第四章 3 反骨心
けれど、ナガレは警戒を解かなかった。虚勢を張ったところで戦力が増強したわけでも、急にレベルが上がったわけでもないのだから当たり前だ。
つまるところ、何も変わっていない。ナカルナードから見たら、それはただの前座に過ぎなかった。
だからナカルナードが薄笑いを浮かべているのは当たり前で、次の瞬間、「よっこらしょ」と飛び跳ねるかのように平然と体勢を立て直した。
一方、セイこと僕は未だに痛みに耐えるように肩を押さえる。そんな僕たちを見て……ナカルナードは頭をかきむしりながら告げる。
「……あのさ、どうでもいいんだが、そんな恥ずかしい言葉がほいほい出てくるものだなぁ。できもしないことをよ!!」
刹那、ナカルナードは再度突撃する。ナガレはとっさに腰を低く保ち脇に刺した刀に手をかけ、《居合いの構え》から《飯綱斬り》を放つ。
《飯綱斬り》は《武士》が使える遠距離攻撃の一つだ。その代わりに攻撃力は低いのだが、《居合いの構え》が強化してくれる。
しかし、
「前にも言ったはずだぜ……キレが甘ぇぇえええ!!」
そこから放たれた一閃は易々とナカルナードの横を通り越した。いや、簡単に避けられたと言ってもいい。
ナガレは尚も攻撃し続ける。横一閃だけではなく、縦一閃、上段、下段……ありとあらゆる方向から攻撃を放つ。だけど、そのどれもが躱され、次の瞬間、ナカルナードは至近距離まで近づいた僕のみぞおちに全身全霊をかけた一発をぶち込んだ。拳がめり込み、《シャドウバインド》をかける暇もなく、声にならない痛みが全身を襲う。ミシミシと音を立て、骨が歪み、体がひしゃげる。
「――――!!」
刹那、僕は胃液を口からぶちまける。駄目だ、とてもじゃないけど耐えられない。ステイタスで強化されているのに、それでも痛みが体を縛り続ける。
よろめき崩れた僕にナカルナードはふざけてもいなければ真面目でもない表情。けれど、少し呆れた……いや、がっかりした顔をした。
「ちっ……結局はそんなものか」
「セイ!!」
途端にナガレが声を上げる。
だが、その直後、ナカルナードが斧槍を逆手に持ちかえる。ナガレは息を呑んだ。
あの技は……そうだ、《アーマークラッシュ》だ。前に『アライアンス第三分室』のリーダーであるホネストから聞いたことがある。確か防具破壊を目的とした攻撃だ。さすがにあれを食らったら、ナガレでもひとたまりもないだろう。しかも、
「……っ」
ナガレは刀を抜いた状態から止まっていた。技を出した反動でうまれる硬直時間だ。
ただでさえ、《居合いの構え》は技が強力な分、硬直時間が長い……言うなれば即席の《シャドウバインド》をかけられたようなものだった。
もし、これを意図的に狙ったのだとしたら、ナカルナードは本物の高レベル者だ。
刹那、ナカルナードの足が動く。目で追うのがやっとの速さで追撃を……ナガレに致命傷を与えようとしていた。まずい!
「《刹那の見切り》!」
けれど、ナガレもその技を初めて見たわけではなかったらしい。斧槍が寸分の一まで接近した瞬間、《武士》の特技である緊急回避技を発動させる。刀が勝手にナカルナードの斧槍を受け止めて弾き返した。
それでも勢いを完全に殺すことはできなかったらしくてナガレは一歩、二歩下がるが、すぐさま僕をかばって前に出た。
「セイ、無事か!?」
僕は何とか頷いた。HPも一割残っている。ナカルナードは《守護戦士》。攻撃職ではなかったのが幸いしたようだ。
だが、ろくに動くこともできない。足先、手指を動かす事はできるが、立ち上がるのも精一杯な状況だった。
一方で、弾き飛ばされたナカルナードは元の位置に戻されても余裕の一言だった。
「あー、そういや、《武士》にはそれがあったな……」
軽く困ったように呟くが、全て計算の内のように宣う。
「でも、少なくとも《刹那の見切り》はこれで丸一日は使えないはずだ」
そう、化かし、化かされる……一流の高レベル者は硬直時間や再起動時間を計算し、お互いに騙し合いながら戦う。冷静に戦える者ほど強いのだ。
言葉で言うのは簡単だが、実際やると難しい。体を動かしながら頭を回転させるなど曲芸に近い。言うなれば一度に十人の話を聞き分けられるようなものだ。
だが、噂によれば、大規模戦闘丸ごと全員に指示を飛ばす化け物じみた人もいるらしい。確か《腹黒メガネ》と呼ばれているとか……ホネストといい、《セルデシア》ではメガネをかけた人には注意しなければ。
ともあれ、今は目の前の事だ。ナカルナードは尚も僕たちの目の前に立ちふさがる……いや、ここは『立ち向かってくる』と言った方がいいか。
その時だった。突如としてナカルナードが欠伸をしながら言った。
「あー、もういいか」
突然のことに、僕もナガレも警戒を強めた。それを知ってか知らずかナカルナードは斧槍を構える。
斧槍の刃を前に……突きの構えになったナカルナードから真紅のオーラが立ちこめる。間違いない……大技を叩き込む気だ。
それに伴ってナカルナードは提案もとい勝利宣言をする。
「なぁ、物は頼みだが、このまま投降してくれないか。その後の保証もきちんとしてやるからよ」
え……僕たちは首を傾げる。だが、そんな僕たちを意に介せず、ナカルナードは淡々と話を進めた。それはつまりナカルナードの中で僕たちの立ち位置は決定的なものになっていた。
「だって、おまえら弱いじゃん」
瞬間、ナカルナードには立ちこめる真紅のオーラとは裏腹に、凍てつくような空気が僕たちを襲った。
「……はい?」
二人して間の抜けた声を出して呆気にとられる。ナカルナードは何を考えているのだろうか……いや、その逆。ナカルナードは考えることをやめたのだ。
「いや、正直期待してた《お触り禁止》も興味なくしたっていうか……ほら、『弱い者いじめは駄目』だろ」
言ってることは正しい。正しいが……なぜか苛立った。心底胸の内からぐつぐつと煮えたぎる感情が沸き立ってくる。ナガレに至っては堪えきれず声を漏らした。
「………るな」
「ああ?」
「ふざけるなって言ったんだ!!」
直後、ナガレの刀を柄を掴む手に力が込もった。
「自分で自分の限界を決めるのはまだ我慢できる。純粋に負けるのも我慢できる……だが、勝負もせず、学びもせず、勝手に限界を決められるのだけは我慢ならん!!」
そう、諦めも後悔も自分で決めた事なら受け止められる……だけど、他人に決められるのは筋が違う。
つまるところ、ナガレが欲しいのは『応援』でも『同情』でもない……ただの『反骨心』だった。
ああ、今まで何を悩んでいたのだろう……そう言わんばかりに、ナガレは刀を鞘から引き抜く。だけど、それは居合いを出すためではなかった。刀を前に、腰はむしろ高く、代わりに膝を少し曲げる。そして、利き足を一歩前へ。
その姿勢は剣道の構え。その立ち姿は剣道着を着ているかのように馴染んで体に染みついていた。そうして佇むナガレの瞳は真紅のオーラを捉えていた。
「まさか《居合いの構え》なしで立ち向かう気か? 無理無理」
ナカルナードが冗談半分でほのめかす。けれど、ナガレは本気だった。一心不乱に真紅のオーラを見つめ、オーラが斧槍の刃にまとわりついた事を確認した上でナカルナードに挑戦的な目線を送った。
おいおい、まじかよ……ナカルナードはナガレを『ついに頭までイカれた奴』だと言わんばかりに目線を退く。
「言っておくが、これから出すのは《スカーレットスラスト》……それなりの大技なんだぜ」
「……」
ナガレは依然として黙ったままだった。それを無謀と捉えたのか、ナカルナードは呆れた顔でため息を吐く。だが、それも一瞬で、まるでイカれた奴らに囲まれていたかのように慣れた手つきで力を込める。
「まぁ、いいや……じゃあ、一回死ね」
途端に斧槍の刃が真紅に輝く。その後、ナカルナードは一直線にナガレの方へ。その様は血を求めて食らいつくかのよう……まるで血に飢えた獣だった。
「ナガレ!!」
僕はとっさに叫んだ。けれど次の瞬間、歯を食いしばったのはナカルナードだった。一、二歩後方に下がって地に足をつけてもだえる。
「何をした……?」
ナカルナードが咳き込みながら尋ねる。ナガレはそのまま刀を真っ正面に持ち、答えた。
「何も……ただの通常攻撃だ」
「嘘を言うな」
「嘘を言って何の徳がある」
その言葉に嘘はなく、その姿には攻撃するのもためらわれる気迫が周囲に立ちこめる。
そう、嘘はついていない。ナガレはがら空きになったナカルナードの胴体に怒濤の一撃をいれたのだ。
だが、力一杯、振ったわけではない。遠目からでも見てわかる……必要な力をただ一点に絞って、
――「――――胴!!」
胴体に刀を切りつけた。それは鎧に防がれてしまったけれど、雷が落ちたかのように唐突で、《スカーレットスラスト》はむしろ遅く感じた。そして、衝撃は鎧の中にまで響き渡った。体勢が崩れて技が発動できなくなったのだ。
「……大体、『技のキレ』が何なのか本当にわかってるのか?」
そんな時、ナガレが唐突に質問した。ナカルナードは無言だった。当たり前だ……実際のところ、僕だって技のキレなんて理解できていない。
セルデシアでは技を使い込めば使い込むほど技の階級が上がる。だが、この階級はあくまでシステム的なもの……技の精度や威力が上がるだけのものだ。『キレ』とは関係ない。
そもそも『キレ』という言葉が曖昧すぎるのだ。『センス』とも呼ばれるそれは常人では計り知れない。逆を言えば、計り知れれば常人を脱しているとも言える。
だからこそ、今のナガレにはわかるのだろう。
「『キレ』ってのは先人が考えた『型』を忠実に行う事だ。単純に当たる当たらないの問題じゃない」
ナガレが言うには、そもそも武術の型は先人が、研鑽に研鑽をかけて作り出したものだ。それは簡単に言えば、セルデシアでいう再起動時間や硬直時間の概念に等しいものだった。
そう、ナガレもある意味、高レベル者の戦い方をしていたのだ。一つ一つの硬直時間を計り、相手の出方を考え、再起動に必要な動作と時間を計算する。『型』はセルデシアでいう『特技』と同義だった。
ただ一つ違うのは特技が骨身に染みているかという点。これはできるという前提ではなく、完全再現できるかどうかということだ。
それは剣道でも同じ事。右に五ミリずれている、振る角度が違う……たったそれだけで太刀筋が変わる。太刀筋が変われば計算も狂う。
だが、もしその太刀筋をほぼ完璧にこなす者がいれば、どうなるのだろうか……その答えは目の前にあった。
「本当にキレの良い太刀は、わかっていても止められない」
刹那、ナガレは踏み込んだ。ドン、という音が橋に響き渡る。剣道で特徴的な迫力のある踏み込みだ。そして、それはただのはったりではない。
次の瞬間にはナカルナードの懐に入り込んでいた。その姿に僕は鳥肌が立った。目を奪われてしまった。
――僕は今、大事な場面に立ち会っているのではないのだろうか。
そう、あの日……バレンタインデーに行われた闘技大会でホネストに負けた時、「気にするな」とは言われたが、気になってしかたなかった事。どうすれば自分より高レベルの相手に勝てるかという疑問。そのヒントが隠されているように思えたのだ。
くそっ……ナカルナードは仕方なくナガレの攻撃を攻撃で跳ね返そうとした。しかし、途中で刀の向きを変えたナガレはナカルナードの手の甲に刀を当てる。
「――――小手!!」
瞬間、衝撃が響き渡りナカルナードが苦悶の表情を見せた。
そう、今のナガレは速い。単純に『スピードが』ではなく『正確さが』……無駄が極端に少なくなっているのである。
「スポーツは一にも二にもまず正確さ、効率を要求される。剣道でも同じで、素振りを何十回も練習するのは誰よりも速く剣戟のぶれをなくすためだと言われている。つまりは迷いの太刀は遅れを意味する」
そう、詰まるところナガレはもうわかっているのだ……自分を止めていたのは自分だと。
「ー……」
ナガレは鋭く息を吐く。ただそれだけなのに神経が研ぎ澄まされていくのが手に取るようにわかる。
それを感じたのはナカルナードも同じだったらしい。気配が変わった事に気づいて、斧槍を持ち直すと、一足跳びに襲いかかる。そうせざるを得なかった。その攻撃をナガレは後方に踏み込んで躱した。
やはり《冒険者》の踏み込みとは違う。システム的な軽さはなく、重みが伴っているように感じた。これが低レベルが高レベルに勝てる唯一の方法なのかもしれない……無駄をなくし、一つのことを極めるという事が。
「くくく……」
その時、ナカルナードが顔を押さえて歓喜の雄叫びをあげた。
「これだ。これだぜ……俺のやりたかったことはよ。熱くなってきたぜ!! もっと、もっとやり合おうぜ!!!!」
途端にナカルナードの気迫が一気に様変わりする。目を見開いて血走った眼をナガレに向けた。さすがのナガレも少しばかり気圧される。だけど、
「いいえ、今回はここまでです」
僕はよろめきながら立ち上がる。すると、ナカルナードが予想通り、機嫌悪く僕にがんを飛ばした。
「ああ、雑魚は黙ってろ」
「ええ、その雑魚にあなたは負けたんです」
その時、橋が軋みをあげた。それは誰かが攻撃している証拠でもあった。悲鳴のように橋全体に広がって亀裂がいくつも広がる。足場が崩れ始め、ナカルナードはよろめいた。
「知ってますか? ここは流民キャンプのちょうど真上に位置するんですよ……だからこそ安全はきちんと確保されないといけない」
だからそれまでの時間が欲しかった。とっさにナガレが水道橋の真下に目をやる。そこには深緑のコートを羽織った青年がいた。
「やってください! ユキヒコさん!!」
刹那、僕は大声を上げると、ナガレに合図を送った。途端にナガレは僕の体を抱えて思いっきり宙に跳ぶ。それを確認した後でユキヒコは蔓が巻き付いた槍《精霊樹の槍》を掲げた。瞬間、ナカルナードの頭上に雲がかかる。
まさか……ナカルナードが頭上を見上げた。けれど遅い。
「《ライトニングフォール》!!」
次の瞬間、閃光が……雷が辺り一面に響き渡る。そして、地味に現れたユキヒコの魔法は怒号と共にナカルナードごと水道橋を貫いたのだった。
ちょっといろいろあって遅くなりました。ごめんなさい。(そして、ナカルナードさん難しすぎでした)




