第四章 5 迅雷の構え
口伝。
噂程度には聞いていた。特技の最上級の段階、秘伝よりもさらに上の階級。ステイタス画面をいくら確認してもその存在が確認できなかった。
それが今ナガレこと俺の視界に映り込んでいる。ほぼ高レベルの《冒険者》しか習得できていないものが、手を伸ばせば掴めそうな位置にある。
と、同時にナカルナードの瞳に閃光がほとばしる。赤い日の光が斧槍の刃で反射したそれは、警告を発するかのように訴えかけた。
まるで金の斧、銀の斧だ。あなたはどちらを先に選びますか……そう言われているようで嫌になる。
これがもし一日前の状態だったら、俺が先に口伝を確認していただろう。多少ダメージを受けていても強くなれば巻き返しも可能だと。
今にして思えば、何と甘っちょろい考えだ……冷静に考えれば、ちょっと強くなったぐらいでは高レベル者に勝てない事はわかりきっている。そう思う事自体、追いつけていない証拠なのだろう。
要は俺は『楽』をしたかった……戦わずして強くなりたかったのだろう。
でも今は違う。俺は最後まで戦うと決めたから……何かにすがりつかずに、『ナガレ』のまま勝つ術を模索し続けると決めた。俺は口伝の確認よりもナカルナードの刃を視界に入れる。敵の攻撃を受け止める道を選ぶ。
問題はどうやって止めるかだ。相殺させるほどの力は残っていない……軌道を逸らすにも同じ。全体的に力が足りない。いや、そもそもすでに体が悲鳴を上げて倒れる寸前なのだ。立っているだけでも不思議だった。
――せめて特技だけでも止められたら。
だけど時間は待ってくれない。
「《スカーレットスラスト》」
次の瞬間、ナカルナードの最強の一撃が真紅の輝きをまとって飛んでくる。
――避けねぇと、避けねぇと、避けねぇと。
本能が訴える。でも、足が思うように動かない。手がスムーズに動かない。だというのに死だけは迫ってくる。
頭が混乱する。逃げたいのに壺をひっくり返すかのように感覚と記憶がこぼれて、ぐちゃぐちゃに掻き乱されていく……にも関わらず、迫ってくる刃だけがくっきりと色あせない。やがて押しつぶされるのではないかと見紛うほどに。
いや、まだだ。セイならまだ諦めない。兄貴ならまだ立ち向かう……そう、兄貴はこんな時どうするか。
――「知っているか……」
その時だった。兄貴の声がした。
もちろん記憶の中の兄貴だ……だが、小さい頃、兄貴に聞いたことがある。剣道で強い相手に当たったらどうするのかと。そうしたら兄貴はこう言った。
――「何も変わらないさ。剣道で大事なのは決断力と……『踏み込み』だ」
刹那、俺は目が覚めて刀を納めた。と同時に、ふっ、と足の力が抜けて重心が前に傾く。その途端、俺は《居合の構え》を発動する。
そう、思えばやってみたことがなかった。《居合の構え》を『踏み込んだ後』で使ってみたらどうなるのかを。
そもそも《居合の構え》はじっと構えて陣を張る特技だ。だが、それはゲーム上のシステムに縛られているだけで自分で確かめたことはなかった。
必要なのは力業ではなく、しなやかな動き。一瞬にかける瞬発力を高める。力を当てるためではなく、動かすために使う。
急に目の前が色づき、時間が回り出す。斧槍が額に近づく。でもそれはナカルナードが差し向けたわけではなかった。
気づけば俺はナカルナードの斧槍をかいくぐって背後に……その際に、刀を真横から上段に向けて振り上げており、ナカルナードは斧槍を支えに膝をついていた。
俺自身も何が起きたのかわからなかった。だが、振り返った直後、完全に開ききったステイタスを見て理解する。
――『口伝:迅雷の構え 効果:発動中の特技を強制キャンセルさせる』
たったそれだけ。攻撃力が上がるわけでもなく、回避率が高くなるわけでもない。だが、
――そうか、やっとわかったよ、兄貴。
きっと『踏み込み』だけではこうはならない。《居合の構え》だけでも無理だ。
おそらく口伝が発現したのはカウンター寄りの《冒険者》にしていた影響が大きい。手探りで一つ一つ確認していって、自分が今できることを客観的にみつめる……これはそうして初めて使うことのできる技だ。
つまるところ、俺は自分のことにとらわれすぎていた。ただの武士として過ごしていた時やセイとの旅で知らずのうちに経験を積んでいたことに気づいていなかったのだ。
――はは……本当にガキだな、俺は。
ただひたすらに頑張るだけが強くなる道ではなかった。だというのに、俺はユキヒコに説教していた。頑張れ、頑張れとバカの一つ覚えのように呟いて……。
そうだ、ユキヒコは頑張っていないわけではなかった。ユキヒコはユキヒコのやり方があるだけで、強くなっている……なりたい姿が違うわけではなく、戦い方が違っていただけだった。
それがわかった途端、急に視界が開けた。その中でナカルナードが大きく飛び跳ねる。
そうだ、まだ終わっていない……ナカルナードは斧槍を器用に回し、空中から三段突きを浴びせようとした。全身鎧をつけているというのに跳躍する身のこなしはさすがとしか言えない。瞬間、俺は刀の柄を握りなおす。
相手は考えなしで動いているわけではない。大丈夫だ、落ち着け。
――今まともに戦えるのは俺だけ……だが、気負う必要はない。試合をしていると思え……全神経を研ぎ澄まして考えろ。
俺は後方に跳んだ。『突き』は一気に間合いを詰める方法だからだ。引きつけるか、一旦後ろに跳んで回避することしかできない。
だが、槍の攻撃となると前者はほぼ意味がない。避け切れたとしてもリーチが長いせいで攻撃が届かない可能性が高い。
しかし、ナカルナードもそれを見越していたのか、体勢を変えて勢いをつける。それと同時に槍を逆手に持ち、こちらに突進してくる……あれは《アーマークラッシュ》か!?
俺はとっさに刀を納めて《迅雷の構え》をとる。だが、技が発動しない……と同時に強打を腹に食らい、俺は地面をころがった。すぐさま踏みとどまりステイタスを確認する。HPの減りは一割弱。先ほどより減りは少ない。
つまりは、
――もう口伝だと見破ってる!?
今まで見せてきた特技を出すふりをして通常攻撃を仕掛けてきたのである。すでに口伝があるものとして見ている証拠だった。
俺は再度ナカルナードを視界に納める。いつから……いや、それも油断なのだろう。高レベル者なら口伝の存在も知っていたはずだ。それなのに調子に乗って口伝だけに頼ろうとした……攻撃が単調になってしまったのだ。
――忘れるな、一つ一つできることを思い出せ。
俺は大きく深呼吸する。ナカルナードの次の手は《アーマークラッシュ》か……はたまた通常攻撃か。それとも全く別の攻撃か。
いや、駄目だ……そんなことを考えていたらキリがない。相手が何を出してきても対応しなければならない……先に仕掛けないと意味がない。
考えはある。だがうまくできるかどうか……。
「ナガレ!!」
その時、ナカルナードの向こうからセイが声を張り上げた。
「自分のやり方を信じろ!!」
「……!!」
瞬間、俺の顔がにやつく……そうだよな、俺のできることは後にも先にも一つだけ。反撃の一手となって、戦況を切り開く事だけだ。
掌に力がこもる。俺は座り込むと即座に刀を鞘に納めて、いつもの『構え』に入る。途端にナカルナードが斧槍を順手に持ち直して振り上げた。上段からの通常攻撃だ。
「……過信しすぎだ」
刹那、言葉少なくなったナカルナードが囁く……勝利を確信したのだろうか。しかし、ナカルナードはセイの言葉の真意に気づいていない。
瞬間、俺は刀を引き抜いた。直後、それは剣戟となってナカルナードに飛んでいく。《居合の構え》からの《飯綱斬り》……それからすばやく刀を鞘に戻し、同じ『構え』に入った。
一方、ナカルナードは居合いの剣戟を斧槍で斬撃をたたき割る。これだけでも誰にでもできることではない力業だが、ナカルナードはここぞとばかりに特技を発動させた。これは《オンスロート》……怒濤の連続攻撃技だ。おそらく一気に片をつけるつもりだったのだろう。
けれど、斧槍が振り下ろされる前に、俺の柄が勝手にナカルナードの手の甲をはねのける。
「……!!」
突如ナカルナードの体勢が崩れた。どうやら《迅雷の構え》は《木霊返し》と同じカウンター技らしい……つまりは攻撃を受けそうになれば自動で身体が動く。そして、
――下段からの上段。
《迅雷の構え》の発動中に《居合いの構え》の硬直時間が解ける。
刹那、俺は剣道で培った感覚でナカルナードの胴に一撃を入れる……からの再び刀を鞘に収めた。
途端にナカルナードは舌打ちをして間合いを取る。さすがに気づいたのだろう……《居合いの構え》と《迅雷の構え》の使い方に。ナカルナードは憎らしげに呟いた。
「……その口伝、同じ『構え』なのか」
俺は無言のまま構え続ける。そう、居合いと迅雷は共に同じ構えだ……つまりはどちらが発動するか一目ではわからなくなったといえる。それはナカルナードの思考を停止させた。
下手に特技を出せば《迅雷の構え》でかき消され、かといって正面突破しようとすれば《居合いの構え》が飛んでくる……ナカルナードは完全に出方を読めなくなって足を止めたのである。情報が武器になるとはよくいうものである。
だが、こちらも神経のすり減り方も半端ない。一歩読み違えば硬直時間によって自爆する。額には冷や汗が伝い、背筋は凍るほど冷たくなる。
けれど不思議と嫌ではなかった……そんな中、ナカルナードが怪訝そうな顔で理解できなさそうに呟いた。
「なぜそこまで必死に戦う?」
「あ?」
「理由はどうあれ、子供を戦いに出させるやつは、ろくでなしだ……お前はそんな親玉のために限界を超えたっていうのか?」
陽動かとも思ったが、どうやら本気で言っているらしい……攻撃態勢は解けていないが、だからこそ真剣に立ち向かっている確信が持てる。ならば俺も誠心誠意をつくすべきだろう。その瞬間、俺はナカルナードの目を見てはっきりと答えた。
「そんなの知るか。俺は他の誰でもない、己の信じる道のために強くなるだけだ」
「それなら、もしもそこにいる《お触り禁止》が立ちふさがったとしても、お前は同じことを言えるのか?」
そう言われて、俺はそっとセイに視線を向ける。
セイは今、ユキヒコの脈動回復を受けている。だというのに、こちらの戦いの行方を窺って、いつでも助けに行けるように気を張っていた。
本当にたいしたやつだ……ボロボロの身体になりながらも何一つとして諦めていない。俺一人だったらこうはならなかっただろう……だからこそ、本物の男になるというなら、いつかはセイを超えなくてはならない。ナカルナードの言葉は正しい。
でも、
「今はその時ではない」
その答えにナカルナードは、ふっ、とあざ笑う。
「変か?」
「いや、そういう生き方もありだろうさ。だが、そんなお前らを引っ張りこんできた親玉はやっぱり気に食わねぇ……ゆえに、一発勝負だ」
全てをこの攻撃に乗せる……ナカルナードはそう言わんばかりに《スカーレットスラスト》を構えた。すると、お前も全力を出してこい、と言われたかのように、斧槍が真紅に染まり、ナカルナードの闘志に応えるように輝きを見せる。その戦車のような威圧感に俺は固唾を呑んだ。
おそらくこのまま戦っていても、ずるずると消耗戦になるだけだ。そうなればレベルが低い俺たちは先に体力が尽き果てる……ナカルナードはあえてその勝ち筋を捨てた。俺たちの健闘を称えて……いや、そんな性格でもない気がする。
ただの気分屋か、もしくはただ戦いたかったのか……どちらにしろ俺たちは申し出を受けるしかない。さもなくば、勝ち筋なんて無いに等しい。
場に再び緊張が立ちこめる。まさかここに来て、剣道じみた事をやるとは思わなかった。刀の柄に添えた手が汗でにじむ。
ナカルナードの攻撃が入れば俺は死ぬかもしれない。でも、なぜかやりがいだけは覚えた。
――ああ、きっと俺、死ぬほど剣道が好きなんだろうな。
気づけば辺りは影に呑まれていた。夕日が落ちかけている証拠だった。古びた残骸はまるで時計の針のように伸び、カウントダウンを告げる。そして、
「「勝負」」
日が沈んだのと同時に足が動く。二人の手が動く。武器が振り上げられる。ただ一瞬、踏み込みが速かった……それだけが俺の勝因だった。
次の瞬間……つまりは《迅雷の構え》が発動した瞬間、振り下ろされる斧槍を横目に俺は分厚い全身鎧の胴体に刀を入れたのだった。
第三幕で一番書き悩んだところかもしれない。(疲れた)




