第二章 ナインテイルコロシアム
コールの素性を調べ始めて一週間が経った。今日は二月十一日。結果としては惨敗中だった。
「ダメダァァ……」
僕は〈メインストリート〉のプレイヤーボードの前で悲惨な声を上げる。プレイヤーたちで依頼を募るプレイヤーボードなら何かひと欠片でも情報が掴めるかと思ったのだが、最後の頼みも無下になったらしい。
「おい、あれって『お触り禁止』の……確かセイって名前の……」
その時、付近にいた〈冒険者〉がこそこそし出した。
やばっ、みつかった……僕はがっくり肩を落としながら、騒ぎになる前にくるりと回って『バレンタイン闘技大会、あと三日』と掲げられた看板を横切った。そのまま枝のように別れた〈ナカス〉の街並みの右側を進む。
しかし、ここ数日〈ナカスの街〉のいたるところに出向いて情報を集めたが、〈メインストリート〉はもちろんのこと、〈冒険者〉の店が多い〈刀匠通り〉、人通りがない浜辺まで一通りの聞き込みと下調べをしたのに何も出なかった。
特に〈弧状列島ヤマト〉の歴史など〈エルダーテイル〉の背景の情報がしまわれている〈アライアンス国立図書館〉という場所は念入りに調べた。目が活字で埋め尽くされるほど本に釘つけになった。それでも『コール』という言葉の『コ』さえみつからず、僕はため息を吐いて空を仰ぎ見る。
「一旦、ギルドホームに帰るか」
すると噂をすれば影というものか、時計塔のような建物……〈アライアンス国立図書館〉の壁が目に入る。そう言えばあそこは〈ファーマーホール〉の隣だったな。
すると、国立図書館から出てきた〈大地人〉とすれ違った。
「知っているか、ここには一般利用者が入れない『第三分室』なんて部屋があるんだと」
僕は一瞬立ち止まって振り返る。その〈大地人〉はいろんな装飾品をつけていて、とても本を読むような者には見えなかった。大方、物珍しさでその『第三分室』を探していたのだろうが、僕は再び〈国立図書館〉を見上げた。
「『第三分室』か」
当たってみる価値はありそうだが……さて、どこまで信用できるものか。
僕だって噂はあまり信用しない方が良いと言う事は知っている。だが、他にあてがないのも事実だ。
――どうしよう……そうだ、こういう時はノエルに助言を……。
あ……僕は一瞬よぎった思考に顔を伏せる。そう、今僕の隣にノエルはいない。僕は自身のステータス画面を呼び出して『フレンドリスト』という欄を起こす。
フレンドリストは、その名の通り、知り合った仲間をメモしてリスト状にしたものだ。フレンドリストに登録されたものは同じゾーンにいるかどうか表示され、すぐに合流ができるようにできている。
……のだが、ノエルの項目をみると表示が消えていた。どうやら現在は街の外、もしくは建物の中にいるらしい。まだ怒っているのか?
髪を掻きながら、僕はすぐさま〈念話〉をかける。だけど出ない。
「何だって言うんだよ」
僕はステータス画面をしまうと、背伸びをした。とりあえず『第三分室』の噂は後回しにしよう。どちらにしても仲間の意見を聞かないまま事を起こしては迷惑をかける。
「さぁて、コールは何しているかなっと」
そして、足取りは自然と〈ファーマーホール〉へ向いた。
〈ファーマーホール〉に足を踏み入れると、歩くたびに唐草が軽快な音を鳴らした。周りは畑や田んぼのような田園地帯が広がっている。空を見上げると透明の青空から日光の光がさんさんと降り注ぐ。
さすがは〈ファーマーホール〉……古き良き田舎をイメージしただけあってその風景は現実世界にいるかのような安心感をくれた。
そうしてギルドホームである農婦の家につくと、金髪の少女コールと三つ編みっ子の少女プリエが二人並んで外に出てきた。その手には肥料となる土を二人で抱えて持っている。その景色はまるで姉妹に見えてほのぼのだ。仲良くやっているようでなによりだ。
「あ、セイさーん!」
すると、あちらも僕の事に気づいたようだ。コールは荷物を置いて、精一杯手を振っている……これはすぐさま近寄って来るかな。
だけど、僕の予想は外れ、コールはそっとプリエの背をそっと押すようにそっと肩を掴んだ……一体なんだろう? 僕は一歩前に進む。
「――――っ!?」
すると、プリエはびくりと背筋を震わせて踵を返してそのまま河辺の方へ逃げていく……って、あれ、そんなに僕の事が嫌いですか?
なぜかその逃げていく様子が僕の肩に重くのしかかった。一歩踏み出した足が弱々しく揺れる。それでも僕は心配そうにプリエが去った跡をみつめるコールの傍に寄って尋ねる。
「僕ってそんなに嫌われている……?」
だけど聞こえていなかったのか、コールは静かに俯いて目を伏せた。様子が変だ。
「コール?」
「ん、あっ! ごめんなさい……えっと何でした?」
「僕ってそんなに嫌われている……って話だったけど変える。何かあった?」
すると、コールは言っていいかわからないと言った様子で目線を泳がせた。言葉もどこかたどたどしく味気ない。
ふむ……僕は逡巡を巡らせながら呟いた。
「わかった。言えないんだったら、本人から聞く」
「ま、待ってください! 言います。言いますから!」
とっさにコールは僕の腕を掴んだ。同時に僕は得意げに微笑む。それを見てコールは自分がはめられたことを悟った。
「……卑怯です」
途端に彼女は小言を言い、ばつの悪い顔をした。
そして、コールは順に説明をし始める。
それは農具を直している時だったそうだ。僕がコールを匿うと決めた日から、コールはさっそく農具を直しに行ったらしい。だけど意外と農具が綺麗に使われているようで、故障しているところはあまりなかったそうだ。
だから、『うん、見ればわかる。ここの農婦さんはいい人だね』とその傍で補佐をしていたプリエを褒めたらしい。プリエも誇らしくなって笑顔だったそうだ……その顔を僕も一度は見てみたいものだ。
だけど、そうして農具を直していくと場にふさわしくないものをみつける。それは柄が長く、先に錆びた刃がついた武器……それは、
「〈シミター〉だったのか?」
「はい、一瞬セイさんたちの物かと思ったのですが、途端にプリエちゃんがそれを奪うように取ったんです」
そう言うとコールは一旦農婦の家に入って、しばらくしてからまた出てきた。その手には剣が抱えられている。その形状は特徴的で、親しみのある曲線を描いたもの……間違いない僕が使っている〈シミター〉と同じものだ。
でも僕の剣は今でも背後の腰に括られている。そもそもギルドホーム以外で外した事なんてない。〈Plant hwyaden〉がうろうろしている街中で持ち忘れることなんてありえない。だとすればこれは誰の物なのか?
「プリエちゃんのお父さんの物です」
僕が顔を上げると、コールは頷いた。
「プリエちゃんのお父さんは〈冒険者〉に憧れていたそうです。農婦の仕事を手伝いつつ簡単なクエストを引き受けて……夢は闘技場で随一の剣闘士になることでした」
「……〈大地人〉だったのに?」
僕は首を傾げた。話に聞いた事はある……確か〈大地人〉は経験値所得にかなりのハンデが設けられているらしい。それはまるで現実世界での僕たちのようで、低レベルをシステムによって運命づけられた存在だ。どう足掻こうとも経験値所得は、僕らプレイヤーよりも低く、確固たる壁が存在する。
すると、コールは苦笑いしながらも「〈大地人〉でも夢ぐらい見ますよ」と少し嘲りの笑みをみせた。それが何故がとても僕の心に食い込む。まるで〈冒険者〉と〈大地人〉は相容れないと言われているような錯覚まで覚えた。僕はただ無理はしないでほしいと思っただけなのに。
だけど次の瞬間コールは声の調子を戻して先を進めた。
「そのために少しずつ鍛錬もしていて……でも九か月前に帰らぬ人になった」
僕は息を飲んだ。つまりはHPゲージが【0】になった……消えたのか。
「それで剣だけが置き土産ってことか……」
「……はい」
その後、一瞬だけコールは逡巡して目を伏せた。
「……〈私〉のせいですね」
「どういう事だ?」
「いえ、何でもありません。話が逸れました」
だけどすぐに顔を上げていつもの笑顔で受け答えする。気のせいだったか?
でも金髪の下に隠れる瞳は自虐に満ちたているように見えた。まるで触れてほしくないかのごとくコールは笑う。それでも一つだけ聞きたい事がある。
「それで……その時は、プリエのお父さんだっけ……その人が無理に高難度のダンジョンに出向いて帰ってこなかった、というものだったのか」
コールは息を詰まらせる。僕はそれでも答えを待った。もし、無理だとわかってそんなダンジョンに入ったとしたら……口は悪いが、弁解のしようがない。だけどコールは首を横に振った。
「違います。難易度が低いクエスト……近隣の林に素材を取りに行く行商人を護衛するだけのものでした。〈冒険者〉だって数人同行していたんです」
僕はほっと一息つく。とにかく良識は持っていたらしい……でもそれなら何故?
するとコールの口から意外な答えが発せられる。
「でも、突然いなくなったんです」
「え? それはどういう……」
いや、待て……僕は深く考える。先程コールは『プリエの父は九か月前に死んだ』と言った。『九か月前』……まさか。
コールは視線を虚空へと向ける。つられて僕も顔を動かした。視線の先にあったのは〈ファーマーホール〉を包む大空。いや、正確にはそれさえ包むシステム……。
「プリエちゃんは必死にその時の〈冒険者〉を探して父が今どこにいるか聞いたそうです。そうしたら、その〈冒険者〉は言ったそうです――」
僕は次の言葉を聞いて背筋にえそら寒い何かを感じた。
「――『落ちたから知らない』と」
落ちた……その言葉が何を指しているかは知っている。『回線落ち』だ。
そうだ。確か九か月前――つまり〈大災害〉の時、プレイヤータウンから離れていた者たちはその時の様子を一様にこう言っている……『まるで回線落ちしてから、再浮上したかのようだった』と。その証拠に〈大災害〉時、全プレイヤーは必ずどこかプレイヤータウンに転移されていたらしい。そう、ダンジョンにいた者も……。
もしそんな時にダンジョンに放り出されたら、〈大地人〉はどうなるか……その答えは想像に難くなかった。モンスターに倒されたのだ。これは下手をすれば、プリエの父だけじゃなくて他にもたくさん被害者がいるかもしれない。
途端に〈ナカスの街〉に寒い冬風が吹き込んだ。その風に当てられて僕は肩を震えさせる。
「あ、あの、どうにかなりませんか」
コールは僕に縋るように頼む。とはいえさすがに終わった事は変えられない。何のしようもない。僕は首を横に振った……それしかできなかった。
だけどコールはそういう励ましを期待しているわけではないようだ。
「私、少しだけプリエちゃんの気持ちもわかります……あったはずのものがなくなるって悲しいですから。家出してわかったんです……私はすごく愛されていたんだって」
そう言うと彼女は胸を掴んで自ら着ていたチュニックをしわくちゃにする。そうか、結構明るくふるまっていたが不安だったんだ。僕はその事実に胸を締め付ける。
だけど、コールの瞳に澄んだ光が灯る。
「でも、同時に甘やかされているってわかりました。外の世界は私が思っていた以上に大変で、ご飯を食べるのもお金を払わないといけない事を知りました」
「コール……?」
「だから、セイさんが『面倒をみる』って……『これからよろしく』って言ってくれた時、とても心強かったんです! 何とかやれそうな気がしたんです!」
それはただ太陽の光が差し込んだだけかもしれない。だけど、彼女は次の瞬間それを黄金色のように輝かせて僕の瞳をまっすぐにみつめた。
「だから! プリエちゃんも助けてあげてください」
「どうやって……」
いや、それは今彼女が実証してくれた。悔しさを勇気に変える。
コールはにっこりとほほ笑む。まいった……コールはこっちの考えを見抜いているらしい。
「ちょっと行ってくる」
コールは静かに頷いた。僕は一歩前へ、プリエが逃げた方へ足を向けた。だけど言い残した事に気がついて一瞬だけ振り向く。
「ありがとう。コールは優しいんだな!」
「……」
その後姿を見送りながら、コールは誰にも聞こえないほど小声で「……本当に優しいのはセイさんですよ」と口走った。
僕はプリエの後を追って走る。唐草が軽快な音を鳴らし、途中で他の〈大地人〉に聞き込みをしながら、僕はなんとかプリエを探しだした。
そして、たどり着いたのは何の変哲もない小河だった。その水際でプリエは水面を見ている。河は田園畑に水を引くためのものだったのか、そんなに深さはない。
おそらく、どうする事もできない自分の顔をただみていたのだろう。身動きが取れない人間にはよくある。そんな彼女にからかい半分で近寄り、声をかける。
「黄昏ていますか。お嬢さん」
ぷにっ。そして振り返った瞬間をねらって僕は頬をつっついた。
「……」
あ、怒った……プリエは一瞬だけ振りかえって眉をひそめる。その証拠に、プイッ、と顔を逸らして逃げようとした。
「ごめん。悪かった。だから話を聞いてください」
僕はその手を掴んで引き留める。だが、それでも彼女は振り向かない。それどころか、手を力いっぱい振って尚も逃げようとした。その背に僕は語りかける。
「僕が〈シミター〉を持っていたからか」
途端にプリエが静止する。
「それでいて〈冒険者〉だったからか」
そして、プリエは「コールお姉ちゃんのおしゃべり……」とやっとのことで口を開いた。手を離すと、プリエは河岸で顔をそむけながら呟いた。
「そうだよ。セイお兄ちゃんが〈シミター〉を持っていたから。お父さんを思い出しちゃうから」
「お父さんは強かったのか?」
試しに聞いてみると、プリエはしっかり首を横に振った。
「弱いよ。でも、負けてもやっぱり戦ってた。闘技場の優勝トロフィーをプリエに見せるのが夢だとか言って」
「そっか……凄い人だったんだな」
プリエは押し黙る。きっとその夢が本当に凄いことだったのかどうかわからないのだろう……自分の父が偉業に挑んだのだと胸を張れないのだ。
だから、僕はそっと隣に座って同じように河底を見ながら言った。
「僕だと駄目かな?」
とっさにプリエが振り返る。その表情には半信半疑の仮面が張り付いている。
「三日後、闘技大会があるだろう。優勝してトロフィーをみせてあげるよ。そして、お父さんの墓標に飾ろう」
「それは構わないけど……何で? 何でそんなことするの?」
僕は苦笑いを作る。
それは僕が聞きたいぐらいだった。なぜ皆助ける理由を聞きたがるのだろうか。助けたいから助ける……では駄目らしい。僕は少し面倒に思いながらも考えて言った。
「もっと話しかけてほしいから……?」
「……はい?」
するとプリエは首を傾げた。そして、僕も「え?」と顔を向ける……というか、なぜそんな意外そうな顔をするのだ? 僕は心の中にある感情を率直に言っただけだ。
だけど、そんな僕の心情を読み取ったのか、途端にプリエはクスクスと笑った。
「下心まる見えだね」
あ……プリエに指摘されて初めて自分が失態をしたことに気づく。しまった、これでは呆れられる。いや、変態に思われる。しかし、これ以上に思いつく言い訳を思い浮かばない……僕は悶えそうになりながら一生懸命両手を振って否定した。
「変なの……私よりも年上なのに子供みたい」
だけどプリエはそんな慌てる僕を眺めて腹を抱えて笑い出した。その表情は七歳にふさわしい元気あるものだった。その瞬間、まぁ笑われてもいいか、と僕の中で何かが腑に落ちた。それで笑顔になれるなら笑われた甲斐もある。
だけど、ひとしきり笑った後、プリエの表情は一転して朗らかになった。そして「……でも、何も見えないよりは信用できるかな」とまるでこれが二度目であるかのように呟く。
「お願いします。助けてください。セイのお兄ちゃん」
晴れやかな笑顔でプリエは初めて僕の名前を言った。
そうして、その帰り道。唐草を踏んでギルドホームに帰路についた僕たちは今まで話せなかったたわいない話を、その冒険譚を心行くまでした。
プリエもどうやら我慢していたようで、僕の言葉に目を輝かせて聞いてくれた。その頬笑みは太陽のように眩しい……とても子供らしい笑顔だ。その笑顔はこちらまで元気になれそうなほどに。
もしかしたら、あの片言だった喋りとキャラは演技だったのかもしれない。考えればわかるではないか、プリエは僕ではなくて〈冒険者〉を嫌っていた。だったらノエルだって警戒していたはずだ。その表れがあの片言の言葉なら納得がいく。
「ノエルにも見せたいな、その笑顔」
僕はつい口走った。だけど、それが引き金になったのか、ひとしきり笑っていたプリエの表情がぷつりと電源が切れたように暗くなった。まるで、自分だけ良い想いをしてはいけない、と言わんばかりに。
「どうかしたのか?」
僕は聞く……プリエの真っ直ぐな目を見ながら。すると、逃げられないと悟ってプリエは目を伏せて小さな声で告げた。
「……実はね。ずっと前……お兄ちゃんたちが私の家に来た頃、ノエルお姉ちゃんにも言った事があるの」
僕は眼を開いて立ち止まった。そして、オウム返しのように確認する。
「ノエルは知っていたのか? プリエのお父さんが……〈大地人〉が帰らぬ人になった事を」
その問いにプリエは首を縦に振った。
つまりノエルは、あのまだ僕と同じ高校生ぐらいしか歳を重ねていない少女はその小さな背中で受け止めてしまったというのか。それも僕たちがギルドホームを作ったその時……つまり〈大災害〉直後に。
はぁぁぁああ…………僕は大きなため息を吐いてその場に座り込んだ。頭を抱える。
あぁ、なんかいろいろと納得してしまった。なぜノエルがコールを遠ざけたのか、なぜノエルは僕が助けに行こうとすると止めるのか……警戒心の強いノエルの、その一つ一つの言動が全て理解できてしまった。要は僕を守っていたのか……あの小さな背で。〈武闘家〉のように世界の不条理という攻撃を一心に受け続けていたのか。
一方、プリエは座りこんだ僕を一望して慌てる。
「ごめんなさい。やっぱり私のせいで……」
「いや、それは違うよ。それよりもプリエが事情を話した後、ノエルはどんな様子だった?」
するとプリエは後ろめたいように肩身を狭くしながら慌てて言った。
「泣きながら『ごめんね』って。『何もできなくてごめんね』って」
「…………」
やっぱりか、と僕は思った。
その時、ノエルはきっとプリエに同情したのだ。同情して自分たちにもそれは起こりえるかもしれない事を理解した。だから、必要以上に背負いこもうとしているんだ……不幸を。
そして、
「だからこそプリエは僕の申し出を受け取ったんだね」
プリエは黙ったまま目を伏せた……それは肯定と同じ意味だよ、プリエ。
でも、これは比較的ノエルが悪いだろう。きっとどうにかしてくれる……プリエはそう思ったから自身の事情を、父の事を話したはずだ。なのに返ってきた答えが『何もできなくてごめんね』だったらがっかりして当然だ。だからこそ僕の申し出は『何も見えないよりは信用できる』のだろう。
――だけど、僕も人の事は言えないんだよな。実際コールの助言がいなかったら僕も何もできなかったはずだ。
僕は頭を掻きながら「ああぁぁあ、もう!!」と鼓舞して立ち上がった。
「勝とう!」
途端にプリエが「え?」と首を傾げる。
「要は優勝して祝勝会をすればいいんだよ! 今までの事全部水に流すようにさ! 間違ってばかりの僕たちだけど、それを許しあえるのもたぶん僕たちにはできる。だから大いに騒いで笑おう!」
そう思って僕は両手いっぱいに手を広げた。プリエは一瞬驚きながらもその言葉に同意してくれた。
こうして、プリエをギルドホームに連れて帰ると、コールがすっと立ち上がって走ってきた。ずっと軒先で待ってくれたらしい。そして、僕とプリエが仲良くしている様子を見て、手を振るコールは全てを察してくれた。
「うまくいったようですね」
「ああ、僕は三日後の闘技大会で優勝する」
「そうですか。なら私もお手伝わせてください!」
僕は首を傾げた。だけど、コールは僕に近づいて背後の鞄に手を突っ込んだ。そうしてとあるアイテムを抜き出す。
それは〈呪詛の刃零れ〉……僕とコールが初めて会った〈試しの地下遺跡〉で得た戦利品だ。武器を新調しようかと手に入れたものだが、結局〈ギルドストリート〉でぼったくられたせいで制作する費用が足らなくなったんだっけ。
「そして、こちらをお借りしますね」
と同時にそれと僕の〈シミター〉を引き抜いてコールは少し離れた場所まで下がる。
「え、ちょっと、何を」
僕は慌てて取り返そうとした。ここ〈ファーマーホール〉も『戦闘禁止区域』に指定されている。早くしないと〈衛兵〉がきてしまう。
だけど、その手は寸前で止まった。突然コールの持っていた〈呪詛の刃零れ〉が物凄い勢いで青白く光り出したのだ。
「お、おねえちゃん……?」
あまりに眩しすぎてプリエは目をつむる。そんな中で僕は手を翳しながら瞼を上げ続けた。よく見れば、コールさえも光っている……いや、待て。実際には〈呪詛の刃零れ〉が輝いているのではなく、コールから発せられた光が〈呪詛の刃零れ〉に流れているようだった。
光を受けた〈呪詛の刃零れ〉は次第に溶けだし〈シミター〉に染み込んでいく。それはまるで〈冒険者〉が所得できるサブ職業〈鍛冶屋〉のようだった。
「これは…………っ」
僕は呻く。だけどその瞬間〈呪詛の刃零れ〉が剣の全身に染み渡り、〈シミター〉がより一層光り輝いた。さすがに僕も耐えられなくなって目をつむる。
「……できましたよ」
そうして次の瞬間、コールに呼ばれて瞼を上げるともうそこに〈シミター〉はなかった。形状は〈シミター〉よりも曲がりくねった刃を持つ曲剣になっている。性能も全く別のもの……これは間違いなく、ネームドアイテムという特注品になっていた。
その剣を両手で抱えたコールはゆっくりと僕に差し出した。僕はその曲剣をトントンと指でつついて詳細メニューを呼び出す。
「……」
そして、僕はその効果に息を飲んだ。
こんな珍しい効果の、それも装備があったなんて……それもこれを実際に作った人物が目の前にいる。これは大変な事なのではないだろうか?
「もしかしてとんでもない子を拾ってきたかも」
今更ながら僕は彼女の異常性を再確認する。
そうとも知らず、その張本人であるコールはいつまでも武器を取らない僕に可愛らしく小首を傾げていた。
◇
そして、三日後がたった。
今日は二月十四日。バレンタインデーは始まった。
街は色鮮やかに飾り付けられ、商人が目の色を変えて売り込み始める。それはまるで祭りのように、街道を歩く客は目的地を目指しながら彼らの売り込みに耳を傾けた。
そんな客が目指したのが、目玉イベント『闘技大会』だった。その闘技大会は〈ナカスの街〉の西に位置する〈ナインテイルコロシアム〉で行われる。
〈ナインテイルコロシアム〉は、街の中でも常時戦闘行為ができる唯一の場所だ。その中央にはもちろん戦闘ができるステージがあり、その周りを観客席が固め、外の渡り廊下で繋がっている。もちろん蔦や木々の浸食があり、崩壊した場所もあるが、もっともドーム状の形が残った建物だ。
僕は今そのステージに立っている。これからここで『闘技大会』の予選が行われるのだ。いくつかのグループに分け、それぞれで実施される。僕がいるのはその一番最初、第一グループに配された。
周りには鎧甲冑や大層な飾りのついた剣をさげた者たちがうようよいる。そのどれもが僕よりも体格が良い者ばかりだった。
「やっぱり大会は違う……」
僕は迫力に負けそうになって息を飲んだ。普段は猛者しか来ず、数人が入り乱れるほどだけど、今回はやはり大会と言うだけあってステージに立つ人数が多い。観客席も〈大地人〉、〈冒険者〉、問わず全て埋まっていて立ち見さえしている者もいた。
そして、その中にコールの姿もあった。さすがに小さな子供であるプリエを連れて来ることはお世話になっている農婦の方が許さず、代わりにコールが応援に買って出たらしい。僕としてはコールだって〈Plant hwyaden〉に睨まれているのだから残っててほしかったが、本人が「どうしても行きますから!」と強く主張して離れなかった。
そんな彼女は今、必死に手を振りながら僕にエールを送っている……まぁ、観客席にいる分には大丈夫だろう。木を隠すなら森の中ってやつだ。僕は気がほぐれたのか、笑って手を振り返した。
「問題はむしろこっちかな」
だけど視線を戻すと、僕はステータス画面を開いた。そして、フレンドリストにあるノエルの項目を選択した。
〈念話〉は相変わらず受けつけず……プリエと約束をしたあの日から何度か連絡を取ろうとしたが結局ノエルは出てくれなかった。どうやら泣いて謝るまで許してくれないらしい……僕は悩みを抱えてため息を吐く。
そんな時だった。フレンドリストの『ノエル』の項目が点灯したのだ。
「え!?」
フレンドリストは登録された者が同じゾーンにいるか点滅で教えてくれる。つまりはノエルがこのゾーン――〈ナインテイルコロシアム〉に入ったことを意味している。
僕は思わず周りを見渡して探し始めた。観客席……にはいない。だとすればこのステージにいるのか?
僕の足取りは次第に軽くなる。そうして、ステージを歩きまわるとその中にもう一人だけ僕のように身軽さを重視した格好をした人影をみつけた。薄暗闇色のコート〈常夜のコート〉を着て、なお且つ赤髪おさげの茶目っけがある格好……間違いない!
「ノエル!」
僕は嬉しくなって大声で叫んだ。そして、ノエルは声のもとを探して目を泳がせた後、少ししてからこちらにみつけた。
「……」
だけど、彼女はじーと黙したまま鋭く睨んだ。そして、そのまま僕の言葉など無視して奥に進む。僕の肩に気まずい雰囲気が圧し掛かった……いや、負けてはいられない。ノエルの抱えているものを知ったからには僕も放ってはいられない。僕は再び声をかけるために息を吸った。その時だった。
『お待たせしました。これから闘技大会予選が始めます! まずは第一グループから……』
と〈ナインテイルコロシアム〉の観客席から司会進行の〈大地人〉が声を張り上げる。
『予選形式はずばり乱戦方式! この場にいる者を倒し、最後お一人になった者が決勝トーナメントに進みます!アイテムの使用は不可。武器は装備できるのであればバンバン使って大丈夫です……思う存分やっちゃっていいですよ』
同時にステージにいる大会参加者が雄叫びを上げる。その雄叫びは〈ナインテイルコロシアム〉を包み込み、とてもノエルを追える状況ではなかった。
仕方ない……同じグループなのだから戦っていたらいずれまみえるだろう。
「しかし、先に進めるのは良くて僕とノエルのどちらか、か……」
できればノエルとは別グループになって決勝まで当たらずに済めば良かったのだが。
だが、僕はその迷いを捨てる。僕に負けず劣らずノエルも強い……まずは負けない事が大事だ。僕は自身の腰に括りつけていた剣を引き抜く。
『それでは……始め!』
そして、司会者の合図と共に武器を引き抜く金属音が一斉に鳴った。
刹那、参加者の大半が僕へと振りかえる。残りはノエルへだろうか。まずは手頃な奴から……そう言う事だろう。装備が手薄な物から仕留める。正しい判断だ。だからこそ予想ができた。僕は己の手を背に回し柄を握る。
「覚悟!」
途端に、参加者の何人かが身体を捻って武器を振る……だが、遅い。僕は一気に手に持った武器を引き抜いた。
次の瞬間、彼らはのたまう。一斉に襲いかかってきたはずの前後左右の五人が一斉に払いのけられたからだ。だけどそれで終わらない。彼らはそのまま周りの二人を巻き込んで二メートルほど吹き飛ばされた。
「な、何が起きた――――っ!?」
そしてその光景を呆然と見ていた参加者は気づく。自身の腹には、もう僕の持っていた武器の切っ先があてられていた。その切っ先はすでに光り出し、僕の身を包み込んでいた。
「〈アクセルファング〉!」
瞬間、僕の身は参加者の一人を突きぬけていた。刹那、轟音と悲惨な叫びが散り、一気に五人が気絶して倒れる。
後に残ったのは不自然に開けた一本の道とその先でたおれる合計八人の参加者。その道は密集していた参加者に強烈な印象を与えた。
「……こいつは只者じゃないぞ」
その言葉に対し、僕は一本道の先で剣の構えを解いて立ち上がる。胸に手を置くと心臓がバクバク鳴り響く。
――ああ、楽しい。
きっと今、僕は笑っているだろう。やっぱり人と競い合うのは楽しい。純粋に勝利の余韻に浸れるということもあるが、『負けたくない』『勝ちたい』と思う自分が確かにいる。それを感じる事ができる。
あぁ、やっとプリエのお父さんの気持ちがわかった……抗いたかったんだ、システムという壁に。
「さぁ、かかってこい!」
そして、僕は頬笑みながら残りの参加者に自らの武器を向ける。その武器は曲がりくねった剣……あのコールがくれた曲剣だった。
しばらくたって、あと残り少ない参加者が躍起になって僕を追ってくる。
「くそ、あの〈暗殺者〉の武器どうなってんだ!?」
途端にその一人が先端に錨のような鎖鎌を構えた。技を出す気だ。直後錨が光り出し振りまわされた。錨は他の者を巻き込んで横なぎに突っ込んで来る。〈ワールウィンド〉――前方範囲攻撃か。
やばい……これでは逃げられない。ここは防ぐべきかと僕は曲剣を錨に対して直角に構える。
だけど、その時後方から何かが打ち出された。それは頭の真横を通って錨が僕に当たる前に最後の参加者を射抜いた。相手のHPゲージが【1】になり、気絶する。
「……本当に詰めが甘いんだから」
すると、太陽が騒ぎを聞きつけて〈ナインテイルコロシアム〉の塀から顔を見せてた。そして、一人の少女を照らし出す。
僕はゆっくり振り返るとそこに赤色のおさげをたなびかせた少女がいた。構えた手には護符のついた投擲武器〈クナイ・朱雀〉が握られている。間違いなくノエルだった。
ノエルの後ろには誰もいない。たった今残りの参加者も倒したのか、参加者の掌が力無く垂れた。
「あとはノエルだけみたいだね」
「ええ」
ノエルはただ淡々と返答した。だけど、その手に掴むクナイを降ろそうとしない。それが答えだった。
額に汗が滲む。観客さえも少しばかり沈黙を余儀なくされた。そして、ついにその沈黙を破かれる。まるで銃の引き金がひかれるようにクナイは放たれ、僕の背筋に悪寒を走らせる。
直前を見計らって僕はとっさに後ろに跳ぶ。その成果もあって足を狙ったのか、跳んだ地面にクナイがめり込んだ。
「――っ!?」
だけど、僕は腹部に強い衝撃を受けて着地した途端に咳き込む。胸部を見ると、装備していた〈試作魔道胸甲〉にダメージを受けた跡が残っていた。
そうだった……僕は〈クナイ・朱雀〉の特徴を思い出す。もともと投擲武器は火力がないのが特徴だ。当たり前だ、クナイも『弓』と同じ遠距離系の武器なのだ。距離が遠くなれば火力も下がるわけだ。だがその中にも例外となる武器があった。
その一つが〈クナイ・朱雀〉。護符を爆発させ、一度に二度ダメージを与える。つまりは一発かわしても、追撃を受けるのである。それだけでも火力があるのは見てとれた。
その分、射程が短いという短所があるが、ノエルはその短所を柔軟なセンスで補っていた。
「詰めが甘いのがセイの弱点」
ノエルが攻撃を再開する。投擲しながら迫る彼女に隙はない。彼女の間合いに入ればまず勝ち目はない。
僕はジグザグに飛び退いた……だけどかわすために横に跳ぶと、その退路を塞ぐように片方のクナイが地面を抉る。そして、止まった僕に残りのクナイが狙いを付ける。
くっ……結論として、僕は後ろに跳ぶしかなかった。こうして僕はノエルに誘導されるように後退していき、やがて背中に、トン、と何かがぶつかる。
「壁……追い込まれた!」
そう、僕はステージ端まで誘導された。その隙にノエルは間合いを詰めてくる。さすがだ。投擲武器の強みを最大限に生かして、敵をひきつける〈武闘家〉の戦い方をきっちり果たしている。
こうなったら一か八かだ……僕は曲剣を構えた。と同時にノエルに詰め寄る。そして、それと同時に地面に刺さったクナイを投げ放った。
しかし威力はない。もともと〈暗殺者〉は投擲武器を扱えない。だから『攻撃』というよりは『物を投げる』の動作に近いだろう。
「そんなのの当たらなければ……」
だけど、それに反応してノエルはすぐさま身体をよじった……よし、それでいい!
「なっ!」
ノエルは自分が気を取られていたことに気づく。クナイは一寸横を見事に通り過ぎたが、その影から蒼髪がなびいたからだ。
そう、僕はクナイを投げ放った直後追従していた。すぐさま曲剣を下段に構えて振り上げる。同時にノエルも左のクナイで狙いを定めるが、間に合わない。クナイは必要以上に内側に入られると極端に使えないものになる。
だが、さすがというべきかノエルは右のクナイを横に向けて斬撃をガードした。
でも、
「え、なに? 斬撃を抑えきれない!?」
瞬間ノエルが強風に煽られたように吹き飛ばされた。地面から足が浮き、吹き荒れた斬撃に薄暗闇のコートが、パタパタ、と音を立てる。僕はそのまま曲剣を低くし、〈アクセルファング〉の構えを取った。
ノエルの身は宙に浮かんだまま。あれではクナイを放つために必要な踏ん張りが効かない。今が最大にして最高のチャンス……。
「〈ファントムステップ〉!」
しかし技の発動時間が完了する前にノエルは煙のように消えた。そしていつの間にか地面に現れた後、悠々と体勢を戻し、同時に簡単に詰められないように距離を取っていた。そうか、〈ファントムステップ〉には『即時移動』という一瞬のうちに移動する効果もあったな。
途端に僕は曲剣を構え直す。今、僕とノエルの距離は三メートルほど……おそらく仕切り直す為にノエルはクナイの射程外まで逃げたのだろう。
「随分とやる気だね、ノエル」
僕は声をかける。その声は必要以上に震えていて自分自身でも驚くほどだった。やっぱりノエルは僕より戦いのセンスある。
だけど、同時にどこか嬉しかった。強敵と戦えるほど楽しいことはない。適度な冷や汗を感じながら、僕は額の汗を拭って警戒する。
一方、目の前のノエルはクナイに異常がない事を確認すると、刃先を向けながら口を開いた。
「そっちこそ。何よ、その武器は」
僕は一回自分の握っている曲剣を見つめた。その刀身は美しい蒼色の筋が走っている。
「名を〈迅速豪剣〉。その効果は――通常攻撃を与えた場合に限り、吹き飛ばし効果を加える」
途端にノエルが口をぽっかり開けて唖然とした。
その気持ちはわかる。実は〈エルダーテイル〉には敵を吹き飛ばす効果……つまり『強制移動』させる効果はレア中のレア。かろうじて戦士職にあるかないかくらいの頻度で、効果自体少ないのだ。
そんなものがこの剣に宿っている……それも、
「これを作ったのは、コールだ」
刹那、ノエルの顔が渋る。信じていないわけではない……ノエルは僕と共にコールがドロップされた場面を目にしているのだ。だからこそノエルはただ気にいらないように眉を細めた。僕は声を張り上げる。
「なぁ、帰ってこないか!? ノエルもプリエの事は聞いたんだろう。コールと一緒にこの大会で優勝するために力を貸してほしい!」
すると、ノエルが少し警戒を緩めて言う。
「そう、知ったんだ……でも、だったらなぜそんな事を言うの?」
え……僕は意表を取られて唖然とする。すると、その意思を読み取ったのか、ノエルは煮え切らない声音で呟く。
「そんなこと言って、私がコールにいやがらせをする、とか思わなかったの? 私はコールを嫌っているのに?」
僕はつい目を丸くしてしまう。
「なぜ?」
「『なぜ』って問いたいのはこっち……」
「そうじゃなくて、なぜ僕より人に寄り添えるノエルが何でいやがらせをするの?」
えっ、と今度はノエルは唖然とする。だけど、段々と言葉を理解したのか、耳まで赤くして目尻をあげた。
「ば、バカにしてるの! 今までだってセイに何度も反論してきたじゃない!? 人助けするなって言ってきたじゃない!?」
「でも、それは僕を心配してくれたからだろう? そんな奴が本当の意味で『嫌がらせ』なんてしない」
ノエルが図星をさされたように一歩下がり出す……。
「だけどプリエの事を黙っていたのはちょっと腹が立ったな」
「黙りなさい!」
刹那、風を切るような音が鳴った。ノエルはまるで僕の言葉を耳を閉ざすようにクナイを放ち、完全に隙を突かれた僕は構えていた曲剣を弾かれてしまった。
しまった……警戒を解きすぎた。とっさに手を伸ばすが、それもノエルが地面にクナイを放ち塞ぐ。せっかくの『吹き飛ばし効果』も武器装備をキャンセルさせられれば意味がない。
ノエルの赤髪おさげが風に触れる。嵐の前の静けさともとれる冷静さが肩に押しかかる。ノエルのクナイは狂いもなく狙いをつけていた。
「それがわかっているなら、どうして助けるの。セイはいつもそう……物事を軽視する。幼稚園の時、覚えている? 私が『やめよう』って言ったのにいじめっ子を退治しようとしてボコボコにされた事……」
僕は額に冷や汗を流しながら首を縦に振った。
確かノエルと友達になった時だ。ノエルがいじめられていたから助けようとしたんだ。でも結局現実の僕は弱くて返り討にあった。それを見てノエルが泣いて……。
「あの時、少しはかっこいいと思った……でも、結局はただのバカだったんでしょ! あの日から私が意見しても、セイは聞く耳持たなくて。だから私の事なんてどうでもいいんでしょ!?」
そっか、だから苛立っていたのか。僕がノエルを無視していると思って。
「だから……私は力づくでもわからせるのよ!! 人助けも、時と場合を考えろって」
まるで自己暗示をかけるように呟く。同時に全ての迷いを振り切って再び接近してきて、こちらに向けて一斉掃射するために跳びあがった。上空権を取る。
この場にいてはいい的だ。視線の先ではノエルが迫ってくる。
だけど僕は肩の力を抜いて落とした。そして、目の前の少女の手からクナイが放たれる――――、
「……なぜ何もしてこないのよ?」
――――結果としてクナイの刃が僕の身体に当たる事はなかった。
クナイは大きく逸れステージの壁を射抜いている。ノエルは僕の頭の真横にクナイを放ったのだ。そしてもう片方のクナイを僕の額に合わせて立ち止まる。
一寸先はクナイの刃……そんな状況で僕は微笑んだ。
「ノエルなら撃たないでくれるかな、と思って」
「良く言うわ。ちゃっかり私の武器を掴んでいるくせに」
そう言うとノエルは機嫌悪そうに僕の右手に視線を流した。その手先にはノエルの使うクナイが一本だけ握られている。
やっぱりばれていたか……僕はばつの悪い顔をした。そう、先程地面に刺さっていたものを抜いた際に一本だけ隠し持っていた。だけど僕はノエルから目線を外さなかった。
「でも抜かなかっただろう」
「結果として……だけどその分信じてくれたわけか」
そう言うと、ノエルは肩を降ろしてクナイを落とした。そして、警戒を解くように両手をあげると、深々と静まった会場に高らかに宣言した。
「私、ノエルは大会を棄権します!」
その言葉に僕は驚いて口を開けた……。途端にノエルが注釈を入れる。
「……別にセイのためじゃない。今回はプリエちゃんの頼みだから」
「ノエル」
そうか……ノエルはプリエの事情を知っている。今回優勝を目指しているのは、コールのためではなく、いつもお世話になっている農婦の娘プリエのためだと知っている。だったら無理に勝とうとはしないはずだ。知ってしまった以上、無下にはできない。
至って冷静……ノエルは我を忘れていなかったんだ。
「どうしたんですか? 私は棄権を表明したのですが」
その時、ノエルは再度大声で叫ぶ。と同時にいきなりの棄権に唖然としていた司会が「ハッ!?」と目を覚ました。
『えー、よくわかりませんがノエル選手が棄権を表明しましたので……トーナメント進出はセイ選手!!』
同時に観客たちもわからないまでも噴気する戦いを見て満足したのか、我に帰り「オー!」とひっきりなしに声援を送りだす。その賞賛に僕は少しばかり胸が高鳴った……ってそんな感慨に浸っている場合じゃない!!
僕はとっさにあの茶色い皮鎧の影を探す。すると、ノエルはもうステージから出て通路に向かっている。僕は慌てて曲剣を拾って急いで後を追った。
「ノエル!」
僕は〈ナインテイルコロシアム〉のエントランスでやっとノエルの肩を掴んだ。なぜかノエルは早足で逃げるように歩いていたせいだ。そうして所々コンクリートが蔦に包まれているエントランスに僕はたどりついた。
僕たちの他には誰もいない。受付さえも登録作業を終えて次の仕事へ向かったのだろう。
そんな中、再び歓声が響いた。第二グループの予選が始まったのだ。そんな歓声と静寂に包まれたエントランスに二人の荒い息遣いだけが響いた。
「……なんで逃げるんだよ」
「逃げてないわよ」
「それだったら、帰ってくるんだな」
ノエルは無言のまま振り向いた。僕はその目をしっかりと捉える。
「ノエルがどう思おうと、僕はノエルを仲間だと思っている」
「……忘れたの。私はまだあの『コール』って子の事を認めわけじゃない」
僕はその言葉に詰まってしまう。ノエルをなんとか納得させたいが、言葉がみつからない。
その時だった。観客から降りてきたのか、ドタドタ、と忙しく駆け下りる音が響いた。僕たちは振り向いて目を凝らす。
やがて観客席への昇り階段からチェック柄のチュニックを着た少女が息を切らして姿を見せた。その上から覗かせる金髪は間違いなくコールだった。
コールは僕らをみつけるとそのままノエルに一寸先まで迫った。途端にノエルが仰け反る……ノエルに迫ったコールの瞳はよどみがなく、歪みっぱなしのノエルには眩しすぎたのだろう。そんなコールはノエルの心に足を踏み込んだ。
「駄目です」
ノエルは慌てて一歩下がる。だけどコールは負けじと一歩近づいた。
「この闘技大会が終わったら、私が出ていきます! だから二人は一緒にいないと駄目です!」
え……とノエルは唖然としながらも首を傾けた。コールの純粋な瞳がノエルに訴えかける。
「私には戦いの事はわかりません……だけど今の戦いはまるで息ぴったりでダンスをしているようでした! だから、私でもそんな二人が離れているのはおかしいことだってわかります!」
だけどノエルは少し目を逸らして言う。
「そんな事言われたところで認めたりしない……」
「ノエル!」
僕は怒鳴った……コールは心配してくれたのにそれを突き離すというのは、さすがに容認できない。肩を掴んでノエルの無理に振り返らせる。だけど赤髪の少女は、離してと言わんばかりにその手を弾いた。
「うるさい、うるさい! 何なのよ!? 私は恐いの……セイと違って私は人助けしようとしても身体がこわばるの! だからいいじゃない!!」
ノエルが今にも泣きそうなほど喚く……私は人の身よりも自分の身が大事だからと。だから時々、セイの隣にいるのは苦しくなったと。その表情はぎりぎりまでコップに溜まっていた水が溢れるように、感情が波と鳴って溢れ出ていた。
同時に僕はそこまでノエルを追いこんでいたのかと知った。まさか人助けが知らないうちに誰かを追いこんでいるとは思わなかった。
――でもだったら余計にどうすればいいんだ。
人助けをしなければ今度は目の前で酷い事が起こる。僕がそれを容認することはきっとないだろう……昔も、これからも。
「それは違いますよ、ノエルさん」
するとコールは僕の手を優しく掴んで、そして、反対側でノエルの手を掴んだ。コールはまるで女神のように、問いに応えるように囁いた。
「だってノエルさんはここにいます。じっとすることもできたのにここに来ています」
「だからそれはセイを……!」
「それでも誰かのために来てくれました。だから大丈夫です、ノエルさんも立派なお人よしです」
僕はその言葉に胸を打たれた。
確かにそうだ。たとえコールのためではなくてもノエルは僕のために来てくれた。そして、プリエのために勝利を譲ってくれた。それは人助け以外の何物でもない。
「……」
ノエルもまるでその事に気づかなかったようにばつの悪い表情のまま目を伏せる。
その時だった。
「くせぇ、くせぇなぁ。おい何だよ、この茶番劇は」
再び声がエントランスを包み込んだ。だけどその声はドスが効いて下品なイメージを与えた。僕はとっさに振り向く。
ステージの繁用通路からどこからともなく長い刃……大太刀を抱えた大柄の男が近づいてくる。そいつは革と金属を合わせた重装甲を身に纏い、部下を二人連れていた……ってどこかでみたような気がする――でもどこだったっけ?
そんな頭の上に『?』マークを掲げている僕に気がついたのか、ノエルはため息を吐きながら言葉を挟んでくれた。
「……忘れたの? この前、飲食店で〈大地人〉に乱暴を働いた〈ワイルドアーマー〉の男」
あっ……僕は思い出して、グーとパーで両手を合わせた。そして、指をさす。
そうだ、十日前……ちょうどコールと出会った日、飲食店で店員を脅して嘲笑っていたエセ〈冒険者〉たち。確かコールが注意し、逆上したところで僕が戦いを挑んで勝った相手。確か名は……、
「燃えない山猿!」
途端にコールが顔を隠した。固くこわばっていたノエルさえも我慢できずに吹きだしてしまう。
「『燃えるが山の如く』だ!」
とっさにエセ〈冒険者〉が大声で訂正する。だが、もし信玄の『風林火山』を参考にしているなら『動かざること山のごとし』ではないだろうか? なぜそんな名前にしたのだろうと疑問に堪えない。つまりは頭の中がからっぽなのか?
だけどエセ〈冒険者〉はその挑発には乗らず、一瞬でその表情を冷静なものへと変えていく。さすがに前回叩き潰された事で反省したのだろう……「まぁ、いい」と前置きして叫んだ。
「まさか闘技大会に出場しているとはびっくりしたが、おかげでこうしてあの時ボコボコにされた報復ができるってもんだ!」
直後、部下の二人もそれぞれの武器を手に取った。それで今までの笑いに満ちた空気が冷やされる。僕は反射的に曲剣に手を添えた。
だけど、その手をノエルが止めた。そして、一歩前に出る。
「あなたたちバカなの? ステージでもないのに武器なんて持って」
「ふん、そっちこそ知らねぇのか? 〈ナインテイルコロシアム〉はステージだけではなく、全体が戦闘可能地域なんだよ」
瞬間、僕らは皆驚いた。そんな話は聞いたことがない。
だけどすぐさまステータス画面を開いてゾーンの確認をすると、確かに『戦闘』の項目が『可能』になっている。刹那、僕はコールを守るように背中に隠した。
それを好機と感じたのか、エセ〈冒険者〉はその緊張感を恐れに変えさせるように己の空気を纏い一歩ずつ近づいてくる。
「つまり、ここに入ればプレイヤーはボコれるわけだ」
「……」
途端に、僕は鞘に収まった曲剣を引き抜こうとした。でもその手をノエルの掌が押さえる。
「セイが手出ししたら出場停止になりかねないでしょ。ここは私に任せて」
そう言うとノエルは薄暗闇色のコートを翻してクナイに取り出した。
「相手は三人だ。できるのか?」
「平気。それよりもいざって時はコールを連れて逃げなさいよ」
「……」
僕は黙した。ノエルの言葉は、負けた事を想定しろ、と言うようなものだ。
そう、ノエルはああ言うが、数の優位は相手にある。これで僕たちが逃げたら囲まれて死ぬのは目に見えている。
「ノエルさん!?」
それが理解できたのか、コールが叫んだ。それでも僕とコールをかばうように立ちまわるノエル。
するとエセ〈冒険者〉はあの時と同じようにノエルを舐めまわすように睨んだ。そして、その手に握る大太刀を高らかに振り上げる。だけど、
「〈タンクデサント〉」
制動をかけるように新たな声が投げかけられた。その声は観客席に至る階段から突風と共に流れ込み、次の瞬間、金属と金属のぶつかりあう音が鼓膜を破らんとするほど響いた。
「誰だ!」
エセ〈冒険者〉が叫ぶ。すると次第に突風は治まり、目の前にはガシャンと音を鳴らして攻撃を防ぐ全身鎧を着た青年が舞い降りていた。
目の前の青年は、美形を思わせる端正な顔つきにメガネをかけた完璧なキャラメイクだった。この世界では全員整った顔つきではあるけれど、それにもましてこの青年は綺麗なので現実世界でも『美男子』とか言われていたんではないだろうか。
その身に纏っているのは左肩に外套がついた鎧……確か〈グローリーアーマー〉と呼ばれる鎧だったはずだ。その名のように青年にも英雄のような威厳が感じられた。その青年が小手を盾にしてエセ〈冒険者〉の大太刀を防いでいた。
「ほ、ホネスト!?」
途端にエセ〈冒険者〉がとっさに距離を取った。あれだけ野蛮な行為をしてきた男が一瞬で下っ端のようになる。その格差が僕に違和感を与えた。
「そこまでにしておいたほうがいい……話がそこまで聞こえていましたよ。しかし、なんとませた事をしますね、『燃えるが山の如く』さん」
青年はそのまま鎧を鳴らし、エセ〈冒険者〉を睨みつける。そんな彼に僕は名前を聞いた。すると、青年は、これは失敬、というように頭をさげた。
「僕の名はホネスト。一応、ここの闘技大会に参加している者です」
「そして、反〈Plant hwyaden〉のリーダー……ですよね?」
その言葉にノエルが警戒した口調で口添えし、僕はやっとのことで思い出す。
〈大災害〉後にこの〈ナカスの街〉は〈Plant hwyaden〉に占拠され奪われた。〈ナカスの街〉の〈冒険者〉は〈大神殿〉を押さえられ、僕たちはもちろんのことそのやり方に異を唱えた者がいた。
だけど、その中でもさらに二つの勢力があるのだ。僕たち〈Plant hwyaden〉に入らない事で様子を見る温厚派と、そしてもう一つは〈ナカスの街〉を奪還しようとする強行派だ。〈Plant hwyaden〉の侵攻に敵対した〈冒険者〉でメンバーが構成された彼らは今では反〈Plant hwyaden〉のグループとして動いていると聞いたことがある。
だけど正直、その代表が彼だと言うのか、と疑った……思ったより若いし、声の調子からみても歳は二十代前半だろう。そんな人がなぜこんな所にいるのもおかしいし、なにより……。
「お、おまえらは〈ナカス〉の外に出て行ったはずだ!」
そう、エセ〈冒険者〉の言うとおり反〈Plant hwyaden〉は一旦〈ナカスの街〉を離れて機会を窺っていたはずだ。
すると、ホネストは子供のようににやつきながら言う。
「言ったでしょう。ただの参加者だって」
そんなホネストはにっこり笑うとこちらに向き直った。そして、僕を見て「へぇ……」と関心を持って呟く。
僕は驚いて一歩足を引いた。何故か凄く気持ちが悪い。なんだろう、この有無を言わせない威圧感は……まるで値踏みされている感覚。足首はもう生まれた小鹿のようになっている。
だけどホネストに敵意はないらしく、すぐさま雰囲気を元通りにすると再びエセ〈冒険者〉に視線を向けた。
「まさか〈Plant hwyaden〉さんは参加者を無下にはしませんよね?」
「は、おまえが参加者だろうか関係ねぇ。おまえをやれば俺も拍がつくってもんだ!」
すると、エセ〈冒険者〉は大太刀を掲げた。ホネストはやれやれと首を振り、外套の下から一本の大剣を取り出した。それはホネストの幅が広く、前に構えれば盾にも使えそうな剣だった。それを軽々と持ち上げるとホネストは宣言する。
「〈オーラセイバー〉」
途端に大剣が光り輝いて、その重さとは裏腹に速さを増す。その光景はまるで流星のごとく軌跡を描いて、〈ワイルドアーマー〉にヒット。吹き飛ばした。エセ〈冒険者〉は鎧に包まれていたのに腸を抉られたような悲鳴を上げる。
それもそのはずだ。〈オーラセイバー〉は貫通ダメージを加える技だ。いくら装備を固くても意味がない。つまり〈ワイルドアーマー〉はただの重い枷にしかなっていないのだ。
そんな、まるでエセ〈冒険者〉をバカにした攻撃を容赦なく叩きこんだ後、ホネストは忠告した。
「今すぐここから立ち去ってください。そうすればもう何もしません……僕たちに目をつけられたらどうなるかわかりますよね」
にっこりとほほ笑むホネスト……いや、もうあれは『悪魔の笑み』とでもいうべきだ。有無を言わせない頬笑みの……それもメガネの裏にどす黒い何かを感じる。
エセ〈冒険者〉もその言葉には鍔を飲んだ。途端に後ろにいた部下が「やばいですよ」「ここは逃げましょうや」と焦りの声をあげる……きっと相当な恐ろしさを感じたんだろうな。
さすがに分が悪いのを理解したのかエセ〈冒険者〉は「ちっ」と舌打ちをして大太刀を投げ捨てる。それで僕たちはほっと安堵の息を漏らした。ホネストも警戒を解いて僕たちに何かを言おうとして目線を背けた。
その時だった。
「んなわけねぇだろうが!」
刹那、太陽の光が反射して僕の瞳に映し出される。きらりと光ったのは大太刀の刃先だった。何を血迷ったのか、エセ〈冒険者〉が落としていた武器を拾いあげたのだ。そんな彼はこう喚く。
「俺は人を弄れるから、このゲームに来たんだよぉぉ!」
「……っ!?」
そして、その矢先にいたのは、僕らの前にいたノエルだった。さすがに目上の者であるホネストには勝てないと思って格下を狙ったのだろう。
完全に隙をつかれて彼女は動けない……僕も位置取りが悪く、防げない。ホネストが気づく。このままでは切られる。
「だめぇぇ!」
だけど目の前にいた少女の体が少しのけぞった。赤色のおさげに金髪が重なる……そう、コールが全体重をかけて跳びついて、圧し掛かったのだ。
その瞬間、時間が止まった。
時が氷河のように動かない。視界の色が消えていく。
その中でエセ〈冒険者〉の斬撃がコールの背中に走る……まるで地面を揺るがすように、誰かの逆鱗にふれたかのように。
――いや、今本当に地面が揺れなかったか……まるで何かが狂ったような?
「コール!」
だけど、途端に時が急速に動いた。ノエルが悲鳴をあげ、僕の視界に色が戻る。
「こいつ!」
僕は剣を引き抜いた。だけどそれより先に閃光が迸った。
「愚か者め」
ホネストの声が後になって耳に届く。そう、その閃光はホネストが大剣を引き抜いたのと同時に放った剣戟だった。だけどエセ〈冒険者〉は覚悟していたのか、先程とは違って今度はその剣戟を受けきって見せた。
「さすが『流星』の二つ名を持つ人だぜ」
その後もホネストは流星のように流れる剣劇を見せ、その全てをエセ〈冒険者〉は苦戦しながらも押さえていく。エセ〈冒険者〉もさすがに大太刀で急所を防いでいたのだ。そんな中、何がおかしいのかエセ〈冒険者〉はけらけらと笑い、人が落ちぶれて行くように表情を悪魔のように変えていく。
「そもそも〈ナカス〉も潮時かと思っていたんだよ。所詮、辺境だしな。〈ミナミ〉に行って、上にあがってみせるぜ」
途端にホネストは顔をしかめた。額に青筋を浮かべながら、しかし冷静に大剣を振りかぶる。エセ〈冒険者〉はチャンスと言わんばかりにその大剣を大太刀で受け止めた。そして、刃は拮抗する。
「……それなら早くここから出て行ってくれないかな? こっちも困るんだよ」
「ああ、いいぜ。おまえを屠ってからな!」
次の瞬間、エセ〈冒険者〉は剣戟を受け止めた反動を利用して、力まかせにホネストを引き離した。そして、ここぞとばかりに技のモーションに入る。
だけど、
「なるほど、つまり君は一つ勘違いをしているようだ」
「ああ?」
エセ〈冒険者〉は首を傾げる。すると、ホネストは遠くに引き離されたというのにさらに自ら退いた。それでエセ〈冒険者〉が気づく。
「君は今、一対一ではなく、一対二だ」
と同時にエセ〈冒険者〉の真上を見た。そう、僕はエセ〈冒険者〉がホネストに夢中になっている最中に斜め後ろを取っていた。
……だけど、おそらくこれはホネストがそうさせた結果だろう。ホネストが真っ先に出たのは、それを見越しての先制攻撃だったように僕は思う。彼はたった一瞬でこの結末まで考えたのだ。それはもう、ただの〈冒険者〉にできる領域を超えていた――やはり彼は反〈Plant hwyaden〉のリーダーなんだ。
そして、彼は一番に言いたかったことを僕に譲ってくれたのだ――。
「消えろ……」
途端に僕の曲剣に光が灯る。〈暗殺者〉の職業の戦いは一撃必殺。その技の待機時間はホネストが稼いでくれた。
そして、それが終わった今、全身が光に満たされる――その光を払うように僕は曲剣を横なぎに放つ。
「なっ!」
瞬間、男は背中を向けた。だけど逃げる暇もなくその胴体に僕は大きな傷をつけた……エセ〈冒険者〉がコールにしたのと同じように。
途端に淡い光が漏れだしてエセ〈冒険者〉は断末魔を叫びながら倒れた。直後、そのまま陸に上がった魚のようにピクピクと小指が揺れる姿を見て、部下の二人は「ぁぁぁああ!」と悲鳴をあげて逃げて行った。
これでもう彼らも僕たちを屠ろうという考えはなくなるだろう……そうあってほしい。
「コール、しっかりして」
それと入れ替わりでノエルの声がエントランスに響く。僕はすぐさま曲剣を収めて慌ててコールへと近寄った。ノエルの膝の上でコールは気を失っている。
「どうしよう、セイ。どうしたらいいの!?」
コールのHPは下がり続けている。そのコールの掌を取ってノエルはぼろぼろと涙を流している。僕は取り乱しながらもコールが受けた傷跡を眺めた。その傷は背筋を斜めに走っていた。こんなのもうどうにも……。
「ごめん。ごめんね。私が変な意地張ったりするから」
「ノエル……」
「誰だろうと関係なかった……もう目の前で誰かが傷つく姿を見るのは嫌だ」
ノエルの涙を頬に伝う。
そうか、ノエルはずっと本気で心配してくれたんだ……幼稚園で殴られた時も、ゲームにそっくりの異世界にいるこの時であろうと……僕だけじゃない、周りの全てを心配していたんだ。そんなノエルに意見を聞こうともしないで僕は……僕が一番何も理解していなかったんだ。
すると、ホネストがしゃがんで冷静に傷の具合を確かめて言った。
「いや、脈はある。まだ助かる」
とっさに僕らは顔を上げた。ホネストが立ち上がって先頭に立つ。
「治療室に運ぼう。僕が案内する!」
その後、ホネストに案内のおかげで特に迷う事もなく治療室にたどり着いた。
そこには回復アイテムがずらりと並び、たとえ回復職でなくてもその場で全回復できるようにできていた。そのありとあらゆる回復アイテムを使った僕たちはベットにコール寝かせた後、僕だけ治療室から開けて、外で待っていたホネストに頷いた。
「その分だと助かったみたいだね」
「はい。どうやらゾーン設定のおかげで一命を取り留めたようです」
ホネストは「なるほど」と満足げに微笑んだ。
ゾーンというのは土地の権利書のようなもの。僕だって知っている。そして、そのゾーンを買い上げた者は好きに設定を設けることができることも。
だけど、ここ〈ナインテイルコロシアム〉に至ってはその保有者がいないために確認を怠っていた。それが〈ナインテイルコロシアム〉全域が『戦闘可能地域』に設定されていた事の見落とし……コールを貶める原因になったのだけど、よくよく見るときちんと救済措置もあったのだ。
それが『HP減少抵抗【1】』という効果……HPが必ず【1】で止まるようになっていたのだ。
考えてみればわかることだ。ここは『闘技場』……つまりは必ず誰かが死ぬ場所でもある。そんな場所で、生き返る〈冒険者〉ならともかく、『闘技大会』を行っていた〈大地人〉たちが安心して戦うはずもない。彼らは彼らで自分たちに保険をかけていた。
そのおかげでコールのHPはなくならず、今では回復に向かって眠っている。ノエルも今はほっとしした様子でコールの手を握っていた。
僕は治療室にいる二人を愛おしく感じながら再び前を向いた。
「あの、助けていただいてありがとうございました」
「いや、むしろ何もできなかった。こちらが謝らなければならない」
そう言うとホネストは頭を下げた。僕は慌ててとっさに頭を上げてくれるよう頼んだ……危ないところを助けてもらったのはこちらの方だ。だけどホネストは尚も頭を下げ続ける……けっこう頑固な性格なのかもしれない。これは話題を逸らした方が早いか。
そこで僕は唐突に聞いてみた。
「……あの、それで反〈Plant hwyaden〉のリーダーさんで良いんですよね? そんな人がどうしてあの場所にいたんですか?」
すると、予想通りホネストは頭を上げて、少し困った顔をしながらも言う。
「僕もこの闘技大会の第四グループに参加しているから……ってのはもう言い訳にしかならないかな。そう……あえて言うなら『仲間探し』だ」
「仲間探しですか?」
僕は首を傾けた。ホネストは頷く。
「闘技大会ともなれば猛者が現れる。こっちも人材不足でね。強い人はいるに越した事はない」
――なるほど。つまり、〈Plant hwyaden〉に取られる前に横取りする、というわけか。
僕は納得が入ったように頷いた……ということは、すでにこの闘技大会の優勝者候補もねらっているのだろうか――ん? あれ、それはつまり……。
途端に僕はなにやら熱い眼光を感じて視線を向けた。すると、ホネストの眼差しがすでに良きライバルに向ける眼差しへと変わっている……ああ、しまった。また変な集団に目を付けられたかも。
そんなホネストは、にっこりほほ笑むと、もう言う事はない、と僕に背を向け歩き出す。だけど、
「腕前、頭脳。両方ともそこそこ……シロエさんの情報通りだった。さすがです」
一瞬、悪寒を感じて僕は震えあがった。振り返ると、ホネストは少し逡巡するように立ち止まっていたがすぐさま歩き始めていた。その後ろ姿はエセ〈冒険者〉の比にならないほど黒い何かを感じた……お、恐ろしい。
「『流星』の二つ名はだてではなさそうね」
その時、寒気を感じていた背中に熱を入れてくれた。振り向くとノエルが治療室のドアを開けてこちらに近寄ってくる。
「聞いていたのか」
「ええ、気をつけなさい。あの人ねらった相手は逃がさないってはなしだから」
その話はやめてください……本当に恐いです。
「……あと謝りにきた」
だけど僕が脅えに拍車をかけるように、ノエルは僕に向けて深く頭を下げた……何なんだ、急に!? するとノエルは真剣に詫びを入れる。直後、僕の頭は急激に冷えた。
「セイは『仲間』だって言ってくれたのに、私も何か変な意地を張ってた。本当にバカなのは私だった」
人の事言えないねと言いたげにノエルは自らを嘲笑する。だけど僕はその言葉を否定した。
「違うよ。むしろ僕はもっとノエルの事好きになれた。だからきっとこれはいい事だ」
そう、今回の事でノエルの真心が深く伝わってきた。もしかしたら今までうまく立ち回ってこれたのはノエルがサポートしてくれたからかもしれない。
僕は頭を下げようと、ノエルに向き直る。だけどノエルは先程とは打って変わって顔を真っ赤にさせた。
「あれ、どうしたの?」
すると、ノエルがいきなり僕の首に腕を回して締める……って、い、痛いんですが!?
「何が『あれ、どうしたの?』よ! 私でなければいろいろと誤解されてたわよ!」
「ご、誤解!? 何の事!?」
「とにかくコールには恥ずかしい言葉は言わない事! これから一緒に行動する仲間になるんだから」
途端に「これだから鈍感は」とノエルは締めあげていた腕を離した。僕は咳き込んで首筋を正す……だけどある事に気づいて、ぱっ、と顔を上げ期待の眼差しを送った。
今しがたノエルはコールの事を『仲間』と言わなかったか。もしかして、
「言っておくけどまだコールを認めてなんていないからね……」
ノエルはその眼差しに応えるように照れくさそうに振り返った。
「……だからこそ一緒にコールの事を考えてもいいかな?」
そんなノエルに僕は苦笑いしながら静かに頷いた。
「本当に素直じゃないな、ノエルは」
とにもかくにもまた僕には強力な仲間がついてくれることになった。ならば言うべきだろう。僕は声高らかに叫んだ。
「これからもよろしく、ノエル!」
こうして僕はノエルと仲直りをした。