第一章 4 嵐の前の平穏
「うーん……」
セイこと僕は考え込む。
何かが引っかかっている……ナガレのさりげないそっけなさがどこかで引っかかっている。
「うーん…………」
そうして僕が足踏みすると、ザクッ、と草の根が音を鳴らした。
そう、僕たちは今、山岳を渡っている。山岳と言っても山頂ではなく、山の麓付近に生息している林を通って慎重に進んでいた。
もちろんいつでも戦闘に入れるように隊列を組んで移動している。先頭からナガレ、ノエル、ウルルカ、コールと来て、ユキヒコ、ミコト、最後に僕が続いていた。僕が一番後ろにいるのは背後から攻められた時、誰も守る人がいないからである。つまりはしんがり役だ。
とはいっても、道は険しく、山では上方を陣取った方が強いのは明白だった。わざわざ地の利を捨てて来る敵はいないだろう。いれば、おそらく僕だけで事足りる。要は僕は飾りなのである。
いざとなれば、前方は戦士職で固めて、僕はすぐさま相手の意表を突けるように立ち回るつもりだった。そのためにも、一番背後にいるのは状況を判断するうえで最適と言える。
だがそのせいで、僕の様子は前から丸見えで、ミコトがうっとおしそうに目を細めた。
「う」
「うざい」
うぐっ……いきなり発せられた痛烈な言葉がぐさっと心臓に突き刺さる。あやうく足を木の根に引っ掛けて踏み外すところだった。
危ないだろ……僕はすぐに立て直して注意する。これでも皆慎重に足音や足元に気を付けている。
山の脅威は侮れない……ましてやモンスターが徘徊するサニルーフ山脈ではちょっとしたことでモンスターと遭遇しそうで怖くなるのだ。下手をして《ヤマタノオロチ》に出くわしたらたまったものではない。
だけどミコトは「歩きながら考え込む方が悪い」とつっけんどんにする……悔しいけど的確過ぎて言い返せない。
「そういう『かまって』みたいな行動がイラっとするんです。《アキヅキ》で学びませんでしたか?」
「あー、あー、悪かった、僕がわるかったです」
僕はミコトの小言を耳を塞ぎながら半ば復唱するように告げた。
確かに《アキヅキの街》では、皆をのけ者にして《供贄の巫女》の事を黙っていたせいで多大なる迷惑をかけたのだが、いつまでもそのことを掘り返してくるミコトもミコトでどうなのだろうか? あれはいわば僕の黒歴史に近いからあまり根掘り葉掘り聞いてほしくはない。
そんなことを思っていると、急にミコトは真面目な顔で聞いてきた。
「それで今度は誰の事を考えていたのですか?」
「え?」
「どうせ《お触り禁止》のあなたの事です。自分の心に触れられるのは嫌がるくせに誰かの心にはぐさっと触れてくるんでしょ?」
――え、なにそれ……ちょっと怖いんだけど?
僕は蒼白になりながら、なぜか冷や汗を掻いた。まるで妖怪みたいな言い草に腹を立ててもいいはずなのに、なぜだが図星を指されている気分になる。大丈夫、僕は《冒険者》、僕は《冒険者》……僕は念仏を唱えるように呟く。
そのせせこましさを見て、業を煮やしたミコトが目を吊り上げた。
「いいから早く言う!」
「はい!」
僕はミコトに急かされて直立不動で気になる事を囁いた。最近、ナガレが何かを急いでいる事……それは《ウェストランデ》に来るまでの言動で少しずつ露わになってきている。まるで今まで無理に蓋をしてきたものが外れたように。
その事を耳にするとミコトは「それは確かに気になりますね」と顎に手を置いた。おそらく脳裏で今までの些細な出来事を振り返っているのだろう。
「きっかけは……潜入の直前。船内でユキヒコさんが『画家』だという事がわかってからだったと思う」
僕はその手助けにならないかと少しでも情報を付け加えた。
実際にはサブ職業『画家』がわかる前だけど、今記憶を掘り起こせば、まるでナガレはユキヒコのその能力を皆に知られてほしくないかのように振舞っていた気がする。そう……『思い出したくない』と言わんばかりに。
そんな僕の見解を踏まえ、考えに整理がつくと「わかりました」と首を縦に振った。
「こちらでも気を配っておくことにしましょう」
それだけを言って、途端にミコトは「先を急ぎますよ」と僕の背中を押す。でも僕は後ろ髪を引かれて立ち止まった。
「え、あれ? それだけ??」
もっとこう……『まぁ、大変! さっそくナガレさんに事情を聞きましょう!!』……とか言って、真摯に受け止めてくれるものかと思っていたのだが、的が外れて拍子抜けする。
だけど、ミコトはその思考が手に取るようにわかるのか、すごく嫌そうに目を細めた……うん、今なら僕にもミコトが『変な妄想するな』と考えているのがわかる。
ミコトはそんな僕に心底疲れた溜息を吐くと、ノエルのように僕の耳を引っ張って大音量に聞こえるよう怒鳴った。
「いいですか! 鈍感のあなたのために言っておきます! これからけっしてこの事について、しいては『ナガレさんとユキヒコさんの現実世界』についてなるべく言及はし・な・いように!!」
瞬間、僕は耳元から発せられた音量と耳を引っ張られた痛みが重なって足元がふらつく。直接、言葉を脳裏に叩きつけられて僕はめまいを起こす。
だけど、それが功を奏したのかもしれない。
「あまり無粋なことを聞くと背後からブスリと刺されますよ」
次に発したミコトの言葉で僕は思い出す。どこかで聞いたようなフレーズ、不穏な例えを……。
刹那、歯がゆい表情を浮かべたナガレの背中が脳裏によぎった。
「あ、あぁぁああああああ――――――――……」
な、何……突如、頭を抱えてしゃがみこむ僕に、ミコトは一歩仰け反った。
そんなミコトを傍目に僕は小声で絶叫する。心の中はもうパニックだ。あえて言うなら、ナガレたちに聞こえなかったのが不幸中の幸いというべきか……。
「遅かった……」
そうして僕は言葉を紡ぐ。心配して近寄ったミコトにだけ聞こえる音量でかすれながらも何とか声に出す。
「……いっちゃった」
「え?」
「ナガレに現実世界ではどうだったのか、もう聞いちゃった……」
◇
「はぁー、あなたという人は……」
それから皆と離れないように移動しながらも、僕はミコトにナガレと出会った当初の出来事を話した。
僕は《アキヅキの街》に旅立つ前……仲間との顔合わせのために《パンナイルの街》で一週間滞在していたその間、ナガレと初めて訓練をしていた。その際に、何も知らず『現実世界では剣道をしていたのか?』とナガレに問うたことがある。その時は何とも思っていなかったが、一瞬だけ眉間にしわが寄っていた気がする。
そのあらましを一通り聞いたミコトは、全身の力が抜けたようによろめいた。木の幹を支えにしていたが、膝を折って抱えるように縮こまる。
「もう嫌、本当に嫌……よくもまぁノエルさんは、あなたみたいな人と付き合っていられますね。同情します……いいえ、尊敬します」
――え、なぜそこでノエルの名前が出てくるんだ?
僕は首を傾げた……というか、なぜか僕が間接的に虐げられている気がするのは気のせいだろうか?
いや、この際些細なことは置いておこう。僕は「どうしよう」とミコトに指示を仰いだ。これでも《アキヅキ》の件で自分が『鈍感』なことは認識している。ここは僕の意見より鋭いミコトに選択を委ねた方が得策だろう。
ミコトもミコトで、気を取り直すように顔を振ると了諾して立ち上がった。そして、仕切りなおす。
「仕方ありません。ユキヒコさんに相談しましょう」
「ナガレに、じゃないの?」
「……あなたは話をややこしくしたいようですね」
とんでもございません……僕は口を両手で塞いだ。どうやら僕は一言一句割り込んではいけないらしい。そんな僕を尻目にじー、とみつめるミコト。僕は慌ててユキヒコさんを呼びに行く。
そうして、何とかユキヒコさんだけを連れてくると、今までのあらましを一通り話した。
途端にユキヒコは血相を変える。
「えっ!? ナガレに現実の話をした!?」
僕は首を傾げる一方、ミコトは妙に納得して首を縦に振る……まるで僕のせいだといいたいみたいだ。
だが、そんなことはお構いなしにユキヒコは何かを案じた。
「大丈夫かな……」
やはりナガレはどこか異常な状態、もしくは思いつめているのかもしれない。僕はユキヒコに現実世界で何が起きたのか聞こうとした。
だけど、その時に限って、タイミングを図ったように奇声が響いた。
「敵だ! 戦闘準備!!」
ナガレの声で全員が武器を手に取り、周囲に気を配った。
◇
その少し前。
私、ノエルは山林を静かに歩いていた。
今の私の役割はこの後に続くセイたちを守りながら、周囲の警戒を怠らない事。つまりは前線を維持することだった。
だけど、登山は想像以上にきつかった。服は木の幹に引っかかりそうになるし、整備されていない道はでこぼこしていて、大分足腰を上下に動かさないといけない。《冒険者》でなければとっくの昔に音を上げていただろう。
それでも息は荒くなった。問答無用で『ステータス』という体力がつく《冒険者》でも限界はある。私は目の前にいるエロ武者……もとい鎧武者のような、はたまた若頭といった風貌の《冒険者》ナガレに声をかけた。
「ねぇ、もう少し歩くテンポを遅く……ねぇ、ねぇってば!?」
「……あ?」
だけどナガレは今気づいたように振り返った。どこか心ここにあらずな様子だった。
「わりぃ、聞いてなかった。何だっけ?」
「……歩くスピードが速いって話よ」
そして、ナガレは首を傾けた。頭の上には『?』マークが浮かんでいる。
「そうか? 誰も音を上げていないぜ?」
え……その言葉で私は振り返った。後ろではコールがウルルカとユキヒコの手助け受けてゆっくりと上がってきている。そのおかげでコールは息を荒げてはいない。もちろん支えになっている二人も平気だ。そのさらに後ろ……ミコトとセイに至っては話声まで聞こえる。残念ながら内容まではわからないが、とても楽しそうに見えた。
「……」
今なら『嫉妬か?』とナガレにからかわれそうだ……実際にはそんな恋心ではなく複雑な気持ちを抱いていたのだけれども。
けれどそんな私の予想を裏切って、ナガレは再び黙って足を前に出した。それで私は気づく。
「ちょっ……ちょっと、何急いでるのよ!!」
明らかにおかしい。あのコールをナンパしたり、ふざけた事を言って皆の注意を引くエロ武者が真面目に役割をこなしている。それがノミのように全身を掻き毟って気持ちが悪かった。
すると、自分でも気づいていなかったのか、ナガレが目を丸くして立ち止まる。
「急いでいる? 俺が、か?」
「違うの?」
私はオウム返しのごとく問い返した。私にはどう見てもナガレが先を急いでいるようにしか見えなかった。そんなナガレは自分の掌を眺めて、ただ握った。それが何を意味していたのか、私は知らない。
ただ、
「別に……ふと思い出しただけだ。あっちは《大災害》から何日経ったのだろうってな」
その時のナガレはユキヒコを視界に入れながら、遠い過去へ思いを寄せていた。
けれど頭を振ると、ナガレはその意識を外へ追いやる。そうして、いつものふざけたエロ武者に戻る……いや、演じるって言った方がいいのかもしれない。
「へへ、なーんてな。どう? 黄昏に沈む俺ってかっこいい??」
まず黄昏時ではない、という指摘は置いといて……とても指摘を出せる雰囲気には慣れなかった。同時に不躾にも私はどこか安心した気持ちになっていた。
――あのエロ武者でも『弱い所』はあるんだ……。
どこか共感した、はては心の奥底は繋がっているような感覚に陥った。『憐れみ』や『同類』っていえばわかりやすいかもしれない。
――はっ、いけない、いけない。これじゃ悲劇のヒロインみたいじゃない!?
深く考えすぎるのが私の悪い癖だ……私は自分の頬を思いっきり叩いた。そうして気合を入れなおすとナガレが続けざまに声をかける。
「それより、もう少し頑張れ。あと少しで今日の予定地に着くんだ」
予定地……? 私は首をかしげる。すると、今度はナガレが「おいおい……そっちこそ大丈夫かよ」と肩をすくめて心配する。
そうだった……私は思い出す。《シクシエール》から《キョウの都》が近いって言っても丸二日はかかる。睡眠の時間を削ればもっとかかるだろう。その間に野営をする予定地が必要になるのだ。
そして、出発する前に決めた予定地が、サニルーフ山脈に沿ってできた丘の上……ちょうど西の《冒険者》の拠点となる《ミナミの街》の真北に当たる地点だった。
もちろん周囲の警戒は怠らない。少しばかり歩いて予定地に着いたナガレはしばらく茂みに隠れて辺りを見渡した。
周りは地面と草だけで何もない。遠くの背景に映るは、小さく見える《ミナミの街》。
「誰もいないみたいだな……」
ナガレはそう言って茂みから一歩前に出る。
でも、その時、私の長い狐耳から微かに笑い声が聞こえた。
「……よう。ずいぶん遅かったな。待ってたんだぜ」
刹那、ナガレの首元に突如、ギラリと光る刃が現れた。




