第四章 混乱の中で。
〈ファーマーホール〉のギルドホームに帰った僕たちを待っていたのは、すでに祝勝会の準備を終えて待っていたプリエだった。
「おかえりなさい、お兄ちゃん」
その優しい言葉を聞いた時、僕は満面の笑顔を見せるしかなかった。
それからは皆で楽しく時間を過ごした。色とりどりに装飾された部屋でプリエの保護者である農婦が作ってくれた料理を片手に、今までの事やノエルと喧嘩をした事、プリエのお父さんの事……気まずい何もかもを水に流した。
優勝トロフィーだって渡した。受け取ったプリエはその重さに揺らめきながらも、しっかりと両腕で掴んだ。
「……約束、守ってくれたんだ」
「明日一緒にお父さんのところに供えに行こう」
「……うん」
そして、プリエは前髪に隠れた瞳から涙を流しながら微笑んだ。
「ありがとう」
そうして祝勝会に静けさが戻る頃、一人の少女がそっと部屋の扉を開けて外に出る姿を見た。金髪の髪がさらさらと舞う……間違いなくコールだった。それを眺めた僕はジュースを片手に慌てて後を追った。
外は驚くほど月が明るくて周りが見渡せる。それだけではなく空気も澄みきっていて、そよ風に揺らめく草のさざ波や河のせせらぎが聞こえてくる。月光に照らされた稲穂は影をここまで伸ばしてきた。
コールはそんな影の先端で月を眺めていた。月光に照らされて金髪が光り輝いているように見える……。
「こんなところでお月見ですか、お嬢さん?」
そんな彼女の隣に僕は近寄った。それに気がついてコールが苦笑いをしつつ切りかえす。
「『お嬢さん』なんて変な言い回しですよ……」
あはは、やっぱりそうかな……プリエの時といい、今といい、実際ナンパとかした事がないから気のきいたセリフが出てこない。今度考えてみようかな?
そんな事を考えている中、コールは再び空を見上げた。僕も同じく空を仰ぐ。月はただ暗闇を照らしていた……今なら言えるかもしれない。
「家に……〈供贄の一族〉に帰りたくなったのか?」
途端にコールがびくりと震える……まるでなぜわかったのかと言わんばかりに。だけどコールはゆっくりと息を整えると隠すことなく口を開いた。
「……別に恋しいというわけではないんです。ただあそこでできることもあった。しなきゃいけない事もあった……」
コールが眉を寄せた。自分のふがいなさを思い知らされるようにぎゅっと拳を握る。
「逃げた事に後悔はしていません。ただ私は私にできることをしたかった。もっとみんなの笑顔を作りたかった……ただ、それだけだったのに。なのに、もう一人の〈私〉は……」
月光に照らされてコールの頬が輝いた。僕は驚いて振り返る。
「私は……いいえ、〈大地人〉は〈冒険者〉を助けようと思うのは駄目なのでしょうか?」
コールはそっとこちらを向いた。その時、月光に照らされた草木に水滴がかかる。僕はとっさにコールの頬を拭った。そんなコールはやっと自身が泣いていたことに気づいて苦笑いした。
「申し訳ありません。こんなことを言われても困りますよね。忘れてください」
コールはそのまま踵を返した。だけど僕は立ち止まったままその場を動かなかった。そして、ギルドホームに帰ろうとするコールの手を取った。不審に思ったコールが振り返る。
「……セイさん?」
月光は不思議と僕に勇気をくれた。瞳に映る光は僕を優しく包み込む。自然と喉仏まで出かかっていた言葉が紡がれる。
「……僕は家に帰ってもいいと思う。それで幸せでいられるなら、僕たちはそれで構わない。帰りたくても帰れないと言うのなら、僕たちは力を貸す。逆にコールが抱えているものから目を逸らしたいと思うのなら、それでもいいんだ。だから……」
僕は振り返ってコールの瞳を見つめた。彼女に僕は告げる。
「……コールはこの後どうしたい?」
「……私は」
コールが口ごもる。そんな中、夜の冷たい風が二人の間に吹き抜けた。
そんな時だった。風に乗って足音が聞こえてくる。
「……やっとみつけましたよ、『巫女様』」
声の方向へ視線を向けると、そこには鼠色と灰色のローブを着た集団〈供贄の一族〉がいた。そして、その輪の中心には〈ナインテイルコロシアム〉で見た赤いメガネをかけた女性もいた……。
「改めて自己紹介を。私の名は『グレイス』。南方の〈供贄の一族〉を担う一端、伝承者です」
そう言って赤いメガネをかけた女性ことグレイスは対面にいる僕たちに礼をする。それに対し、僕たちは一応礼を返した。
今、僕たちはギルドホームにいる。肌寒い夜という事もあって、さすがに外で話すわけにも行かなかったのだ。とは言っても全員は入らないからとりあえず〈供贄の一族〉の代表であるグレイスと補佐に残ってもらい、他は帰ってもらった。そして、僕はノエルと合流してグレイスの話を聞いている。
祝勝会は一時中断。プリエには農婦の手伝いをしてもらうようにお願いして退室してもらった。
あるのは閑散とした空気とソファーセットに座る僕たちの息遣いだけ。
「南方の〈供贄の一族〉? 〈供贄の一族〉も東西南北で分かれているの?」
そんな中で一人だけ壁に背を預けるように立っていたノエルが首を傾げた。グレイスは静かに頷いた。
「どうやら〈供贄の一族〉のことは知っているようですね。ええ、そうです……〈供贄の一族〉も〈冒険者〉の街と同じく四つの拠点を設けております。その一つを〈アキバの街〉にいる薫星様から預からせていただいているだけのことです」
要は支部長みたいなものか……『薫星』という全体をまとめる総括から〈トオノミ地方〉の管理を委託されていると。
僕はグレイスの言葉を呑み込みながら、その上で尋ねる。
「それでその偉い人が僕たちに何の用ですか?」
するとグレイスはメガネをかけ直して鋭く睨んだ。そして、僕の隣に座っていたコールに顔を向ける。
「では単刀直入に言います。巫女様をお返しください」
途端にコールが『巫女様』という言葉を反応して、背筋を凍らせた。その様子を観察した僕は一目で『巫女様』がコールのことを指しているのだとわかった。改めて説明を要求する。
「その言い方はあんまりです。僕たちは彼女を保護していただけです……それにこう言っては何ですが、コールは家出して来たんです。逃げて来たんです。外のことだって何も知らない感じだったし……正直、ただ返すわけには行きません」
グレイスは額に汗を流しつつ、尚も眼光を鋭くしたままでこちらを見ていた……まるで、話す事はない、と言うように。
だからってこちらも譲るつもりはない。コールがこれからどうするにしても、彼女の現状を少しでも改善してあげなくてはならない。そのためには、
「まず、その『巫女様』ってのは? あなたたちは何を知っているんですか?」
「……」
あくまで僕らは〈冒険者〉ってことか……僕は顔をひきつらせた。それは〈大地人〉の領分に入るなと言われているような気分だった。
そんな埒が明かない中で真っ先に声を発したのはコールだった。
「……いいよ。話してあげて、グレイス」
途端にグレイスが跳ねるように身体をびくりとさせる。
「……!? しかし、巫女様」
「この人たちは信用できる」
そして、コールはグレイスの反論をたった一言で制した……まるでコールの方が身分が高い感じだ。
その証拠に、グレイスはばつが悪くなったかのごとく肩の力を抜いてため息をついた。そして、もう一度仕切り直すようにメガネのずれを直す。
「失礼しました。本当は古の盟約に反することですがお話しましょう……『巫女』とはもともと祖先に仕える役職の者を指します。これはわかりますよね……では、私どもの祖先とは何かはご存知ですか?」
僕は首を横に振った。だけどその後ろからノエルが割り込んだ。
「それって古アルヴ族ってやつのこと?」
「知っているのか?」
ノエルは首を縦に振った。どうやらコールを調べている間に目についたらしい。
ノエルがいうには、古アルヴ族というのは僕たち〈冒険者〉が現れる前……つまりエルダーテイルの世界で約350年前に繁栄していた種族だそうだ。当時は魔法の発明により人類の生存圏を広げた種族だった。
だけど時代が流れて行くうちに、大きすぎる魔法技術に嫉妬と猜疑心を抱いた他種族が古アルヴ族の排斥運動を始めた。次第に過激化し、『アルヴ狩り』とも呼ばれるほどの惨劇になったそうだ。
もちろん古アルヴ族は反抗し、その中心となったのが六人の古アルヴ族の女性……その名を、
「〈六傾姫〉……〈ルークインジェ〉と言います」
まるで語りを引き継ぐようにグレイスは力強く言った。そして、彼女はその後の顛末を紡ぐ。
グレイスが言うには、〈六傾姫〉は知り合いではなく共謀したわけでもないが、その圧倒的な魔法の知識によって世界を戦乱に包み込んだそうだ。だけど結局は多勢に無勢。少数だった古アルヴ族は他種族によって討ち果たされた。
そして、
「その一人……魔法具の制作に長けたお方が私どもがお仕えする祖先です」
グレイスはメガネをかけ直す。
「私どもは今でもかのお方を崇めており、お世話させていただく者を『供贄の巫女』と呼んでおります」
〈六傾姫〉の一人、魔法具の制作に長けたお方……そのどれもが初めて聞く言葉だった。だけどその言葉を聞いて、五日前コールが僕の曲剣を作った光景を想い浮かべた。
『魔法具』とは、言いかえれば〈冒険者〉が使う『アイテム』の事である。つまり、コールの『アイテムを生成する力』はもしかしてその『祖先の力』なのか?
だとしても疑問は残る。コールがその『供贄の巫女』だとして、どうして彼女は家出をしたのか? それに、
「矛盾……していませんか? 確か〈六傾姫〉は約350年前に討ち果たされたんですよね……なのに『お世話』ってどういうことですか? その『祖先』って人は、その中から生き残れたんですか……って、痛ててて」
途端に唖然としてノエルが僕の耳を引っ張ってくる。
「なにバカな発言しているのよ! 例え生き残れたとしても、そんなに長く生きている人なんていないでしょ!? だから、ほら……『供贄の巫女』ってのは、ただ神様を奉る職業の事を言うのよ。そうですよね?」
だけどグレイスはその返答に黙す事で答えた。肯定でも否定でもない……その反応に僕らは唖然として互いに目を見合わせた。ノエルが耳から手を離しながら呟く。
「……生きているんですか」
「寿命という観念では、あり得ない話ではありません。エルフ族は長寿だと聞きますし……ですがアルヴに至っては脆弱であり、ヒューマンより短命だと伝え聞いております」
「だったらやっぱり〈六傾姫〉はいないんだ」
「……と言いたいところですが、アルヴには補って余りある魔法技術があります。結局彼女らは他種族によって討ち滅ぼされましたが、〈六傾姫〉はその直前に〈森羅変転〉と呼ばれる魔法を使い、世界にモンスターを生み落としたのです。その後も古アルヴ族の、特に〈六傾姫〉の栄華を越えられた者はいません」
僕は要領を得ないグレイスの発言に少しイライラしながらため息を吐いた……結局この人は何が言いたいんだ?
だけど、僕は次のグレイスの発言でその真意を理解する。
「……つまり、生命を生み出せるほどの実力を持つ人たちなら、自らを生まれ変わらせる事も可能ということです」
途端に僕はあまりの真実に驚きを抑えられずに立ち上がった。逆にノエルは腰を抜かしたようにソファーにもたれかかって、鍔を飲んだ。グレイスの言葉は〈大神殿〉で蘇生できる〈冒険者〉にとって絵空事とは思えなかったからだ。
そしてグレイスの言葉を端々まで認識したその時、『供贄の巫女』の本当の意味が自ずと導かれていた。
僕はコールに視線を向ける。
「転生……コールは〈六傾姫の生まれ変わり〉?」
「……正確には、その器というべきでしょう。〈六傾姫〉でもさすがに無償というわけにはいかず、その魂は眠りについているようです」
コールは僕を見上げて自嘲気味に笑う。グレイスはそんなコールに……いや、コールの内に秘めた〈六傾姫〉に一礼を捧げた。刹那、僕の背筋に寒々しい悪寒が走る。
――なんだ、これは……この状況は何だ。
僕は拳を逃げりしめた。何が悪いと言うわけでもない……ただ気持ち悪い。
「これでわかりましたか? 『巫女様』はあなたたち〈冒険者〉に扱える方ではありません。〈六傾姫〉は今でも生まれ変わるほど自分たちを追い込んだ他種族を……いいえ、この世界を恨み続けています。その身は人知れない場所にて安らかに――」
「――うるさいっ!‼」
僕はたたみかけに来たグレイスの言葉を一蹴して拳を目の前の机に打ち付けた。机から響く轟音は、家まで揺らしているのではないかと思うほど周りにピリピリとした空気を伝染させた。自分でも驚くほどだ。
――ああ、でもそういうことか……今わかった。この胸にこみ上げるものが何か。
祖先に仕える役職の者とはよくいうものだ……彼女らの言う『供贄の巫女』というのは『〈六傾姫〉の仮の人格』という意味ではないか。そして、〈供贄の一族〉は〈六傾姫〉を恐れるあまり抑え込もうとしている。要は、
「あなたたち〈供贄の一族〉はコールをコールとして見ていないわけですか……」
それは生きているのにまるで幽霊のように扱われるようなものだ。
気持ち悪い……ここにいるのに気づいてもらえない、何かしたくても聞いてもらえない。そんな状況は気持ち悪くて、怖くて、そこにはいられない。
「『ただ私は私にできることをしたかった』ってこういうことか……」
コールがみつめる中、僕の声は苛立ちに震える。だけど不思議と背筋はまっすぐ伸びた。
「お帰りください」
「はい?」
「今のあなたたちにコールを渡しても何も解決しない事がわかりました。だから、その考えを改めて、出直してください」
グレイスが唖然として口をポカンと開けた。だけどその意味を悟った時、彼女も負けじと立ち上がって怒声を浴びせようとした。けれど、ノエルが忠告するかのように告げる。
「やめた方が良いですよ。こうなったセイは誰にも止められない……それにここは〈ナカスの街〉ではなく、〈冒険者〉の『ギルドホーム』ってことを忘れないでください」
刹那、グレイスの動作が止まった。そして、忌々しく今いる大部屋を睨みつける。
そう、ここは僕たちが借りたゾーン『ギルドホーム』……僕たちが自由に過ごせて、好きなように『制限』を設定できる縄張りだ。もちろん『戦闘禁止区域』ではない。
そんな、えげつない事を言う彼女もいつの間にか行動できるように技の待機状態に。アクションがあればすぐにでも制圧する気でいる。グレイスもその意を察したのか、静かに問い返した。
「〈冒険者〉は何をしているかわかっているのですか? 『巫女様』とはいえ多少なりは〈六傾姫〉の力を使えるんですよ」
僕はそっと腰にあった曲剣を擦る……そうか、やっぱりあの力は〈六傾姫〉の力なのか。
「……下手をすれば次世代の〈六傾姫〉になるかもしれない。それはもうあってはいけないことなのです!」
グレイスは額に汗を流しながらも一歩も引かずに口論を挑んでくる。たいしたものだ……僕たちが〈冒険者〉だからって引けを取らない。
考えてみれば彼女は〈供贄の一族〉である前に〈大地人〉で、〈冒険者〉にかかれば一網打尽にされる存在だ……それなのに立ち向かう姿は威風堂々と言うしかない。南方の〈供贄の一族〉を任されているのも納得がいった。
それでも僕は力強く言った。
「だったら力を使わせなければいいんですよね?」
僕は尚もにこやかに笑って掌をドアに向けた。
「別に意地悪をしたいわけではありません。ただ目の前の少女をそのまま見つめてほしいだけです」
「……」
グレイスは眉を寄せながらもこれ以上は言葉の無駄だと感じたらしい。ため息を吐きながら何も言わず、一礼して言われた通りドアへと向かう。その後を補佐が慌ててついていった。
「彼らに任せていいのですか?」
「今日のところは出直すだけです。明日またお伺いします……」
そして、グレイスはわざと聞こえるように言った後、今度こそ部屋のドアを開けて外へ出ていった。
そうしてグレイスが部屋を出た後で、僕は全身の緊張が取れたかのように深いため息をついた。だけど振り返ると、話の中心だったコールがぽろぽろと涙を流している……って、なぜ泣いているんですか!?
「……セイが泣かせた」
――なぜそうなる!?
ぼぞりと呟いた冗談混じりのノエルの言葉に僕は肩を震わせた……あれ、でもこの状況はそうなのか? 僕はどうしたらいいかわからず慌てふためいた。
そんな中コールが慌てて首を横に振った。
「いいえ、そんなことありません! むしろ理解してくれて嬉しいです」
だけど、コールは一瞬でその表情を暗くした。
「でも……だからこそきちんと言わないといけません。〈ナインテイルコロシアム〉でなぜモンスターが現れたのか」
僕たちは顔を合わせた。あの事件はモンスターマッチングの誤作動ということで見解がついていたからだ。だけどそれを告げるとコールは首を横に振った。
「違うんです……誤作動ではありません。あれは私の中にいた〈六傾姫〉が生みだした――――」
だけど、その時だった。
コールの声を掻き消すほどの悲鳴が辺り一面に響いた。
「グレイス様、お逃げください!!」
それは先程グレイスと共にいた補佐の声。僕は慌ててギルドホームの窓を開け放った。同時に特徴的な灰色と鼠色のローブが切り刻まれる光景が目に映る。グレイスの前で補佐が攻撃を受けたのだ。グレイスは悲鳴をあげることも忘れて立ち竦む。
切り刻んだのは肌の色が茶色く変色した歪な子供……麻の服はまるでボロボロでただ布を当てているだけにも見える。耳は長いからエルフ族か?
「おい! そこの子供何をしている!?」
僕は声を荒げた。だけど子供は聞こえていないのかグレイスに尖った爪を立てようと歩み寄る。僕は反射的に視線を集中して相手のステイタスを呼び出した。
【モンスター:〈機工魔〉 レベル:30 ランク:パーティ】
なっ……僕はあまりに驚いて肩を震わせた。目の前で襲ってきた歪な子供は、実はその姿をしたモンスターだった。
とっさに僕は曲剣に手をかける。
「セイ、だめ! 外は『戦闘禁止区域』……」
「そんな事言っている場合じゃない!」
そして、ノエルの制止を飛び越えて窓辺を踏み越えた……と同時に落下を利用して曲剣を振り下ろした。途端に〈機工魔〉は一撃で真っ二つにされて光りと化して消える。次の瞬間、気が抜けたグレイスが膝を落として地面に座り込んだ。
「まだだ! 早くギルドホームの中へ!!」
「は、はい!」
間髪いれず、グレイスが立ち上がって農婦の玄関に駆け寄った。僕も補佐を抱えてその後に続く。
そうして玄関のドアを締めるといつも使う大部屋からノエルとコールが飛び出してきて鉢合わせた。
「セイさん、これはいったい!?」
「わからない。とりあえずコールはこの人の手当てを頼む!」
そう言って僕は抱えていた補佐を床に優しく降ろした。コールが頷いて、慌てて拠点から回復アイテムを取りに行く。その間、ノエルはギルドホームの窓辺からそっと外を警戒し始める。
僕はその反対側に陣を取り、そっとノエルに問うた。
「ノエル、さっきのモンスターどう思う?」
ノエルは深く考えた後、「推測にすぎないけど」と前置きして答えた。
「たぶん、私たちが〈ナインテイルコロシアム〉で襲われている間に〈Plant hwyaden〉が討ち漏らしたとしか考えられないわね。結界があるから〈ナカスの街〉の外からモンスターは入ってこられないはずだし、〈ナインテイルコロシアム〉は私たちが巡回して異変が収まった事は確認済み。だったら可能性としてはそれしかない……あいつらも詰めが甘いからありえない話じゃないわ」
「〈衛兵〉は……なぜあいつらは出てこないんだ?」
同時に僕とノエルは振り返った。途端にギルドホームに跳び込んだまま放心していたグレイスが、目が覚めたかのごとく自身の持っている知識を捻りだす。
「あ……〈衛兵〉は主に〈冒険者〉同士のもめ事に重きを置いています。不測の事態が起きた場合は対応しますが、『結界』がある分『モンスター』に対しては対応が遅くなります」
つまりモンスターは管轄外ってことか……。
「あとはあの〈機工魔〉とかいうモンスターの特性がわかればいいけど……」
同時にノエルが考えに耽るように呟いた。するとグレイスが静かにメガネをかけ直しながら平常心を取り戻したように告げた。
「あれは確か子供の姿をした大地の妖精。古い遺跡や人里など仕掛けの多い場所を好みます。いたずらや隠れ身に長けていて、確か〈冒険者〉の職業〈召喚術師〉にも使役されていたはずですが」
そうだ、聞いたことがある。〈方術召喚:グレムリン〉だったか……機械の扱いに精通した使い間を召喚して機械や仕掛けを作動させるという――ん、仕掛け?
途端に僕の脳裏にある場所の光景が映った。それは〈ナインテイルコロシアム〉の真下にあった大空洞……そこにあるモンスターマッチング装置。
「待った! まさか〈ナインテイルコロシアム〉を襲った本当の原因は――」
悪い予感がよぎった……と次の瞬間ギルドホームの外から爆発音が響き、僕たちはとっさに屈む。
刹那、強風がこの家を襲った。光が視界を一瞬真っ白にさせ、轟音が地を震わせる。正直、この農婦の家をギルドホームとしてゾーンを借り受けていなかったら簡単に吹き飛ばされていただろう。〈ナインテイルコロシアム〉のように、この家もゾーン購入していたことで『ただの民家』ではなく『別空間』として確立されている。ギルドホームにいればまず大抵の被害から身を守ることは可能だ。
そうして強風から逃れた僕たちだったが、揺れが収まり窓の外を見て絶句する。
遠くに見える〈ナカスの街〉の中心街が炎に包まれている……その一方で西方では氷の柱が楔のごとく地面に穿たれている。そしてたった今、僕たちがいる東方で雷が落ちた。その歪な煌めきを辿るとそこには天使の羽を広げる蛾のようなモンスターが居座っていた。視線を集中させる。
【モンスター:〈堕ちた天使 〉レベル:65 ランク:レイド】
大規模戦闘級モンスター……それもあんなモンスターはゲーム時代でも見たことない。刹那、僕は震えあがった……もしかしてあれは〈大災害〉時に導入された〈ノウアスフィアの開墾〉で新しく導入されたモンスターか!?
だけど、それに拍車をかけるようにノエルが「あれを見て!」と指さして叫んだ。
「う、うそ…だろ…」
僕はノエルが指さした方向に視線を向け、絶句した。
ノエルが指さした方向は中央と西方の間に見える小さな二つの点。だけどよく見ると東で雷を落としたモンスターと同じ姿をしている……つまりはレイド級ボスモンスターが二体。東方と合わせたら合計三体いることになる。
さすがに絵空事のように思えてきた。でも現実は容赦なく打ち付ける。東方の〈堕ちた天使〉が田園地区に二度目の雷を落としたのだ。僕たちは再び鳴り響く轟音に屈みこんだ。
「――っ‼ とにかくギルドホームにいる全員を集めてくれ!」
ノエルが頷いて走り出す。
――けれどこれからどうする? ずっと隠れるつもりか?
僕は頭を抱えてこれからの方針を考えだす。そんな時、
「セイ!?」
怒声を上げながらノエルが叫んだ。僕は振り返る。だけどその光景に首を傾げた。ノエルが両手に回復アイテムを抱えて顔を蒼白にしながら棒立ちしている。
「どうしよう……これ廊下に落ちてた」
しかし、なぜノエルが回復アイテムを持っているのだ? そういえば、それを取りに行ったコールの帰りが遅い…………。
瞬間、僕は立ち上がった。同時にノエルが呟く。
「あの子、私たちの話を聞いて外に飛び出して行ったみたい……」
その時雷はやみ、一時の静寂が僕たちを包んだ。
そうして僕はいつもの大広間の扉を開ける。あの後、僕はどたばたと廊下を走り手近な部屋を開けた。ノエルも僕の行動を察してギルドホームの部屋を調べ始めた。
だけど、この大部屋のようにしばらく家を調べ回っても中には誰もいない。まるで初めから誰もいなかったように静寂だ。
その時ノエルが慌てて廊下の奥から現れる。
「セイ、やっぱりだめ。どこにもコールの姿は見当たらない。今プリエちゃんが隅々まで探してくれているけど、それでも……」
コールはこの家を出て行った……その事を認めたくないのか、ノエルが口ごもった。なぜだ……僕は拳を扉に打ち付けた。扉がギィと悲しむように軋む。
今にして思えば僕たちはコールの事を何も知らない。今まではそれでよかった。だけど、
「どうして自ら危険の中に跳び込むんだよ……」
今から探し出そうにも〈ナカスの街〉は大きい。それも外にレイド級ボスモンスターがうろついているような状況ではうまく行動できないだろう。そんな中でコールは一体何をしに出たって言うんだ?
だけど、その答えは意外とすぐ傍から発せられた。
「『巫女様』もご自分のせいだとわかっておいでなのです」
その声を辿ると、グレイスが僕の後を追って歩いてきたのか、背後から静かに足音をならして現れた。そして、彼女は語る。
「『巫女様』はおそらく自らまいた種を回収しに行ったのでしょう」
「それはどういう意味ですか……?」
ノエルはそんなグレイスに近寄って胸倉を掴んだ。まるでコールが悪いと言わんばかりにグレイスの口調は尖っていたからだ。
「って、ちょっと待った。内輪もめしている場合じゃないだろ!?」
途端に僕がその光景を見て間に割り込もうとした。だけどその前にグレイスがメガネの奥から鋭い眼光をつきつけた。
「言ったはずです! 『巫女様』は魂は違えど〈六傾姫〉だと!」
瞬間、僕とノエルはその勢いに押され固まった。グレイスが胸倉にあった掌を払いのける。
「……たとえ『巫女様』に悪意はなくても〈六傾姫〉はいるだけで周りに〈冒険者〉が『モンスター』と呼ぶ災いを振りまくのです。特に『巫女様』の中にいるお方は『モンスターをいち早く生み出したお方』ですから……」
モンスターを生み出す……その言葉に僕はハッとさせられる。まさか……、
「まさか〈ナインテイルコロシアム〉から始まる一連の流れはコールが無意識でやった事だって言うのか……?」
その言葉にノエルは目を丸くし、グレイスはしっかりと頷いた。
◇
――まだ何も……何も終わってはいなかった。
私は金髪の髪を荒々しく揺らしながら〈ファーマーホール〉を走り抜ける。先程遠くに雷が落ちたが、縮こまる余裕なんてなかった。気持ちよい音を鳴らす絨毯のような唐草も、今は撓っていて踏むほど嫌な感触が身体に残る。
――きっとあの時だ。
私は数時間前の事を思い出す。それは〈Plant hwyaden〉の〈冒険者〉が〈ナインテイルコロシアム〉のエントランスで報復してきた時のことだ。私は不覚をとったノエルさんを守るためにかばって深い傷を負った。
その時だ。一瞬だけ声が響いた。
『――憎いだろう』
刹那、私は『コール』ではなく『〈六傾姫〉』になっていたのだと思う。
正直、意識を失って記憶にはなかったが、すぐにわかった。モンスターが入れないはずの〈冒険者〉の街で化け物である人造の蠍が〈ナインテイルコロシアム〉で暴れ回っている光景を見た瞬間……ああ〈六傾姫〉のせいだ、と。
――だけどあのモンスターが原因ではなかった。
〈六傾姫〉は……特に私の中にいる姫は、魔法具研究に優れた方だった。その技術の推移を結集させたのが人造の蠍のようなモンスターだったと聞いている。だから、何かしたのであれば、モンスターを生み出した可能性が高い事は想像できた。
けれど、まさか機械を操るモンスターを作り出すとは思わなかった……いや、これはもうただの言い訳だ。
ノエルさんが倒したあの人造の蠍も、セイさんが倒した二輪の戦車も、結局はその機械を操る〈機工魔〉というモンスターが〈ナインテイルコロシアム〉の仕掛けを動かして呼び出しただけの存在だった……おそらく蛾の胴体に天使の羽を生やした化け物もそうだ。結局私が一番の『原因』だ。
――とにかく今は〈ナインテイルコロシアム〉に行ってどうにかしないと!
何ができるかはわからない。だけどこれ以上、セイさんたちがいるこの街に迷惑はかけられない。たとえこれが私の中にいる〈六傾姫〉のせいだとしても『私』であることに違いはないのだから。
――だからけじめをつけないといけない……この命と引き換えにしてでも。
私は自然と出た涙を拭きとって、唐草を踏み越えた。
◇
そして、ギルドホームに沈黙が走る中、僕たちの目の前で〈供贄の一族〉であるグレイスは告げる。
「〈ナインテイルコロシアム〉の本来の用途は『実験場』……〈ナインテイルコロシアム〉の真下にある大空洞は〈森羅変転〉前に〈六傾姫〉が、今で言う『モンスター』と呼ぶものを生み出すために作り出した『魔法具』です」
その証拠に、と言わんばかりにグレイスは語る。
もともと〈ナカスの街〉は商業な盛んな街で、まだ〈アルヴ狩り〉が始まるまでは〈六傾姫〉も友好的だったそうだ。彼らのために〈六傾姫〉は様々な物を作り、その果てに自動で考え動く人形を作ろうとした。その施設がのちの〈ナインテイルコロシアム〉だったそうだ。
だけど〈アルヴ狩り〉が始まり、裏切られ、〈大地人〉の役に立つ為に造られた人形は〈六傾姫〉の〈森羅転生〉によって〈時計仕掛の蠍〉や〈蹂躙の輪〉に……まさに『モンスター』のプロトタイプになった。そして、〈ナインテイルコロシアム〉の真下にある『魔法具』はモンスター生みだす魔法具に成り下がった。
〈供贄の一族〉はそんな限度を超えた魔法具……もとい幻想の忘れ形見が世に出ないよう管理するのが目的だった。
「どうですか? 〈冒険者〉はこれでも『巫女様を幽閉するな』と言うのですか?」
ノエルの身体が凍傷するかのような勢いで寒さに震えた。その一方で僕は顔色変えずまっすぐ視界にグレイスを捉える。
「確かセイ様ですよね……あなたは良き〈冒険者〉です。しかし、この世の中にもどうにもならない事もある、と学ぶべきです。普段は『巫女様』が『〈六傾姫〉』を抑えてくれているから大丈夫ですが、ひとたび意識を乗っ取られたら〈ナインテイルコロシアム〉から化け物が生みだされ、多くの人に迷惑をかけるきっかけになってしまう」
途端にグレイスが埃をはたきながら、熱が冷めた眼差しを向ける。
「これに懲りたら、もう『巫女様』には関わらないでください」
その言葉にノエルはぎゅっと悔しそうに口を閉じる……と同時にグレイスが踵を返した。きっとコールを追ってそのまま捕まえるつもりだろう。だから僕は大きく息を吸って叫んだ。
「断る!!」
「――っ!?」
あまりの拍子にグレイスのメガネがずれる。さすがのノエルも一瞬だけ呆けたが、何かが吹っ切れたように大笑いした。
「そうだった。セイには『そういうの』に流されない人だったよね」
僕は頷いた。当たり前だ、こんなことで諦められるはずがない。最初に会った頃ならともかく、ここまで面倒を見たんだ……相手から離れるなら仕方ないが、こちらから手放す気はそうそうになかった。
そんな僕を見てグレイスが信じられないように一歩二歩とよろめいた。
「せ、セイ様は私どもの話を聞いていたのですか!?」
「聞いていたよ。でもそれって別に『気をつければいい』だけの話ですよね。閉じ込める必要はないと思います」
グレイスは正論を突かれたようにばつが悪い表情をした。だけど負けずに反論する。
「〈冒険者〉は〈六傾姫〉の恐ろしさを知らないから言えるのです……」
確かにその通りだ、僕はグレイスの抱えている責任も、想いも知らない。だけど、
「だからこそ『冒険』ができるのではないでしょうか?」
「……」
途端にグレイスのメガネに隠れた瞳が大きく見開いた。そして、背筋を戻しその瞳で僕の意思に応えるためまっすぐ見返した。
確かに僕は何も知らない……だけど、だからこそ僕は恥じることなく言い放つ。
「僕たちは〈冒険者〉です。知らないことを知るためにここにいます。そして、コールもきっと冒険者でありたいんです……〈六傾姫〉の本当に成そうとしたことを知りたかったんですよ」
その言葉にグレイスは目を丸くして息を飲んだ。だけど僕にはわかる。
「だって『自分』のことですよ……知りたいと思うのは当然じゃないですか。〈六傾姫〉が役に立とうとしていたこの世界がどんなものか知りたいじゃないですか!!」
これにはノエルも仰天して黙り込む。
でもそうじゃないか。確かに最初に〈試しの地下遺跡〉で出会った時は謎な少女だった。だけどそこから初めて広大な大地を見た時、コールの瞳は宝石のようにキラキラしていた。まるで僕たちが初めてこの〈ヤマト〉の大地に降りた時と同じように。
そして、全てを聞いた時には納得した。要はコールはゲーム時代の僕たちと似たような存在だ。空想の中にはもう一人の自分がいて世界を冒険している。だったらその冒険に興味をもつのは当たり前だ。
ただ違いがあるとすれば、それは『自らその世界に来る事を選んだかどうか』の一点に尽きる。
「もしかして、セイが初めにコールを〈ナカスの街〉に案内したのは……」
「うん。そんな彼女を応援したかったから」
「……だったら、最初にそう言いなさいよぉ」
途端にノエルがなぜか脱力したように膝をついた。そんな彼女をしり目に、僕は再びグレイスに向かって言い放った。
「どうですか、グレイスさん。ここは一つ賭けをしませんか?」
「賭け?」
グレイスが繰り返し問う。僕は頷く。
「もしこの状況を僕たちがコールを連れ帰ったら、コールの声に耳を傾けてくれませんか?」
◇
〈ナカスの街〉の中心街は赤く染まりきっていた。
そんな中、金髪を揺らめかして〈ギルドストリート〉に足を踏み込んだ私はショックを受けた。旗や装飾品で飾られていた大通りが熱風で吹き荒れていた……露店や店が立ち並んでいたはずの所に炎が佇んでいる……セイさん、ノエルさんと食事をしたあのお店も燃えて行く。
自ずと脚は止まり、私はその惨劇の中で膝を折る。
「これが全て私のせい……」
私は拳を握った。私の思い出が……『コール』として生きた思い出が消えていく。それはまるで世界に拒絶されているような気分だった。
その時、〈ギルドストリート〉に熱風が舞う。とっさに風を掻き払うように振り仰ぐとそこには東方にいたはずの蛾の色違いがいた。化け物は今にも自ら広げた天使の羽根で炎球を生み出して、手当たり次第に吹きつけようとしている。
――そんなに私はこの世界にいたらいけないの?
その延長線上に私はいた。逃げきれない……いや、逃げちゃいけないのかな?
どっちにしろ回避は不可能。私は反射的に目をつむった。
「〈タンクデサント〉!」
その時だった。威勢のいい声が聞こえた途端に身体が浮遊感を味わった。
「……やれやれ、こんな状況の中を出歩く愚か者は誰かと思えば『お触り禁止』のところにいたお嬢さんでしたか。助けるのはこれで二度目ですね」
私は瞼を上げる。すると、そこには武力を想わせる全身鎧の上に知的さを兼ねたメガネという不釣り合いな格好の青年がいた。名前は確か、
「ホネストさん!?」
名前を呼ばれて彼はにこりと微笑んだ。だけどその笑みに少し苛立ちが見える……まるで私に怒りをぶつけてきているような。
私は視線を逸らした。刹那、驚いて唖然とした。今まで地面にいたはずの私がいつの間にか建物の屋根の上にいる。どうやら私はホネストさんに抱えて移動していたらしい。
そんな彼は今もその装束に似合わない俊敏な動きで屋根を伝っている……とその時、ホネストの後ろで金属音や爆撃音が響いた。視線を向けると数人の〈冒険者〉が徒党を組んで先程の蛾のような化け物に立ち向かっている。
だけどそれだけではない。〈エルフ〉族に〈ドワーフ〉族、〈猫人族〉に〈狼牙族〉、〈法儀族〉まで……この世界に存在するほとんどの種族が混乱することなく一心になっている。その光景はまるで一つの大きな存在に……〈六傾姫〉に引けを取らない本当の力に見えた。
「僕の仲間たちですよ」
ホネストはぼそりと呟いた。そして、彼は唐突に建物から軽々と飛び下りた。軽く土煙りが上がるだけで特に損傷はない……って、
「ちょっと待ってください! ホネストさんは戦線にいなくていいんですか!? あ、もしかして私のせいですか!? だったら、大丈夫なので――」
「〈大地人〉のくせに何を言っているのですか?」
むっ……さすがに今の棘のある発言はどうなのだろう。私は頬を膨れさせた……だけどホネストさんは知らぬ存ぜぬな表情で叫んだ。
「とにかく建物の影に隠れますよ!」
「って、きゃぁぁぁあああ――――――――――――!?」
途端に頬に当たる風が強くなって私はとっさにホネストにしがみついた。そして次の瞬間、ホネストはスピードを上げてその場を〈冒険者〉の全速力で離脱していた。
それから数分後、
「まいったな――まさか〈冒険者〉の高速移動に慣れてなかったとは思わなかったよ」
そんな言葉を投げかけるほどホネストさんは頭を掻いて困った顔をした。その傍らで私は道端にへたり込む。正直に言えば酔ったのだ。
もう頭はぐるぐる、思考はめちゃくちゃ。だけど状況は把握できる。
あれからというもの私たちは少し中心街から離れた場所に避難していた。あの地獄のような炎も被害は〈ギルドストリート〉だけに留まっているようだ。きっと先程の〈冒険者〉さんたちが抑えてくれていたのでしょう。そして、それをまとめたていたのは私を助けてくれたホネストさん。
そのホネストさんが気を取り直すように喋る。
「それで、なぜお嬢さんはあそこにいたのかな?」
私は一気に酔いがさめて黙り込んだ。するとホネストさんは視線を外して、もののついでのように身体をほぐしながら言い放った。
「僕はというと仲間と合流した途端に襲われたわけだけど……ふむ、『お触り禁止』がいない所をみると勝手に飛び出してきたのかな?」
「うっ……」
「そして、おそらく元凶である〈ナインテイルコロシアム〉のモンスターマッチング装置をどうにかしようとしている」
「……」
私は図星を突かれて顔を背けた。それを肯定の意と認識したのか、ホネストはふっと鼻で笑って嘲るように告げる。
「なるほど。『お触り禁止』の抱えている問題はあなたでしたか……しかし、お嬢さんは子供ですね。喚いても解決しませんよ……よければ大人の僕が手伝いましょうか?」
刹那私は自分から湧き上がる心境を抑えきれずに立ち上がった。バカにされたのもそうだが、何より決死の思いでここまで来た気持ちを否定された気がしたのだ。
だいたいホネストさんは私に喧嘩でも売っているのだろうか……先程から棘のある言い方しかしてこない。〈ナインテイルコロシアム〉で助けてもらったお礼もあるからずっと黙っていたが、さすがに我慢できなくなってきた。
ホネストさんもそれを察したようだ。鋭く睨む私を上から見下して腕を組む。
「怒りましたか? でも真実でしょう――僕が来なかったら死んでいましたよ」
次の瞬間、私の肩がぞくっとした。ホネストさんが……いや、目の前の〈冒険者〉が殺意を露わにしたからだ。
「……それだけではなく、今諦めかけていましたね」
それはまるで死神の鎌が首に添えられているような感覚……これが本当の〈冒険者〉。
だけど次の瞬間、パンッ、と両手を合わせた直後、ホネストさんが表情を元に戻してにっこり笑った。
「これ以上はやめましょう……ただ〈ナインテイルコロシアム〉でも思いましたが、お嬢さんは少し自分の命を軽んじる癖があるようです。そういうのは〈冒険者〉には嫌われるので気をつけた方が良いですよ」
「え、あ……」
途端に解放されたように緊張が全身から抜け出た。思わぬ先制パンチを受けて、私の身体はまるで命拾いした感覚に囚われる。だけど、そんな状況なのにどこか暖かみを感じた。周りが冷たいのに芯は暖かい……もしかして、
「心配……してくれていたんですか?」
ホネストさんはその様子を見て満足そうに頷いた。だけど、
「他人なのに?」
私の言葉で途端にホネストさんがきょとんとした。その表情が固まる。
「僕は他人ですか……さらりと酷い事を言われましたね」
途端にホネストさんが肩を下げた……どうやら言葉という刃がグサリと刺さったのだろう。私はどきっとして口をつむぐ。なんといつの間にか私は反撃を繰り出していたらしい。
だけど私にとってホネストさんたちは本当に自分とは比較できないほど輝いていて、とても同等に考えてはいけないように思えた。
それに私の中には皆に迷惑をかけた〈六傾姫〉がいる……彼女が作ったモンスターはプリエちゃんのお父さんの命を奪った。そして、今も〈ナカスの街〉に多大な迷惑をかけている。そんなものを内に秘めている私ははたして人とも言えるかわからない。だったら私の命なんてとても小さなものだ……。
すると、傷が回復したのか、ホネストさんが怒りを飛び越えて呆れたらしく、長いため息をついた。そして、持久戦に変えるかのように地面に腰を据え、私にも正座を要求した。言われるままに私は正座をする。
「いいですか……別に〈大地人〉がどう思っていようと構いません。ですが〈冒険者〉をその小さな枠に無理矢理はめこもうとするのはやめなさい。お嬢さんがどう思おうが〈冒険者〉は心配するものです! 同じ心を持っている者だから当たり前でしょう?」
「当たり前……? 心……?」
私は首を傾げた。その心がどんなものかわからない。だけど、たぶんホネストさんは今回の事件を起こした原因を知らないからそんな事が言えるんだ。
「だったら『心が二つ』あったらどうなんですか?」
すると、自然と私の口から言葉が勝手に出てきた。
「……二つのうち一つがすごく迷惑をかけても、それでも心配するんですか!?」
それはホネストさんの言葉をひらりとかわし、追撃を加える。すると、ホネストさんは攻撃を受けて、「ふむ」としばらく考え込む……って私はなぜ反抗しているのだろう。これではまるで救いを求めているようではないか。私はまだセイさんの傍にいたいと。
次第にホネストさんは何度も頷いた。そして、口を開いた。
「それなら仕方ありません――」
ああ、やっぱりそうだよね……〈六傾姫〉を抱えた私なんて見捨てるのが当然だ。私はホネストさんの敗北宣言を受け入れようとした。だけど、
「――その迷惑ごと面倒をみるしかないですね」
「――っ!?」
ホネストの言葉は途切れなかった。その思わぬ一言に私はいつの間にか身を乗り出していた。
「迷惑ですよ!? 何が起きるかわからないのに」
「面倒をみますね」
「そんなバカみたいな話……」
「だから〈冒険者〉はバカなんですよ」
な……間髪入れずに返された返答は私に呆れさせ、再び膝をつかせた。
その時あの蛾のような化け物が嘶きを上げる。それを聞いた途端、ホネストさんはまるで試合が終わったかのように、鎧をガシャガシャと鳴らして立ち上がった。その背中はどこか開放的で何者にも囚われていないように見えた。
「もともと利口な人は〈冒険者〉にはなりません。どこかでひっそり暮らした方が絶対安全ですから。でも僕たちは『そういうのに流される』のが嫌で逃げてきたバカ者たちです。迷惑の一つや二つぐらいあってないようなものですよ。だから〈冒険者〉から心配するようなことはあっても、心配されるだけ無駄ってやつです」
そして、彼はその大きな掌をこちらに向けてきた……私に敗北宣言を出せ、と言わんばかりに。
「さて、あなたはどうしますか? このままひっそり退場しますか? それとも『そんなもの知った事か!!』と投げ飛ばしますか?」
「私は……」
私は迷った。迷惑をかけたくはない。それは本当だ。
――だけどいいのだろうか? いっぱい迷惑をかけるかもしれない……だけど私は。
「好きな方で良いですよ」
ふいにホネストさんは助言をする。まるで言いたい事がわかっているかのように。
――叶わないな……。
私は静かに頷いた。そして、敗北宣言を口にする。
「……もし、もしもホネストさんが言った通りだったら。私はもっといろんな事を知りたいです! セイさんとノエルさんと一緒に!!」
セイさんたちと出会った後の出来事は私の知らない事を教えてくれた。
初めて食べた下町料理……味付けは大雑把だったけど、その分わいわい騒いで楽しい雰囲気だった。その後見た〈冒険者〉の戦い……思った以上に頭を使うものだと知って常識を覆された。次の日はプリエちゃんと仲良くなった。彼女の抱えているものを知って悲しくなることを知った。でもセイさんたちが、〈冒険者〉の方々たちが頑張っている光景を見てすごく感動した。
私は可能ならばもっと彼らと肩を並べたい。一緒にこの世界を楽しみつくしたい。
「だから、お願いします! 私に……いいえ、私たちに力を貸してください! 〈ナカスの街〉にいる化け物が邪魔なんです!!」
そして、私はその掌に手を置いた……負けを認めた瞬間だった。
そうして私はホネストさんに事の次第を伝えることになった……私が、かの〈弧状列島ヤマト〉を滅亡寸前まで追いこんだ〈六傾姫〉の生まれ変わりであること。そして、今回引き起こした騒動は全て私の中の〈六傾姫〉が化け物を生み出した事で起きたことを洗いざらい吐き出した。
すると、全てを聞いたホネストさんは私をじっと見た。そして、再び嘲るようにふっと鼻で笑った。
「〈六傾姫〉ね……」
「……もしかしてまだ喧嘩を売られていますか?」
さすがに少し失礼ではないだろうか……そう思った直後、ホネストさんが「いえいえ、そんなことはありません」と首を振った。その割には未だ笑っているが、もう何も言わない事にした。この〈冒険者〉には反抗するだけ無駄なことを先程理解したばかりだ。
――でもやっぱり恐がったりはしないんだ。
〈冒険者〉はなぜこんなに器が大きいのだろう……その身に大きな力を宿しているからだろうか?
だけど、ホネストが口に手を添え笑いをこらえて言う。
「いえ、本当にそうではありません。ただ姫様に見えなかったもので」
「それでは何に見えるのでしょうか?」
私はふいにそんなことを聞いてみる。直後、
「もちろん、冒険者に、ですよ」
「え?」
その言葉を聞いて私は顔を上げた。しかし、同時にホネストは鎧についた外套を翻し、口端を歪ませて楽しそうに笑う。
「さて、必要な情報は手に入れましたことですし、そろそろ動きましょうか……もちろん君にも手伝ってもらいますよ、コールさん」
その頬笑みはまるでおもちゃを手に入れた子供のようだった。
こうして私はホネストさんに引き上げられる形ではあったが、自らの足でこの世界に立ち上がった。
◇
僕は戦闘の準備を終えギルドホームから緑が広がる〈ファーマーホール〉へ走り出した。その後ろを同じくノエルが走り抜ける。
「しかし、セイが賭けなんて言いだすとはね」
「なんだよ。変だったか」
「ううん。セイらしいと思っただけ」
そうは言ってもノエルは清々しく微笑んできて気持ちが悪い。だけどその顔が次第に真剣なものに変わる……気持ちを切り替えたのだろう。
「でもこれからどうするつもり? コールは見つけ出すとしても、目的地は?」
途端にノエルが今度の方針を尋ねた。僕は頷いて西方へと視線を向ける。そして、その先には〈ナインテイルコロシアム〉がある。
それを見たノエルが「なるほど」と呟いた……ノエルも察したのだろう。もしコールが自身に宿す〈六傾姫〉に負い目を感じているのなら元凶を壊すか、止めようとするはずだ。
だけど、そう簡単に通してくれないのは世の常らしい。そんな僕たちを上空から何かが接近してきた。途端に行く先に雷が落ち、僕たちは自然と立ち止まるしかなくなった。と同時に上空から飛来した何かが舞い降りる。
そう、蛾のような身体に天使の羽がついたモンスター〈堕ちた天使〉だ。とっさに僕たちはそれぞれの武器を掴んで相対する。
「もう、どうしてモンスターってのは『ここぞ』という時に邪魔してくるのかしら!? 〈ファントムステップ〉!!」
途端にノエルが煙のごとく消えて〈堕ちた天使〉の傍に移動。牽制を始めた。両手に持った〈クナイ・朱雀〉をありったけ投げ放つ。〈クナイ・朱雀〉は〈堕ちた天使〉に刺さると爆発音を立て体勢を崩させる。
「さぁね! 元はゲームだったからじゃないかな!! 〈アクセルファング〉!!」
一方、僕は彼女が作った隙を見逃さずに曲剣〈迅速豪剣〉の刃を立て攻撃を加える。しかし予想はしていたが、一番攻撃力が高い〈暗殺者〉の一撃でも〈堕ちた天使〉のHPゲージは一割も減らなかった。
「くそっ、早くコールを探しださないといけないってのに……」
地面に着地した拍子に僕は嘯いた。きっとコールは思いつめた先で僕たちから出て行くことを決心した。そういう人は何をしでかすがわからない。
「ごちゃごちゃ言わないの!! 〈ターニング――」
しかし、振り返りざまに僕は声を上げる。
「――ノエル後ろ!!」
次の瞬間、ノエルはすぐさま技の待機状態を破棄。見もせずに背後へとクナイを投げ放つ。すると間近で爆発して、ノエルはその爆風に乗ってその場を離脱。刹那その場に〈堕ちた天使〉の羽が矢のごとく飛んで地面に鋭く突き刺さった。
「飛行状態に加え、遠距離攻撃専門のレイド級モンスターとかまたハードルが高くなったんじゃない……」
ノエルがクナイを取り出しながらも一歩引いた。僕もその意見には同意せざる負えない。本来〈大規模戦闘〉というのはパーティ……つまり六人以上で戦闘する戦いの事を言う。それなのに僕らは二人で倒そうと言うのだから無理はどこかしらから出てくるのだ。
僕らで言えばそれは後衛がいない事に起因する。人数が少ないのも当然だが、モンスターがノエルの言った通りなら、リーチの差で同じ土俵に立つだけ不利になる。加えて飛行状態だと低い攻撃は当たらないから技の使用にも制限がかかるし、どうしてもこちらも遠くから攻撃を当てて叩いてくれる者が必要だった。
しかし、ない物ねだりをしても仕方がない。
「二方面から同時に攻撃しよう。HPはまだあるよね」
「当然!」
同時に僕たちは左右に分かれて走り出した。こうして二手に分かれる事で一方が攻撃を受けても、もう一方で確実にダメージを入れられる。もともと少人数しかいない〈ナカスの街〉の〈冒険者〉では定石の戦い方になっている。
そうして〈堕ちた天使〉の左右に展開した僕たちはお互いに武器を構えて跳びあがった。タイミングはバッチリ。そこは長年戦闘の相棒を務めてきた経験がものをいう。
だけど僕自身、それが痣になるとは思わなかった。次の瞬間、〈堕ちた天使〉が自ら広げた羽を縮めて自らを包み込んだのだ。途端に内側から青白い雷が漏れだす。
「範囲攻撃!? 逃げて、セイ!!」
駄目だ、間に合わない。宙に浮かぶ僕たちに逃げる場所はない……このままだと、
「〈刹那の見切り〉!」
その時だった。突然僕たちの間を縫うように鎧武者の格好をした〈冒険者〉が刀を切り上げて〈堕ちた天使〉の羽を無理矢理広げさせる。
〈刹那の見切り〉……〈冒険者〉の戦士職の一つ〈武士〉の緊急防御技だ。その軌跡は受け止めるのではなく、矛を崩し、〈堕ちた天使〉の溜めていた雷撃を不発させる。
だけど、それだけじゃない。その後ろから蔦が巻き付いた槍を片手にまた新たな〈冒険者〉が叫ぶ。
「〈ウィロースピリット〉!!」
途端に〈ファーマーホール〉の唐草が伸びて〈堕ちた天使〉の左右の羽にからみつく。こちらは回復職の一つ〈森呪遣い(ドルイド)〉……持続式の回復技が得意だが、同時に攻撃魔法も扱える。おかげで僕たちは無事地面に降りることができ、体勢を立て直した。同時にかばってくれた鎧武者の〈冒険者〉が僕の前に舞い降りる。
「あんたが『お触り禁止』か!?」
だけどその視線は〈堕ちた天使〉から離れず、僕もそれに習って視線を逸らさず答えた……というか、いきなり『お触り禁止』呼ばわりですか?
「そうだけど……あなたたちは?」
「あ――――!!!! あなたたち露天商でコールに色眼鏡かけていた人たちじゃない!」
でも、その緊張のムードを壊すように反対側にいたノエルがその鎧武者の〈冒険者〉を指さした。途端に鎧武者が露骨に嫌な目をした……会いたくない人に出くわしたと顔に書いてあるぐらいだから相当だろう。
でも、そうか……そういえばそんな事もあったな。あの時は確かコールが勝手に売り物のリンゴを食べていた時で、周りには〈冒険者〉に囲まれていた。あの中の二人がそうなのかもしれない。
「だけどそんな人たちがなぜこんなところに……?」
そう、ノエルに言われるまで気づかなかった……というか気にもしていなかった。それほどまでに僕たちは加勢してくれている彼らと面識はなどなかった。こんな〈ナカスの街〉全体が打撃を受けている状況で偶然すれ違ったと理由はちょっとできすぎている気もするし……。
「そんなの頼まれたからに決まってんだろう! 〈兜割り〉!」
途端に鎧武者が拘束された〈堕ちた天使〉の胴体に斬撃を命中させる。
「頼まれたって誰に!?」
「あぁ、そんなのあの時の『コール』っていうかわい娘ちゃんに決まってんだろ!」
「えっ!?」
僕とノエルは同時にビックリ仰天して一瞬だけ唖然とした。その時〈堕ちた天使〉はもだえるように身体を揺らした。だけど、術をかけている槍使いがしっかり抑え込んで離さない。大した腕前がなければこうはうまくいかないだろう。
「いやぁ、僕らも驚きましたが、誠実な子でしたよ。中心街で僕らをみつけた時、必死に頭を下げて『一緒に戦ってください』って言ってきてさ。他にも中心街で〈冒険者〉一人一人に呼びかけているんだよ」
その予想外の展開に僕は中心街へと目を向けた。その時遠くから悲鳴に似た鳴き声が響き渡る。その方向は中心街、そして明らかにその声は目の前で戦っている〈堕ちた天使〉の声と同一のものだった。
――コールが〈冒険者〉に働きかけている……一緒に戦っているのか?
途端に僕は妙な気分になった。不安なはずなのに、どこかワクワクしている自分がいる。
なんだろうこの気持ち……わからない、だけど中心街で必死に頼み込んでいるコールの姿が手に取るようにわかる。彼女は彼女なりにこの事態をどうにかしようとしているんだ。それがなぜか凄く嬉しくなって僕は拳を握りしめた。
「ってーか、あんなかわい娘ちゃんに頼まれたら嫌とは言えないだろう。男として!」
「やっぱりそれが本心ね!?」
ノエルは色眼鏡を駆ける鎧武者にいきり立っていたが、それでも僕と同じように頬が吊りあがっていた。
その瞬間〈堕ちた天使〉がさすがに伸びた唐草に雷を落として焼きちぎった。刹那、〈堕ちた天使〉が再び空に舞い上がる。逃げるつもりだ。
すぐさま槍使いが再度捕縛しようとするが再起動時間に邪魔されてうまく唐草が伸びない。
「駄目だ。逃げられる!」
槍使いが叫んだその時だった。途端に僕らは緊張感を取り戻して空を仰ぐ……とそこに〈堕ちた天使〉とはまた別に新たな点が飛び込んできた。
「まっかせろー!! 〈タイガーエコーフィスト〉!!」
そして、落下する勢いに任せて自らの拳を〈堕ちた天使〉にぶつけた。〈堕ちた天使〉は悲鳴を上げながら地面に戻される。
と同時にその胴体から女の子が飛び下りた。猫耳に露出度の高い革製の軽装とアクセサリーの尻尾。いかにも虎をイメージさせる服装はステータスを見るまでもなくノエルと同じ〈武闘家〉の職業だと認識させられる。
「虎っ娘キタぁぁぁあ――――!!」
鎧武者が思わず騒いだその時、さすがに〈堕ちた天使〉の苛立ちがピークを過ぎたのか、羽を大きく広げモーションに入る……これは間違いない、先程の範囲攻撃だ。途端に僕たちの頭上に青白い光が瞬いた。刹那、雷が落ちる。
「〈護法の障壁〉」
しかし次の瞬間、鈴の音と共に次々と僕たちの真上に無数の魔法陣が展開。雷が遮られる。
〈護法の障壁〉……回復職の一つ〈神祈官〉の得意とするダメージ遮断の魔法。振り返るとこれまた槍使いの後ろから参入した巫女姿の新たな〈冒険者〉が助けてくれた。
「今度は清純派巫女さんキタぁぁぁあ――――!!!」
鎧武者はもう弾け出さんぐらいに興奮している。そんな彼を槍使いが「うるさいですよ」とたしなめた。すると、どうやら鎧武者と槍使いのように彼女ら同士も知り合いだったらしく。目と目を合わせて会話していた。刹那、虎娘の格好をした女の子が〈堕ちた天使〉に再び己の爪を立て戦闘を始めた。
僕はそんな彼女らに質問する。
「君たちは一体……もしかしてコールに」
だけど、その言葉を切るように巫女姿の〈冒険者〉が手に持っていた鈴を鳴らした。
「もう少しお待ちを。もうすぐ説明がありますから」
「え、それはどういう……」
しかし、次の瞬間、彼女が言ったようにスピーカーのハウリングのようなノイズが〈ナカスの街〉全域を呑み込むように辺り一面に響いた……これは間違いない、召喚生物を使役する職業〈召喚術師〉による魔法だ。
彼らの召喚生物はこのように臨機応変に対応できる側面を持つ。途端に僕たちの耳に遠くから響く声が聞こえた。
『〈ナカス〉にいる〈冒険者〉よ! 僕の名はホネスト、反〈Plant hwyaden〉のリーダーをしている。まずはこのような水を差す方法をとった事、失礼する!』
「ホ、ホネストさん……!?」
耳から聞こえてきた見知った声に僕とノエルは驚いて、ついお互いに顔を見合わせる。まさかまさか、と勝手な想像が膨らむ。
そんな僕たちを傍目にホネストの声は響き渡った。
『突然だが、皆この状況に困惑しているだろう。だが、聞いてほしい。我々はとある少女をみつけ保護した。その少女は〈Plant hwyaden〉より早く……いや〈ナカスの街〉にいる誰よりもいち早くこの事態にどうにかしようと動いた〈大地人〉である』
そして、その想像が的中するかのように僕たちは振り返る……まさか、その少女というのはコールなのか? 巫女姿の〈冒険者〉を目線で問いかけると彼女は静かに頷いた。途端に僕は目を皿のようにして中心街を見つめた。
コールが〈冒険者〉を動かしている……見知らぬ〈冒険者〉だけではなく、ホネストのように大きな力を持った者まで。
だけどサプライズはまだ続く。
『その時、僕は自身の不甲斐なさを思い知った。ここは〈冒険者〉のホームタウン……なのになぜ〈大地人〉が守るために動いて、我々〈冒険者〉が黙っているままなのかと』
瞬間、〈ナカスの街〉にいた〈冒険者〉は誰もが押し黙っただろう。確かにその通りだ……何だかんだ言って〈冒険者〉は自ら動く事を拒絶していたのかもしれない。ホネストも、〈Plant hwyaden〉も、そして僕自身も。
だけど、それももう終わりにしよう――そう言わんばかりにホネストは甲高く叫ぶ。
『そこで決断した。我々、反〈Plant hwyaden〉組織――〈アライアンス第三分室〉はクエストを発注する!! 内容は東方、西方、中心街に出没したレイド級モンスターを掃討!! 指揮は我々が取る!! 尚、それ以外にもモンスターがはびこっている可能性がある。ドロップアイテムを持ち帰った者には報奨金を与えよう!』
直後、〈ナカスの街〉が一瞬の静寂に包まれた。けれど、
『潜伏員含め全加入者、そして〈ナカスの街〉の〈冒険者〉よ! 掃討作戦に入れ……自らの居場所は自らで守るのだ!!』
次の瞬間〈ナカスの街〉は雄叫びをあげた。
「おおォォォォ――――――――――――――――――――――」
それはまるで巨人が目を覚ますように周りを鼓舞させる。遠くにいる僕たちでも動き出した風を感じ取れる程に。近くで戦闘を続けていた鎧武者も刀を振り下ろしながら騒ぎ出す。
「まじかよ! 見た感じあんたらもその……〈アライアンス第三分室〉だろ? 報奨金とかリーダー気前良すぎだな!!」
「当たり前よ。今頃になって怖気づいて〈ギルド会館〉に籠りだす〈Plant hwyaden〉とは格が違うってーの!!」
その後ろから拳を振り上げ返答するのは虎の格好をした〈冒険者〉。そうか彼女らはホネストの仲間……彼の指示でここまで援護しに来たのか。
その一方で巫女姿の〈冒険者〉が念話を起動。何かを報告している。念話相手はおそらくリーダーであるホネストだろう。すると、その予想は当たっていたのか、巫女姿の〈冒険者〉が呟いた。
「――はい。了解しました……セイさん、ノエルさんですね。リーダーからのオーダーです。〈ナインテイルコロシアム〉の真下にあるモンスターマッチング装置を破壊するために力を貸してほしいとのことです。こちらは引き受けますので、どうぞ先へ進んでください」
その時、念話をし続けていた巫女姿の〈冒険者〉が耳に当てていた手を鈴に持ち替えて構える。しかし、僕たちがここから離れたらパーティは四人になる。レイド級モンスターに六人以下で相手するのは厳しいのではないだろうか?
「いいから行けよ。そして、娘っ子たちとのイチャイチャタイムを邪魔するな!」
その時、〈堕ちた天使〉に一太刀浴びせた鎧武者が声をあげた。
「だから、あなたはうるさいですよ……」
途端に槍使いが割り込んできた鎧武者に渇を入れた。だけど、どちらともその瞳の奥には相手を思いやる気持ちが映っている。その槍使いがまた打撃を受けてへたり込んだ〈堕ちた天使〉を〈ウィロースピリット〉で拘束する。
「さぁ! 今のうちに!! ……『コール』さんって子によろしくお伝えください」
その時僕は思い知った。この〈冒険者〉たちは僕たちを支援するように頼まれた……つまり僕たちが先に行かないと彼らの目的は達成されない。〈堕ちた天使〉を倒すことが彼らの目的ではないんだ。
それを理解した時、僕は頭を下げたのち走り出した。同時にノエルも「死ぬんじゃないわよ!」と劇を飛ばして僕の後を追った。そして、僕たちが去った事を確認した後、鎧武者がへっと息づきながら刀を構え直す。
「で、相棒が勝手に一緒に戦ってくれるってことにしたけど良いよな? 虎っ娘さんたち」
「もちろん!」
途端に鎧武者は別人のように己の唇をなめながら、おもちゃで遊ぶ子供のように純粋な笑顔で微笑んだ。
「じゃあ、いっちょ遊びつくすとしようかね!!」
そうして僕は背後を振り返った。しばらくするとその後方で雷撃音と金属音が響きだす。だけどそんな僕の耳を引っ張りながらノエルが僕の顔を無理矢理前へ向かせた……まるでここで引き返したら彼らに失礼だと言いたげに。
でもその通りだ。彼らは彼らの目的を果たしたんだ……だったら僕たちも僕たちの目的を達成しないといけない。コールを探して、
――そして、この騒ぎを止めるんだ!
僕は頷いて顔を上げて唐草を踏みしめた。しかし、そんな僕たちの前に軋んだ音が鳴り響く。この音は聞き覚えがある。〈ナインテイルコロシアム〉で僕たちを襲ったモンスターの姿が脳裏をよぎる……その予想通り唐草を踏み越えた先で僕たちは錆びた歯車を動かして砲台の尻尾を動かすモンスター〈時計仕掛の蠍〉と鉢合わせた。〈時計仕掛の蠍〉が中心街への道端で暴れている。
僕たちは武器を構え直した。だけど、
「〈エンドオブアクト〉!」
突然声が降りかかり、とっさに中心街から〈冒険者〉がまるで僕たちに道をつくるように〈時計仕掛の蠍〉に襲いかかる。
その時、僕は不思議な感覚に見舞われた。ホネストの仲間か、それともコールが懇願した結果なのかはわからない。だけど、それはまるでファンファーレのように〈時計仕掛の蠍〉を光に変え、通り過ぎる僕の心を浮足立たせる。
だけど、それだけじゃない。中心街に入った僕たちを迎えたのは炎に照らされるだけの〈ナカスの街〉ではなかった……屋根や道路に溢れた〈時計仕掛の蠍〉を〈冒険者〉がパーティを組んで対応している。〈大地人〉は逃げ遅れた子供を抱きかかえ、皆を〈ギルド会館〉へ誘導している。
「がんばれよ! 〈冒険者〉の踏ん張りどころだ!!」
「〈大地人〉だろうが関係ない。商人の底力見せてやりな!」
お互いがお互いの事を考えて行動している。それは中心街を呑み込む炎よりも大きく〈ナカスの街〉を照らしている。僕は自分の頬を擦った。
「どうしよう、ノエル……僕おかしいのかな?」
途端にノエルが首を傾げた……されど僕の顔を見た瞬間、優しく微笑んで首を横に振る。
「そんなことはないわ……私もワクワクしている」
ああ、やっぱりそうなのか……僕は自分の胸に手を当てる。
そう、なぜだかわからないが、コールが〈冒険者〉に呼びかけている事を知った時からワクワクが止まらない。ドキドキと胸が高鳴る。目の前の光景に僕はときめく。どんな美術品よりも美しく、どんな景色よりも見る価値がこの中にある。この奇跡のような光景に僕の心ははやりだす。
――僕もこんなふうになりたい。皆がヒーローで、皆で助け合えるこの世界のように!!
僕もこの波に乗らなければ乗り遅れる! そのためにもまずは自分の役割を果たすんだ!
僕は足取り速く大きく一歩を踏み出して駆けだした。すると、僕の頭上から火の粉が降ってくる。真上を見上げると〈堕ちた天使〉の二匹目……中心街に居座っている蛾のモンスターが羽をはためかして横切った。先程いた西方とは違い、中心街の〈堕ちた天使〉の羽は炎をまとっている。
とその時、炎をまとった〈堕ちた天使〉がこちらを向いた。そして、みつかったのが運のつきと言わんばかりにその羽を広げ、無差別に火の玉を作って投げつける。
……ちょうどいい。まずは肩鳴らしだ。僕は踏み出した一歩に力を込め跳びあがった。そして、曲剣を上段に構えて火の玉を真っ二つにする。でも、その先で見えたのはまた新たな火の玉だった。
「あ、ちょっと気持ちはわかるけどはしゃぎすぎ!」
え……ノエルの一言に僕は気が緩んでいたことを認識させられた。空中では身動きが取れない。完全に回避するのは不可能。
途端にノエルが技のモーションに入る。だけどそれだけでも間に合わない。火の玉がもう目の前に……、
「〈オーラセイバー〉!」
しかし、その直後火の玉は二つに割れ蒸気へと昇華されていった。大剣を片手にその熱気から外套をはためかせて全身鎧の青年が現れる。
「ホネストさん!」
僕は叫んだ。だけどホネストは答えずそのまま同時に地面に着地したのち、手を上げた。同時に両脇の屋根から複数の〈冒険者〉が身を乗り出す。
「第三、第四パーティ! 砲撃用意!」
途端に彼らはまるでホネストの手足のように指示に従って魔法陣を展開。そして、
「討て!!」
合図とともに彼らの掌から魔法が討ち放たれる。火、氷、雷……それはまるで花火のように色とりどりに彩り、〈堕ちた天使〉に着弾して散り始める。同時に〈堕ちた天使〉は悲鳴を上げた。
凄い……その一言に集約できるほど統率が取れた戦い方を見せられて僕は呆然とする。これが本当のホネストの戦い方……ワクワクしていても冷静さを忘れちゃいけないんだ。
「少しは頭が冷えましたか?」
しかし、少し上から目線で言われた事にはイラッとした……って、ノエルは僕の後ろで腹を抱えて笑わないでくれるかな? 必死に笑いを抑えようとしても聞こえるから。
だけどそんなホネストが先へと走り出した事で僕とノエルも気を取り直すようにその後についていって〈堕ちた天使〉の真下を通った。そんなホネストに僕は問う。
「あ、あの、ホネストさんは残らなくていいんですか? あそこの指揮をされていたんですよね」
振り返ると、未だ〈堕ちた天使〉への砲撃は行われている。だが、いつ〈堕ちた天使〉が反撃してくるかわからない。そんな時にホネストは小さく微笑んで笑う……もしかして、まだはしゃいでいた事を根に持っているのか?
だけどホネストは首を横に振った。
「いえ、同じことを言われるんだなと思っただけですよ。それに大丈夫です――ここでの仕事は終わりましたから」
刹那、後方で地響きがした……まるで何かが倒れるような音。まさかと思って視線を向けると〈堕ちた天使〉は広げた羽をまき散らし、毟られた蛾のように身体を地面に落下させた。途端にその身が光と変わる。
まさか僕たちが来る時間に合わせてちょうど先程の砲撃が放てるように闘っていたのか……僕はその光景を見た時、改めてホネストの偉大さに驚かされた。
――これがチームを率いるリーダーなんだ。
なに不自由なくパーティの指揮を執る……それは最初から仲間の信頼を勝ち得ている証拠でもあった。そんなホネストの背中は今までで一番でっかく見える。
「やっぱり只者じゃないね」
ノエルが静かに呟いた。その言葉に僕は頷く。きっと背負っているものが大きいんだ。様々な経験をして、仲間と一緒に困難を乗り越えて……そういう重石が逆に彼を強くしている。それだけにあの強さを僕は手に入れられない。背負っているものが持たない僕には……。
やはり〈ナインテイルコロシアム〉での優勝は譲ってもらったものだ。だけど、やっぱり強い人と戦うのはいいものだと思う。もっと自分を高みへ押しやってくれるから、目標を与えてくれるから……たとえホネストの背中に今は手が届かなくても、いつか僕も強く……。
「セイさん!! ノエルさん!!」
その時、聞き覚えのある声に僕は顔を上げた。すると妖精を肩に乗せた〈冒険者〉に守られるようにしてコールが西方への道の端に立っている。途端にホネストは足を止めた。
「疾風、西方面の状況は……」
その声は僕の耳には、ささやかな願いが込められているように聞こえた。どうやらコールを守っている『疾風』という〈冒険者〉はホネストの側近らしい。肩に妖精を乗せている事からも〈召喚師〉であるのは明白だ。
だけど僕の意識はやがて他へと回ってしまう。その側近の背から身を乗り出すようにコールが僕たちに駆け寄ったからだ。
よかった……無事なのはわかっていたが、それでも姿をみれたことに、そこにいてくれたことにこみあげるものがある。
「勝手に出て行ってごめんなさい」
それはコールも同じだったらしい……目がうるんで今にも泣きそうだ。
「いいんだ。無事ならそれで」
僕に優しく微笑んだ。だけど、瞼を擦って涙を拭きとると、僕たちに頭を下げた……まるで改めてお願いするように。
「いえ、きちんと謝ります。でも今は……今はきちんと謝るために私に力を貸してください! お願いします!」
「……」
その一瞬、僕は呆然として数回瞬きをした。だけどすぐに僕はくすくすと笑う。
コールはおろおろと慌てた……僕が嘲笑っているかとおもっているかのように。
そんなコールの頭にノエルが軽く拳骨を入れる。「痛っ」と呟くコールは何が起きたのかわかっていないように首を傾げた。ノエルが「はー」とため息を吐く。
「……コールは私たちの仲間なんだから『力を貸してください』は違うでしょ」
「え?」
「うん。ここは『一緒に戦ってください』だね」
すると、最初は言葉の意味を理解できなくて首を傾げていたコールも、次第にその意味を理解して再び目頭に涙を浮かばせた。
「……一緒にいていいんですか。こんな私なのに」
僕は頷いた……もちろんコールが一緒にいたければだが。けれど、それを伝えるとコールは首を首を縦に振って涙を流した。
自分も一緒にいたい……その想いを受け止めるようにノエルがコールの背中を擦る。その時、僕の中で何かが煌めいて姿を見せた。
そうか、今わかった。〈ナカスの街〉が襲われているのにずっとワクワクが止まらなかったのは仲間がいるからなんだ。背負っているものがあるから、強くだってなれるし、絶望なんてしない。
だったら背負おう……これから起こる全てを、『冒険』を。
そんな時、場をしきるようにホネストはパンパンと手を叩いた。側近と話し終えたらしいホネストが僕たちに向けて語りかけてきたのだ。
「感動の場面に水をさすようで申し訳ありませんが、少し『お触り禁止』をお借りしますよ」
そして、少し焦り気味で呟く。
「少々、西方が騒がしいようです」
その瞬間、西方から〈堕ちた天使〉の嘶きが響き渡った。
◇
西方の構造自体は中心街と同じ木目調を基本にした廃墟だ。その主な施設は〈ナインテイルコロシアム〉だが、他にも生産をメインとしてやっている〈冒険者〉が店が入り乱れた〈刀匠通り〉がある。その迷いやすい道を僕とノエルはホネストの先導によってまっすぐ前へと進む。
その間に僕はアイテムを手に取って目をやった。
――ごめんなさい。今は物資が足りなくてこんなものしか作れません。
そう言って別れる前にコールが渡してくれたのは〈結界の宝珠〉。これが何を意味しているのか、僕簡単に想像がつく。
――あの家で待ってます!
コールは最後にそう締めくくった。それがコールの願い……『コールはこの後どうしたい?』という僕の質問の答え。
僕は頭を掻いてにやついた。と同時にノエルがそれをみつめながら目を細めた。
「セイがきもい顔してる」
瞬間、僕はすっ転びそうになった……な、なぜそうなる!? 僕はただコールが自ら仲間になることを選んでくれた事が嬉しいだけなのに。だけどノエルはそれでもからかうように僕を罵った。
「……」
そんな僕たちを見てホネストが不自然にメガネをかけ直す。まるでこれからやろうとすることに逸らすように。
僕は首を傾げた。だけどその時、唐突にパリンと踏み込んだ先で地面にひびが入る。これはまさか……、
「移動阻害……地面が凍結している!?」
途端にホネストは頷いた。
「先程、第一、第二パーティから報告を受けました。西方の〈堕ちた天使〉は冷気属性の魔法を使うそうです……さて、準備はいいですか?」
すると、ホネストは突然立ち止まってその手に抱えた大剣を両手で構え直す。
そこは〈刀匠通り〉を抜けた大通り。〈ナインテイルコロシアム〉は目の前。けれど、そこでは西方にいた数人の〈冒険者〉が冷気をまとった〈堕ちた天使〉と対峙していた。
「戦況を報告!」
途端にホネストは僕たちと離れて後衛に指示を出す。とたんに〈召喚術師〉と思わしきローブを着た〈冒険者〉が叫び声をあげた。
「HP残り二割! ただし強力な移動阻害が発動! それにより攻撃が思うように当たりません!」
その時、〈落ちた天使〉が冷気をまとった羽をはためかした。その瞬間、白い氷の霧が風に乗って襲ってくる。
「来ました! 広範囲攻撃、〈白夜〉です……うわっ!!」
同時に後衛にいたはずの靴が凍りついて地面に張り付いた。これが移動阻害……自身の周り、もしくは一部の床を通常移動できなくする技。そして、移動できなくすれば隙ができる。
その瞬間、〈堕ちた天使〉が動けなくなった後衛に突進をしかけ、割れた氷の粒と一緒に一瞬で戦線が崩れる。前線にいた〈冒険者〉がすぐさまバックアップにまわるが、それでも壊れた戦線を戻すのには時間がいるだろう。攻撃が当たらないとはこういう事か。
だけど〈堕ちた天使〉の攻撃はまだ鳴り止まないらしい。今度はその散った氷の粒が固まって大きな氷柱を作りだす。その範囲には二十メートル圏内にいた僕たちも混じっていた。
「やばい。巻き込まれるぞ! 全員退避!!」
ホネストが慌てて叫ぶ。と同時に周辺にいた全員が急いでその場を離脱した。途端に氷柱が矢のごとく飛んでくる……言うなれば〈無慈悲に貫く氷の矢〉だろうか。一発でも当たればただではすまなさそうだ。たとえそうじゃなくても、
「これは再起動時間に戦線を立てなおすだけで精一杯だわ」
そう、ノエルが言った通り戦線は崩壊していてすぐさま攻撃に移れる余裕などない。これは、そうしてジリ貧になったところを叩くのが目的の戦い方だ。
でもだからといって、じっと待ってくれるわけでもない。〈堕ちた天使〉はその間にも突進を仕掛けてくる。とっさに後衛は退避、前衛が必死に前へ出る。
――なるほど。だから僕が呼ばれたのか。
「〈モビリティアタック〉」
その瞬間、僕は自分の役割に気づいて前に跳び出した。同時にコールからもらった〈結界の宝珠〉を使う。
その時、ノエルが前に出過ぎた僕を諌めるようとした。だけどその肩をホネストが掴んだ……どうやら僕の予想は正解らしい。
つまりは食い止めること。戦線が再構築されるまで一人で〈堕ちた天使〉の遊び相手になること。そして、何より一番重要なのは、
「敵を引き離す事!」
刹那、僕は上段に構えた曲剣を振り下ろした。
◇
「そんなセイを囮にするなんて危険すぎる!!」
私はそんなセイの背中を見ながらホネストに抗議をする。そのホネストは先程から戦線に指示し、速やかに部隊の再編、構築を行っていた。
「ノエルさんでしたか……先程説明したはずです。まずは戦線を復旧させるのが第一」
そんなことはわかっている。だけど相手は『レイド級』なのだ。さすがのセイでも一人では死にに行くようなものだ。そんなの絶対に許さない。
ここは東の〈アキバ〉ではない。最南端の〈ナカス〉……〈Plant hwyaden〉に占領された街なのだ。死んでしまえば〈大神殿〉で復活することができない『黄泉送り』にされてしまう。そうなるとも知れずにセイは今も〈堕ちた天使〉に挑みかかっている。
「そうだ。一度引けばいいんですよ!! また最初からやり直しになるかもしれないけどここで死ぬよりもいいはずです」
しかし、ホネストは首を横に振った。そして、いきり立つ私を見越して後方へ視線を向ける。そこにあるのは〈刀匠通り〉……入り乱れた通路。そうして私はやっとセイが黙ったままホネストの言うとおりにしているのか理解した。
敵は移動阻害を基準に戦線をかき乱すタイプのモンスター……それも飛行状態というアザーステータス付きだ。そんな相手を倒すには一にも、二にも、移動阻害をかわせるスペースと周りを見渡せるほどの遮蔽物のない空間が必要だ。
一方で〈刀匠通り〉のような入り組んだ道は最悪と言ってもいい。道幅が狭いから移動阻害はかわせないと考えていいし、建物が倒す相手を隠して攻撃するタイミングも少なくなるだろう。加えて必ず正面からの攻撃になってしまう。もちろん相手にはばれて防がれもするだろう。そうなれば被害は今よりも酷くなるはずだ。だから『止めるもの』がいるのだ。
その意味ではセイとセイの持っている武器〈迅速豪剣〉は最も適したと言える。〈迅速豪剣〉が少しでも当たれば『強制移動』が発動し、〈堕ちた天使〉は後退する。セイの得意とする〈シャドウバインド〉を使えば攻撃が当たらない事はない。
「でもだからって……!!」
「いい加減にしなさい」
その時、ホネストが怒声を浴びせる。そして、誰にも聞こえないように呟いた。
「〈六傾姫〉の話は聞きました……」
その言葉で何もかもを理解する。コールがホネストの協力を得るために今回の顛末の全てを聞いた事を。
「……感情的になっても勝てないのは中心街の彼を見て理解したでしょう。僕らの目的は〈堕ちた天使〉を打倒することではない。この騒ぎを止めるには〈ナインテイルコロシアム〉の下層にあるモンスターマッチング装置を破壊しなくてはならない」
その言葉に私は息を詰まらせた。確かにそうだ……戦闘では冷静に状況を分析してその場に適した戦法を取るのがセオリー。
たとえばここで戦線を引けば、戦況は悪くなるし、さらにモンスターマッチング装置から新たなモンスターを召喚される。それでは今まで〈ナカス〉の〈冒険者〉の苦労が水の泡になる。それに加え士気も低下するだろう。ここはあくまでも引くわけにはいかない。
――だけどなんだろう……この気持ち悪さは。
何だかんだ言って、それが一番いい事だってわかっていても、結局流される……それはいいことなのか?
コロン。
その時、私が着用している〈常夜のコート〉から何かが転がる音がした。鎧の裏に手を突っ込んでそれを取り出す。
「あ……」
私は声をあげた――手の内にあるのは〈強撃の小瓶〉。私たちが西方に行く前にコールがくれたアイテム。
――ノエルさんにはこれを……きっとセイさんは無茶をしますから。
あの時コールは私にそう言って送りだした。途端に私はそれを握りしめた。
まいった……これにはまいった。悔しいけど、やっぱりあの子は……コールはすごい。まるで私に道を示してくれるようにコールの考えていることは、私の予想を越えて行く。
「そうだよね……要は、倒せば、いいんだ」
私は〈強撃の小瓶〉を手に踵を返した。途端にホネストが私の行動に気づいて、その声を怒声に変えた。
「やめなさい! せめて被害は最小限に……」
「お断りします!!」
だけど私はその言葉を断ち切った。そして、にっこりほほ笑んで振り返った。
ホネストの配慮はわかる。おそらくホネストもどこかでこうならないように願っていただろう。また、こうなってしまった以上は被害は最小限にとどめようと必死に感情を堪えているのだ。けれど、
「やっぱり私はセイの幼馴染でいたいので失礼します!」
そして、私は煙に巻くように移動した。無鉄砲で、恐れ知らずの腐れ縁の下へ。
◇
その時、僕は〈堕ちた天使〉に〈シャドウバインド〉を仕掛け、自慢の〈迅速豪剣〉による『強制移動』をお見舞いする。途端に〈堕ちた天使〉は、これはたまらない、と言わんばかりに後方一メートルに後退した。
――よし。これでかなりの距離を取り戻せた。
〈堕ちた天使〉はこれで二十メートルは後方に下がった事になる。ここまでくれば最後方にいるノエルたちには被害は及ばないだろう。これで一応僕の役目は果たせただろう。
――さて、問題はここからどうするかだ。
きっとホネストは間違ってはいない。正直、準備する時間があったのならばどうなのかとも思うが、今回に至ってはそうではなかった。誰かを囮にしなければ勝てない相手であればそうする方が良いし、復活できない〈ナカスの街〉では被害を少なくすることはとても大事な事だ。
だけど、だからと言って僕はここで『黄泉送り』にされるつもりはない。コールが僕たちのギルドホームで待っていてくれるのだ。だったら、帰らなければならない……プリエの二の舞にするわけにはいかないのだ。
だけど、その時〈堕ちた天使〉冷気を帯びた天使の羽をはばたかせて〈白夜〉を発動させた。やばい、攻撃を仕掛けた事で今は敵に近づきすぎている……すぐに〈シャドウバインド〉で隙を作らないと。
とその時、僕の手が止まった。〈シャドウバインド〉が発動しない。ステータスを呼び出すと再起動時間がカウントしている……あと一秒。
駄目だ、間に合わない。途端に〈堕ちた天使〉の冷気は辺りに吹ぶき、〈白夜〉は僕の足を捕まえて凍らせる。
しまった……僕は何とか足を動かす。だけど同時に〈堕ちた天使〉が身体を傾けた。突進を仕掛けてくる。
刹那、冷気とは違う寒さを僕は全身に受けた……死ぬのか。黄泉送りにされるのか。
――僕は……ここで終わる?
「……まったくこれだからセイは詰めが甘いのよね!」
されど次の瞬間、なじみの深い声が響く。
すると、いきなり僕の横からノエルが煙にまみれて現れた。と同時に僕を抱えて、迫りくる〈堕ちた天使〉を寸前でかわすように消えた。〈ファントムステップ〉……移動阻害を受けない即時移動の技を使ったのか!
そして、ノエルは突進を終えた〈堕ちた天使〉から少し離れた場所に降り立った。
「ノエル、どうして来ちゃったんだよ!? ふぎゃ!?」
途端にノエルは僕を乱暴に落とした……おかげで僕は顎を地面に打った。
「何よ! 助けてあげたのにそんなこと言うわけ?」
いや、確かに助かったのは嬉しいけど、今は絶望的な戦況なのだ。ノエルも巻き添えにするには……。
「まぁ、いいや。代わりにこれあげる」
するとノエルは片手に持っていた物をこちらに投げてきた。僕は慌ててそれをキャッチする。そして、それを見た時、言葉を失った。
最悪の状況に絶望したわけではない……むしろその逆。彼女がしようとしていること、そして、それが生き残る上で唯一の手段であることを察した……なんといっても前に一回同じことをしたのだ。
「一割は削るから、もう一割はよろしく!」
途端にノエルは即時移動が可能な〈エアリアルレイプ〉で移動する。両手には〈クナイ・朱雀〉を構え、〈堕ちた天使〉へ怒涛の連撃を仕掛けはじめた。〈堕ちた天使〉は防ごうにもノエルのスピードについてこれない。
確かにノエルの職業〈武闘家〉は移動技が多く、動き回り敵を翻弄する……〈堕ちた天使〉には相性が良い。だからと言って、
「まったく……まだ二割もあるっていうのに何を考えているんだか……」
僕はにやつきながら腰を落とした。もらったものの封を開け、それを曲剣にかける。刹那、曲剣が仄かに光り出し希望を照らした。
――ああ……もう。わかったよ……倒せばいいんだろう!!!
「いけっぇぇぇぇ!! 〈ターニングスワロー〉!!」
それを見てノエルが〈クナイ・朱雀〉をありったけ放つ。同時に僕は剣を下段に構えて走り出す。
〈モビリティアタック〉……ありったけの力を、出せるだけの力を絞り出し、同時に〈シャドウバインド〉で〈堕ちた天使〉を逃がさないように縛りあげる。
そして、その時、〈迅速豪剣〉が輝きを発する。コールが作った〈強撃の小瓶〉が僕の背中を押している。途端に足が軽くなった。曲剣が手に馴染む
「セイ! 今よ!!」
ノエルに言われるまでもない。僕は曲剣を寝かせ、自身に溜めていたエネルギーを一気に爆発させ跳びあがった。
「〈アサシネイト〉!!」
全ての力をこの一撃に。〈堕ちた天使〉の胴体へ打ちおろす。
刃は今までの戦いの中で一番に冴えわたり、この身はまるで刃のごとく、自分さえも切り伏せるように……体感さえも超えて最悪な未来を切り捨てる!!
「―――――――――――――――っ!」
途端に〈堕ちた天使〉が悲鳴を上げた。だけどそのHPゲージは【0】にならない。その数センチ前で止まっている。
「そんな!?」
「これでも駄目なのか!?」
途端に〈迅速豪剣〉の光が途切れた。刹那、〈堕ちた天使〉が勝ち誇るように身体を起こす。その羽では冷気の氷柱が刻一刻と氷結されていく。僕もノエルももう逃げる余裕はない……〈堕ちた天使〉が嘲笑う。
「〈オーラセイバー〉!」
けれど次の瞬間、煌めきが〈堕ちた天使〉の横腹を押し出した。視線を向けるとホネストが、一人大剣を抱えて飛び出している。
僕は息を飲んだ。部隊のリーダーであるホネストがそれを放って、ただ助けに来てくれた。その彼が目で訴えかけてくる。
僕は頬を吊り上げた。
――まったくどいつもこいつもバカばっかりだ。
されど、僕はそんな者たちを誇りに思う。そして、その一人でいれる事を嬉しく想う。
僕は頷いて、再び曲剣を構えた。
2018年5月4日の深夜ちょうどきっかりに〈大災害〉は起きた。だけど、九か月を経て僕は想う。この世界に呼ばれて良かった、と――この世界はワクワクに満ちている!!
「〈アクセルファング〉!!」
その時、刃が閃光を受けてキラリと光る。
――刹那、〈堕ちた天使〉の羽は夜明けの空に舞い上がって消えた。