第三章 2 ミスハという《大地人》
セイこと僕は急いで入り口方面に走る。すると、その手前で誰かが僕の手を取って引っ張った。あまりの勢いで緑色の髪と桜色の羽衣が揺れる。そう、僕を引っ張ったのは他でもないミコトだった。
ミコトはそのまま流民のテントの陰に隠れる。そこにはユキヒコもいて、同じように隠れていた。
だがその表情は険しい。とてもふざけられる雰囲気ではない。
「何があった?」
「わかりません。でも少なくともいい話ではなさそうですね」
ミコトは淡々と述べると入口方面に視線を向けた。
僕は釣られて顔を出す。すると、そこには今来たであろう貴族と流民の長であるゲイルが対面していた……つまり事態はまだ動いていないということだろうか。
視界の中には武装した兵士がざっと二十人はいる。そんな兵士を連れてきたのは貴金属を身につけた貴族。高級そうだが、あまり着飾っていない分、好感が持てる人物だった……少なくとも《アキヅキの街》で出会ったマルヴェス卿より百倍良い。
だが、高いところが好きらしいと言う点は最悪だった。周りが頭を垂れている中、馬に跨いでやってきた貴族は見下すようにゲイルに視線を向ける。そして、まるでゴミを見ているかのように勧告……いや、命令を下した。
「これから、この場を検める。反論は受け付けない」
え……ゲイルは目を丸くする。それというのも連れてきた兵士が突然、傍若無人な振る舞いをし始めたのだ。
勝手にテントの中に入るや、置いてあったタオルケットを粉砕する。外に置いてあった食材などはひっくり返す。挙げ句の果てには住民に刃を向け脅しはじめた。その行為を目の当たりにした僕は一気に血を上られる。
だけどその時、ミコトが首根っこを掴んで、さらにテントの陰深くに引っ張り込んだ。その手前を兵士が通り過ぎていく……。
瞬間、僕はミコトと目が合った。だけど、ミコトは騒ぎもせず、ただ静かに黙ったままで振り返る。冷静沈着……そういえば聞こえは良いが、その姿勢はまるで足が前に出るのを必死に我慢して考えているかのようだった。
――そう、平気な人なんて誰もいない……。
当たり前の事だが、すぐ忘れてしまう。そんな僕の肩をユキヒコが擦って励ましてくれる……本当に僕にはもったいないぐらいの仲間である。
そんな頼もしい仲間の一人であるミコトが直後、『やばい状況になるかもしれない」と言わんばかりに苦虫をかみつぶした表情になった。僕はどういうことか気になって振り向く。
するとミコトは、説明するより、これから起きるであろう事を見た方が速い、と道を空ける。僕は静かに視線を泳がせた……そこでゲイルは我慢の限界と言わんばかりに貴族に詰め寄った。
「これはいったいどういうことですかな!?」
だけど貴族はその声に応えなかった。『反論は受け付けない』という言葉に二言はないらしい。
けれど、ゲイルは諦めない……いや、怒りに収拾がつかないと言った方が適切かもしれない。今にも掴みかかってきそうな勢いで前に出る。その光景を眺めていた貴族は眉間にしわを寄せて汚らわしく視線を向けた。
「貴族の方々といえどこんな横暴まかり通るはずがない! 我らが何をしたというのです!!」
「……黙らせろ」
貴族はその訴えをも無視し、兵士の一人に指示する。途端にゲイルは取り押さえられ膝を地面につかされた。そして、
「これだから下賤の者は嫌なのだ……隙があればすぐたかってくる。忘れたとは言わせないぞ、『ミスハ』の事」
ミスハという名前が出た瞬間、ゲイルは凍り付いた。顔を俯かせて歯を食いしばる。それはまるで立場が逆転したかのよう……貴族はゲイルに向けて肩の埃を払い、嫌みのごとく口を開く。その口から発せられた言葉は思いがけないものだった。
「ミスハ……今では『ミズファ=トゥルーデ』と名乗っているそうだが、よくもまぁ《Plant hwyaden》に入れたものよ。同じ下賤の者同士、鼻が高かろう」
その言葉に僕は冷や汗を掻いた。なぜならその『ミズファ=トゥルーデ』は《大地人》でありながら《Plant hwyaden》に入り《冒険者》と渡り合っているということになる。そんなこの世界《セルデシア》での常識外れがあって良いのだろうか?
だけど、ミコトは現実を突きつけるかのごとく補足する。
「ミズファ=トゥルーデ……《十席会議》の第四席、幹部の一人ですね。《戦将軍》とも言われているほど狡猾で恐ろしい女性です」
「幹部……!? 《大地人》なのにか?」
ただでさえ《冒険者》は化け物揃いなのに、それに追いついてくる《大地人》が出始めているというのか……信じられない。
だが、ミコトは念押しする。それも《大地人》なのにレベルが高く、『英雄』とも呼ばれる《大地人》の高レベル者……《古来種》の一員でもないらしい。その証拠に『ミスハ』を知っていたのか、ゲイルは顔をしかめた。ゲイルだけではなく流民全体が声を失う。特に年老いた方……初老の《大地人》は酷く顔を真っ青にして視線をそらした。
それもそのはずで、
「……さすが、子爵から有り金すべて持って行っただけのことはある!」
大げさに両手を広げて貴族は目の前のゲイル……いや、流民全員を罵るために『ミスハ』と呼ばれる廃棄児の話を高らかに語ってみせた。
それは一言で言えば『恩を仇で返す』という言葉がふさわしい、聞くに堪えないものだった……途端に僕は顔を真っ青にする。
正直、ミスハという廃棄児の少女が何を考えていたか僕にはわからない。彼女はスラムで生活していたらしいが、そこで奴隷になりそうなところを貴族に助けてもらったという。だというのに、家族との衝突が絶えなくなって、家が取りつぶされそうになった途端、家財を奪って姿をくらました。
結局、ミスハを助けたという貴族……ロング子爵がどうなったまでは言わなかったが、養父となった者は心労で倒れ、兄となった者は投獄ののち流刑となっている。とても貴族として機能しているとは思えない……。
その全てがミスハのせいと言うわけではないが、それでもロング子爵は手酷い『裏切り』にあったわけだ。それだけでも彼女が慈悲とはかけ離れている存在だとわかる。そして、その事実が本当なら、同じ貧困層で暮らしている者に影響されないわけがない。最初から無に等しい信用は地の底にまで落ち、流民を始めとする《キョウの都》の貧しい者は中傷を受けることになるのは必然だった。流民もそんなことがあったのに図々しく『助けてくれ』と言えなくなった。
――『わかっていない』
僕は昨夜、テントの中でゲイルが呟いた事を思い出す。あの時は概要図を盗んだリックの許しを請うために嘯いたと思ったのだが、その実態は『助けて』とあげたくてもあげられないゲイルの悲痛の叫びだったのかもしれない。
だというのに、今現在、馬に跨がって被害者ぶっている貴族は自分の行いを棚に上げて公言する……「今朝方、ナインテイル九商家の方々が屋敷から姿を消したのも貴様らのせいだろう」と。
「ん……? 『九商家が姿を消した』?」
僕は思いがけない言葉に声を出す。途端にミコトとユキヒコが一斉に僕の口を押さえた。運が良いことにその声は風に消えていったが、その合間に聞こえる声に僕は絶句する。
「目撃者によると主犯格は貧相な格好をした少年だという」
《キョウの都》では貧相な服装の方が目立つ……ダリエラが言っていた留意点が重なってくる。まず間違いなく流民で、その少年というとある人物の情景が横切っていた。
――リック。
ゲイルも同じ考えだったのか、リックを思い浮かべて冷や汗を掻いていた。
それからはじっと我慢……きっとこの場でリックの名前を出すのはいらぬ騒動を生むのではないかと危惧したのだろう。テントに刃が刺さろうが、荷車が壊されようが瞼を降ろした。
だが、その危惧は流民の未来を考えているゲイルだからこそできたことだった。普通の……流民のテントで過ごしている住民にはそんな考えは思いつかなかったらしい。
「……そういえばリックはどこ?」
肩身を狭くした流民の子供がぼそっと口を滑らす。その言葉は独り言程度のものだった……だが、起爆剤のように連鎖的に広がっていく。
リックはどこだ、リックは昨日の夜から帰ってきてない……一人の声は小さくても、小さい言葉が重なれば大きくなる。ゲイルが振り返る間もなく、それは貴族の耳に入り……そして、爆発する。
「リックという者を出せ」
ゲイルは顔を真っ青にして立ち止まる。リックを売れ……つまりはそう言われたのだ。
それも、ここで言わなければ何をされるかわからない。流民を人質にされたようなものだった。そんな危機的状況で瞬時に物事を判断できる人間はそういない。それがミコトの予想した状況だった。
しかも、状況が好転することもない。貴族は対応に困っているゲイルを『庇っている』と判断した。兵士の一人を呼び寄せ、剣を奪い、ゲイルの額に切っ先を向ける。
「早くしなければ無理にでも聞き出すしかないな」
あくまで語りかけるように……けれど、威圧感は最大限に剣に乗せる。僕はユキヒコとミコトの手を無理矢理ほどいて立ち上がった。瞬時にミコトが声をかける。
「待ちなさい……!? まさか」
「うん。ゲイルを助ける」
あなたはまた……ミコトが頭をかきむしるように抱える。だが、それ以上は口を挟まなかった。ミコトもわかっているのだろう。流民という陰がなくなれば自分たちがみつかるのも時間の問題だと言うことを。
途端にミコトがぐうの音も出ないと言わんばかりの表情をした。それが返事の答えだった。開き直ったようにため息を吐きながら問いただす。
「……秘策はあるのですね?」
「秘策というほど秘策じゃないけど」
僕は口端をつり上げる。『いい加減に事を起こさないと、すべて台無しになりますよ』……ダリエラが一体何者なのかは知らないが、きっと『動き出すなら今だ』と教えてもらった気がする。
――だったら、いっそのこと全部終わらそう。
いろいろな事を知った……だけど、僕は強く掌を握る。《アキヅキの街》で起きたことを思い出す。そう、僕はヒーローでも英雄でもないのだから、この街の異常さと歪みに付き合う気はない……。
さぁ、冒険の始まりだ……僕はここ数日間で考えていたことをミコトとユキヒコに話す。ただ一瞬だけ、この表情をドヤ顔というのだろうかと僕は苦虫をかみつぶしたのだった。
◇
そして、数分後。僕は大声で叫んだ。
「あーはっはっは。貴族だからと警戒していたがやはり《大地人》は《大地人》だったかー」
場所は流民キャンプの天井……テントの張りに足をかけバランスをとる。おそらく《冒険者》でなければ、こんな曲芸めいた行動などとれなかっただろう……入り口方面では尚も、貴族がゲイルに剣を向け続けている最中だった。
そんな中、突然現れた《冒険者》だ。貴族は開いた口が塞がらない様子で見上げた。
「な、何者だ!!」
うん、お決まりの台詞ありがとう……というか、本当に言っている人を見たのは初めてかも知れない。時代劇とかで悪役がよく言う言葉だが、実際見ると感無量だ。
すると反対側からミコトたちが小声で怒鳴る。と、そうだった、感心している場合でなかった……それというのも僕はミコトにある作戦を提案したのだ。その名も『目には目を。誤解には誤解を』作戦を。
僕は大きく息を吸い、続けざまに言い放つ。
「ただの《大地人》……その中でも乏しい流民がそんな大それたことができるわけがなかろう! あー、かくも可笑しいものだな。君たちは知能まで低いのかー」
大声で、なおかつ棒読みだったのだが、僕はテントの上から見下ろすように叫んだ。目の前の貴族を見習って真似してみたのだが、きちんと偉そうにみえるだろうか?
すると効果があったのか、貴族が表情をひきつらせた。
おー、よしよし。作戦通り……僕は頷く。そう、つまりは僕はこれから『悪役』を演じるのである。
言い換えるのならば、流民にかけられている嫌疑を肩代わりするのだ。そうすれば現状、流民に矛先が向けられることもない……流民の皆が避難できる時間ができるという寸法だ。
その代わりに僕は正体がばれて、《キョウの都》を逃げ回る羽目になる……だが、《大地人》相手ならば、まず《冒険者》が捕まることはないだろう。あとは上手く悪役に嵌まるか……言い換えれば貴族たちのヘイトを掴みきれるかだけが問題だった。
「貴様たち《Plant hwyaden》ではないな!!」
とその時、貴族が剣の切っ先をこちらに向けてきた。良い感じに怒りを買っているらしい。
よし……僕はそれに追い打ちをかけるかのように貴族の前に飛び降りた。「とう!」とあえてご丁寧に効果音も口ずさんでみる。もちろんこれは日頃ふざけて怒られているナガレを真似てみたものだ。
すると意外にもこの効果音が貴族の感に障ったらしい。これ見よがしに青筋を浮かべて顔を険しくした。
さすがナガレ……この場にいないにも関わらず戦士職の仕事である挑発をやってのけるとは、日頃の行いの賜である。
途端にどこからか『おい、皮肉ってるだろう』と幻聴が聞こえたが、無視しておくとしよう……僕はその切れかけている貴族に向けて名乗る。
「僕はレジスタント組織『アライアンス第三分室』! 《Plant hwyaden》に鉄槌を下す者だ!!」
そして、少し申し訳ないのだが、何の罪もない馬の横っ腹を思いっきり叩いた。直後、暴れ出した馬は跨いでいた貴族を放り投げいずこかへと走り去る。それで完全に貴族の頭に血が上った。
地に足をつけられた貴族は土で汚れた服を見て、一気に顔を真っ赤にさせて喚きだした。
「つ、捕まえろ!! 捕まえて、もう一度突き出せ!!」
直後、兵士が皆、武器を片手に周辺を取り囲む……だけど、そんなのは《冒険者》から見れば簡単に飛び越えられるものだった。僕は大きく踏み込んでジャンプする。これで作戦は成功。貴族たちは必死についてくる。
そして、僕は大きく手を振ってその場を後にする。その後ろ姿を滑稽に眺めながら、テントの陰からミコトとユキヒコが出てきた。
「……貴族の知能が低くてよかった」
「ナガレもそうだけど、セイさんもセイさんですね……」
多少侮辱されている嫌いはするが、聞こえなかったので水に流すことにする。
そんな事よりもミコトはため息交じりにユキヒコに聞いた。
「しかし、ユキヒコさん。例のものはすぐにできるんですか?」
「……ああ、はい。さすがに少し時間はいただきますが」
そうユキヒコが言うとミコトは「へー」と純粋に驚く。そして、それを思いついた僕にも呆れるほど感心した。
「よくもまぁ、思いつくというか。悪巧みが上手いというか」
ミコトはにやりと微笑む。その後、二人でひそひそ相談しながら、ミコトは避難誘導へ、ユキヒコは『下準備』をするために走り出した。
その最中でミコトの笑顔を思い出しながら、『あのドヤ顔。ミコトさんも大分セイさんに影響されましたね』とユキヒコが思い出し笑いしている事は誰も知らないままだった。