第一章 3 休息
そして、僕とミコトは余計な物を抱え込みつつ、現在に至る。
仲間はそうとは知らず、《ユフィンの温泉郷》までやってきた僕たちが『月下荘』ののれんをくぐると、開放感のある玄関が広がっていた。赤と黒を基調にした格式高い装い。だが、民芸品や菓子など庶民にも手の届きそうな物も置いている。そのおかげで存外、場違いな空気はない。
「何だ、意外と居心地良さそうな所だな」
荒っぽいナガレでさえそう言っているのだ。コールに至っては好奇心が先だってそわそわしている。
そんな中、ロビーの奥から和装の女性が姿を見せた。狐の耳に、ふかふかの尻尾……ノエルと同じ《狐尾族》の女性だ。年齢は二十代後半といったところだろうか。けれども、年齢を感じさせない化粧と所作は見事と言わざるを得ないほど美しく、目の前に来て礼をする姿に、僕たちは目を奪われた。
「『セイ』様ご一行ですね。話はお伺いしております。私は当旅館の女将でございます。ようこそ『月下荘』にいらっしゃいました」
「は、はい! これから五日間お世話になります!」
僕は肩肘張りながら答えた。すると、女将が「あっ」と振り袖をまくりながら僕の髪を触る。
「え、あ、あの……」
「じっとしていてくださいませ」
突然のことに僕は驚きながら顔を赤らめた。女将はその間に僕の髪に付いていた埃を払ってにこりと微笑む。どうやら荷物を降ろす際に埃をかぶっていたらしい。
あ、ありがとうございます……僕は照れくさそうに頭を下げた。途端にナガレが声をあげる。
「おい、ずりーぞ!! 何で、セイだけウッハウハ展開になるんだよ!」
「ウッハウハ展開ってなんだよ!」
僕は「俺もかわい娘ちゃんに撫でられたい!」と駄々をこねるナガレにつっこみを入れる。けれど、振り返ると予想以上に冷たい視線が降りかかった。女性陣が僕を死んだ魚の目で見る。
「女ったらし」
「女の敵」
「変態」
ぐぉ……まさしくクリティカルヒット。ノエルとウルルカ、ミコトの言葉に僕の心のHPは瀕死寸前だ。そんな悶絶中の僕にコールが庇うように寄り添った。
「セイさん、大丈夫ですか!!」
「コール……」
僕は涙ぐみながら見上げた。もう僕を理解してくれるのはコールだけになってしまった。
「元気を出してください! 私はセイさんが他の女の人に現を抜かしていても平気ですから!」
「……」
理解してくれている……のかな。僕はうんともすんとも言えなくなってそのまま固まった。
「さぁ、さぁ、皆様。こんな所では何ですから、お部屋へお通しいたします」
そして、一区切りついたのを見計らって女将が手をぱんぱんと叩いた。さすがは旅館を支える大黒柱、客をまとめ上げるのが上手い……女将が道を空けるように手を差し伸べると皆が後をついていく。
そんな中、最後尾にいたミコトが固まった僕の隣によってひそひそ話を持ちかける。
「あなた、まさかスパイの件、忘れたわけではないでしょうね?」
「……忘れていないよ」
忘れるわけがない……僕は現実に戻されて、ため息をつきながら立ち上がった。ミコトは訝しそうに口を尖らせる。
「そうかしら……私には楽しんでいるようにしか見えないけど。もしスパイが見つからなかったら」
「それならそれでいいんだ」
え……途端にミコトは視線を向ける。不意を突かれたように唖然とするミコトに僕は説明する。
「僕なりに考えてみたんだけど、何も起きなければそれに超したことはないと思う。顔見せとはいえ、九大商家が会するチャンスを棒にふるって事は」
「まさか……スパイはいない?」
ミコトがはっと気付いて言葉を発した。そう、ナカス奪還作戦が成功した今、形勢を逆転するチャンスは見逃さないだろう。それをしないという事は、『知らない』という事だ。
「……ただでさえ、ナインテイル南部は《Plant hwyaden》の影響力が行き渡っていない地域。その代表がやってくるとなれば手を出さないわけがない、ですか」
ミコトがあごに手を当てて口走る。僕は周りに悟られないように小さく頷いた。
もちろん、スパイがいないか注意を払うつもりだ。ある意味、警備という体裁があって良かった。周りを見渡しても不審に思われることはない。言い訳も立つ。
「ミコトは来る前に決めた通り、できる限りウルルカさんと一緒にいて。僕はその間、温泉郷を見て回る。最悪、見つけられなくても、ウルルカさんの身の潔白を証明できれば、それでいいから」
ミコトが首を縦に振る……そんな僕たちを、階段の上からノエルがじっとみつめているとは知らずに。
「やっぱり、今の私じゃ駄目なんだ」
ノエルは決意に満ちた瞳で階段を駆け上がった。
◇
そうして僕とミコトが皆のもとに戻った後、今度こそ女将の誘導に従ってついていくと、『宵月の間』と呼ばれる部屋にたどり着いた。小上がりの座敷にいろり、窓の外には小さな日本庭園……その部屋は世間一般に言うスイートルームだった。
「これは、想像以上だな……」
戸を開けた瞬間、僕は贅沢すぎる部屋に呆気を取られる。休暇で来たとはいえ、これほど上等な部屋が当てられるとは思ってもいなかったのだ。途端にナガレが飛び出して、兎のように飛び跳ねる。
「うっひょ、ひっれぇ――!! なんだこれ、部屋の中で走り回れるぞ!」
「って、はしゃぎすぎだろ!」
僕たちだけならともかく、今は女将もいる。不躾な態度を取って追い出されるような目に遭っては泣くに泣けない……僕は必死に注意した。
「ん? でも、コールちゃんも大概だぞ」
「え?」
そんな事を言われて僕はナガレが指さした方向を見た。すると、コールが窓ガラスにほっぺをこすりつけて日本庭園を眺めていた。
「こひぇがひぃほんていへん。わびひゃびかぁ」
「……」
いつの間にか、目を輝かせてうっとりしている。やっぱり玄関先で注意した方が良かっただろうか?
そんな僕たちを見て、女将が口元を袖で隠しながらくすくすと微笑んだ。
「その……お恥ずかしい限りです」
「いいえ、とても楽しい方々です。それに比べてあの子ときたら、どこで油を売っているのかしら……」
「あの子?」
すると、女将が慌てたように笑顔を振りまいてきた。
「い、いえ、失礼しました! こちらの部屋は隣と繋がっておりますので、お休みの際はそちらをお使いください。それでは良い一時を!」
そして、逃げるように出ていった女将に対して僕は首を傾ける。
「何だったんだろ?」
さぁ……ナガレが他人事のように返事をした。それよりも部屋を探検したくて舞い上がっていた。
――まぁ、気持ちはわからなくもないけど。
広い部屋というのは、いつの世も冒険心をくすぐるものだ。女将も仕事に戻った事だし、僕も探検したくてうずうずした。
何たって、いろりは知っていてもお目にかかるのは初めてだ……僕は一直線に向かう。そんな中、地味にユキヒコが気になる事を呟いた。
「そういえば昔、《ユフィン》には面白い《大地人》がいるって聞いたような……」
けれど、他の皆も各々思うままにくつろぎ始め、僕もいろりの暖かさに心を奪われているのを見て、ユキヒコは「まぁ、いいか」と思考を停止させたのだった。
◇
それからしばらくして、僕たちは各々荷物の整理をして自由行動をすることになった。
「それでは、会合が開かれる夜までに帰ってくること。いいですかー」
「はーい」
そして、僕は一人、月下荘の外に出る。まずはこの《ユフィンの温泉郷》に異変がないか確かめるためだ……決して観光がしたいわけではない。
「とはいえ、どこに行けば良いのやら……」
僕は気の向くまま街中を歩き出す。川のせせらぎ、垂れ桜の並木道、曲線を描くような特徴的な橋……そうして見たものは、どれも古き良き日本の風景だった。まるで時代劇の一幕にいるみたいな錯覚に陥る。
全体的にゆったりとした雰囲気は嫌いではない……僕は茶屋の長いすに腰掛けると、甚平や浴衣を着た子供たちが「こんにちはー」と挨拶してすれ違った。僕も「こんにちは」と挨拶して手を振る。
「……いいなぁ、こういうの」
その時、僕は戦いに次ぐ戦いで神経がすり減っている事を自覚した。
戦うのは好きだ。そこに変わりはない。相手と競い、精錬されていくようで成長を感じることができる。
だが、騙し騙される争いは嫌いだ。最初はわからなかったが、今では様々なことを経て、誰かが涙を流すような場面には立ち会いたくないと理解できる。
「はやく、終わらないかな」
僕はつい本音を漏らした。自由貿易権とか、《Plant hwyaden》とかどうでも良くなって、《ナインテイル》が平和になって、できれば《ウェストランデ》とも仲直りして、皆で競い合える世界になればいいと思う。
――ああ、そうか。ノエルはいつもこんな気持ちだったのか。
《アキヅキの街》で理解はしていたが、実際に体験すると、迷惑をかけられる側というのはままならないものだ。心配はしてもしても、しつきない。まるで注ぎ続けたコップから水が溢れてくるようなもので、止めどない。
おそらく理屈ではないのだろう……僕は木漏れ日を眺めながら静かに治まるのを待った。
その時だった。風に乗って歌声が聞こえてきた。
『ひとつ、けまりをこしらえて。
ふたつ、跳ばしてみせつけりゃ。
みっつ、赤子も泣き止んで。
よっつ、皆で大笑い』
歌声は茶屋の脇道から聞こえてくるようだった。僕は駄賃を置いて脇道に入る。
『けども、調子に乗りすぎりゃ。
風に攫われ。
宵の中』
歌声は尚も続いた。聞く限り、けまり歌なのだろう。歌声に導かれるように進むと、小さな社にたどり着いた。
赤い幟と、向かい合う稲荷像。その間からけまり歌が聞こえる。
と、その時、風に吹き抜け、けまりが鳥居を跨いで転がってきた。そのけまりを掴むと、次の瞬間、蹴っていたと思しき女性が社の奥から顔を出す。僕はその姿を見て、目を奪われた。
まるでコールと初めて会った時のよう……その女性はコールと同じ金髪の女性だった。




