第四章 6 夢の続きと変化する世界
「「勝負」」
セイこと僕は、ユキヒコと共にその光景を目の当たりにしていた。一言で言えば、ありえないものを見たというべきだろう。口伝……噂には聞いていた幻の特技。限界を超えた者しか出せないと言われていたそれをナガレは出していたのである。そして、中レベル者が高レベルの上級者相手に一歩も退かない駆け引きをしていた。それは理屈を超えてナガレが急成長している証でもあった。その結果が見たこともない特技に現れたのだ。
刹那、ナカルナードは膝を突いて、自らを罵った。
「はは、負けた……『負けた』か」
ナカルナードの手から斧槍がこぼれ落ちる。その身から放っていた戦意ではなく、降参だった……ナガレはナカルナードに勝ったのである。
「すごい……すごいよ、ナガレ!」
僕は胸躍らせる。これが極限を超えた戦い……《お触り禁止》だと言われている僕でもここまでの戦いはしたことがない。
ああ、この気持ちは何だろう……これが『心に火を灯す』という感覚なのだろうか。負けてられない……いや、負けたくない。そんな気持ちがあふれ出してくる。
その時だった。
「――――――」
かすかに奇声が鼓膜を揺さぶった。それが空耳なら良かったのだが、奇声はだんだん大きくなる。
不審に思った僕は空を見上げた。そして、異様な光景に寒気を感じた。
月が大きくなっている……ナガレとナカルナードの一騎打ちで気づかなかったが、夜を迎えた瞬間、大気圏にまで到達していそうなほど月が一気に肥大化していた。
――衛星とか言ってる場合じゃないぞ。
だけど、息を呑む状況はまだ続く。何と、月から黒い筋のようなものが降りてきたのだ。
それは次第に大きくなっていき、その姿を露わにしていく。
直後、突風が吹き、草木がざわめく。ナガレとナカルナードも異変に気づいて空を見上げ、僕はモンスターを視界に入れた。そして、その光景を目に焼き付けた時、僕はデジャブを感じた。
頭上で羽ばたいていたのは、体長がとうに僕の背を超している蛾のモンスター……そう、バレンタインデーに《ナカスの街》を襲った大規模戦闘級モンスターに似ていた。
でも、些細な模様が違う。似ているが、あのモンスターは僕たちが……ナカスの《冒険者》全員が必死に抗って倒したモンスターではない。けれど、それは不吉の象徴かのように僕たちの前に現れて赤い鱗粉を振らせる。
そのほとんどは《キョウの都》を通り過ぎ、その先の《ミナミの街》に向かっているようだった。だが、一匹二匹は群れからはずれ周辺地域に向かっていた。
それは《キョウの都》も同じ……。次の瞬間、群れから離れて近づいてくるモンスターがいたのだ。
モンスターはすぐさま状況を判断したのか、まっさきに僕に飛んでくる。回復中の僕なら漁夫の利を狙えると思ったのだろう。赤い鱗粉を僕の頭上に振らせた。
とっさに飛び起きる。けれども、ユキヒコさんがそれよりも速く僕を庇うように立ち上がった。
「ユキヒコさん!?」
僕はとっさに声を張り上げる。
「セイさんはまだ回復しきれていない……今死なせるわけにはいきません!」
そう言うやいなやユキヒコは赤い鱗粉を被った。すると、思考を遮るかのようにユキヒコの掌が力をなくす。ユキヒコが突然倒れたのである。すぐさま僕はその身体を支えた。
僕のHPはかろうじて五割まで回復している。ユキヒコの脈動回復のおかげで今もじわじわとゲージは修復されていた。だからこそ、ユキヒコは僕を庇ったのだろう……ダメージを肩代わりしてくれたのである。
僕はそんなユキヒコのHPを確認した。ユキヒコのステイタスを表示される。だが、強襲に拍車をかけるかのように僕は「え?」と言葉を失う。
ユキヒコさんのマジックポイントが少しずつ減っている……《冒険者》が特技を使う際に消費するMPゲージが吸われているのである。
――いったい何が起こっているんだ。
MPは一言で言えば精神力だ。HPと違って【0】になっても特技や魔法が使えないだけで死ぬことはないのがせめてもの救い……。
と、その直後モンスターは羽をはばたかせて、風を巻き起こす。僕に向けて攻撃を仕掛けてきたのだ。巻き起こった風は刃となってユキヒコもろとも切断しようとしてくる。
一方、ユキヒコは半目のまま眠っている。生気を失ったように呆然としたまま、まるで人形のように動かない……このままユキヒコを見過ごすわけにはいかない。
「やられる!」
「どりゃぁぁぁぁぁぁぁああ!!」
だけどその瞬間、ナガレが割って入ってきた。刀を下段から振り上げる。そして、ありったけの力を込めて風の刃を再び空へと打ち上げる。
「ナガレ!」
僕は声を上げる。これほどまでにナガレが頼もしいと思ったことはない。
だけど、今回はそれ以上に思わぬ助けが現れる。そう、ナガレの背後に全身鎧の人影……間違いなくナカルナードだった。
「《オンスロート》」
斧槍がギラリと輝き、ナカルナードが砲撃のような強烈極まりない一撃を放つ。その後、深々と刺さった所にさらに抉るような二撃目を与えた……それほどまでにあの技は凄まじい威力を持っていたのか。
今になって初めて僕は何と対峙していたのか目の当たりにした……うん、僕もあれを止めて欲しいなどとナガレにかなりの無理難題をふっかけたものだ。
さすがのモンスターもこれには悲鳴を上げずにはいられなかった。レベル的にナカルナードに敵う相手ではないのは見て取れたのか、はたまた背中に穴を開けられそうになって逃げ出したのか。どちらにしてもモンスターは大空へと飛び上がる。それと同時にナガレとナカルナードは振り払われて僕たちの目の前に降りた。
「おい、セイ。これはどういうことだ!?」
「僕が知るわけないだろう!」
途端にナガレがユキヒコの有様を見て口論する。そんな最中、ナカルナードが呟いた言葉に僕は首を傾げる。
「あれが《常蛾》……報告で聞いていたが、大方、群れから離れた個体が、《キョウの都》にいる《冒険者》のMPに吸い寄せられて来たか」
「《常蛾》?」
《常蛾》。それがモンスターの個体名なのか……僕はステイタスを開く。
《常蛾》……レベル帯は八十から九十とレイドの中では幅広い。だが、新たなる驚異、MPに吸い寄せられる……どれも僕が知らない情報だ。あれは、ただの大規模戦闘級モンスターではないと言うのか?
「……」
僕は一瞬考える。肥大化した月、大量に現れた《常蛾》……今、この《セルデシア》で異常事態が起きているのは明らかだ。それなら、僕たちも『変わらないといけない』のではないのだろうかと。
「ナカルナードさん、協力しましょう」
僕は上空を眺めながら提案する。その突如振ってきた提案にナカルナードは目を丸くした。
「何を考えている? 俺は《十席会議》の一人……《Plant hwyaden》なんだぞ」
「あくまであのレイドモンスターを倒すまでです。僕たちはユキヒコさんを助けるために、あなたは《キョウの都》にいる味方たちのために倒しておく必要があるでしょう?」
その標的《常蛾》は尚も大空を滑空している。警戒しているのだろう。
「甘いな。戦っている間に隙を突くかもしれないだろう?」
「それなら初めからナガレに勝負を挑んではいません」
途端にナカルナードが、図星を指されて顔を歪めた。だが、だからといって首を縦に振るわけでもない。敵から共闘しようと申し込んでいるのだ……そう簡単に頷ける話でもない。
だけど、
「濡羽さんという方が言っていました。『救いの手を取らないのなら、私の嫌いなものと一緒になってしまう』と」
「は……?」
その直後、ナカルナードは絶句したように固まる。
「僕は正直《Plant hwyaden》がどういうギルドなのかわかりません。この《キョウの都》に入ってからはよりいっそうわからなくなりました」
振り返れば今回の旅で《Plant hwyaden》は戦う敵側の存在だけではなく、僕たちを助けてくれる存在でもあった。濡羽はもとい、ナカルナードも最初は、明確な意思を持って僕たちを襲ってきていたはずだ。なのに、今はこうして話を聞いてくれている。
「きっと《Plant hwyaden》である前に『冒険者』だって思ってくれたから力を貸してもらえたんだと思います。だから」
お願いです、助けてください……僕は《Plant hwyaden》の一員ではなく『ナカルナード』個人に語りかけた。
間違っても僕が『アライアンス第三分室』である限り対立は避けられないだろう。でも、この一瞬だけは……ユキヒコを傷つけた《常蛾》を倒す時だけは手伝って欲しい。
ナガレもまたナカルナードに熱い視線を送る。それは勝負には負けたんだからわかっているよな、と脅迫しているようだったが、自分たちを助けて欲しいと懇願していた。
そんな声なき声を聞いて、ナカルナードは本気で頭を悩ませる。だが、次第にそれはため息と変わり、首を縦に振った。ナガレが肩をすくめる姿を見て、僕の性格を察したのだろう。
「《腹黒メガネ》といい、《突貫巫女》といい、こいつはわかっててやってるのかいないのか……お人好しはどこにでもいるっていう事か。まぁ、濡羽がそうさせたのなら仕方ないか」
「え、それはどういう……」
けれど次の瞬間、僕は少しばかり異様な浮遊感を覚えた。
というのも、ナカルナードが近づいてきて僕の胸ぐらを掴んだのである。
「えっと……これはどういう」
僕はてっきり共闘の握手でもするのかな、と勘違いしていた。突如、妙な冷や汗を掻いて僕は歯を食いしばった。
「んじゃ、一丁飛んでこい」
その瞬間、淡々と僕をナカルナードは力いっぱい空へと打ち上げる。途端に僕の視界は夜空に変わり、その中心に《常蛾》が映り込む。
「え、えぇえええええ!!」
突然のことに僕は息を落ち着かせる余裕もない。だが、ナカルナードも周りの残骸を伝い、後を追いかけてくる。
「落ち着け。どんな戦闘でもまずは冷静になることだ」
「そんなことをいわれましても!?」
「いいか、そいつは《典災》が操っているモンスターに過ぎない。俺であれば問題なく倒せる。だが、立ち位置が悪い……通常『飛行状態』の敵は同じ飛行状態の者にしか阻害を与えることができない」
――だからって僕を投げますか?
ナカルナードの言葉に僕は白々しさを感じつつも、それ以外に方法がなかったため、黙認する。
そのおかげもあってか、敵はもう寸前……ナカルナードは立ち止まって斧槍を持ち上げ、僕は《シャドウバインド》をかける。同時に勢いが失われ落下が始まった。
――まさかミコトとの一対一の対決が役に立つとは思わなかった。
僕は再び《常蛾》のステイタスを呼び出す。だが、だが、やはり僕一人でどうにかできる数値ではない。だったら、もうやることは決まっている。
目の前の《常蛾》に視線を合わせる。距離としては《常蛾》から上空五メートル上……都合が良いことに僕は前にも一度似たような事を経験している。だから大体の要領は掴んでいる。直後、僕は鞘に収めていた曲剣《迅速剛剣》を引き抜いた。
「いっけぇえええええ!!」
狙いは《常蛾》の背中……先ほどナカルナードがつけた傷跡にめがけて曲剣を振り下ろす。その瞬間、《常蛾》が悲鳴のような奇声を上げる。
さすがの大規模戦闘級モンスターでも傷跡を抉られるのは堪えるらしい。バタバタともがいた後、《迅速剛剣》の『強制移動』効果もあって《常蛾》は地上に逃げるように急降下する。
そして、その先で待っているのはナカルナードが手に持つ刃。瞬間、《常蛾》はナカルナードと目が合った。僕でもわかる……きっと背筋が凍り付いたに違いない。
「上出来だ」
そう言ったナカルナードは斧槍を投擲のように構えて狙いを定める。斧槍が真紅に輝き始め、《常蛾》へ向かって発射された。
真紅の輝きを放つ《スカーレットスラスト》は斧槍を稲妻のごとく空に駆けさせ、急降下する《常蛾》に風穴を開ける。巻き起こった突風に圧倒的な強さを感じ取った。
ナカルナードの投擲は見事なまでに豪快で力強く、威風堂々さまで感じ取れた。表現するなら、これがいわゆる生き様なのだろうか。
途端に《常蛾》は地面に突っ伏す。もうバランスを保って飛ぶことはできないだろう……そのまま光のように儚く消えていく。
その中で地面になんとか着地した僕はナカルナードの背中を眺めた。そんな僕に唐突に質問する。
「《お触り禁止》、お前は第三分室の奴らが好きか?」
「い、いきなり何を」
「いいから、聞け。一応負けたし、濡羽が世話になったんなら義理は立てるべきだろう。だから、あえて言わせてもらう……」
そうして、ナカルナードの口から出た言葉は僕の胸のうちで痛いくらいに響いた。
「その中にスパイがいる」
それは新たな戦いの狼煙でもあった。
10/29 全文修正。(読み返してさすがに下手すぎと思いました。ごめんなさい)




