく音に堪えて耳を押さえる。未だ地味さ加減が拭えないユキヒコにこれだけの声を出させるんだ。いい加減セイも、隠し事が下手だと言うことを自覚してほしい。
「道中ではそわそわ、宿に着いたら大声を上げる。あれだけ挙動不審だとな……セイはあれでばれていないと思っているから不思議だ」
ですよね、ですよね……ユキヒコは何回も頷いて同調する。
そう、セイは気付いていないみたいだが、俺たち……いや、セイ以外の皆が事の異常さに気付いている。様子がおかしくなったのは、半月前《パンナイルの街》で『第三分室』のリーダーから話を聞いた時からだ。おそらくその際に面倒事を押しつけられたのだろう。それを引き受けるセイは本当に難儀な宿命を背負わされたものだ。
「それで何をするんですか!?」
「ん? 何もしないけど」
「…………へ?」
なんとも間抜けで、キング・オブ・地味にお似合いな返事だ……俺は呆れて深いため息を吐いた。出会った時ならともかく今のセイは信頼に値する相手だ。
「あのな……何を期待しているかわからんが、俺は手出ししない。セイが言わないということは、今のところ俺の力は必要ないということだ」
俺は竹刀を眺める。俺にあるのは良くも悪くもこれだけだ。俺に誰かを支えたり、剣以外で屈服させる事はできない。だからこそ地味だが、縁の下の力持ちになれるユキヒコは、セイのことを心配して声をかけようとした。
俺とユキヒコは違うのだ……『夢を叶える』という所は同じでもその心持ちが違っていたのは当たり前の事だった。
「だからこそ必要になった時に備えて鍛練を積む。それが今、俺がセイのためにできる事だ」
「……」
ユキヒコの表情が緩む。まるで弟の成長を喜ぶ兄のようにほころび、それを本当の兄に伝えたいと言わんばかりに空を見上げた。
と、次の瞬間ユキヒコは閃いたかのごとくスケッチブックを開いて座り込んだ。俺は首を傾げながら聞く。
「おい、何している」
「いやぁ、今のナガレの姿を描き写しておこうと。もしも現実世界に帰れる事があったら、いの一番にナガレの兄さんに弟の勇姿を教えてあげようと思って」
「やめろ! きしょくわるい!!」
ただでさえナカス奪還作戦で無様をさらしたばかりだ。これ以上かっこわるい様を広められてたまるか。
「セイを励ますんだろ。さっさと行け!」
「気が変わりました。僕もセイさんが言うまで何もしません。ということで、スケッチを再開します」
「だからやめろって言ってんだ!! ちょっとそのスケッチブック貸せ!」
「いいですよ。別のスケッチブックに描きますから」
「このやろう……言うようになったじゃねぇか」
俺は手を伸ばす。すると、ユキヒコはあっさりとスケッチブックを手放して、その手を躱してみせる。
「僕もただナガレを見ているだけではないのですよ」
「ほぅ、なら一回勝負といってみるか」
その後、取っ組み合いになったのは言うまでもない。俺は竹刀を放り投げ、ユキヒコに襲いかかり、ユキヒコは悠々と躱し続ける。正直、八割方、俺の勝ちだと思っていたが、恥ずかしさで頭に血が上っていたこともあり、勝負は夕食の号令まで続いたのだった。
◇
――楽しそう……。
いいなぁ……そんなナガレさんとユキヒコさんの様子を眺めていた私は、月下荘の廊下の窓から見下ろしていた。と、ふいに日の光が反射して、窓に金色の髪を映し出す。
「コール、どうしたの? いきましょう」
その時、コールこと私は呼ばれて振り返る。その先ではノエルさんにミコトさん、ウルルカさんが着替えを用意して立ち尽くしていた。私は慌てて皆の元へ走る。
かくいう私も自分の着替えを抱えていた。つまりは皆で着替えが必要な場所へ行くのである。
「もう、これからコールの楽しみにしている温泉に浸かりに行くのに何をしているのやら」
ミコトさんが軽く肩をすくめる。けれど、その節々からは優しさがにじみ出ていた。私は「ごめんなさい」と謝りながら向けられた優しさに報いるように微笑んだ。
「外でナガレさんとユキヒコさんが楽しく談笑していたから、つい気になってしまって……」
「ナガレたちが?」
ノエルさんが私の言葉につられて窓の外に視線を逸らす。
あ……ノエルさんに言わせれば、あれは談笑ではなくじゃれ合っているというべきだろうか。どちらにしても私にとっては少し羨ましい光景だった。
私には親しい人たちと気兼ねなく笑い合える事はできなかった。《アキヅキの街》の一件もそうだし、普段良くしてもらっているセイさんたちとだって気を遣ってもらっている。
今もそうだ。温泉に行くのは私一人だと寂しがると思って、皆、無理をして付いてきてくれている。ウルルカさんはどこかぼんやりしているし、ミコトさんはウルルカさんを心配していた。ノエルさんは考えていることがあるのか顔がこわばっている。
きっとこれからも気を遣ってもらわずにいられる事はないのだろう……私はそれがどこか残念だった。
けれど、ないものをねだっても仕方ない。それでも私は一緒にいたい、自分のできることを見つけたいと思ってここに立っている。だから、
「さぁ、張り切って温泉に行きましょう!!」
声を張り上げて、皆がまとまってくれるように願いを込めた笑顔を向ける。ミコトさんとウルルカさんのわだかまりがなくなるようにお互いの手を繋ぐ。
「きゃ!? び、びっくりした」
「……」
手を繋ぐ感触にミコトさんが驚き、今まで上の空だったウルルカさんがこちらを顔を向ける。そんな中、ナガレさんを眺めていたノエルさんが急に背中を見せた。
「ごめん。やっぱり私、お風呂は後にするわ」
「え、あ、ノエルさん!?」
私は、それこそ驚いて声を張り上げる。けれど、ノエルさんは聞く耳を持たずそのまま早足に来た道を戻っていった。
後に残ったのは和気藹々としたものではなく、ぽつんと静まる空気だった。
Q.次回は温泉回ですか? A.いいえ、違います(ガーン)




