第一章 1 行動開始
四月上旬、深夜。それはナインテイル自治領の北、アナト海峡で始まった。
僕――もといホネストは固唾をのむ。
そこは現実世界で言えば山口県と福岡県を結ぶ『関門トンネル』付近。そこを見下ろしながら一つの念話を繋ぐ。
『『アライアンス第三分室』に所属する者よ、ついにこの時が来た。我らが居場所、我らがなぜ『分室』と名乗っているか……この胸に刻まれた屈辱を今祓う時である』
密かに告げられたその言葉はある特定の人物だけに届く。『アライアンス第三分室』と呼ばれる集団に。僕が大事な九か月を費やして、大好きな冒険を我慢して集めた《冒険者》たちに。その先頭に僕は立つ。
その時、全身鎧の左肩についた外套が風になびいた。その隣には《月下の妖精》を肩に乗せた《召喚術士》の疾風。そして、《エルフ》、《ドワーフ》、《猫人族》、《狼牙族》……それぞれのグループがそれぞれ息をひそめて待っていた。
そう、つまりはアナト海峡は今『アライアンス第三分室』に取り囲まれている。その数、ざっと二千人。それでも無謀と言わざる終えない戦力だが、奇襲であればひっくり返せる数でもあった。
同時に反《Plant hwyaden》組織である『アライアンス第三分室』の全戦力を注入したことになる……これで失敗すれば、完全に《ナカスの街》は《Plant hwyaden》に占領されるだろう。
でも、だからこそ僕は静かな闘志を露わにする。
『奪われたものを取り戻す…………いや、それでは生ぬるい。邪魔者を潰す覚悟で行け。そのための狼煙を盛大にあげるのだ』
目標はアナト海峡に設置されている関所……それを奪ってゾーンごと買い叩く。
『さぁ、反撃といこう』
食料の備蓄は万端、ゾーンの買い上げがうまく行くかが不安要素だったが、《お触り禁止》が約一か月前に《供贄の一族》を助けたことでコンタクトが取れやすくなった。関所を占拠した後、すぐにでも封鎖することは可能だ。
ゆえに僕は微笑む……悪魔のような笑みを。
あとは人質の件がどこまでうまく行くか……だが、それはもう天に命運を預けるしかない。少なくとも命運を託してもいいと思える駒は配置したつもりだ。
だからこそ僕は高々と剣を掲げ、匙を投げる。
『ナカス奪還作戦、行動開始!!!!』
こうして当日、僕らのナカス奪還作戦は始まった。
◇
三日後。
その騒動はいろいろな思惑を飛び越えていち早く《神聖皇国ウェストランデ》にある《冒険者》の街《ミナミ》に届くことになる。
つまりは《Plant hwyaden》の上層部……幹部たちの耳へと。アライアンス第三分室がアナト海峡を抑えた事実が伝えられたのだ。
だが、誰もが些末なことと認識していた……たかが悪あがきだと。むしろ反抗勢力のあぶり出しができて幸運だとでも思っているのかもしれない。あくまで俺を除いては、だが。
その一人。酒の肴にと、一人の大地人がグラスを片手に楽しそうに飲んでいた。
「どうしたんだい、ナカルナード。また、あんたの心配性が出たのかい」
複数の男女が集まる不思議な部屋の中で、その大地人は聞く。
その軍服に身を包む女性はウェストランデの姫たちをも羨む美貌を持っていたのだが、不思議な部屋の中ではその美貌も色褪せた。
いや、美貌だけではない。壁を彩る柱も、溢れ出さんとするほど生けられた花も、金で装飾された卓や椅子さえもその部屋では色褪せる。その効果を部屋にいた九人が生み出していた。
《Plant hwyaden》でも幹部クラスと言われる実力者が集う《十席会議》。《アキバの街》の《円卓会議》と同じく、《Plant hwyaden》の中心を担うその定例会議で俺は酒を口に含んで考えに耽る。
ナカルナード。《セルデシア》でそう呼ばれている俺は酒の入ったグラスを乱暴に机に置くと、あえて鼻息荒く視線を逸らした。
「ミズファ=トゥルーデ……ふざけるのも大概にしろ。いつ、どこで、だれが心配性になったんだ?」
もちろんこれは羞恥心を隠すためではない……むしろほろ酔い気分で楽しそうに口を滑らせる大地人を警戒したためだ。表情から感情を……しいては弱みを掴ませないようにしている。
なぜなら、彼女……ミズファ=トゥルーデと呼ばれる女性は、大地人だが《十席会議》第四席に属し、『東跋将軍』と謳われるほどの実力者だった。そのうえ、女性ならではの勘の良さは侮れないことを俺は知っている。
「……そういうのはインティクスで十分だってのにさ」
「あぁ?」
「なんでもねぇよ」
その証拠に小声で言った独り言さえミズファ=トゥルーデは聞き逃さなかった。そんな中で俺はもう一口、その大きな口に酒を詰め込んだ。
すると、今度は部屋の奥から掠れた声がかかった。
「して、この事態をどうなさる? アナト海峡はナカルナード様の領分。そこで反乱分子が反抗を声明されたとか」
ジェレド=ガン……髭が生やしているただの老人だが、あの『ミラルレイクの賢者』と呼ばれていた過去を持っている。詳しいところは知らないが、魔法の知識を蓄え続けた奴らしい。今ではその役目を後継に渡し、『ミラルレイクの大魔導師』と仰々しい肩書きで第八席に属している。こいつもこいつでまた油断できない。
「わかっている……どうにかするさ」
だが、問題はそこだ……俺はしばらく酔ったと見せかけて黙りこける。
これでも《十席会議》第五席。『南征将軍』なんて勝手に肩書きをつけられているが、俺にとってはどうでもいい。だが、関西最強と謳われた『ハウリング』の元ギルドマスターとして、後れを取ることはプライドが許さない。
それこそ今は《Plant hwyaden》の組織として吸収されちまったが、勢いはそのまま残っている。俺たちの境遇を向上させるためにも媚びは売らなくてはならない。
――しかしなぁ……。
アナト海峡……ああ、そうだ。あの場所が悪い。あそこは《弧状列島ヤマト》の本土と《ナカスの街》を結ぶ大事な場所だ。だからこそ関所を設けていたのだが、まさか《ナカス》の前にそこが盗られるとは思わなかったな。
――まさしく異世界サバイバルだ。
俺は辟易しながら問題点を探る。
まずアナト海峡を抑えられたせいでトオノミ地方に進軍するのが難しくなった。聞けばゾーンを抑えられたという。だとすれば、入り込むのはほぼ不可能だ。
普通ならばまだやりようはあった。ゾーンを抑えられても入室拒否にされなければいい。《暗殺者》やサブ職業《追跡者》を送り込めば寝首を掻くこともできた。
だが、《Plant hwyaden》という統一ギルドにしたために入室拒否をしやすくしている。ブラックリストに『ギルド《Plant hwyaden》』と書けば大抵の者は弾き飛ばされる。
それでなくても隠密状態の対策はしているだろう。たとえ一時的にギルドを抜けてゾーンに入室できても突破は難しい。最低でも《十席会議》第七席に属しているカズ彦ぐらいの実力は欲しい……《Plant hwyaden》は《暗殺者》が少ないのも問題だな。
次なる手としては海からの進軍だが……これも効率的とは言えない。海からとなれば船が必要だ。それでいて定員は決められている……一気に戦力投入とはいかない。
加えて、海路となれば大きく迂回せねばならない。セトの海……現実世界でいう『瀬戸内海』はフォーランド方面からモンスターが流れ込み、危険な地と化している。いくら丈夫な船を造っても攻略は困難だ。だからこそ、セトの海に近いアナト海峡は自然の孤城となりえた。
そして、そのアナト海峡を落とした奴ならば、他の重要拠点も抑えている可能性は高い。上陸できたとしてもうまくはいかないだろう。
だとすれば残る手は。
「何だったら手を貸してやろうか」
「あぁ?」
だがその直後、思考を邪魔するかのようにミズファ=トゥルーデが水を差してきた。頭の血が一気に駆け上る。
「今何て言った……?」
「だからできないってんなら、そのひ弱なおつむの代わりにやってやろうかって言ったんだ」
刹那、俺は立ち上がった。こいつは《ハウリング》を馬鹿にした。それだけで拳を上げる理由は十分あった。
しかし、結局何もできず立ち尽くす。その拳をボサボサの髪と野趣あふれる面持ちの男……カズ彦に捕まれたせいだ。加えてジェレド=ガンが間に入り込んで諫める。
「まぁ、まぁ、今回はこの辺りで……ミズファ様もどうかお引き取りを」
「なんだい。爺が庇うとか珍しい」
「ええ、少々気になる事があるのです。というわけで今回の件、わしも同行してよいかの?」
ちっ……俺は舌打ちをしてカズ彦の掌を払いのける。だから大地人は油断ならねぇ……恩を着せて、まんまと仲に入り込みやがった。
それを同意と捉えたのか、ジェレド=ガンは完全に蚊帳の外を決め込んでいた中心……《十席会議》第二席、インティクスにお伺いを立てる。
「では、この件はわしらに一任する……ということで」
「ええ、構わないわ。烏合の衆など興味ないもの……みなさんもよろしいかしら?」
「……」
反対意見などなかった。むしろインティクスのように興味を持たない者がほとんどだった。
そんな中で俺はふとジェレド=ガンを睨んだ。あっさりと仲に入り込んだのは気に入らないが、いわゆる『マッドサイエンティスト』である爺が興味を引かれるものが、今回の件と関わっているということなのだろうか?
その間にも時は流れ、インティクスは閉めるように宣言した。
「それでは今日の定例会議はここまで……《アキバ》の動きには随時注目することをお忘れなく」
◇
そうして《十席会議》が終わり、不思議な部屋に残った俺たちは作戦会議……もとい、ジェレド=ガンへの問いただしを始めた。
「で、何考えてやがる。耄碌爺」
「耄碌爺とはなんじゃ、失礼じゃの」
「あー、そういうのはいいから話せ……今回の件に首を突っ込んだのは何かあるんだろ?」
ふーむ……耄碌爺、ではなくてジェレド=ガンは少し物思いに耽る。何だ、こっちの手の内を探っているのか? だったら俺は耄碌爺を連れて行かなければ良いだけの事だ。
すると、それを悟ったのか、ジェレド=ガンは溜息を吐いて口を開いた。
「……ナカルナード様は《お触り禁止》と《供贄の巫女》の噂をご存知ですかの?」
それからしばらく、ジェレド=ガンから事のあらましを一通り聞いて、俺は胸が高まった。
とはいえ、ジェレド=ガンの話は、単にアナト海峡を落とした反抗勢力の中に気になる奴がいるというだけの事だった。だが、その気になる奴というのが面白い。
「……お触り禁止。《お触り禁止》ねぇ」
実に妙な二つ名だった。だが、それがさらに俺の心をくすぐった。
俺の知る限り、この《セルデシア》という異世界では妙な二つ名を持つ奴はほぼ面白い奴らしかいない。
元《放蕩者の茶会》の参謀、《腹黒メガネ》のシロエ。
《突貫巫女》、《黒剣もドン引き》といった元《D・D・D》の三羽烏の一角、櫛八玉。
代表されるのはこの二人だが、他にも実力が伴っている奴らをたくさん《エルダーテイル》で見聞きしたことがある。誰もが名を馳せなくても一筋縄ではいかない奴らばかりだった。
だからこそ、俺は嬉しく想う……まさか異世界で強者を倒し、その名を響かせることができようとは。
思えばゲームの枠を飛び越えてからは、こんな楽しみはなかった。まずはこの異世界サバイバルを生き残ることが優先だと感じていたからだ。
ゆえにこれから何が起きるのか俺自身さえも予想がつかない。いったい何が起きるのか、何を思うのか、楽しみで仕方なかった。
「で、耄碌爺は《供贄の巫女》がご所望と?」
「はい。噂によれば『職業に関係なくアイテムを作れる』ということで……ぜひ、その秘密を頭の先から足の小指まで解明したいのでございます。ひっひっ」
――ああ、そういえばこの爺、愉悦に浸ると変な笑い声出すんだっけ。
俺はかなりドン引きながらも、やっと重い腰をあげる。
ジェレド=ガンの話によれば、その《供贄の巫女》は、かの《冒険者》を召喚した《大災害》を起こした《六傾姫》の生まれ変わりではないかという事だったが……正直俺にとってはどうでもいい話だった。
「オーケー。なら、交渉成立だ。ほら行くぞ、変態爺」
「だから、誰が変態……どこへ行くのですかな?」
変態……と言いつつ、とっさに気づいたジェレド=ガンは俺に尋ねた。さすがに実働部隊ではないにしろ《十席会議》の一人といったところだろうか。
だが、それでも行先までは予想できなかったらしい……俺は少し勝ち誇った顔で告げた。
「どこって……《キョウの都》に決まっているだろう」
そう、アナト海峡が落とされ、陸路と海路が抑えられたというのなら……残る一つの手段も抑えに来るはずだ。
こうしている合間にも小さな波紋はどんどんと近づいてくるだろう。その渦中に誰がいるかまではわからないが、俺の勘が正しければ、
「おそらくその《お触り禁止》は《キョウの都》に来るだろうぜ」
その予想が当たるのは、それからもう少しあとの事だった。
だが、この時俺は気づくべきだった。
「……へぇ、面白そうじゃないか」
まさか部屋を出た廊下でミズファ=トゥルーデが盗み聞きしていた事とは知らず、横やりが入るとは一ミリも思っていなかった。満面の笑みで微笑むミズファ=トゥルーデは、誰にも気づかれず、足早にその場を去っていった。