エピローグ
それから数日が経った。あれからセイこと僕たちは意外なほど簡単に《神聖皇国ウェストランデ》から脱出を果たしていた。
それというのも《常蛾》が空を埋め尽くしたあの日、僕たちとは別に《アキバの街》を中心に《弧状列島ヤマト》全域は《典災》というモンスターに震撼させられていたのである。
のちに《航界種》と呼ばれる勢力の一人は《召還の典災タリクタン》として《セルデシア》に降臨、月から《常蛾》を召還して《冒険者》の街を同時攻撃させた。それが数日前の一件であり、唐突に襲ってきた《常蛾》の真相というわけだ。
そして、その事もあってか、ナカルナードはあっさりと僕に背中を見せて、《キョウの都》に帰って行った。
――「あとは自分で考えろ」
最後に一言だけ付け加えたナカルナードは、その後、僕たちにかまっている暇が無いと言わんばかりに、軍備を整え援軍として《ミナミの街》に向かったのは間違いないだろう。
そうして混乱に乗じて《キョウの都》から離れて、ミコトたちと合流した僕たちは《サニルーフ山脈》の麓を伝い、順調に大陸を南下していた。
僕は馬車の手綱を握り、馬車に揺られながら考える。
ウルルカの集めた馬車は全部で三台。流民用に一台、《ナインテイル九大商家》の人質となった子どもたち用に一台。そして、僕が引く支援物資を乗せた一台がある。
正直これだけの物をどこで手に入れたのか気になるところだが、今はそれ以上に追っ手が来ない事が不思議で仕方なかった。
そう、怪しまれないように顔は隠して、夜間に行動してもらっているが、僕たちは今、流民と子供たちを合わせたらかなりの人数で旅をしている状況にある。《典災》の騒ぎがあったといえど、敵がこれに気づかないわけがない。大勢となれば目立つし、馬車は揺れるため街道しか通ることができない……隠れるところがないまま移動しているのだ。
とどのつまり、《Plant hwyaden》は追っ手を送ろうと思えばすぐにでも送れる立場にいる。こちらが中レベル者しかいない事だってすでに露見している……高レベルパーティを一組でも向かわせれば制圧は可能だ。
なのに、なぜそのまま放置しているのか。
――『大体な、《ナインテイル自治領》なんてもうどうでもいいんだよ』
刹那、ナカルナードが《サニルーフ山脈》で言った言葉が脳裏をよぎった。
つまるところそういうことなのか……僕たち《ナインテイル自治領》なんて、プラスチックでできたダイヤの模造品に過ぎないのか。はたまた、未だ混乱が治まっておらず、編成が間に合っていないのか。
「なにしけた顔してんだよ!」
その時、荷台から声がかかり、鎧にガシャガシャ言わせながらナガレが顔を出してきた。あの日から今まで口数が少ない僕に気を遣わせたのだろう。ナガレは「ほれほれ」と指先を振り向いた僕の頬に押しつけた……相変わらず、女々しいというか、イラッとするちょっかいの出し方だ。
だが、少しナガレらしさが垣間見れて、僕は少しほっとした表情になった。《ウェストランデ》に来るまではナガレの方が深刻そうに顔をこわばらせていた……それが普段通りに戻ったと思えばこの旅にも少しは成果があったのかもしれない。
すると、ナガレも心配させていた事に気づいたのか、ちょっかいを出していた手を引っ込めて、背中を合わせるかのように荷台に座り込む。その視界の先にはあっけらかんとしているユキヒコがいる。
実のところ《常蛾》の攻撃を受けたユキヒコだが、二日後にはけろりと起き上がっていた。治療を試みていたミコトは驚いていたが特に身体的な異常はなく、今ではコールたちに頭を下げながら楽しく談話している。
そんなユキヒコを眺めながら、ナガレは独り言のように呟いた。
「ユキヒコじゃねぇが、今回は世話になった。たくさん迷惑をかけちまったみたいだな」
「ナガレ……」
「だが、もう大丈夫だ! 乾坤一擲、これからはよりいっそうナガレ様の活躍を見せてやるからよ。期待しとけ」
僕はつい、ほくそ笑みながら頷いた。親指を立てながらガッツポーズをするナガレは一気に周りを明るくする。本当に僕たちにとってはムードメーカの何者でもない。
だが、
「あ、でも、これだけは言っておく。俺、いつかこのパーティを抜けるから」
「え……。ええぇぇぇえええ!!」
唐突なパーティ離脱要請に僕だけではなく、荷台にいた仲間全員が「はぁ!?」と声が上がった。まるでからくり人形のように全員が、首を傾げながら目が飛び出るかの勢いでナガレに視線を向ける。
途端にナガレが立ち上がって「勘違いすんなよ!」と両手を前に出した。
「あくまで『いつか』だ! さすがに抱えている問題を投げ出してまで抜ける気はねぇから!!」
皆が「なーんだ。またいつもの冗談か」と振り向いた視線を元に戻す。だけど、僕はその視線を元には戻せなかった……口伝まで出現させたナガレがそんな重大発表を冗談に使うとは考えづらかったのだ。
きっとナガレは本気で考えている……すると、さすがと言わんばかりにナガレが微笑んだ。
「おまえ、前に聞いてきたよな……『現実でも剣道とかやってたのか』って。正解だ。でも少し後ろめたいことがあって、あの時は言えなかった」
「……」
「だけどさ、また始めようと思ったんだ。今度は俺のやり方を探しながら、さ」
「自分のやり方を探す……?」
その時、僕は妙に心に引っかかるものがあった。だけどそれが何なのかわからず、ナガレの話は進んでいく。
「そう、俺は俺で強くなる。そして、強くなって、セイ……おまえを倒す」
瞬間、僕は息を呑んだ。ナガレの熱い眼差しが胸にささる。
そう、言われなくてもわかる……強者を見る目……ナガレは僕を格上だと認識している。それがわかった直後、僕は目をそらした。刹那、ナガレがからかうように「おいおい」と宣う。
「まさか、まだ自覚していないのか?」
「それは……」
「もう一度言うぞ。俺はセイを倒す……セイを俺の目標にさせてくれ」
僕は少しの間口ごもる。
正直、今でも僕は自分を強いとは思っていない。実際、《キョウの都》に着いてからは僕は何かできたためしがない。皆がそれぞれ力を貸して何とか乗り切ったに過ぎないのだ。
だけど、
「ナガレが僕を強者と信じるなら……僕はそう思うナガレを信じることにするよ」
瞬間、ナガレが素直じゃないなと苦笑しながら拳を僕の前に突き出した。僕はその意味を理解して同じようにつき合わせる。
「じゃあ、男の約束だ。俺が強くなった暁には」
「ナガレとの一騎打ちを受けるよ」
コツンと小さく骨と骨がかみ合う。
男と男の約束……その音を聞きながら僕たちは遠い未来に想いを馳せていた。
◇
そして、想いを馳せる男がもう一人。
その夜、見張りを終えて背伸びをした僕は、荷台の側でスケッチに勤しんでいるユキヒコをみつけた。
僕はこっそりと荷台に隠れて覗き込んだ……というのも、そこにいたのはユキヒコだけではなく、流民の子供が隣で必死にユキヒコの真似をしていたのだ。
スケッチブックを片手に殴り書きしているその子は、薄手の服に靴底と布を縫い合わせただけの靴を履いた格好……間違いなく、騒動の中心人物になった少年、リックだった。リックは頭を抱えて「だぁぁぁあ」と喚いて、髪をかき乱す。
「くそっ、何で上手くいかないんだ!! こいつは涼しい顔で描いてるくせに!」
「こいつじゃなくて『先生』ね。『絵を教えて欲しい』って頼んできたのはリックからだろう?」
そう、何とユキヒコが絵の描き方を教えていたのだ。途端にリックが苦虫をかみつぶしながら、与えられたスケッチブックにかじりつく。さすがに今回の騒動で反省したのだろう……今度はすねることなくひたむきに考え、自分でやれる精一杯を始めていた。
その姿を横目で見ながら、いつもより楽しそうに描くユキヒコにつられて、僕もにっこり微笑んだ。
ユキヒコのスケッチブックに描かれていたのは流民の子供たちが遊ぶ姿。満面の笑みの子供たちは、優しさが溢れており、ユキヒコらしさを感じさせるスケッチに仕上がっていた。
「先生か……」
ユキヒコもまた少しずつ、本人にもわからないほど地味に前へと進んでいた。
◇
その一方で、《神聖皇国ウェストランデ》にある《ミナミの街》ではやっと《常蛾》襲来の混乱が治まってきていた。けれど、混乱は新たな火種を生み出してしまうことがある。
――「今こそ《冒険者》は手を取り合うべきだ」
――「今さらそんな事ができるかよ」
そんな両極端な喧噪がかすかに聞こえる中、俺は全身鎧を鳴らしながら月夜に照らされるショッピングモール跡に来ていた。
地面には、じゃり、じゃり、と音を立てる砂利……おそらくそこら辺に転がっている店から飛び出したガラス片だろう。目の前に鎮座しているエスカレーターは蔦に包まれ苗底と化している。
そんな景色の中、紫色のメイド服を翻し、特徴的な眼鏡をかけた不釣り合いの……いや、ある意味ではお似合いの女性が一人静かに佇んでいた。
「珍しいですね。《南征将軍》と恐れられるナカルナード様が敵に手加減をなさるなんて……」
どうやら挨拶は不要らしい。
ナカルナードと呼ばれた俺はため息を吐きながら、皮肉めいた口調でメイド服の女性……《十席会議》第二席インティクスに語りかける。
「烏合の衆に興味はなかったんじゃなかったのか?」
「ええ、ありませんでした……あの女狐が現れるまでは、ね」
やっぱりか……俺は一気に面倒くさくなって頭を抱える。 インティクスは粘着質で用意周到な女性だ。おそらくは今回の件も「念のため」と隠密部隊をつけて状況を逐一報告させていたのだろう。
そんな中、インティクスが『女狐』と呼ぶ人物……《十席会議》第一席、濡羽が現れた。
「単調直入に聞きます。なぜナインテイルの先兵を捕まえなかったのですか?」
インティクスの眼鏡が月光に照らされ妖しく光る。その内側では目つきの悪い瞳がさらに目尻を上に押し上げていた。
きっと濡羽が現れなければここまで怒ることはなかっただろう。だが、インティクスは濡羽に関して必要以上に敵意を剥き出しにする。
「もう一度聞きます。なぜ手加減したのですか?」
「なぜって、負けたからに決まってんだろ」
「ご冗談を。口伝を使わなかった時点で手を抜いていたのは明白です」
ちっ、ばれてるか……俺は嫌気が差してインティクスから視線を外した。すると、「……まぁ、いいでしょう」とインティクスは自虐的な笑みを向ける。
「それよりも聞きたいことがあります」
そういったインティクスは尚も「ふふ……ふふふ」と微笑みながら語りかけた。
「《お触り禁止》でしたか……彼はあなた様から見てどんな印象でしたか?」
途端に俺は耳を疑って振り向いた。こう言っては何だが、インティクスが濡羽と古巣である《放蕩者の茶会》という集団以外に興味を持つなんて珍しかったのだ。
「……何を考えてやがる?」
「いえ、特には何も。ですが、今回《典災》の件ではあの女狐にしてやられましたので、少しちょっかいを出そうかと思いまして」
ああ、そうかよ……俺はどっと疲れて、額を押さえる。
つまるところ、ただのやっかみ……ちょっと目をつけていたからいじめてやろう、というくだらない理由。
正直、俺には恨み嫉みなどどうでもいい。そんなものは犬に食わしておけばいいとさえ思う。それよりも俺は今のこと……生き残るために情勢を掴む方が興味があった。
――ったく、なんで俺の周りにはいい女がいないんだ?
他に用がないなら帰るぞ……俺は答える必要は無いと判断して視線を逸らす。だが、あることを思い出して一言だけ付け加えた。
「ああ、そういえば『ウルルカ』がいたな」
あら……途端にインティクスが首を傾げる。
「確かおまえのとこにいた駒の一つだよな? 何か調べていたのか」
「まさか『捨てた駒』の一つですよ。でも、そうですか……これは使えそうですね」
ふふふ……刹那、俺はおもちゃを与えられた子供のようにはしゃぐインティクスに辟易して空を見上げた。
空に浮かぶ月は分け隔て無く皆を照らす。歪んだインティクスも、生き残ることに執着する俺も、そして、片思いに身を焦がす濡羽でさえも。
「……ある意味、置き去りにされた方が一番生き生きしてんのかもな」
けれど、俺はそれ以上考えずに来た道を引き返す。インティクスの不吉な笑い声は尚も続いているが、それは俺の与り知らぬ誰かがどうにかしてくれるだろう。
――そう、俺には俺のやるべき事がある。
ナカルナードと呼ばれる俺は、再び月明かりが届かない暗闇へと歩き出す……置き去りにした問題を《お触り禁止》に押し付けながら。
そして、その問題に《お触り禁止》が気付くのはもう少し先の出来事だった。
まずは、ここまでご愛読ありがとうございます!
ついに第三幕まで終わりました。まさかここまでやり通せるとは思ってもいなかった桜と申します!
そして、ついについにこのお話半分を過ぎました!!(いえーいです)
この先、後半戦に入ります。ここまで読んでいただいた方ならわかると思いますが、大体仲間の心情を改善していくお話になっていくと思います。
つまるところ……あと残っている人はあの子とあの子と「え、あと何だ?」となりますね。
まぁ、そこらへんは今後の楽しみにしていただけるとありがたいです。
さて、恒例となった次回予告(?)ですが、第四幕のタイトルはもう決まっています。
その名も「恋と温泉とスパイ大捜索」ですね。
タイトルからなんとなくわかると思いますが、日常パートが多い話になると思います。
第三幕が戦闘が多かった分(って言われるほど多くなかった気がしますが)、第四幕は仲間の日頃の姿を詰め込もうかと書く側からしてもワクワクしております。
それでは最後に、さらに執筆スピードが落ちた気がしますが、こんな著者もろともこれからもご愛読していただけるとありがたいです。
(最近、やっとごたごたが治まってほっとしている)桜でした。




