第四章 6 自業自得とその先の未来
「アミュレット。《伝承者》の名において、この場から逃げることは許しません」
いよいよか……僕、セイは固唾をのんで、目の前にいる二人を視界にとらえて離さなかった。一人は《供贄の一族》の《伝承者》として古の盟約に準じてきたグレイス。もう一人は《供贄の一族》でありながら《神聖皇国ウェストランデ》の貴族に干渉して混乱をもたらしたアミュレット。その二人はまるで対比のようで《供贄の一族》の光と闇のようだった。
「……」「……」
嫌な予感がする……ふと唐突に思った。交わることのない二人が今、クォーツ邸の大広間でお互いに向き合っている。それはまるでチッ、チッ、チッ、チッと導火線のように周りに不穏な空気を漂わせていく。アミュレットは特に「そうですわね……《冒険者》が生きて帰れたのだから、グレイス様も生きていていいですわ」と舌打ちをして隠しきれない苛立ちを身体からにじみ出していた。
なのに言葉が出ない。介入してはいけない意識が金縛りを起こす。
――たぶん、それはグレイスが助けを求めていないからだ。
僕は記憶を遡る。時刻は深夜……そう、やっとのことでグレイスを引き連れて《忘れられた古の牢獄》の階段広間から外に出た後の事だ。ボスモンスターを倒し扉をくぐって出た場所は《アキヅキの街》から東、人工的に作られた大きな湖と繋がっていた。おそらくダムだったのだろう。周辺に残骸がこぼれていた。そこでグレイスはこう言ったのだ。
――『お願いがあります。ついで、でいいのです……コール様を助けるついでに、私とアミュレットの話せる場を作ってもらえないでしょうか?』
風は冷たく、未だ水面に月が映る中、たった一言……されどその一言を口にして、頭を下げる。同時に僕たちは困惑して顔を見合わせた。正直、コールを助けてしまえば今回の騒ぎは収まるのだ。
今回の騒動は、いわばマルヴェス卿がコールを人質にして、《アライアンス第三分室》の情報を引き出そうとした事にある。ならば、コールさえ助けてマルヴェス卿を街から追い出せばその作戦は崩れさる。アミュレットの相手をする必要はどこにもない。
――『勝手という事は十分承知しています。ですが、お願いします!!』
だけど、グレイスはあきらめなかった。ユキヒコが召喚した《バグスライト》に照らされたグレイスの表情は変わることなく、まっすぐにこちらに覚悟を見せつけてくる。
だから僕は代表して一歩前に出た。
――『さすがに何も聞かないで……ってわけにはいかないよ。前に地下独房で言っていた『答え』ってのと関係あるの?』
すると、グレイスは首を縦に振って、言葉を紡ぐ。
――『《冒険者》に可能性をみつけてみるといいでしょう』
――『え?』
――『私はその問いをセイ様に会う前から投げかけられていたのです』
刹那僕は首をかしげる。誰かの言葉だろうか……僕はいきなり突拍子のないことを言われて戸惑った。けれど、グレイスが冗談を言うわけがない。それがわかっているから僕はただ静かに耳を貸した。
そして、僕は知る……その言葉が《アキバの街》にいる《供贄の一族》全体を纏める《伝承者》薫星にいわれた言葉という事を……その薫星が《アキバの街》にいるシロエという《冒険者》に力を貸したという事を。
――『でもそれって……』
――『はい。《供贄の一族》の使命としては行き過ぎています。下手をすれば西方、《ミナミの街》のように《冒険者》に取り込まれて『幻想の忘れ形見』を悪用されるかもしれない。その結果が今のナインテイルの惨状です』
途端に僕だけではなく全員が苦虫を嚙み潰したように顔をしかめた。そう、忘れもしないあの日……《大災害》の混乱を狙ったかのように、《Plant hwyaden》が《ナカスの街》に攻め込んできたときの事を。
当時はまだ《大災害》の衝撃が覚めあらぬ中だったけれど、それでも《ナカスの街》は《Plant hwyaden》に対抗しようと《冒険者》たちは前線を張った。でもそこには陽動部隊しかおらず、いつの間にか街は制圧されていた。その手法が今でも謎とされ、誰も突き止められずにいたのだが、
――『そうか、転移門も機構なんだよな……』
そう、《供贄の一族》を知っていれば簡単なことだった。ゲーム時代《エルダーテイル》には各《冒険者》の街をワープでつないでいる装置があったのだ。
それが『都市間転移門』。ゲームとはいえ何時間もかけて各都市を回っていては依頼を楽しめない、という理由から実装されていたが、《大災害》後は停止していたため誰も気に留めていなかった。
だが、現実となった《セルデシア》にして思えばそれは『幻想の忘れ形見』だったのだろう。《Plant hwyaden》は《供贄の一族》を取り込むことでそれを知り、再起動を果たした。そうしてごく当たり前に《ナカスの街》にワープして制圧した……なんというか、種がわかれば間抜けな事この上なかった。
そして、《供贄の一族》の助力を得たのならば《アキバの街》もこちらに勢力を伸ばすことは可能……だからグレイスは薫星の行動がわからなかった。《伝承者》としては反する行為だと認識していた。
だけどグレイスはどこか穏やかに空を仰いだ。
――『でも、今ならその言葉の意味が少しだけわかります。《冒険者》の可能性とはつまり『互いを理解する』ということではないだろうか、と。『変わる』ではない……誰かに染められる必要はどこにもない。ただ、一つの立場にしがみつくだけでは見えないものがあるのではないか? そういう問いを薫星様は言いたかったのだ、と』
そして、それは《冒険者》と接して、初めて見えたもの……グレイスはそう言って締めくくりの言葉を口にする。
――『だからお願いします。私に何ができるのか確かめたいのです』
つまりグレイスはアミュレットと相対することを選んだ。相対することで自分とは違う視点から己を見つめなおせると判断したのだ。
だったら僕たちは止められなかった。助けたいとかではなく、《供贄の一族》が《冒険者》に無干渉であるように、この件に関しては《冒険者》は部外者でしかない。止める権利を僕たちは持っていなかった。
せめてできることといえば、舞台を作ることだけだ。そのために僕はノエルをグレイスの護衛につけて舞台ができるまで待機させた。
だから、
「あとはグレイス自身の問題だ……気張っていけ!!」
僕は過去の残像を胸の内に秘め、現在、クォーツ邸の大広間で向かい合おうとしているグレイスにエールを投げかけた。
その応援が思いかけず背中を押したのか、グレイスは大きく頷いて一歩前へ。ノエルの背後から抜け出して啖呵を切る。
「アミュレット……《伝承者》として決断する前に、共に競い合った友として問います。《供贄の一族》の使命に準じることはもうないのですね」
すると、アミュレットは上体を起こしながら、ふふふ、と笑った。小刻みに震えて、腹を抱えて……次第にその声を大きく大広間にその絶叫を轟かせた。
これには僕のそばで嘲笑っていたマルヴェス卿も目を見開いて驚く。無理もない……アミュレットの叫びはまとわりつくような気持ち悪さを携えていた。さながら『魔女』のよう……。
実際、僕も寒気で肩が震えている……隈を携えたアミュレットの眼差しは憎悪に満ちていて吐き気がするほどだ。
けれど、グレイスは怖気づいていない。冷静に、沈着に……ここにきてグレイスの無愛想が活きていた。
「何がおかしいのかしら」
「……だって、何が始まるかと思えば、言うに事欠いて使命? ふふふ……笑うわ。グレイス様はあんな『幻想の忘れ形見』を抱えて引きこもれと言うの? そんなのごめんだわ!!」
そして、アミュレットは灰色と鼠色の服をはたいたと思った瞬間、踵を返して猛スピードで走り出す。万に一つの可能性を目指して。
目的地はコール……人質にしてこの場から逃げ出そうとしたのだろう。
だけど、そんなことは予想済みだった。コールを守ろうとミコトが前に出て、さらにウルルカがその二人をかばうようにアミュレットに立ち塞がった。虎のような装飾された手がアミュレットの右拳を掴んで、そのまま半回転させたのち背中に持っていく。
「――――痛っ」
すると、思いかけずアミュレットの表情が苦痛のものへと変わった。骨が軋み、顔を歪める。
「ウルルカさん!!」
刹那、その姿に見かねて僕は叫んだ。このままではアミュレットの腕があらぬ方向に向くかもしれない……その危険性を理解したのか、ウルルカもアミュレットを前へと放り投げた。グレイスの前でアミュレットが膝をつく。
その一方で、コールはミコトの陰から自分を利用しようとしたアミュレットをみつめた。目を見開いて、信じられないと言わんばかりに。
そうして、アミュレットは再び元の位置に戻された。今度はすべての可能性を潰されて。
途端に彼女は「くそ!! くそっ!!!!」と酷使された右手を地面に叩きつける。そう、アミュレットの行動は本当に万に一つの可能性だった……力比べでは《大地人》は《冒険者》に勝てない。だから機を狙うなら奇襲をかけるしかなかった。
だからこそ、アミュレットは何もできない……ウルルカに返り討ちにされた今、アミュレットに策は残されていない。
刹那、グレイスは声を張り上げる。
「もう諦めなさい!!」
そう、それが最善の手だ……僕は思考を巡らす。もしアミュレットが普通の……コールやグレイスの知る女性に戻ってくれるとしたら今をもって他にチャンスはないだろう。自ら諦めさせることで歪んだ状態を零にさせるしかない。
されどアミュレットの沙汰はもう希望ですらもうどうにもならないほど病んでいた。叩き潰された右拳は血を吐き出し、クォーツ邸の床を汚す。それはとてもじゃないほど狂っていて、理解しづらい行動だった。
「違う……アミュレットは何も間違っていない!! 何も間違えていない!! この状況だってきっと何かの手違いなんだわ!! だってコール様が私のそばに寄ってくださったのだもの」
「いいえ。それはただの偶然です!!」
だけど、グレイスの張り上げた声が弱弱しく、息が詰まったように途絶える。
「うるさい!! グレイス様は《伝承者》になったからそんなこと言えるのよ!!」
アミュレットが恨みの言葉を連ねながら泣き出したのだ。
「そうよ……アミュレットが頑張っても誰も聞かなかった。なのに、何もしていないグレイス様だけ取り上げられて……追いつきたくても追いつけない存在になった!」
それはまるで黒い水が沸き上がって襲ってくるようで一歩退きたくなる。
近しいからこそ芽生えた嫉妬。親しいからこそ羨む劣等心。それらが混ざり合って今の狂ったアミュレットを生み出した。『グレイスに負けたくない』という感情が黒く染まって押し寄せてくる。
「アミュレットもなりたかった!! 皆が尊敬のまなざしを向ける存在に!! でも、誰も認めなかった……誰もアミュレットの言う事に耳を貸さなかった!! そう、聞いてくれたのはコール様だけ……そうだわ、コール様――」
その時だった。アミュレットが再び嘗め回すようにコールを見つめてだした。黒い眼差しがコールに降りかかる。
「《供贄の巫女》なら……祖先の意思が耳を貸してくださった事を伝えれば、みんなついてくる。そうよ……《六傾姫》が一族の意思。《供贄の一族》は今こそ一致団結して《冒険者》と渡り合うのです!! ねぇ、だからコール様はアミュレットに懐いてくれたのでしょ?」
「ち、違う……私はそんなつもりじゃ……」
コールは怯えてながらも必死に首を振る。当たり前だ……コールはごく普通に『アミュレットが好きだから』一緒にいたのだ。
「ああ、コール様……アミュレットのコール様。一緒にいきましょう。そして、世界を変えましょう。《供贄の一族》が世界をより良き方向へ変えるのです」
だというのに、アミュレットの黒い歩みは止まらない。泣きながらだだをこねる子供のようにその手は差し伸べられる。
その拳をウルルカさんが掴んで抑えるが、それでも必死に神にすがりつくようにもがき続ける。
――何なんだ、この人は!? こんなのは、もう『魔女』なんかじゃない……『ゾンビ』じゃないか!!
僕は自然と目を逸らした。腐っている……心が腐りきっている。一つの遺恨が膿となって、ついにはアミュレットの心までも醜く変えてしまったのだ。
「ちょっと! セイっち、これどうするのよ!!」
直後、ウルルカが喚く。だが、『どうする?』と聞かれてもわからない。こんな末期症状に入った人間なんて相手したことなどない。相手したくもない。
だけど、早く何とかしないとアミュレット自身が何をしでかすかわからない……しいては自分の首を締め付けかねない。
かといって、攻撃をするわけにもいかない。気絶させようにも《冒険者》と《大地人》はあまりに違いすぎる……絶妙な力の加減ができる保証はどこにもない。
――どうすれば……。
そんな心の叫びにグレイスが小声で応えた。
「そう、あなたにとって古の盟約はもう『呪い』なのですね……」
それは憐れみとアミュレットの腐敗を止められなかった自分への不甲斐なさを悔いたように僕には聞こえた。
そして、グレイスは覚悟を決めたかのか、姿勢を正してアミュレットに近づく。
「グレイスさん!! 今は危ない……離れて!!」
僕は叫ぶ。背後にいたノエルも手を伸ばして引き戻そうとした。だけど、
「――追放します……」
次の瞬間、辺りは時が止まったかのように静かになる。大規模戦闘並みのモンスターさえも倒せてしまうのではないかと思わせるほどの言葉が、グレイスの口から放たれ、衝撃となってクォーツ邸の大広間に響いた。
刹那、混沌とした空気が急に収まりを見せていく。
「今後、アミュレットの《供贄の一族》の施設への立ち入り、権限を剥奪。あなたが何をしようが構いませんが、それは《供贄の一族》とはまったく関係ありません……」
「――――っ!!!!」
するとその直後、アミュレットの思考と身体がぐるりと一回転させた。ウルルカの手をすり抜け、アミュレットはグレイスの口を押さえようとひた走る。
おそらくアミュレットは次にグレイスの口から放たれる言葉がわかっていたのだろう。だから何としても阻止したかった。一方、僕たちはそのことに気づかず、時もまた待ってなどくれなかった。
そうして、小さな一言がクォーツ邸の大広間に降り注ぐ。
「……アミュレット。《供贄の一族》の使命がそうさせたというのなら、私は《伝承者》の名においてあなたを《供贄の一族》から追放します」
突然の事で誰も言葉をかけることはできなかった……擁護できなかった。
アミュレットは足を止め、力を失ったかのように膝をつく。そして、全てに止めを刺すように、グレイスはアミュレットの側で……視線を合わせてはっきりと告げた。
「今まで束縛してごめんなさい……現時点をもって、私たちは赤の他人です」
その時、狂っていたアミュレットの頬に一滴の涙が流れたのは、偶然ではないと僕は信じたかった。
あともうちょっとだけ(エピローグに)続くんじゃー。