第二章 3 コールルート
その頃、セイさんたちと別れたコールこと私は、《サニルーフ山脈》を南下して激戦区を離れていた。今は《キョウの都》より《麗港シクシエール》の方が近いだろう。そして、不思議なことに《Plant hwyaden》の本拠地である《神聖皇国ウェストランデ》内ではあるものの、都市部から離れれば離れるほど警戒が緩やかだった。
だから私は今、作業をしている。山脈の西側で、切り立った崖の隙間にできた洞窟に隠れながら私にできることをやっている。つまりはアイテムを作る事。回復用の水薬から攻撃用の巻物まで、できるだけ多く作っておくこと……そして、
「ただいま……罠、設置してきたよ」
そう、セイさんに頼まれた逃げ道を作ることだった。
見上げれば虎柄の猫耳をつけた仲間……ウルルカさんが両手いっぱいに縄やら網を抱えている。私が作った罠を設置してくれたのだろう。
だけど、私とウルルカさんの関係はぎくしゃくしていた。
「おかえりなさい、ウルルカさん」
私は帰ってきたウルルカさんを迎え入れながら声を張り上げる。けれど、ウルルカさんは「そうだね」というだけでそっと無関心そうに壁に寄り添った。そのまま無言で目を逸らす。
――そういえば、私、ウルルカさんの事を良く知らない。
私はそっと目を伏せた。ウルルカさんはいつもミコトさんと一緒だった……一緒の時は元気になった。でもその他の場面で、私は彼女を見かけたことがない。
でも今はそのことを聞く心の余裕はなかった。
――だってあんな話を聞いたら、それどころではなくなる。
それは四日前、セイさんたちと別れた直後のことだった。
◇
「ミズファ=トゥルーデ」
その時の私は、茂みの中に隠れて息を潜めている真っ最中だった。
それというのも、目の前には軍服を着崩した……血のような赤い髪をたなびかせて、面白がるように口端を吊り上げる《大地人》の女性がいた。といっても場所は私たちの斜め上……《サニルーフ山脈》の木の枝にもたれて、遠くを眺めていた。そして、その女性を私と一緒にいたウルルカさんは『ミズファ=トゥルーデ』と呼んだ。
「ウルルカさん、あの女性が誰か知っているんですか?」
「ミズファ=トゥルーデ……《Plant hwyaden》の幹部だよ」
《Plant hwyaden》……その言葉を聞いて緊張が全身に染み渡る。
だけどそれだけではなかった。
「どういうことですかの?」
そこに新たな当事者が加わったのは数分後の事だ。私たちがミズファという女性の威圧に負けて茂みから抜け出せないでいる間に光が溢れ、ミズファの視界を遮るようにその中から白い髭を生やした老人が現れたのだ。
肩には額に紅玉を宿した小動物が乗っかっており、まるで老人を守護するかのようにミズファを威嚇していた……あれは《冒険者》でいう召喚生物なのだろうか?
「なんだ。誰かと思えばおんぼろ爺か」
「誰が、おんぼろ、じゃ!!」
途端にミズファはあしらいながら、「あー、はいはい」と顔を背ける。だけど次の瞬間、私とウルルカさんは息を飲むことになる。
「……あたしはてっきり、汚いネズミが近寄ってきてんのかと思ったんだけどね」
間違いない、あのミズファという女性は私たちが側にいることに気づいている。一瞬、視線がこちらに向き、まるで矢に射貫かれたような錯覚を私は覚えたのだ。動けないというには生易しすぎる……足が根っこのように地面に張り付いて抜けない。身体が乗っ取られているかのように固まっている。おそらく今、葉音の一つでも漏らしたら、もしかしたら……。
私の脳裏に嫌な考えが横切る。これが殺気というものだろうか……周りの雰囲気が重苦しくなる。息ができなくなる。
「……話を逸らさないでくださいますかの」
と、その瞬間、殺気を遮るように老人の鋭い視線がミズファにささった。その言葉でミズファの警戒心が緩み、私は大きく息を吐いた。驚いた……素直に心臓が止まるかと思った。
しかし、これはどういう状況なのだろうか? 見上げれば、老人はその白い髭に負けず劣らずの貫禄でミズファを睨んでいた。ミズファと知り合いみたいな話し方だが、あの老人はミズファの味方ではないのか……。
すると背後から裾を引っ張られ、私は振り返る。背後ではウルルカさんが神妙な表情で告げる。
「今すぐ逃げるよ、コール」
え、でも……私は再び振り返った。前は前で火花が散りそうな雰囲気に押されていく。
「なぜ、ミズファ様がここにいるのですかの? この件はわしとナカルナード様に一任するということで話がついたはずじゃが?」
「ああ、それは違いないさ……今回は『敵』になるのだから」
「なん、ですと……」
その瞬間、それで理解する。
「ごめんなさい、ウルルカさん」
その途端、私は小声でウルルカさんの手を払う。
ウルルカさんの言いたいことはわかる。ここは逃げるのが最善手。ここで捕まれば、セイさんたちの邪魔にしかならない。だから、どうあがいてもただの一般人である《大地人》である私は逃げるしかない。
でも、この老人もやはりミズファと同じ《Plant hwyaden》なのだ。ミズファが『敵になる』といった瞬間、老人の目尻が吊り上がったのをきちんと確認した。
だとしたら、これは《Plant hwyaden》の事を知れる絶好の機会でもある……それがセイさんたちの手助けになるはずだから。
「…………」
すると、ウルルカさんは「……すきにすれば」とそっぽを向いた。そうして、私たちは改めて木の陰に隠れなおしながら二人の話声に聞き耳を立てた。
そうとは知らずに《Plant hwyaden》の二人は話し込む。
「なるほど、先程《ヤマタノオロチ》の鳴き声が聞こえましたが、ミズファ様の仕業ですか……《Plant hwyaden》を裏切るつもりですかな?」
すると、フフフ、アハハ、とミズファは突如として笑い出す。腹の底から、心の底から、老人を……いや、もしかして怖いもの知らずの私をあざ笑っているのだろうか?
その証拠にミズファはこれ見よがしに狂気を振りまいていく。
「裏切り? 裏切りだって!? あまり笑わせるな。そもそも誰かに味方しているつもりもない……《十席会議》は、いいや《Plant hwyaden》はそういうものだろう」
老人は黙りこくる……自分もまた、その事を承知で入ったと言わんばかりに。その上でミズファは語り出す。
「あたしを突き動かすのは今も昔も『戦争』だ。何も変わらない。ただ一ヶ月前に始まるはずだったその『戦争』……『赤き夜』は東の奴らに邪魔された」
――一ヶ月前?
私は首を傾げる……一ヶ月前と言えば、ちょうど私たちが《アキヅキの街》に行っている最中の出来事だ。その時に東と何かあったのだろうか?
東と言えば《ナインテイル自治領》とは反対側にある《自由都市同盟イースタル》のことだろう。そこには《アキバの街》という《冒険者》の大都市があるとセイさんたちから聞いた事がある。
――つまりは一ヶ月前、《アキバ》と何か衝突があったのかもしれない。
そして、ミズファはそれを邪魔されたといっていた……すると、失敗に終わった事を意味している。
けれど、それで悔しがるということは……私は背中に流れる冷や汗を感じた。それは老人も同じだったらしく、目を丸くした。
「……まさか、その八つ当たりする気ですかの?」
刹那、ミズファという女性はニヤリと笑う。つまりはそれが答えだった。
「ここで《ナインテイル》の奴らが人質の救出させれば、《ウェストランデ》も黙ってはいられない。そうなれば《Plant hwyaden》は《ウェストランデ》の保身のために、貴族に代わって制裁を加えにいかなければならなくなる……そうだろ?」
その言葉に老人は……いや、私たちは背筋を凍らせた。
正直、ミズファが何を考えているのかわからない。だけど、この人は明らかに『戦争』を起こそうとしているのだ。赤き夜……それが何かはわからないが、その腹いせにセイさんたちの帰る場所である《ナインテイル》を踏みにじろう。この人はそんな話を平然としているのだ。
そして、それが理解できた途端、ミズファという女性の見せる笑顔が気持ち悪いくらいに歪んでいるように変貌する。
「そう! 争い!! あたしが待ち望んでやまない血で血を洗う戦いがやっとできる!!」
そんな、人をおもちゃのような言い方をするミズファに私はどこか現実を捉えていない印象を受けた。
例えば、目の前の木の上で囀る小鳥や太陽の傾きさえも目に入っていないような……見えていないような気がした。
目が見えていないから感覚を……痛みを至上の喜びと捉える。そんな人を……いや、自分を認識できていないミズファを理解する者はいない。
「呆れて物も言えぬわ……」
老人は反吐が出るように、ミズファを罵った。だけど、それで安堵させてくれるほど《Plant hwyaden》は易しくなかったのだ。
「え……」
私は声に出てしまうほど、目を点にさせた。ミズファに呆れた老人はこう言ってのけたのだ。
「すきにせい……わしは知らん」
つまるところ私たち……いや、《ナインテイル自治領》のことを考えてくれている人は誰もいなかった。老人は老人で自分の興味にしか関心がなく、ミズファの戯れ言に興をそがれていながらも、どこか他人事のように対応していた。
◇
あれから四日……老人とミズファはそれぞれ別行動を起こし、ミズファはそのまま《キョウの都》方面へと移動を開始し、老人は光に溶け込むかのように消えていった。
そうして、現在に至る。あれから、ほっと一息ついた私たちはできるだけ遠くに……けれど、離れすぎない場所で作業をしていた、というわけだ。
「はぁ……」
なのに、私は大きな溜息を吐く。そして、再び作業に戻った。ウルルカさんが集めてくれた素材を掛け合わせて一つの罠を作成する。
そんなことをしながら、もう四日が経った……四日が経ったのだ。なのに、何一つ、情報が入ってこない……何も起きていない。それが異様に不気味だった。
――セイさんたちは無事なのだろうか?
ミズファも、あの老人もただものではなかった。老人は召喚生物を従えていたし、ミズファは言わずもがなだろう。セイさんといえど、簡単に倒せる相手ではないだろう。
せめて、セイさんの居場所がわかれば、情報だけでも渡して……。
――ん? そういえば、《Plant hwyaden》はなぜ私たちを待ち伏せできたのだろう?
と、そこで私は今更になってその疑問に行き着く。
確かに、私たちは《ナインテイル自治領》を解放するために人質救出に出た。そこまでは相手も予想できる。だけどどの道を通ってくるかなんてわからないはずだ。
《麗港シクシエール》を出て《サニルーフ山脈》を渡ったとしても、麓を通るか、それとも山頂近くを通るのかわからない。
いや、そもそも、私がセイさんと別れるきっかけになった敵……全身金属鎧を身に着けた巨漢はなぜ、セイさんの事を知っていたのだろう。私はその時の様子を思い出すように深く考える。
――「おーい! 《お触り禁止》さんよ! 出てこいよー! ちょっくら一緒にやり合おうぜ」
確かに敵はそう言っていた。だから、セイさんはこっちの素性がばれていることを悟って私を逃がしてくれた。
でも、これはただの偶然なのだろうか?
「ねぇ、コール」
と、その時、思い返していた私にウルルカさんが話しかけてくる。私は思考の波を止めて、顔をあげた。
「コールはさ、なんでそんなに強いのさ」
あー……私は苦虫を噛みしめたように顔を歪ませる。そういえばそんなことを前にも言われたが、その直後にミズファが現れたので水に流してしまっていた。
「正直、コールはミズファの話を聞いた後、なりふり構わず《キョウの都》に走るかと思ったけど」
助けに行きたいのはやまやまだが、私がいっても足手まといにしかならないのは出会って間もない時期……闘技大会の出来事で悟っている。
それに、
「いざって時に逃げ道がないと大変ですから……今は私の役割をしっかりこなしたいんです」
「それが口実だったとしても?」
私は少し押し黙る。それでも頷いた。
「わかっています……それが《供贄の巫女》を逃がすためだという事も。でも、今は役割を与えてもらえる喜びの方が大きい……それは必要とされているという事だから」
ウルルカさんは私の事を『強い』というが、それはとんでもない誤解だ。私はただ必要とされたいだけなのだ。セイさんや、ノエルさん……《冒険者》の人たち全員に。
「ひつよう……」
その事を伝えるとウルルカさんはどこか共感したように何度も、何度も自分自身に囁いた。そして、ウルルカさんは満面の笑みを見せた。
「そっか……うん、そうだよね。相談にのってくれてありがとう、コールっち」
そうしてウルルカさんはいつも通りの活発な少女に戻る。その言葉が先の未来にどう影響するか今の私には到底わかりもせず……そして、そんな時間さえも用意されてはいなかった。
「こんなところにおったのか」
そのしゃくれた声を聞いた途端、ぶるぶると身体が震えた。刹那、光が溢れ、その中から年老いた男性が現れる。
白い髭を携え、召喚生物を従わせる……そして、身の毛がよだつほどしゃくれた声は、間違いなく四日前、ミズファと共にいた老人だった。
意外と難しかったコールルート。