第四章 2 地味な戦い
――間違いない。ユキヒコの絵だ。
ナガレこと俺は水道橋の縁に身を乗り出しながら目を奪われる。
《キョウの都》のあちらこちらに散りばめられているのは俺たちが普段過ごしている姿。俺とセイが言い合っていたり、女の尻を追っかけている俺がいたり……そのどれもが今まで旅してきた思い出だ。ユキヒコが細部に至るまで見たままを描いた景色が《キョウの都》に広がっていた。
だけど、それだけではなかった。
モザイク画……そう、ユキヒコはスタンプで都に一つ一つ絵を張りながら、尚且つそれを新しい『絵』の一部として描いていたのだ。
そして、その絵は俺が道着に袖を通し、竹刀を振っている時のもの……俺がまだ剣道にひたすらに向き合っていた時の光景だった。
俺は絶句する……これではこの絵を見れば誰だって俺が剣道をしていた事はわかるだろう。公開処刑もいいところじゃないか。
だけどなぜか嫌な気はしなかった。
「ユキヒコは何を思ってこれを描いたんだ」
俺はおもむろにセイに聞いてみる。セイはただ首を横に振った。だが、その表情は素直になれない二人に呆れかえっている。
「さぁね。僕はただこれまで書いてきたユキヒコさんの絵を張ってほしいとお願いしたんだ。ただ……」
「ただ?」
「ただ、この『絵』を見てると、ユキヒコさんもナガレのこと憧れていたのかなって……好きなことにひたすら向き合えるその姿にさ」
「……」
ユキヒコが憧れていた? 俺に?
そこまで言われて俺は初めてユキヒコの気持ちを鑑みてみた。
俺は今までユキヒコは本気を出していないだけだと思っていた。ユキヒコの技術は本物で、美大生として合格していたのは紛れもない事実だ。ただでさえユキヒコの繊細さは天才的でもある。
その腕はこの絵を見れば誰でもわかるだろう。ユキヒコは自身が見た世界をそのまま切り取ってきたかのように忠実に描く。
そこに自身の感情を乗せないのがユキヒコ流だった……それ故、ユキヒコの絵は『ただの模写』とも呼ばれたが、俺は嫌いではなかった。
むしろ自身の感情だけを乗せている絵よりは好きになれた。喜びや感動だけではない……苦悩や冷酷さだけでもない。その両方を兼ね備えているユキヒコの絵は忠実だからこそすっと胸に入ってこれた。
だからこそ、ユキヒコにはもっと頑張ってほしい。俺の代わりに夢を叶えてほしいと思った。
――でも、もしかしたら違うのかもしれない。
俺がユキヒコに頑張ってほしい願う一方でユキヒコはユキヒコでなりたい姿というものがあるのかもしれない。
この世は全員、同じとは限らない……もしそうなのだとしたら。
「俺は何て身勝手な事を言っていたのだろうか」
ぼそりと呟いた言葉にセイが顔を向ける。
その時だった。ユキヒコの描いたモザイク画にぽつりと穴が開く。それは連鎖して一つ、また一つと欠落していった。よく見ると、ナカルナードの部下らしき《冒険者》が苛立ちの余り、ユキヒコの『絵』を壊していっている。
そして、次の瞬間、この水道橋にも連鎖がついに到達してきたかのように大きな地鳴りが響いて、水道橋がぎしぎしと土埃をはき出した。
「……やっとみつけたぜ。《お触り禁止》さんよぉ」
その先にいたのは左目に大層な傷がある全身鎧の《冒険者》。間違いなくナカルナードだった。
「ナガレに頼みたい仕事がある」
直後、セイが突如口ごもる。おいおい、まさか、と思う俺の予想は当たって、セイはニヤリと笑って無謀な賭けを口にした。
「ナカルナードをここで止めてくれ」
◇
「ナカルナードをここで止めてくれ」
セイこと僕は無理難題をナガレに押しつけてから曲剣を構える。目の前に現れたのはナカルナード。その強さは僕たちにとっては絶望的だ。だけど、僕は鎧武者のような仲間……ナガレに賭けてみることにした。そのために、僕はナガレと一緒にこの《キョウの都》の東、水道橋に居残ったのだ。
「何言ってるんだ! 俺たちだけで敵う相手じゃないことはもうわかっているだろう!?」
次の瞬間、ナガレが絵に描いたように怒鳴り出す。
確かにナカルナードは僕たちが敵う相手ではない。実際、ナカルナードと対面したとき、僕たちは負けそうになった。勝てた試しなど一度もなかった。いざとどめを刺されそうになるといつも『何か』が起こり、『誰か』が水を差すようにして戦う場が流れていただけにすぎない。
今にして想えば、その『誰か』は『ミズファ』ではないかと推測できるが、今はそんな些細な事はどうでも良かった。
僕はただ、
「ナガレならできる。そう、判断したんだ」
「……」
ナガレはただ口を閉じる。言葉が出ないのではない。今は僕の言葉に応えるだけの言葉がないようだった。
と、その直後、ナカルナードの斧槍が僕たちめがけて飛んでくる。けれどその刃はピタリと止まって弾き返された。寸前のところで僕の得意技が発動し、自慢の曲剣《迅速豪剣》の付加効果で構えていたナカルナードが強制移動させられたせいだ。
「俺を無視してんじゃねぇよ。《お触り禁止》」
けれど、それで怯むほど《Plant hwyaden》の幹部は甘くなかった。すぐさま立ち上がって憎たらしげに笑う。
「くくく……言うに事欠いて『他人任せ』ってやつか。だが、もう油断はしねぇ」
ナカルナードは再度、斧槍を構えて飛んでくる。僕は先ほどと同じように振り下ろされる攻撃を退けるが、正直一撃が重くて、それも時間の問題だった。
けれど、ナカルナードはやめる間もなく斧槍を扱いながら平然と《キョウの都》を見下ろして唾を吐く。
「……正直、こんな策を考えるやつは腹黒メガネとインティクスぐらいだと思ったが、本当に人は見かけによらねぇよな」
刹那、「どういうことだ」とナガレが首を傾げた。僕は説明するように口を開く。
だけど、その前にナカルナードがやり返すかのようにその言葉を奪った。
「時間稼ぎだよ。こいつは仲間の逃げる時間を稼ぐために俺の敷いた情報網を叩いたんだよ……偽の情報を掴ませることでな!」
僕は固唾を呑んだ。さすがにナカルナードも自身が何をされたのか理解したらしい。僕は攻撃を防ぎつつ何も知らないナガレに説明する。
「僕たちはたった七人。敵は大多数。こいつはが勝つために……いや、逃げるためには、どうしても敵の連携を断つ必要があった」
そう、いわゆる『情報戦』というやつだ。『情報を制する者は戦いを制す』とまでいわれるほど情報……味方同士とのやりとりは戦局を左右する重要な要素だった。今回はそれをつついたというわけだ。
だが、この情報戦にもいろいろなやり方がある。一般的なのは、敵の通信手段を一時的に、もしくは物理的に破壊することで情報網を使えなくする方法をとるが、
「こいつはあの『絵』を用いることで、情報自体の信憑性を下げやがった……」
それからはナカルナードが愚痴をぶちまけるかのごとく自分たちに起きた身の上を聞かせてくれた。
――「ですから、各方面から目標の情報が『多数』存在しているんです!!」
《キョウの都》の最西端でその報告を受けたナカルナードは一旦、《サニルーフ山脈》方面に築いた拠点に戻った。すると、そこで待っていたのは《冒険者》の通信手段《念話》がひっきりなしに鳴り響く光景だった。
拠点に待機していた《冒険者》は皆、念話にてんてこまい……まるでモンスターの大群が押し寄せてきたかのような慌ただしさだった。
その中央では念話の内容を書き記した書類の山に泡を吹き出している副官の姿があったという。すぐさまナカルナードは副官を叱った。
――「おい! これはどういうことだ!!」
――「か、かしら!! こ、これはその……」
――「言い訳はいい!! 状況を的確に話せ!」
そうして、ナカルナードは事の次第を知る。結論から言うと完璧な情報統制に『頼りすぎていた』のである。
そう、最初、ナカルナードは僕たちのことを侵略者と捉え、それに対抗できるようにどんな小さな情報も掴めるように仲間を散開させていた。ゆえに僕たちは《サニルーフ山脈》で強襲され、ナガレとノエルは敵に捕まり、僕たちは流民キャンプにいるときも監視されていた……いつも後手に回っていた。
だが、リックが事を起こしたことで、予期せぬ波紋が起き、情報網が崩れた。ちょうど僕たちが貴族たちと追いかけっこをしていた時のことである。
もちろんナカルナードは情報網を立て直すために奔走した。混乱しているのを良いことに自ら《キョウの都》へ赴き、足取りを追って僕たちをみつけた。この時点で情報網は完璧に修復されていた。
しかし、崩れていた時に、ユキヒコが仕込んでいた絵に気づくわけもなく、再稼働した情報網はどんな小さな情報も……たとえば『たわいない絵』でも取り込んでしまうのである。
しかも、それが『ユキヒコさんの絵』であれば尚更情報として取り込まないわけにはいかない。都が混乱している事もあって人でごった返している中、ユキヒコの絵はさぞ生きているように見えただろう。情報収集している仲間は本物だと勘違いして《念話》を入れる。
もちろん近づけば『ただの絵』と気づくだろう……だが、念話を入れてしまえばもう遅い。そうして様々な場所から一気に来た情報は山となり、また『勘違いでした』という情報もまた山となって埋まっていく。
――「新たな目撃情報。目標はキョウの東へ向かったとのこと」
――「ひっ……」
結果として、情報を精査する副官は何を信じて良いのかわからなくなっていた。そう、『情報の信憑性』を落としたのである。
「それからは情報収集に出した仲間は各自で判断させ、俺は情報の山から本物っぽいのをみつけてやってきたってわけだ」
おかげでせっかくの情報網は台無し、時間も食わされた……直後、ナカルナードは苛立つように呟き、ナガレは息を呑んだ。ユキヒコはユキヒコで剣と剣をぶつけ合う以外の、自分なりの戦いをしていたという事に驚嘆せずにはいられなかった。
そう、地味……『地味な戦い』という言葉がしっくりくる。だが、『わりとすごい』事に変わりはない。
「それでナガレはどうなのさ!!」
「え……?」
「ユキヒコさんは戦っているのに、ナガレはしっぽ向けて逃げちゃうのか!!」
僕は何度目かのナカルナードの攻撃を何とか弾いて、叫ぶ。だけどさすがに経験の差がありすぎたのか、ナカルナードは次の瞬間、《シャドウバインド》をかけられる前に斧槍を投げて、力任せに当ててきた。
くっ……一気にHPが減って、僕は橋の上に転がる。その瞬間をナカルナードは見逃さなかった……当たって帰ってきた斧槍を手にして足早に詰め寄ってくる。
けれどその時だった。
「そのままでいろ」
ナガレの声が鼓膜を揺さぶって、僕は無防備のまま立ち止まる。
すると、頭上を細長い物がかすめて斬撃を放っていた。
突然のことで対応できなかったのか、ナカルナードはそれを真正面から受け止め、引きづられていくかのように退く。
そして、細長い物……刀を脇に添えたナガレは額に冷や汗を流しながら虚勢を張った。
「そこまで言われたら『男として』乗らないわけにはいかないだろう」
その時、僕は久しぶりにナガレの決めゼリフを聞いた気がした。
あまり添削できなかったので誤字多いかもです。ごめんなさい。




