第一章 1 ユフィンの温泉街
ユフィン……そこは山岳地帯に恍惚とできあがったオアシス。《ナインテイル自治領》の東に位置し、《ナインテイル自治領》が誇る一大名所。地熱により暖められた地下水が、地中の成分と混ざり合ってできた天然の水薬。そう、そこは数多の人が癒やしを求めてやってくる湯治場。その名も、
「オ・ン・セ・ン、だ――――!!」
その瞬間、コールは嬉しさのあまり、両手を挙げて叫びだしていた。
そう、『ナカス奪還作戦』から約一ヶ月半……セイこと僕たちは、ここ《ユフィンの温泉街》に訪れていた。
◇
事の発端は半月前に戻る。《ナインテイル自治領》の西にある街……《パンナイルの街》で僕たちはある人物に呼ばれていた。街に紛れるかのように点在していた執務室に通された僕たちは、書類の山に囲まれていた人物にこう言われる。
「突然だが、休暇を与えようと思う」
言わずもがな、その人物は僕たちが所属している『アライアンス第三分室』のリーダー、ホネストだ。
ただ、今回はいつも着用している全身鎧を脱いでシャツに袖無しのセーターというカジュアルな普段着に身を通している。一瞬、誰かわからなかったのはそのせいだ。
「誰ですか?」
「ホネストだよ。わかってて言ってるよね?」
「誰?」
「何で疾風まで、冗談に乗っかっているのさ!?」
そして、ホネストの隣には同じく普段着でブラウスに身を通している疾風がいた。
一方、執務室に通された僕たちはコールとミコト、ウルルカが一緒に来てくれている。ナガレは何か吹っ切れたように剣道の鍛錬をし始め、ユキヒコも《キョウの都》から連れてきた流民のサポートをしたいと席を外していた。
余談だが、疾風曰く、流民でも《冒険者》のサブ職業のように特技を一つでも覚えれば、店で雇ってくれる可能性が高くなるそうだ。《大地人》は《冒険者》と違って必要な物を作り出さないといけないからだと言う。
そう、《大地人》は《冒険者》のようにモンスターを狩って報酬をもらえるわけではない。お金を稼ぐにしても、材料を集め、組み立てて、売る……一通りの工程を《大地人》は行っていた。
さらには《大災害》後……正確にはその前にもあったのかもしれないが、共に暮らす住民として《大地人》も日用品などの生活必需品が必要になった。つまりは需要が増えたのである。
それだけでも人手は必要なのだが、加えて、『サブ職業の者が本当に手作業で作り上げれば、オリジナルの物も完成させられる』という事実により、開発ラッシュが起こり、世界は技術革新に包まれている。《冒険者》の発想力と技術力は凄まじく、そこから学んだ者は喉から手が出るほどの人材になるのだそうだ。
聞けば、ユキヒコのサブ職業《画家》もその即戦力の一つになり得るらしい。ポスターやびら、看板などの広告関係で魅力的な絵を描ける人はそういないし、《冒険者》を雇おうにも多額の報酬を用意しなければならない。店を経営している《大地人》にとっては助かる存在になるそうだ。ユキヒコはそれを知っているのかいないのか、絵の知識を流民に教えていた。
だが逆を言えば、それは《冒険者》より低賃金で働いているという事実でもある。こうして改めて振り返ると、《冒険者》と《大地人》の待遇の差を感じずにはいられない。
とはいえ、流民もこのまま安穏と過ごすわけにもいかないのは事実だった。
――『……事情は理解した。だが、『第三分室』の目的は、自由貿易権を取り戻す事、だということを忘れないで欲しい』
ナカス奪還作戦後、ホネストに言われた言葉だ。《アナト海峡》まで流民を連れてきた時は、僕たちを見て、疾風もとい、出迎えた第三分室の皆々は唖然としたものだった。「おかしい。死地にいたはずなのに、なぜ救出した人数が増えているんだ……?」と第三分室の不思議が一つ増えたくらいだ。
その後、流民はひとまず第三分室で雇ってもらえる事になったが、あくまで第三分室はレジスタンス組織……自由貿易権を譲渡した後は、護衛などの一部だけを残して規模を縮小する予定になっていた。
考えてみれば、当たり前か……《ナインテイル》の自治を取り戻すということは、『主導権を九大商家に託す』と同義である。主導権よりも勢力が大きくなってしまっては、いらぬ反発を生む。
――《ナインテイル九大商家》か。
作戦の時は何も考えないで救出に専念したが、いったいどんな人たちなのだろうか……僕は執務室で人知れず物思いに耽った。
「……あなたはまた別のことを考えていますね」
「ぎくっ……」
と思ったのだが、ミコトが背後からじと目で睨んでくる。表情を変えずににっこり口端をつり上げたが、冷たい視線は止まらない。耳元で囁かれた声は背筋を駆け回って顔色を蒼白にさせる。とても無視して考えられる状況ではなかった。
「……」
気づけば、ウルルカも黙ったまま様子を窺い、コールはどういう状況か掴めず、目を白黒させている。ホネストはそんな僕を眺めて、軽く罵った。
「いやー、《お触り禁止》も女難の相が見えるねぇ……って、そういえば隣にいた子はいないのかい? 確かノエル君だったか……最近見ない気がするが」
うっ……僕は歯切れ悪く、押し黙る。周りを見渡すホネストに何も言い返せない自分が恥ずかしい。
そう、《ウェストランデ》から帰ってきたノエルは、最近、僕から遠ざかるように姿を消していた。今日も「用事があるから」と言葉短めに宿舎から出ていったのである。
僕、また何かしたのかな……段々と気分は沈んで、僕は膝を折る。本当に覚えはないのだが、ついには顔を俯かせ、『の』の字を書き始めた。
「ユキヒコさんの癖が移りましたね」
コールが珍しく突っ込みを入れる。コールも最初に比べたら随分と《冒険者》の雰囲気に染まったものだ。儚げな雰囲気はどこか朗らかなものへとすり替わっている。
そんなコールを良しとするかどうか扱いかねているミコトは頭を抱え、そんな僕たちをざっくりと見聞したホネストは、どこか自分と重ねたように涙ぐみながら、ぽんっ、と手を叩いた。
「よし、わかった! それなら、この機に旅行に行ってみるのはどうだい?」
ぴくっ……僕は聞き耳を立てる。途端にホネストは書類に紛れて置いてあった紙切れを取り出した。
「実はここに極楽浄土への招待券があるんだよー。条件次第ではあげてもいいんだけどなー」
「……」
瞬間、僕は『の』の字を止め、立ち上がる。そして、真剣な面持ちでくるりと回ると呟いた。
「さて、帰ろうか」
「まてまてまて……僕が悪かった。きちんと話すから帰らないでくれ」
途端にホネストが紙切れを投げ捨てて手を伸ばす。その馬鹿さ加減に、今度は疾風が頭を抱える番だった。途端にミコトと目が合って、何やら共感したかのように二人して頷いた。
そんな中、僕は死んだ魚のような目で「何を企んでいるんですか?」とホネストに訴える。こう言っては何だが、ホネストの言葉に『裏がない』なんて事はなかった。今回もまた『休暇』と託けて、何か厄介ごとを押し付けられそうな気配がする。
すると、「まったく可愛くないな」と言わんばかりにホネストは表情を歪めながら一つの書類を手に取った。
「だが、休暇を渡すというのはあながち間違いでもない。今回の依頼はそう難しい事ではないからだ」
「簡潔明瞭……一言で言えば、警備、です」
直後、調子の戻ったホネストに疾風が合いの手を入れる。詳しく聞くところ、どうやら近々開かれる会合に僕たちを招待したいらしい。
「流民の件は置いて、人質の救出に、《ナインテイル九大商家》は、満足、しています」
「そこで君たちを労いたいという打診が来たわけだ」
しかし、アライアンス第三分室としては、その申し出を素直に受け取るわけにはいかなかった。先ほども述べたように、主導権を返上する以上、位の高い存在になってはならない。僕たちがどこにも属していない《冒険者》ならともかく、第三分室の一員であれば、一時的にも『客人』として迎え入れられるわけにはいかないのである。
だが、断れば失礼にも当たる……そこで協議の結果、会合の警備員として同行し、その間好きに行動してもらおうという話になったそうだ。
「言うなれば今回は『警備』という体裁の『休暇』だ。嫌でも同行してもらう」
これでも僕たちを気遣ってくれたのだろう……拒否権はないとはっきり公言してくれたおかげで、気兼ねする者は出なかった。僕たちは顔を合わせて頷く。
「正直、パーティに出席したりするよりかは気が楽だろう」
という言葉がホネストの口から出た時は、さすがに僕たちは苦笑いせずにはいられなかった。これでもまだ年端もいかない子供である。いきなり社交場に出されても対応に困るのは目に見えていた。
しかし、無邪気に喜んでいられるわけでもなかった。説明されていない事柄があるからだ。
「でも、その会合は誰かに狙われる危険性はないんですか?」
そもそもその会合が何のためにあるのかも知らない。僕の質問に、ホネストは「当然だな」と手に取っていた書類を差し出した。僕はそれを取って内容を見聞する。
「えっと、『ナインテイルの今後の展開について』……自由貿易権の奪取に向けて本格的に動きだそうって事ですか?」
「ああ、簡潔に言えば親睦も兼ねた軽い顔合わせだな。打診の件もあって、お互い腹の探り合いはよそうという事になっている」
加えて、会合自体はホネストと疾風だけが出席する手筈になっているらしい……僕たちはその間、会合が行われる旅館を見張っていればいいとのことだった。
「面倒な事は全て丸投げ。会合は五日間を予定してある。もちろんずっと開催されるわけじゃないから、空いた時間は自由にしてもらって結構。願ったり叶ったりの条件だろう」
微笑むホネストに、僕はそれでも「うーん」と怪しんだ。妙に嫌な気配がする。これまで培った経験が「ちょっと待て」と告げてくる。すると、ホネストは「苦労性も考え物だな」とため息をついた。
「……これは、もう一押しいるかな。ぜひ、コール君も見てみるといい」
そう言うとホネストは立ち上がって開催地の欄を指さした。指名されたコールも、首を傾げながら恐る恐る僕の真横から割り込むように書類を覗き見る……すると、まるで性格が変わったかのように僕から書類を奪い取って、食い入るかのように目を丸くした。
「こ、これは……ま、まさか夢にまで見た場所!?」
「コ、コール……?」
豹変したコールに僕は戸惑いを感じながら声をかけようとした。だがその前に、透き通るような金髪を乱してコールは振り向いた。きらきらと目を輝かせ、迫ってくる。
「行きましょう!!」
「え?」
「行きましょう!! 極楽浄土の地、『温泉』へ!!!!」
そう、開催地の欄に書かれていたのは《ユフィンの温泉街》……コールが前々から行きたいと口語していた憧れの地だった。
『ユフィン』か『ユフイン』かわからなかった……ユフィンの方がかっこいいからそうしています。




